縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年4月29日

四月二十九日(金)

きょうは、みどりの日

不二ひとつうづみ残して若葉かな 蕪村

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あらたふと青葉若葉の日の光 芭蕉

ああ、ありがたい。万物、緑の中にある。日本、いや、このごちゃごちゃした大阪までも、いちばん美しい季節を迎えている。今朝の新聞は、題字までがグリーンに印刷されていた。
しかし、『そうか、きょうは「みどりの日」か』、というところまでは定着しないままに、四月二十九日の祝日は、三年後には、「昭和の日」に変わるらしい。

だが、ぼくたち府民にとっては、「大阪にもっと緑を」だ。緑にもっとも遠い町が、大阪市内だ。
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ここにきて、やっと、大阪を、もっときれいに、かっこつけなければいけないという気運が盛り上がってきたようだ。
大阪の川は、埋め立てられたり、上を高速道路を通されたり、高度成長期は、戦災で残ったなけなしの資源の自然破壊もやりたいほうだいだった。緑も、東京に比べれば、格段に、見劣りしている。
「国際集客都市」をうたってはいるものの、いまのままでは、日本のみならず、世界の観光客のどこからも、そっぽを向かれてしまうことがはっきりしてしてきた。
集客の目玉は、家電などのショッピングだけらしい。
すっかり忘れられていた「水の都」再興が叫ばれだした。
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建築家の安藤忠雄さんが音頭をとって、サクラの木千本を大川端一帯に市民の力で植えようという運動も発足した。「平成の通り抜け」と名づけられたが、さすがスケールが大きい。
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お役人まかせでは、予算もないし、ラチがあかない。市民のみんなが少しずつカネを出し合って、木を植える。けっこうなことではないか。
サクラの木一本にプレートをつける。募金に応じた30人の氏名を記載する。千本が計画されているという。

大仏殿の大屋根の瓦に寄進した善男善女の名を刻むのにヒントを得たものだろう。自分たちの植えたサクラの花を毎年春に見られるのはすばらしいことだし、桜並木を後世に引き継いでゆくのは、先に生まれたものの誇らしい義務だろう。

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かつての水辺の主役川端やなぎも中ノ島公園ののすみにのこっているだけだが、復活させてやなぎさくらをこきまぜると、すばらしい景観だろう。

ワシントン市のポトマック河畔に、毎春、いまも咲き誇るサクラはみごとだ。93年前日本から3000本のサクラの苗木が寄贈された。不幸な戦争を越えて桜は咲き続けてきた。いまも全米からの花見客でにぎわい、新聞テレビで報道されている。サクラの女王も選ばれるという。

たんに構内を「通り抜け」るのではなく、こんどは花見ができるといいと思う。そもそも、花見とは、「群桜」「飲食」」群集」の3っの要素がそなわっていること。これらが満たされているのは、日本の花見だけだと、白幡洋三郎氏の説である。
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将来、「平成の花見」の新しいかたちが、大川の水辺でうまれないものか。工夫しだいで、楽しみである。東京の上野公園のむこうをはって、水の都のこっちのほうが、はるかに風情がありそうだが。(その前に大阪名物ブルーのテントをなんとかしなければ)

ぼくにも、二つ、提案がある。
いま、この国で、里山が見直されてきた。花粉症の原因の杉やヒノキの人工林の役目は、時代とともに、もうおわったのではないか。
何千年前から、日本の緑の原風景は、もともと照葉樹林だ。日の光にてらてらと輝く、シイ、クス、クヌギ、ブナ、など。里山のそばの田んぼには、トンボもカエルもいた。そんな里山の風景が、道路工事、宅地開発で消失が心配されて、NHK番組で再三取り上げられている。
かろうじて残されている鎮守の森は、典型だ。里山を知らない都市住民は多い。
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そこで、提案だ。市内の公園には、「里山」風景を復活し、子孫に残そうするのはどうだろうか。
お化けのように見苦しくなるヒマラヤスギなど、もうたくさんだ。おりおり流行して猫の目のように変わる外来種の植樹は、もういい。
あらためて、日本の風土にクスノキは最適の樹種ではないかと思う。公園や街路広場には、クスノキなどを巨木、大樹に育てる設計にしたいものだ。大きく育つスペースも確保したい。むかしは、学校の校庭には、樹齢数百年のクスノキの大木が必ずたっていた。さいわい、市内の空き地状況は、がらがらである。
戦災で荒廃した大阪には、ロンドン、パリにくらべ、大樹巨木がほとんどない。万博公園にしても、30年しかたっていない。一流都市としての、気品貫禄にかけるのは、このためだ。
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こう考えると、植樹計画は、その場しのぎではなく、樹齢百年単位でなければなるまい。

