縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年3月31日

三月三十一日(木)

作詞家の阿久悠氏は「あんでぱんだん」というホームページを持っている。立ち上げるとき、スタッフに、縦組みにするようにと注文をつけた。それがどんな難題であるかわからなかったそうだ。
ようやく開設にこぎつけてから、しばらくは、内容に対する反響よりも、どうすれば縦書きにできるかという問い合わせのほうが多かったそうだ。(文芸春秋の日本語特集「手書き縦書き仕事の秘密」から)

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「縦書きは、ぼくであることの証明である。ぼくの、言葉に対する敬意と問題意識の表れである。」と阿久氏はいう。
縦書きすることにより、パソコン、この傲慢な機械に対して、お前は道具だ。ぼくの下僕だ、人間の思考や創造に立ち入るなと言い聞かせるのだと。そうすることで、自分の文体は、変化や変質をしないですんでいるはずだ、と阿久氏は考えている。
(パソコンの横組みは、)阿久氏が、生きて、愛して、悶えて、作り上げた文体を、「修正」してしまうことになる、それには耐えられないと。
パソコンは、手ごわい相手だと承知しているからと、阿久悠氏はのべている。良くも悪くも、これからの日本語を変容させる力を秘めているかもしれない。

作詞家で作家の阿久氏の意見には賛成だ。ぼくは、パソコンを、日本語にもなじめるように、書くにも読むにももっとらくらく、使いこなしたい。多少違う立場から、ぼくは日本語の文章の縦組みを支持している。
まず、ぼく自身が書きやすく読みやすいように、このブログを縦に組んでもらっている。

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阿久氏と同じく、横を縦にすることが、これほどたいへんな作業かはよくわかっていなかった。パソコン草創期のユーザーは、ほとんどエンジニア系か、総務財務経理系か、学生おたく系の諸君だ。かれらは横組みを苦にしないし、いつのまにか、横書きがデファクトになってしまった。パソコン文化になじめずにいた文系のふつうのユーザーが気がついたら、縦組みは異端視されるようになっていた。
日本語の文章の縦組みが異端とは、おかしなことになったものだ。それをパソコン上もあたりまえの日本語環境にもどしたいというのが、ユニバーサルデザイン社会にむかっての、ぼくの願いだ。決して「引かれ者の小唄」ではないと思う。

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だれにも読みやすいパソコン上の日本語の文章は、いまのところ、縦に組むしかないと思う。
横に組まれた漢字かな混じり文は、文字数が多くなると、読みにくくなるのは、ジャーナリズム、出版界では、常識。読者が拾い読みできないからだ。人は、読まない、スキャン(拾い読み)するだけだというのが、海外でも専門家の意見だ。

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こころみに、夕方のキオスクで山積みされているスポーツ夕刊紙を横組みすれば、即、読者は逃げてしまい売れ行き不振で倒産するだろう。

いまだに出版物のほとんどは、縦組みである。読みにくい文章を我慢して読んでくれる人は少ない。もちろん、試験問題のような文章はべつとしてだ。横組みの文章を読みやすくしようとすれば、全体の文字数を制限し、一行あたりの字数も少なくし。改行をひんぱんに多くせねばならぬ。なお、走り読みはこんなんだし、なにより1ページあたりの文字数がかぎられ情報量が貧弱となる。
読み手の効率にくわえて、日本文化の伝統に根ざす文章、古典はもちろん、たとえば、和歌、俳句、経文、小説、随筆などは、情趣のうえでも、横組みはなじまない。

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ウエブサイトでは横組みが常識だが、パソコンに食われて絶滅したワープロでは、縦横自在に組めた。横方向へのスクロールは当たり前だった。いまだに、ワープロの使い勝手のよさを懐かしむ人は、ぼくの身近でも多い。
おおげさにいうと、日本人のための、日本語を使いやすくする工夫が、ワードなどパソコンソフトに不足している。

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日本のサイトには、長文が極めて少ない。短文ばかりである。横組みで「長く書いても読まれないというあきらめがあるのだろう。記事論文の数が、海外のサイトに比べて、その差は歴然である。
文章の入力文字数が英米のそれに比べて少なく、したがってコンテンツが軽く貧弱なのに、おどろくが、それは、読みにくさから来ていると、ぼくは、にらんでいる。「そんなにたくさん書いても読まないよ」という人は多い。
こうもいえないか。
大量の漢字かな混じり文で成り立つ日本語の文章をあえて横に組むことは、読み手に、バリヤ(障害)をつくっていることだ。なんでも、バリアフリーの時代にである。

