縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年2月24日

二月二十四日(木)

ぼくが、たった半径5センチの範囲で、マウスをこちょこちょ滑らせて描いている絵「のようなもの」は、芸術とかアートとかとは程遠い存在だろう。
しばしば好くない意味で、「小手先」という表現が使われる。では、マウスで描くのは、「指先芸」だ。
でも、指先とマウスで無限に近い可能性に迫れると、ちょっとオーバーだが、ぼくは実感している。
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絵を描くことでは、ペイントとマウスのコンビは、アルタミラの洞窟以来、人類史上かつてなかった簡便さである。思い立ったらすぐ描ける。絵が、こんなに簡単安直に描け長期に保存できたことは、かつてなかったのではないか。デジタル時代の恩恵に浴しているのだ。

投稿者 nansai : 08:59

2005年2月22日

二月二十二日(火)

食べられなくなってからの吉野家の牛丼の人気は、たいしたものだ。販売できなくなってからのイメージアップは、広告費に換算したら、天文学的数字になった。新聞テレビの報道のせいだ。その人気は、テレビ報道で見る限り、圧倒的に首都圏なのだろう。支持層は、若い人たちだ。食べられないとなると、余計に食べたくなるのは人情だ。

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しかし、ぼくは、いわゆる牛丼なるものが、そんなにうまいかなあと思ってしまう。関西のお笑い系の時事ネタ番組でも、そんな意見だった。親子どんぶりのほうがましや、という声もあった。
うまい、安い、といわれる肉の部位は、いわゆる「ショートプレート」。味覚の地域差か、年代差か、個人差か、いちがいに何がうまいと声高に主張できない、好き好きの多様性の時代である。
「安くて」というのが一番の、ヤングに選ばれる理由なのか。サラリーマンの常連客も、係長か課長になると、ばったり来なくなるそうだ。


反面、いまも、これはうまいと思える超かんたんメニューは、タマゴかけご飯だ。朝日新聞の週刊誌アエラ二月十四日号に、「卵かけごはんの幸せ」という記事がのっていた。全国にはマニアのような熱心なひとたちもいて、ひたすら卵ご飯を食べる会もあるのだそうな。

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つくりかたは、こどもでもできる。熱々ご飯にたまごを割りいれ、かきまわすだけ。高級品のたまご、こめ、材料にこだわるもよし、冷蔵庫の在庫品処分もよし。
食べ方は、ひとにより千差万別。


シンプルなご飯でこんなに話しがはずむのも驚きと、「食べる会」の主催者はいう。たまごかけごはん専用のしょうゆまで発売されているらしい。アエラ誌によれば、島根県の旧吉田村が、村おこしにと、地卵とセットで開発した。発売三年目で、十万本に達しそうな勢いという。たまげた。
日本人が生卵をたべるようになったのは、大正末から昭和初期にかけてで、、意外に歴史は浅い。最近は朝がパン食で、卵かけご飯を忘れていたのだ。

投稿者 nansai : 09:41

二月 二十一日(月)

ペイントを覚えたてのころは、ノートパソコン(メビウス)で描いていた。「六十の手習」というが、それよりはるか越えた年で始めたわけだ。
まだマウスがうまく使えず、トラックパッドの上を人差し指一本をすべらせて描いていた。
画面だけを見ながら、手元を見ずに指をくるくる動かすのだ。なれるまで、ぎこちなかったが、ほかにやりようがなく、何とか絵のようなものを描こうとした。とくに鉛筆のような細い線はビリビリびびるので、思うようにきれいに描けない。まるで幼稚園児のお絵描き、そのものだった。
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でも、いろんな色が自由に選べ、あっというまに塗りつぶせるのは、おどろきであり、快感だとわかった。塗り絵感覚だが、色彩が自由に出せる。瞬時に色変換できる。
これはおもしろい。まだ、線を描くぎこちなさはあるが、色に魅せられて、とりこになった。
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トラックパッドの上を指で絵を描くこころみには、周りの人は、あきれて怪訝な顔でみていたが、ぼくは、これはすばらしいツールに出会ったとうれしかった。