つぎは、みみっちいが、切実な提案である。
大阪人は、ほんとうのところ緑に愛着がないひとが多いのではないか。その証拠には、緑を愛する代償に、落ち葉の始末があるが、これで近所がいつももめている。市役所にも文句がくる。
うちの前に落ち葉が飛んでくる。かなわん。
だれが掃除するのや。
もめた挙句、かならず、木の持ち主に、こういう要求をつきつけてくる。
「木を、切ってくれ。」
落ち葉の掃除が、かなわん。緑はいらんから、木を切ってくれということだ。
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大阪では、落ち葉が、「騒音」「排気ガス」のように「公害」と、みなされているのだろうか。動物の毛が抜け変わるように、葉が、新陳代謝しなければ、植物は生育のしようがない。
これでは、大阪は、緑の都市に代わりようがないわけだ。御堂筋のイチョウも、銀杏が路上に落ちると、風情があるととらずに、掃除せんならんと、ふくれっつらをする。

そこで、「みどりの日」にあたり、提案だ。大阪を緑あふれる町にしたいと思うひとは、落ち葉も愛してほしい。市民は、落ち葉にめくじらたててはいけない。みんなでやれば、腹もたたんのでは?

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ボランティアでも有料でもいい、落ち葉掃除隊をつくって、みんなで落ち葉をひろって町を掃除しよう。Tシャツがもらえる抽選券つき落ち葉掃除券を市民府民に買ってもらおう。
イヌ好きのひとは、みなビニール袋をぶらさげて、愛犬の排泄物の始末を、よろこんでしているではないか。

投稿者 nansai : 10:36

2005年4月27日

四月二十七日(水)


福知山線で、いたましい脱線転覆事故がおきた。
死者100人を越える空前の大惨事である。

まもなく原因追求と犯人探しが始まる。
組織内の責任逃れと損害賠償がからむから、カンカンガクガク決着まで争われ、草津線のときのように、とほうもない長い時間がかかるだろう。

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それも大事かもしれないが、問題は、次に事故が起きないように、これから、何を学習し徹底させるかである。
大惨事を誘発した複合?要因のうち、どれか、ひとつがたりなければ、事故はおきようがないのだ。
にもかかわらず、周辺の大問題が議論されるだろう。
上位概念としては、まず、JRの経営方針だ。私鉄と争う構想の不毛さ、続いて人事方針、運用戦略などなど。線路に隣接した区域内のマンション建設を阻止できない法制の不備、線路のカーブ設計の安全性。このような問題をあれこれ議論していると、時間がいくらあっても足りない。

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端的にいえば、市街地、つまり住宅密集地域のカーブでの速度オーバー運転を厳重に取り締まることだけで、このような事故は防げたはずだ。JR西日本は、事故発生の件数の多さと労務管理の難しさでは、大先輩のタクシー業界の教訓に学ぶべきである。タクシーにも貨物トラックにも、タコメーターがつけられ、運転状況を日々チェックしている。

70キロと計算され、定められた制限速度が正しければ、その厳守徹底こそ、一番簡単で確実な事故防止の第一歩であることはまちがいない。
しかし、一歩進んで、これは運転士個人の責任というより、起こるべくして起こったリスクを予測する「システム」に問題があったと思われる。
亡くなった若い運転士は、11ヶ月の運転歴しかなかったが、善良な好青年で新幹線の運転士が夢だったと新聞は報じている。
しかし、かれは、この仕事には不向きだったのではないか。適性テストで見抜けなかったJRに、労務管理というより、企業の存亡にかかわるリスクマネージメントへの配慮が著しく欠けていた。