投稿者 nansai : 14:04

三月三十一日(木) 

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少年時代草野球をやっていたので、投げたりとったりの体の動きは、ほかのスポーツに比べ、こまかいところまで記憶しているつもりだ。
野球殿堂入りした215勝投手村田兆冶のあの華麗なフォーム写真を、新聞で発見。よおしと、わざと頭でっかちに描いてみた。
あの一世を風靡したマサカリ投法。現役時代はテレビでよくみたし、あんなに特異なフォームだから特徴をとりやすいはずだが、へたくそだから、似顔も似姿も、やはりむつかしい。

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「ロイヤルリーグ」というのが、どうも理解できない。
ロートル、失礼、往年の名選手を集めて試合をさせるのだ。
村田選手は、むかしのままに、剛速球で、活躍しているようだが、大半は寄る年波でかつては颯爽としていた体型がすっかり変化してしまい、動作も緩慢になり、よたよたしている往年のスター選手たちを見ると、胸が痛むのだ。ほとんどは、引退してから練習もトレーニングもしていないのだから無理もない。
しかし、楽しんでいるつもりの本人たちは知ってか知らずか、夢がこわれるとはこのことだ。渇!だ。

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大きなお世話を承知の上で、HPを開いて、マスターリーグの基本理念なるものを読んでみた。
大沢親分の署名入りで、「高齢者社会への温かな励ましのメッセージ」ときた。ははあ、ぼくむけだなとさっそく読んでみたら、
たぐいまれな才能にめぐまれた選手たちが、「現役時代そのままのフォームで投げ打つ選手に自分をダブらせれば、それは大きな勇気を与える」とある。ここで「自分」とあるのは、われわれ高齢者のことらしい。
それはないよ。ぼくは年甲斐もなく憤慨するのだ。
第一、 現役そのままのフォームは無理だ。あの足腰衰えたスロープレーをみせられれば、懐かしく、まだがんばれよとは思っても、どんな名選手でも「年には勝てんな」という結論になる。ゴルフのシニア競技と違う体力勝負が、野球だ。
第二、 かつて華麗なプレーでファンを魅了した強肩も痛めて引退したら、数メートルしかなげられず見るも痛々しいかぎりだ。それに自分をだぶらせたら、ますますみじめになるだけだ。

夢は夢のままにして、ファンひとりひとり記憶のアルバムに残しておいてほしい。と思うのは、どうやら、あまのじゃくのぼくだけらしい。
ぼくのまわりにもファンがたくさんいて、けっこうお客は入っていると聞く。世の中、そんなものだろう。リーグのますますの繁栄を祈ろう。

投稿者 nansai : 09:30

2005年3月30日

三月三十日(水)

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アメリカの世論はまた二つに割れた。それも、人間のしあわせというより、宗教的価値観をめぐってだ。

植物人間状態が15年間続いている41歳の女性の生命維持のための栄養を送るチューブをはずす問題で、尊厳死を見みとめるかどうか、親族と夫のあいだで法廷で争われた。
それにくわえて、生きているのに餓死させるのか、絶対に尊厳死反対を叫ぶ宗教票にからむ政治家、大統領までが介入しようとして、全米の問題となった。結局は、最高裁は尊厳死を支持。

どこの家庭も他人事でないから、食卓の話題となった。
あらためて、明日はわが身、リビングウイル(生前遺言)で終末治療をどのようにすべきかをはっきり文書化しておかなければならないということになった。
遺言書の様式フォームがダウンロードできるようにもなっているらしい。

女性が入院しているホスピスの前では徹夜で反対を唱える支持者たちが祈りをささげているという。
栄養補給チューブがはずされて二週間ちかくになる。刻々と死は迫っている。モルヒネが投与され、苦痛なく、女性は、最後がむかえられるらしい。

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日本のテレビでも、コメンテーターの一人が、このニュースをみて、イラクであんなにたくさんの人が毎日殺されているのに。「これは、アメリカの偽善だ」と吐き出すように述べていた。

アメリカという「民主主義国家」は、いつのまにか、イランと同じような宗教原理主義によって、票が左右されるようになった。選挙で争われるのが政策でなく、神や善悪が持ち出されて、宗教的価値観で事が決まるとなれば、こわいことだ。
60年前の神国日本でも、「国体」を護持するために、降伏の決断が先送りされて、何十万人の命が失われたのだ。