投稿者 nansai : 09:35

2005年2月20日

二月二十日(日)

タイガースは、ことしはどうだろう。投手陣は、ひいきめにみても楽天的には、なれない。ここ何十年、ぼくは大歓声に沸く甲子園には足をふみいれたことはない。切符の買い方をよく知らないからだ。ぼくのように勝てばうれしいだけの、入場料を払わないやつは、ファンといえるのかなあ。今シーズンも、テレビサイドで、結果は、あまり期待せずに、野次と応援を楽しもう。

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おもしろいのは、虎よりも、トラキチの生態である。八方ふさがりでお先真っ暗の関西。東京に引き離され、元気のいい名古屋、福岡に追い抜かれた大阪だ。せめて、タイガースに託す思いは、複雑だ。勝つにつけ負けるにつけ、トラキチの応援行動は、これはもう、社会現象である。ぼくもさまざまのトラキチをこっそり描いてきた。

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ある日、だれでもかんたんに虎の顔が一筆で描ける方法を思いついた。こんな顔である。ピンクの鼻から描き出すのだ。

毎試合、先取点をねらって、ぼくらは、叫ぶのだ。
「ハナからゆくでえ!」
「ぶっち切れえ、タイガース」と、鼻歌を口ずさみながら、こどもでも描けるように、作詞もした。
だれにでもすぐ描ける虎。強そうな虎。
ハナ歌うたいながら、さっと描けるぞ。
さあ、甲子園で、みなで虎の絵をプラカードに描いて高く掲げよう。テレビカメラも望遠レンズでとらえてくれるぞ。君の描いた絵がテレビいっぱいに映るんだ。





まわりにみせると、いつになく反応がよかった。みんなおもしろがってくれたので、勇気を出して、知り合いの作曲家にお願いして「お絵描きうた」をつくってもらった。学生コーラスを呼んで、録音も。




ところが、時期が悪かったなあ。大阪じゅう、ちょうど、星野タイガース優勝の大フィーバーで、あやかるどころか、消し飛んでしまい、虎のお絵描き歌は、zzzzzzz、目下冬眠中、お蔵入りの状態だ。ご希望ならばご披露しましょう。

投稿者 nansai : 16:27

2005年2月19日

二月十九日(土)

「我楽多」ガラクタとは、まさに、ぼくのお絵かきのアーカイブのことだ。アーカイブとは、つまり物置だ。ここに、僕の描き飛ばした画像と文章の破片が、マイドキュメントとマイピクチュアに投げ込まれている。まさにミソもクソもである。でも、これは、ゴミかもしれないが、可能性のタネかも芽かもしれないのだ。ハードディスクの容量が許す限り、吸い込んでくれる。いくらでも放り込めるのはすごいことだ。あとで、どうやって探し出すか、までは、考えていない。



もしこのような破片を、紙などメモしておいたら、ほとんど紙くずとなり消失していただろう。

何の価値も生まないかもしれないアイデアの破片を、コンピュータは、捨てずに、忠実に愚直に、記憶しておいてくれる。ありがたい。

このBLOGは、ひとりよがりの、ひとりごとである。
ぼくの気まぐれなお絵描きについて述べている。
ぼくは、ずぼらなくせに、せっかちである。仕上げがおろそかになる。小学生のころから、絵の点がよくないのはそのせいだ。

好きな絵を描いて楽しみたいのだが、らくをして、大急ぎでかたちにしてみたい。すぐ色を塗ってみたい。早く結果がみたい。「我慢」「丁寧」は、ぼくの字引に欠落している。あわてものだから、拙速が、性にあっている。こどものときから、ずいぶん、それで損をした。長じては、ゴルフでえらい目にあっている。