われわれ日本人は、古来、「ぽっくり願望」が強い。「ぴんぴんころり」は、いまや国是である。そう願いたい。

投稿者 nansai : 12:33

2005年3月27日

三月二十七日(日)

このサイトは、夏休み絵日記のていさいをとっているが、小さな「日替わり画廊」といえなくもない。それも、賃貸アパートのトイレのせまさだが。
絵やイラストレーションというとおこがましい。本来は、マイドキュメントの底深く沈みこみ堆積している描きさしだ。気が向いたとき、おりおり興にまかせて描き散らしたラク描き。それを拾いあげ、つれづれの駄文とミックスする。若い人の力を借りてやっと立ち上げているが、なんとも勝手なBLOGである。

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ときどき、「個展をひらいたら」などと、このぼくにも、ひとは無責任にすすめてくれる。とんでもない。知らせて義理でみにくるひとたちの「なんとコメントしたらよいか」、当惑した顔に、ぼくはたえられない。よって、このようなBLOGのかたちは、いちばん折り合いやすい場なのだ。みてよし、みなくてよし。だまっていてよし。無視してよし。お互い、しんどいヨイショは、不要。

昨年来、急激にひろまったブロッグは、600万も出現したらしい。BLOGは双方向性がたまらないといわれるが、ぼくの場合は、ひとりよがりの一方通行でけっこう。

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このミニ日替わり画廊の「絵のようなもの」(作品と呼びたくない)の見所が、じつは三つある。
ひとつは、マックでなく、ウインドウズで、描いたこと。
それも無料オマケソフトの「MSペイント」で。(そんな物好きなひとは少ない。)
二つ目は、マウスをくるくる操って描いたこと。(そんなことをしてなにになる。)
三つ目は、デジタルなアーカイブを利用して、つまり時間を越えて、つぎはぎして描いていること。(それは絵としては邪道ではないか)

したがって、このトイレサイズの画廊?は、本邦初で画期的なのだ。と、自讃しておこう。
パソコン画面のうえで一日30センチ幅のスクロールが、一週間で二メートルになり、一年だと、百メートルという恐ろしい長さになる。絵巻型縦組み横スクロールという形式、まさにおそるべしではないか。

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いろいろあるが、自分では、いまは、わりといいペースでそろそろと走り出せていると感じている。いつまで続くか、気楽がいちばん。

投稿者 nansai : 09:28

2005年3月26日

三月二十六日(土)

ワールドサッカー。やはりイランには、負けてしまった。力の差があったのか。

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池内 紀の「たのしい読書術 生きかた入門」(集英社)から。
「借用」という章で、井伏鱒二が取り上げられている。
「借用と窃盗は違う。明らかに違う。ふつう借りれば返す。その際、利子をつけて一件落着だ。窃盗は無断借用だ。井伏鱒二はよく借用した。」池内氏によれば、黙っていただいてもいいが、ころあいを見計らってそっと返したらどうだろうといっている。

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借用であったものが、ある時点を超えると盗みになる。ときに、井伏は、程よいときに理由を明示するのを怠った。
かれの持ち味のドキュメンタリーの手法は、原典からの引用がどうしても多くなる。ぼくの好きな「厄除け詩集」にも、無名のネタ本が存在したのはショックだった。言い出せないままに時がたって、文壇の巨匠になってしまったのではないかと、池内氏は好意的にだが、指摘している。
インターネット時代、著作権というほどの問題でなくても、モラルの点で指弾される時代になっている。

そういえば、だれかに見せるあてがあるわけでもないから関係ないのだが、ぼくのばあい、ネットの図鑑や新聞雑誌などの写真をまた写して、描くことが多い。

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どの写真も、対象を前にして、カメラマンが決定的瞬間にシャッターを切っている。熱帯の鳥にしても野球選手のフォーム にしても、かれらのカメラアイとシャッターチャンスを、ぼくはことわりなしにありがたく「借用」させてもらっているのだ。
もちろんスキャナーで複写するようには、描けない。結果的にそっくりに写せず、ゆがんだり狂ってきて、たくまずして、自分としては面白い?味がでてきたりする。すみませんねえ。
ちなみに、この派手な色合いのオウムは、たしかずいぶん前の広告写真をみて描いたものだ。オウムの顔の模様のようなものは、写真を見て初めて気づいた。
カラスの意地悪そうなポーズは図鑑から。この犬は、雑誌の口絵写真からだ。写生できないぼくは、こんな人間の目では留められないストップモーションの写真がとても新鮮に感じられる。
あ、これは描きたい。そのひらめきは、ぼくだけのものだ。

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投稿者 nansai : 09:16

2005年3月24日

三月二十四日(木)


「シニアモメント」と英語でいうと、きこえはいいが、つまり、ど忘れ。

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「ぼけたんと違うか」といわれる物忘れのことだ。とにかく、これが激しいのに、われながらあきれている。

一日、数回、なにかを忘れるか、どじを踏む。
メガネをたまにしかかけないこともあって、この半月に二つなくした。きのうは、かさ、地下鉄の電車から降りてすたすた歩いていたら、親切な若い女性があとを追っかけてきて渡してくれた。きょうは、よその会社の会議室にマフラー。これは電話がかかってきた。

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なんでも脳の前頭葉にワーキングメモリーというのがあって、ぼくの場合、取り込んでくると、ここがサクランするらしい。打つ手がない。

その点、パソコンは、えらい。きちょうめんである。ぼくと違って、ぜったいに忘れない。

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描いて保存した絵を、とっくに忘れていることは、ぼくの場合、ままあることだ。りすが、どんぐりをせっせと貯めこんで穴に隠して忘れてしまうのに似ている。たしかに似ているなあ。

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しばらくたって、(場合によっては何年もたって)ファイルをあけてみると、忘れていた絵が、描きかけのそのまんま、マイドキュメントにそっくり残されているのだ。当たり前だといえばそれまでだが、これは助かる。

たしかにあったはずと、不確かな記憶で、ぼくなどが雑誌や本の山から、記事や写真を探し出すのは至難の技である。
ずいぶん前に写真をみて描いたこのリス。パソコンの整理力で、記憶力の弱い生き証人として、急遽ぼくのアーカイブから呼び出されてきた。ごめんね。

投稿者 nansai : 14:10

2005年3月23日

三月二十三日(水)


のっぺらぼーは、日本古来の伝統的なおばけである。
明治の初期、小泉八雲の「怪談」で広く世界にも紹介されたという。目も鼻も口もない、正統派のおばけである。これを、キャラクターとして、Tシャツに起用してみた。21世紀バージョンは、目も鼻もつけ、べろもぺろり。迫力とすごさにはかけるが、ぞっとする上品な不気味 さ?が、売りなのだ。が、感度のにぶい周りの反応はよくない。

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それにしても、感度メーターの針がぴくりとも触れないのは、なぜか。
1500円もだせば、街角のプリントショップで薄いぺろぺろの木綿のシャツに印刷してくれるのだが。

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もひとつおまけに。TSUNAMIアロハシャツも。
もう、のど元過ぎた感じのインド洋沿岸の観光地で、寄付金つきでどうだろう。ほかにも、いろいろ考えてみよう。

投稿者 nansai : 09:08

2005年3月22日

三月二十二日(火)


昨夜は、ひさしぶりで、映画館で、映画を見た。米画「サイドウエイ」。郊外のシネマコンプレックスでは、連休でも、観客は、ぼくを入れて4人。

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アカデミー脚本賞をとった、にやりと笑えるしゃれた映画だった。韓国ドラマと違い、筋もスターも知られていないから、ここらでは、まったく受けないのか。観客のいないがらんとした劇場では、笑い声ひとつしなかった。文化のギャップは、深く大きい。
英米のユーモアと大阪風のお笑いの間には、異文化のミゾがあるようだ。
ぼくのラク描きでも、自分ではユーモアのつもりが、みるほうには、まったく通じないことは多い。ひとりよがりの計算ミスもあるが、あたりまえか。

投稿者 nansai : 15:53

2005年3月21日

三月二十一日(月)

長い長い絵巻物BLOG

このBLOGは、いま大ブレークしているブログと違い、自家製のテンプレートにのっとっている。認知されることでは不利だろうが、本邦初のこころみだ。自画自賛させてもらうと、つぎの三つの特徴がある。

ぼくがこだわった第一の特徴は、縦組みの復活だ。日本語を読みやすく縦に組んだことである。
日本語の横組みは、文字数が増えると、飛ばし読みして、大意をつかむことが難しい。出版物は大半が縦に組まれている。ウエブの世界で、日本語がもっとも読みやすい縦組みが無視されたのは、理解に苦しむ。パソコンの出現以前のワードプロセッサでは当たり前だったのに。

第二に、これは、横にとめどもなく、えんえんとスクロールできる。400年前の岩佐又兵衛絵巻のように、何キロにも達するかもしれない。

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日本古来の絵巻物の伝統の型をいただいて、デジタル応用してみた。これはおそらく、世界初の試みである。(西欧の巻物は、みな縦にスクロールだ。)