だから、ありがたや、デジタルの御世になって、救われた。老いて、ますます救いがたい怠惰なずぼらもんも、けっこう恩恵に浴している。MSペイントにマウスという組み合わせは、ぼくに向いている。まず準備が要らない。あと片付けも不要である。いちばんすごいのは、失敗しても、平気なことだ。描きなおしが、実に簡単なのだ。

投稿者 nansai : 16:20

2005年2月18日

二月十八日(金)

このチンパンジーは、新聞に載っていた写真を断りもなくスケッチした。すばらしいシャッターチャンスで、みごとに愛嬌のある表情がとらえられている。なんとかうまく描きたいのだが、ぼくのデッサン能力とぼしいため、かなり狂ってしまった。ザンネン。似ても似つかぬが、でも、いい顔だ。

ところで、せちがらいこの世だ、肖像権と著作権はどうなるのだろう。かりにこのチンパンジー君をTシャツに印刷し、C shirt company(Cはチンパンジーの頭文字だ)の文字なんかあしらって、売り出すとしよう。売れないねえ。でも、このへんなシャツを着て六本木を歩いていると、すれ違った人は、ぎょっとして振り向くと思うよ。万一人気を呼び空前のベストセラーになったら困る。「訴えてやる!」といわれても、しかたがないのだろうか。これくらい下手で似ていなければ問題ないはずなんだがなあ、最高裁までいくしかないか、と、まあ、ナヤミはつきないのだ。

投稿者 nansai : 16:15

2005年2月17日

二月十七日(木)


ルーブル美術館などでは、修行中の画学生が真剣に名画の模写をしているらしい。
ぼくも、不遜にも、ペイントで名画の部分のスケッチを、いい加減なタッチで、ときおり試みている。たとえば、マチス、ピカソ、ウオーホル、蕪村、若冲。気が向いたら、手当たり次第。
美術館に出かけるほど熱心ではなく、新聞などの名画紹介にある小さな写真をみながら描く。

もちろん精密な模写は、技術的にもとうていできないが、印象をメモ的にスケッチするのは、興味深いし、けっこうこれで勉強にもなる。弟子入りは許されなくても、門前の小僧だ。これは蕪村の名作、どこがどのようにかは、よくわからないが、新聞の解説を読んで、山水画の奥深さをさぐろうとしてみた。

マチスの作品は、晩年絵筆がもてなくなってからの切り紙細工だから、なんとなく迫りやすい感じだ。若冲の超絶技巧は、ペイントとマウスとぼくの腕では、とうてい近づき得ないにしても、にわとりの独創ポーズは、カラオケみたいにまねてみたい。


投稿者 nansai : 16:09

2005年2月16日

二月十六日(水)

昨年,ある新聞の市内版で、ぼくのことを取り上げてもらった。面映い限りだが、独学で絵を学んだと紹介され、見出しには、かわゆく、「CGお爺ちゃん」とつけられていた。
めっそうもない。ぼくのは、そそくさと描き飛ばせるバカチョンお絵描きで、ひとつのCGに何日も何日も手間ひまかけている本職のアーチストは怒るだろう。「いっしょにしないで」と。
ウインドウズを使わないプロからみれば、オマケのソフトでマウスを動かして描くなど、信じられないという。ぼくも,結果的にだが、手をいれて描きあげた絵のようなものがないでもない。ペイントを覚え始めた頃である。

投稿者 nansai : 16:05

2005年2月15日

二月十五日(火)

このつれづれなるままの絵日記めいたものは、ぼくがマウスを使っての走り描きにそえたメモのようなものである。MSペイントで絵を描いてやろうという人には、(ほとんどいないが)多少、手引きというか、参考になるはずだ。残念なことに、絵を描いてみようとする人で、ウインドウのオマケについている初心者向けペイントにこだわる人は、ほとんどいない。まずは、知られていない。