第三には、これはぼくだけの勝手なこころみだが、稚拙な絵をMSペイントのお絵描きソフトを使いマウスで描きつなぎ、「その日その日」絵日記草紙としている。
ゴールのない、ひとりマラソンのようなお絵描き行脚にぶらぶら出発しているのだ。
ふつうの絵と違い、らく描きには、フィジカルなエネルギーはほとんどいらない。重さ30グラムのマウスを持ち上げて、たった直径10センチの丸い円のなかを滑らせ動かせばよいだけだ。
前準備もあと片付けも不要。絵の具も画筆もキャンバスもいらない。

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気まぐれ八軒家南斎のこの気ままなひとり旅、明日で終わるかもしれないし、現在の体力が許せば、かろうじてあと何年か続けることが出来るかもしれない。

投稿者 nansai : 15:47

2005年3月20日

三月二十日(日)

福岡佐賀震度6弱地震

地震のニュースを横目に見ながら、73歳のぼくは、お絵描きソフト「MSペイント」を使って、こちょこちょマウスを動かして描いている。
このような勝手気ままな「BLOGらく描き」は、たとえてみれば、風呂場でつい口ずさむ鼻歌のようなものだ。

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だから、音程が少々狂っていようが、壁からの反響が自分の耳には心地よい。だれの迷惑にもならないから勝手なものだ。「いーい湯だなっ」、いい気分にひたれる。
脈絡なく、いろいろな形の絵のようなものが、ばらばらに生まれてくるのが、ありがたく、われながら愉快だ。

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デジタル技術が、他人からみればつまらない思い付きを即興でかたちにすることを可能にしたのだ。

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残念なのは、こんなにかんたんに絵が描ける時代になったのに、音楽に比べて、まだまだふつうの人の間ではお絵描き愛好者が少ないように思われる。絵も、のど自慢やカラオケみたいに、みながそろって楽しめるはずだ。
オタク界でのオエカキは、いまや世界に通用するサブカルチャーらしい。
このごろクイズ番組では若いタレントたちが、動物のスケッチをすらすらと走り描きしている。

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若い人の間では、短歌やエッセーや小説などの言文一致の文章は、ケータイの大普及でなだれを打ち、ビッグバン寸前という。
絵心も、ケータイやテレビの影響で芽生えると、パソコンで絵を描くブームかなにかのきっかけになるかもしれない。
その意味で、中身はともかく、ぼくのこころみている「らく描きBLOG」の形式は、参考にしてほしい。日記形式は長続きしそうだ。
デジカメ写真はだれでもきれいにとれるからネットに氾濫するだろう。パソコンの助けを借りてもたどたどしい日々の手描きの絵は、その日その人にしか描けないのだ。自分ひとりにとっては、なにか意味があるような気がする。

投稿者 nansai : 15:29

2005年3月19日

三月十九日(土)


何十年とパリには、ご無沙汰だ。
連休前、書店で「フィガロ」三月二十日号「巴里の魅力のすべて。総力ガイド、永久保存版。」ずっしり重いのを買った。たったコーヒー2杯分、680円。
15周年記念号だから大盤振る舞いだ。「発見がいっぱいの13の通りから」とある。ぼくのような爺さんにとっても、なんともお買い得な超重量級な目方が魅力的だ。

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なかは、女性ファッション広告でむんむんしていて、パリ全マップもついている。
本来ならカメラをぶら提げてパリの街をきょろきょろウインドウショッピングといきたいところだが、ページをめくれば、店頭のスナップ写真は無数にのっている。
これで、連休中、街角のカフェならぬ自宅のパソコンの
前に座り込んで、パリの街をバーチャルに散歩しながら、マウスでスケッチすることに。

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しかし、いかんせん、ひとつひとつの写真が小さすぎて、老いの眼には、見にくいのが残念。でも、虫眼鏡片手にその小さな写真をぼんやり眺めていると、名前も知らない店のショーウインドウの中のおもちゃや花瓶にふと眼が留まるのもおもしろい。デジカメ感覚でぱちりとらくがきする。これって、視覚だけの「万引き」行為かも。

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ポールベール通りは、サンマルタン運河沿いの気鋭の新しい店が集まっているところらしい。
これは、リザ・コーンのマネキン。

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春パリの街角を、道ばたのカフェから眺めるのは楽しい。そんな雑誌写真をみて、描くのもまた楽しからずやだ。
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投稿者 nansai : 15:12

2005年3月14日

三月十四日(月)


調子がいいのだか、悪いのか、オープン戦では、戦力がよくわからないタイガース。ほら、ノーテンキな虎キチのおっさんの表情も、こころなしか、さえないようだ。

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口の悪い東京系夕刊紙の見出しは、衝撃レポート「ファンはなぜ逃げる?もうもどってこないのか」。
キャンプの観客数が半減したことを指摘し、ことしの人気の低落は否めないと予想する。痛いところをついている。心配だ。
阪神は、ここ数年かなりの観客動員を誇っていたが、それは野村、星野の両監督の人気によるところが大きいとする。

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もともと地味な岡田監督だもの。昨年の負け試合の際の憮然としたジェスチュアをみていたら、ファン離れに拍車がかかるのかなあ。
ことしも、テレビカメラが意地悪くベンチを覗き込み、幾度となくうっとおしい監督の顔をうつしまくるのか。

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そういえば、ピンチの際、げんなりした顔をやたら手でなでまわすクセは、われわれみているほうを不安に陥れるのだ。監督の演技コーチが必要かもしれない。その点、修羅場を何度もくぐっている70歳の仰木監督のほうが、役者やのう。
でも、プロは結果だ。野球は監督だけでやれるものではない。要は、勝てばいいのだ。

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トラキチのみなさんに気合をいれてもらうことにしよう。では、オールキャストでご声援よろしくお願いしまーす。

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投稿者 nansai : 13:07

2005年3月13日

三月十三日(日)


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あるとき、じょろをじっとみていたら、機能的だが、おもしろいかたちをしている。絵付けしたら面白そうだ、と思い立った。

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水をやる注ぎ口の部分を、人間の鼻に見立てると、うまくゆきそうだ。色鮮やかで派手なマスクをかぶるメキシコの覆面プロレスラーの感じだ。つまり、じょろを覆面に見立てるのだ。どうしてこんなへんなアイデアになったのか。どうでもいいことだが。

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そういえば、第二次大戦では、アメリカの戦闘機は、こんなユーモラスなボディーペインティングをしていたのを思い出した。

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こうやっていろいろでてくるが、「タイガースじょろ」もあっていいではないか。ひょっとして優勝戦線にからめば、真夏の甲子園で売れるかもしれない。

投稿者 nansai : 10:44

2005年3月12日

三月十二日(土)


ぼくの事務所のある八軒家一帯が、将来「水都」大阪のへそになるかもしれない。お役所もにわかに力を入れ始めた。ここらあたりの景観は、パリのセーヌ河畔に匹敵する「水の都」のシンボルというわけだ。大川のほとりで、天満橋、天神橋、難波橋がかかっているゾーンだ。大阪城と中ノ島のあいだにある。天神祭りの舞台は、ここだ。いま、京阪電車の延伸工事が大川に沿ってはじまったばかりだ。



もともと八軒家浜には古くから、船着場があり、京と大阪をつなぐ交通の要衝だった。江戸時代から明治にかけて三十石舟が往来した。錦絵に、当時のにぎわいを写した、広重の八軒家船着場の図がある。
これは花見の時期の情景を、まったくの即興で、らく描きしてみた。

投稿者 nansai : 10:19

2005年3月 9日

三月九日(水)

取るに足らないことだが、マウスのらく描きをしながら、最近、発見したことがある。従来の絵を描くこととは違う、こんな楽しみ方もあるということだ。

いま、ディスプレーのうえにあらたに描くことも面白いが、むかし描いたものにほこりを払って、新たな思いつきを加えて、変化をつけることは、もっとすばらしいと思う。
放り出しておいたものの、仕上げにもなる。当初考えていたアイデアや形より、まったく違ったものが生まれることだってある。

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数年前に描こうとしたのだが、この酒を飲んでいる老人のかま
えが、なんとなく気にいらなかったのでいやになり、そのままにしておいた。
ある日、ふと、思いついてペイントの「変形」で斜めにゆがめるメニューを試してみた。霊験あらたかだ。10%か20%ゆがめてみたら、ふしぎな効き目が現れるのだ。なんと、ぼくの未熟ならく描きの及ばなかったいい線がでているではないか。

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想定外だ。これは、うれしいねえ。酒好き老人の徳利を抱えて陶然とした表情が出せた。