ほかに優れたソフトがたくさん出てきたせいで、お絵描きの道具としては評価の低いMSペイントだが、何とかは使いようで、ぼくなりに、あるていどはばひろく自由にクリエイティブ(!)に描けることがわかった。しかも、きわめて単純簡単である。これはパソコンは使うが、いわゆるCG(コンピューターグラフィック)ではない。自転車やスクーターではなく、いわば三輪車みたいなばかちょんで、小学生でも描き始められる。

しかし、ペイントには、ぼくがためしていない働きもまだまだあるようだ。奥が深い。困ったことにペイントの取扱説明書は無料のおまけではついていない。不親切だ。(ネット上には、英文も和文ものっている。)
おおきなおせわだが、ここらあたりを同好の士集い、知識の交換と普及をはかってはどうだろう。



MSペイントは、現在どのていど利用されているのだろう。気になってネットで調べてみると、ペイントは、超初心者むけと位置づけられているらしい。小学生やシニア向けには教えられているという。

海外のネットをみてもたいした作例は見当たらない。ペンタッチだけを使った幼児の絵と、セーラームーンなどの絵にあこがれていても描けないティーンエージャーたちのらくがきが稚拙な作例としてでてくるだけである。ちょっともったいないと思う。
ペイントは、長期間の練習を要するピアノとかバイオリンで

はない。単音のハモニカである。だれにもすぐ吹けるし、楽しめる。オーケストラと同じメロディも吹けるのだ。ぼくは上手にふけないが、かんたんなようでハモニカ演奏の奥は、深いのではないか。

投稿者 nansai : 15:57

2005年2月14日

二月十四日(月) バレンタインデー



むかしは、この日も「母の日」もなかった。すべて戦後の輸入デーだが、これはこれで楽しいし、男女ともに、コミュニケーションのきっかけがつくれるのはすばらしいことだ。ぼくもアーカイブの奥から、ごそごそ手持ちの絵を引っ張り出して、みてもらうことに。


きょうは、世界のチョコレート資本が、ほくそえむ日である。殉教したといわれる聖バレンタインに乗じて‘(バチは当らないのだろうか)、大もうけを図っている。

さて、これは、チョコレートがもらえなかったひとのための「画チョコ」。

絵に描いたモチならぬ、チョコレート。(できのよくないオヤジギャグだ)このまんま、プリントアウトするとうまそうに見える。買えば、このセットだと、三千円はくだらない。義理チョコの範疇を脱している。

投稿者 nansai : 10:54

2005年2月13日

二月十三日(日)

ワールドサッカー対北朝鮮では、まさに勝ちを拾った。「神様仏様大黒様」が、あちこちの新聞の見出しを飾った。

投稿者 nansai : 10:52

2005年2月12日

二月十二日(土)

こんなお絵かきでも、ぼく独特の性癖があってこれは面白そうとなると、しばらくは、それに、ひたすらこだわり続け集中してしまう。そんなときは、ふしぎなことに、つぎからつぎへ、連鎖的にアイデアがわいてくるのだ。
そして、突然それにあきて、関心が別のことに移り、そこそこいい線までいっていたのに、ころっと忘れてしまう。あとを見向きもしないところがある。もったいない。歳をとって記憶力が衰えたことは原因のひとつには違いないが、それより もぼくの場合、生来の移り気が問題なのだ。

もうあまり持ち時間がないのだから、すこし腰を落ち着けてゆっくりと集中して。と、思わないでもないが、やはり新しいものを探して、うろうろきょろきょろのほうが、性にあっているようだ。

それでも、いろいろ試みているうちに、ぼくなりに、型のようなものに出会ったのが、いくつかある。イヌも歩けば棒にあたるという。
ひとつを紹介しよう。顔の真ん中に線をひき、片方にハイライトを当てると、立体的にみえる。あたりまえだが、100%効果的なのだ。切り紙を折ったように見える。パソコンの画面はせまいので、顔を大きく立体的に描くと、具合がよい。味を占めて、馬鹿の一つ覚えで、いろいろ試してみた。