いうまでもなく、パソコンは、忠実な記憶力ロボットである。ぼくの描くようなとりとめのない画像の記録には、驚異的な効力をはっきしてくれる。
アーカイブから引っ張り出してかつて描いた絵に出会うとき、どうでもいいような些細な忘れていたことどもが、新鮮にみえてくるのが不思議だ。こころを揺さぶるのだ。それだけ記憶力がおとろえているということなのだろう。
それに発想を変え手を加えるのは、とてもらくちんである。エネルギーが、かからない。くわえて、MSペイントの「変形」メニューなど、本来の絵画では、考えられない安直なデジタル手法が、しろうとのぼくの手助けをしてくれる。結構これでアナログなのだ、かつての画家たちが、はじめて写真をもとに描いたようなものではないか。
デジタルはたいしたもんだ、と、あらためてパソコンにさほど強くないぼくは思うのだ。

投稿者 nansai : 10:12

2005年3月 8日

三月八日(火)


暴走族が街角の壁にふきつけるのに使うのが、スプレーペイントだ。

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ぼくの気楽な「らく描きblog」も、いってみれば、暴走族とかわるところはない。かれらも、面白くてぞくぞくしながら吹き付けているのだろう。
吹きつけて、なにかを描くのはかんたんだ。だが手の込んだことはむつかしい。

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ぼくの愛用する「MSペイント」にも、なんと正式に呼ぶのか知らないが、スプレーの絵の描かれたメニューがある。すらすら?吹き付けられるから、だいたいの輪郭がとりやすく、結構、楽しめる。スプレーだけで顔を描いてみよう。こんな風になる。微妙なタッチは、別のツールをつかえばよいのだ。

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このダックスフントは、写真を見て描いた。べた色は、ペンキ ツールでかんたんに塗ってある。眼に点をいれると引き立つ。

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投稿者 nansai : 10:06

2005年3月 7日

三月七日(月)

見たこともない、動物園にもいない動物を描くのもたのしい。新聞やテレビでみて、こいつはへんなやつだなあ、ここはどうなっているのだろう、と思いながら描くのはたのしい。
珍獣が、目の前にいたとしても、どうせ写生はしないのだが、よくわからない部分を想像して、何とかでっちあげて、形にするのは好きだ。犯罪者の手配用の似顔みたいなものか。

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愛知万博に骨が出品されるマンモスは、テレビでみた印象をネットで細部を参考に描いてみたが、うまく描けないのはごあいきょうだ。

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JRの大阪駅にうようよいるICOCAの、あれは、たしか、カモノハシを、調べて描いてみた。
カモノハシは資料がないのでgoogleで調べる。オーストラリアにしか生息していない動物に、どうしてこんな変な名前をつけたのか。カモに似たくちばしのせいらしい。タマゴを二つ生んで、孵化したら母乳で育てるのだそうな。ついでに、通勤姿のカモノハシも。

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投稿者 nansai : 09:50

2005年3月 6日

三月六日(日)


昭和二十年三月九日、たった一晩の無差別空襲で東京下町の10万人が焼死した。NHK特集は、きわめて抑えた控えめな表現で、この史実を特集して放映した。六十年もあとにである。2百機のB29が低空で進入し高性能焼夷弾を三十万発以上投下した。木と紙で作られた家がひしめく下町の密集地にである。

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日本国民の戦争継続への志気をそぐためという作戦計画だった。
同じような無差別爆撃を受け壊滅したドイツのドレスデンでは、ことし、旧敵国からの寄付も受け入れて聖母教会の復元がなり、大々的に式典が行われた。市民への無差別爆撃の是非も取りざたされている。
わが国では、東京、大阪、神戸などの各都市への焼夷弾無差別爆撃が、原爆のように、大きくとりあげられることはなかった。日本国民は、とくにゲームに明け暮れる若い世代は、この史実を知るべきである。
当時の政府は損害をひた隠し、八月無条件降伏するまでに、空襲で40万人の市民が犠牲になった。
写真の記録はまったく残っていない。近年になって、生存者も高齢化するにつれ、当時の生き地獄のありさまを、記憶を頼りに、絵をえがいてもらうというこころみが各地でおこなわれているという。東京大空襲のNHK特集でも、そんな数枚の絵が紹介された。あの日のすさまじい光景が、いまもなお、生き残った老人たちの脳裏に鮮明に刻まれており、絵の上手下手には関係なく活写されていて、息を呑む思いでみた。

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田舎にいたぼくらはこのようないたましい大損害を知らず、陣地構築に駆り出され、超高空の成層圏を美しい飛行機雲をひきながら飛ぶB29を他人事のように眺めていたのだ。

投稿者 nansai : 10:16

2005年3月 5日

三月五日(土)