投稿者 nansai : 10:22

2005年2月11日

二月十一日(金) 建国記念日 曇り 寒い

きょうが、なぜ祝日なのかわからない国民は多いだろう。

戦前は、紀元節といった。こどもたちは登校し式典に参列した。ぼくらは、天皇皇后のセピア色のご真影のまえでうやうやしく頭(こうべ)をたれて、校長先生の読む教育勅語をきいた。重々しく独特の節回しで「チンオモウニ」に始まる勅語の意味は、お経同然の漢文だ。「よく忠に、よく孝に」いがいは、小学生には、ちんぷんかんぷんだった。
その間、冷たい床の上にはだしで頭をさげっぱなしだから、ぼくら小国民はつい鼻水をすすりあげる。鼻水が床に落ちてもよいから、すすり上げるなと注意された。

厳粛な式典には、ふさわしくない、汚らしい音と思われたのだろう。花粉もアレルギーもまったく気にならない時代だったのだが。
講堂には、宮城の二重橋と、伊勢神宮の額がかかっていた。続いて、「雲にそびゆる高千穂の::」と紀元節の歌を斉唱した。歌詞は意味もわからずうろ覚えだったが、いま調べれば、ご親切にも、インターネットに「高根おろしに草も木も、なびきふしけん大御世を。仰ぐ今日こそたのしけれ」と、ちゃんとのっていた。
おさないぼくらには、神話と歴史のちがいなど、わかろうはずがない。教科書だったか、絵本だったか、神武天皇が大和橿原の宮で即位の情景が描いてあり、きょうはその日であり、日本は、二千六百年の歴史があるのだろうと思っていた。

「ジンム、スイゼイ、イトク、コウショう」と、たしか百二十四代歴代の天皇の名を暗誦させられた。最後、「めいじ、たいしょう」ときて、「今上天皇」とひときわ声を張り上げて、上がり。やれやれだ。
森元首相ならずとも、ぼくら小学生は、日本は「神の国」と豪も信じてうたがわなかったのだ。それから、あと数年たって、神州不滅のはずの日本が完膚なきまでに敗れ去るまでは。

ぼくの絵は、その神武天皇のつもり。弓の先に止まっているのは金のトビだ。まばゆい光線を発し、テキの目をくらませ、劣勢だった天皇の軍勢にみごと逆転の勝利をもたらしたといわれている。ワールドサッカー応援には、最適のキャラかもしれない。

投稿者 nansai : 09:53

2005年2月10日

二月十日(木)

写真を見ながらマウスを動かして描くのは、かなりむずかしい。上手に描こうと思えばの話が。
かたちをとるのも、たいへんだが、これは、まあ、似てもよし、似なくてもよしとする。ペイントのブラシやエンピツタッチで、ぼんやりした線でなんとか感じがだせたら、オンの字である。
問題は、色である。

もちろん、写真の美しい色が再現できるはずはない。このうさぎは新聞の写真を見て描いたら、ごらんのとおりの色になってしまった。あまり違いすぎると、これではちょっとなと、欲の深いことをかんがえたりする。
ぼくのペイントの色使いは未熟で、ごく限られた色数しか使えない。どうしても、こんな色合いになってしまうのだ。

でも、これでいいのだ。うさぎ君、けっこうかわいいじゃないか。捨てられるはずの古新聞を残しておいて、こうやって描いたからこそ、いつまでも、このポーズがみられるのだ。
もっとがんばって色の混ぜ方を勉強する根気は、もうないから、あきらめて、近似の色でたのしむことにしている。

昨今、ノイヌ、ネコのブームで新聞雑誌はかわいい写真の洪水である写真をみると、できはともかく、描いてみたくなる。
プリンターで正確に複写するのもいいが、こちょこちょとマウスを動かすお絵描きには、それとは違うたのしさがある。

童心に戻って、かたちが少々ゆがんではいても、克明に表情を写し取ろうとするのも愉快だ。お絵描きだけなら、絵の具も絵筆もクレヨンもいらない。
ペイントは、原則、塗りえの機能がべんりだが、ぼくは、びりびりふるえる細いエンピツのような線も好きだ。頼りないがふらふらとかたちをとるのも、ままならぬわりには案外いい味がだせる。この毛むくじゃらのワンちゃんがそうだ。イヌの名前は知らない。



ワールドサッカ ー対北朝鮮。









投稿者 nansai : 09:20

2005年2月 8日

二月八日(火)

ぼくは、正式に絵を描く勉強をしたことはない。先生についてデッサンを習ったこともない。つまり、我流である。習ったとしてても、じまんではないが、ぼくの性格では、長続きせず挫折したに違いない。友人たちもそういう。

ぼくの尊敬するアメリカの素人画家モーゼスばあさんは、七十二歳で油絵を始めた。リュウマチで手が不自由になって、刺繍絵ができなくなり、すすめられて油絵を始めたという。
農家の主婦だった彼女は誰にも習わず、自分の記憶をたどり、ふるさとバージニアの十九世紀ごろの田園風景を描いて、あまたの名作を残した。百歳過ぎまで絵筆をはなさなかった彼女はパレットを使わず、板の上に、絵の具チューブに直接筆をつけて描いていたらしい。
以上は、先日のNHKの日曜美術館でみた。
こんな話を聞くと勇気がわいてくる。手順、手続きはどうでも、何を描くかだ。僕はゴルフでは失敗したが、お絵描きは、モーゼスばあさん流でゆくことにした。

もうひとつ、こころ強く思ったことがある。それは、彼女が、新聞やカタログの写真をたくさん切り抜いていて、それを、自分の心象風景を描くときのデテール描写の参考にしていたことだ。ぼくのやり方と同じではないか。

ぼくのお絵描きはほとんど即興のでっちあげだが、ときどき、テレビや新聞雑誌に載っている画像をみて、あ、いいな、正確に描きたいと思うことがある。みたこともないし、そらでは描けないテーマの場合だ。

たとえば、皇女紀宮の研究テーマとされるカワセミだ。形も美しいし、ダイビングしてえさをとる姿勢が絵になる。皇居には生息しているらしいが、ここらあたりでは、ふだんお目にかかることがない鳥だ。
そんなとき、チラシでもパンフレットからでも、気に入った写真を発見したら、破いてとっておく。ぼくは、サーチエンジンのグーグルのイメージから、探して描くことが多い。

ところが、いざ描こうとしても、シロウトの悲しさで、うまくかたちがとれないのが常である。
デッサンの心得がないから、どうせ正確に写生できるわけはなく、どうしても、似ても似つかず、ゆがんだり狂ったりする。よくしたもので、そこがいい。ひいきめにみると、下手なりに、いい味にみえてくるものだ。ひとりよがりだ

この外国産かえるは、科学雑誌にのっていた写真を見て描いた。名前は忘れた。
が、おもしろい。

投稿者 nansai : 12:19

2005年2月 6日

二月六日(日)

今朝の朝日新聞に「船木6季ぶりにV」、ジャンプw杯。風も味方にした135メートルの、みごとな飛型の写真だ。即、いただき。

投稿者 nansai : 16:16

2005年2月 5日

二月五日(土)

だいぶ以前に描いたこの酒好きの老人を、ぼくは「パパ ラッキョ」と呼んでいる。

アタマが、らっきょうのようだからだ。ひさしぶりでアーカイブから呼び戻し、安楽いすに座らせて冬の夜を過ごすことに。飲み物はホットウイスキー。

こんな風に、かなり前にお蔵入りしていたのを、アイデアしだいで復活させ、心機一転、あとから細工できるのは、ペイントのお家芸だ。ずぼらなぼくにはありがたいところ。

いろいろちょこちょこ、手を加えているうちに、この安楽いすバージョンは、誤って消してしまった。アーカイブには残っていない。でも、まあ、いいか、また描けばよいとなる。描きなおしも、ちっとも苦にならないのが、デジタルの強みである。