70歳を超えて、第一線で指揮をとるオリックス仰木監督に声援を送りたい。かつてのヤンキースの名監督ケーシーステンゲルにあやかってほしい。キャリアは、波乱万丈。晩年、かれは、5期連続ワールドシリーズに勝った。たしか75歳まで、最後はメッツで毀誉褒貶さまざまのエピソードを残し、現役を勤め上げ、名誉の殿堂入りしている。おそくまでバーに陣取り、気のきいた警句、キャッチフレーズを乱発するので記者たちに人気があったという。PRに優れている点では、よく似ているようだ。

これは、仰木バッファローが、宇宙ロケットのように鼻息を噴射して、天高く舞い上がろうとしているところだ。ロケットの推進エネルギーは、太陽電池ならぬ「老人力」の鼻息だ。バカ力ではなく知恵の鼻息だ。
でっかく伸ばしてポスターや応援旗にすると、いいと思うよ。(そうだろう、だれもしないか。)何となく地味なチームカラーだから、ばりばり元気がでるアイデアにしたんだが。
がんばろう、老将仰木へのはなむけにしたい。70歳台の熱い連帯のあかしとして。

投稿者 nansai : 10:10

2005年3月 4日

三月四日(金)

どうでもいいことだが。ぼくが、前から、こだわっている描き方がある。だんだんおもしろくなってきた。
それは、紙を二つに折って、屏風のようにみたて、そのうえになにかを描くと、立体的にみえる。かんたんで時間はかからない。
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ま、単純なパズルのようなお絵かきだ。南斎オリジナル。
ひょっとすると、「ぼけ」、ではない、失調症防止にきくかもしれないアタマの体操かも。片っ端から、立体に見える工夫を、お絵描きのなかに仕掛けてゆくのだ。二つに区切った片方には、かならず暗部というか、影をつけるのが、コツである。この富士山のように、ある絵を描いた紙を二つに折ったときどう見えるかを、あらかじめ想定して、描いてみるのだ。と、たまに、へえ、とびっくりするような面白い発見がある。
まさに、おもわずにやりの、ひとりよがりの小さな世界がそこにひらけている。ぼくは勝手に「折り絵」と名づけている。

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折り絵は、描いているうちにつぎつぎにバリエーションが生まれる。ペイントをつかっているから、つけくわえ、描きなおしは自由自在

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で、どんどん、アイデアが増えてゆく。代わり映えしないのが多いが、まれに、意外なおもしろい効果が生まれているのに気づくことがある。いいぞ、得をした気になる。どんなにちいさくてもアイデアがアイデアを生む、出会いなのだ。
何をしている絵ですか、とよくきかれる。新聞を読んでいる人だと、いちいち説明するのも、ばかばかしいのが、お絵描きワールドである。この手の絵のアイデアを面白がってくれる人はあまりいないだろう。アイデアとは、ほとんどが、ひとりよがり。もう幼稚園児ではないのだから、楽しいお絵描きに、甘えは許されない。自分だけのひそかな満足をひっそりとどうぞ。

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いろいろあるが、色の取り合わせをだいたんに変化させるとたのしくなる。こんな風に、くちばしに切り込みをいれて、はみだしてくると、立体的にみえて迫力がでてくる。

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これまでの絵に、ちょっと手をいれて、「切り絵」部分改装してみると、案外うまく行くことに気がついた。

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べつにたのまれたわけではないが、となりのイタリア料理店のメニューを、「折り絵」の趣向でかんがえてみた。シェフ兼オーナーは、顔中ひげだらけなので、くまに見立てた。イタリーの国旗は、右左、どちらが緑で赤やら、失念した。

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投稿者 nansai : 09:32

2005年3月 1日

三月一日(火)

ぼくのアーカイブ、つまり、マイピクチャか、マイドキュメントには、描きさしの破片でいっぱいである。それだけ、簡単に思いついて、すぐメモがわりのかたちが取れるのだ。バカチョンだから、いくらでもたまってくる。パソコンがなければ、部屋中紙くずでいっぱいになるところだ。
これは数年前のメモだ。常識破りだが、人魚を、頭でっかちに描いてみたら、面白そうだと思って思い付きをメモしておいた。
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昨年ひまなときに、アイデアを思い出して、頭でっかち人魚を陽気な美人に描こうとしてみたのが、つぎだ。
興が乗ると、芋づる式に、豊満なナイスボデーの美人?人魚が、着せ替え人形のように登場してくる。
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いろいろあるが

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投稿者 nansai : 09:04