ぼくの描きかけが乱雑に放り込まれているマイドキュメントとマイピクチュアは、整理がごちゃごちゃで、まるで産業廃棄物の捨て場のようだ。このごみの山のなかから、アイデアヒントを選り分けてヒカリ物(自分にとっての)を探し出すのもよろこびだ。暇つぶしにはもってこいなのである。
もっともらしい顔してワインのテーストしていたラッキョ爺さんも、思い切って衣装を変えてヘンシンさせると、このとおり、ハーレーダビッドソンを乗り回す暴走爺さんになるのもおもしろい。元の顔は、かわっていません。

投稿者 nansai : 16:00

2005年2月 4日

二月四日(金)

老人には縁のない話だが、まもなくバレンタインデー。デパ地下などで早くも過熱しているチョコレート商戦が、面白おかしく報道されている。

世界中のブランドチョコが日本に集結しているそうな。いまや、チョコレートのやりとりが、国民的行事になったのか。
いつの間にか、この国では、チョコレートを女性が男性に贈ると勝手に決められてしまった。かつては控えめな日本女性は自分からは愛の告白はしにくいから、というヘリクツだが、結果としては、チョコレート業界のこのたくらみは大当たり。先輩の国々では、愛をコミュニケートするのに、男女どちらが何を贈ってもいい、別にチョコレートにかぎらないらしい。

インターネットで、海外のデパートのギフト事情をしらべてみた。ぼくは、ながいあいだ海外へは出かけたことがない。しかし、ネットのおかげで、瞬時に一流デパートのカタログを盗み見ることができる。こうやってえらそうに、店頭を見てきたように、情報通?を気取れるのだ。
バレンタインデーの贈り物のおくりさきは、男、女、カップル、おもしろいのは、赤ちゃんだ。愛の結晶にもプレゼントか。ギフトもチョコレートに限らない。バラなんかの花も人気だ。男から女性へはあたりまえで、香水、バッグ、ものすごく面積のすくな い下着など、いろいろ。

なに遠慮することはない。これから日本でも、チョコ以外なんでも贈ろうのオープン商戦になるだろうか。バレンタインの送り先リストにに、老人もいれておいてほしいものだ。

インターネットで、GODIVAのカタログをあけてみて驚いた。たくさんの種類のチョコレートが、こだわりの一粒ずつ、紹介されている。トリュフ、ビスケット、ナッツなど、オールスターゲームの選手紹介のようだ。それがどのギフトセット箱にはいっているか、ごていねいに、説明されている。まるで貴重品扱いだ。

打ち続く不景気でせちがらくなり、義理チョコは衰えたようだが、女子高校生の間では「友チョコ」がはやっているらしい。友人同士で交換する、これなんか、からっとして、いいのではないか。おとなたちも、まねしたらよい。

「義理チョコ」は、日本の職場ならでの奇習だが、このごろでは、OL諸嬢も、費用対効果を考えてひかえるようになったのだろう。上司なんて、きょうび、なんぼのもんじゃい。やつかみでいうのではないが、すたれて当たり前だ。

「自分へのご褒美」とかで、ブランドチョコレートを数粒買って、ひとりで某夜ひそかに味わうのも、なにやら秘儀めいて陰々メツメツ?ま、それもいいか。
ハーシーの広告コピーにでてくる英語でindulgeは、耽溺という意味だが、がまんしていたチョコレートを口に入れるときの気持ちをよくあらわしている。ま、いいか。自分を許しましょう。

さて、バレンタインのお絵描きのテーマは、天使と、ハートだろう。愛のシンボル、心臓をかたどったハートは、永遠のテーマだ。
アイデアとしては、例によって、一見関係のなさそうなものを組み合わせてみた。
ピンクパンサーみたいに、全身ピンクのくま君にエンジェルの羽根をはやして、ハートを射抜く弓矢をもたせてみたが、どうだろう。

こちらは、欧米スタイルだ。どちらも風采のさえないワニ君とゴリラ氏だが、この日ばかりは花束をかかえて決まり。デートにでかけるのもサマになっている。絵にはなりそうだ。


この小さなハートは、一昨年描いた試作だ。何となく描いて、すっかり忘れていた。こうして伸ばしてみると、われながら、なんとなく新鮮なできばえに見えてきたのも、奇妙だ。

投稿者 nansai : 15:27

2005年2月 2日

二月二日(水)

スローフード料理を標榜している隣のイタ飯屋「マリアン」の主人が、このところ、ある芋にこっている。
そのこだわりのジャガイモは、南米原産「アンデス レッド」だ。概して小粒で、皮つきのままでは、見栄えがせず器量好しとはいえないが、皮をむくと、きれいな黄色の肌でカロチンたっぷりサツマイモのようだ。

皮付きのまま炒めたり、やわらかいので煮崩れを警戒しつつポトフにいれたり、ふうふう吹きながら、これがなかなかうまい。小粒だが味のある脇役で活躍している。冬場の隠れた人気メニューだ。
インターネットで調べて、信州や北海道から仕入れているとのこと。

さっそく例によって、おせっかい八軒家、頼まれもしないのに、キャラクターをこちょこちょと。

アンデス高地のインディオのおばさんの帽子と肩掛けファッションにヒントをもらった。ジャガイモの宣伝というか、なんだかアンデスの観光ポスターみたいなのができた。空気の薄いアンデス高地の感じでたかな。

ついだから、でに店の宣伝用ににも。あ、このТシャツは、思いつきを描いただけで不賣品。

投稿者 nansai : 14:04

2005年2月 1日

二月一日 寒い朝 雪

旧知のイラストレータの佐々木侃司さんがなくなった。サントリーの前身、壽屋宣伝部時代、「洋酒天国」などで認められ、「どくとるマンボウ」の挿絵が代表作だった。あわてて、いただいた年賀状をひっくり返してみて気がついたのだが、立派なイラスト美術館がほぼ立ち上がっていた。必見。

賀状にカンさんらしく小さな字で恥ずかしそうに、「ホームページができました」と書いてあったのを見落としていた。合掌。本屋で「どくとるマンボウ航海記」の文庫本を買った。400円。

絵巻物風のBLOGをこつこつ描き始めようとしている。といっても、ぼくのアーカイブには、これまでに興にまかせて描きなぐった絵のネタ破片が、貝塚かゴミ捨て場のように散乱しているから、そこから拾ってくればよい。
枕にあたるトピックは、できるだけ新鮮なのを、漁師のように、ネットから日々探してくるのだ。

カバは、描きやすい好きな動物だが、じかにお目にかかったことは記憶にない。これは、昨年日本シリーズで活躍したカバレロ選手だ。

四千万年前の化石を研究している学者によれば、カバは、クジラの親戚だった、というのが最近の学説らしい。
ほんとかねえ。ちっとも似ていない。古代ギリシャ人も、カバはウマの仲間と考えていた。

化石を調べてわかったことは、五、六千万年前、水中で暮らしていたかれらの共通の祖先がいた。ここから二つの種に分かれて、ひとつは、水中で暮らすクジラやイルカの仲間。いまひとつは、ブタのような37ものグループにわかれて大繁栄したが、二百五十万年前に絶滅してしまい、末裔がカバということらしい。太古、カバとクジラが姻戚関係にあったとは知らなかった。以上、CNNから。

投稿者 nansai : 16:38