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オーバーランなどの前歴と直前のビヘビヤーを見る限り、なによりも、580人という多数の人命を預かる運転士としての適性に欠けていた、といわざるをえない。だから、このような業務には、つかせるべきではなかった。
タクシー業界でも事故を起こすタイプは、限られるという。それも、ある特定の事故、たとえば出会い頭衝突とか、を繰り返すのが、常らしい。
いざコトが起きて、冷静沈着に処理できない、あわててパニック状態に陥りやすい性向の人は、ほかの仕事につくべきだった。
ぼく自身も似たような性格だから、それはよく理解できる。電車の運転士、ジェット機の機長とか宇宙飛行士には、ぼくはまったくむいていないし、適性検査ではねられるはずである。(ちなみに、ぼくは運転免許をもっていない。)

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JRに限らず公共交通機関の従業員は、多数の人命を預かるのだ。今回の通勤快速列車は、満員のジャンボジェット一機分以上の乗客を運んでいた。パイロットにはもっときびしい資格試験が課せられている。空と地上との差はあれ、安全を守る適性査定に、ぜったいに妥協があってはならないはずだ。
安全という掛け声をカラまわりさせてはいけない。
それを阻む何らかの内部「構造」をこそ、カイカクすべきだろう。通常は、雇用契約の際の取り決めに帰する。
それは、野球選手の場合も、教師の場合も、同じだ。
しかし、今回の場合は、500人以上の人命がかかっていたから、適性査定をめぐる雇用条件の厳格な取り決めが、個人の利害や労働交渉を超えて、社会と企業のリスクにきわめて大きく関係する結果となった。

この点で、JR西日本は、これからも乗客に対してきわめて大きな責任がある。安全は、人にかかっている。
通勤電車の乗客は、運転士を選べないのだから。

投稿者 nansai : 15:35

2005年4月22日

四月二十二日(金)


打ちまくっての巨人戦の勝ち越し、まずは、めでたい。清原の500本ホーマーを阻止したのは、天晴れだ。
二死満塁で井川をおろしたのは、オカダ監督にしては、大勇断。颯爽セットアッパー藤川がよかった。

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中国各地で反日デモが燃え盛っているというのに、こんなことで、よろこんでいていいのか。といいつつ、悪い気がしないのは、歴史認識が、ぼくらトラキチに欠けていると断ぜざるを得ないのだ。

投稿者 nansai : 13:40

2005年4月20日

四月二十日(水)


春先、駅頭や電車のなかでも、マスクをつけた人を多く見かける。ことしほどマスク着用率の高い年があっただろうか。

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そのマスクも、流行なのか新機能なのか、顔をすっぽり蔽うような深めのデザインがふえた。カラス天狗型というらしい。

ぼくは花粉症ではないので、マスクのお世話になっていないが、どうやら、これは日本だけの現象らしい。米国では大半の薬局がマスクを扱わないそうだ。グーグルで探しても、日本型マスクは、ほとんど見当たらない。

日本人の顔をおおうマスクは、外国の新聞記者の眼には奇異にうつるようで、「「重い伝染病の患者みたい」とか「手術室に向かう外科医の集団」とか報じられていると、天声人語子は書いている。
日本でマスクが普及したのは、スペイン風邪が猛威を振るった大正半ばのことらしい。日本の発明ではないが、本邦での歴史はなかなか古いのだ。

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外国でも花粉症はひろがっているが、効果があっても、まだマスクの着用はいやがられている。でも、そのうちに、いろいろ品揃え豊富な日本の新型マスクが世界を席巻するかもしれない。
そもそも花粉症なるものは、戦前は知られていなかった。

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戦後、「リーダーズダイジェスト日本語版」で、アレルギーとか花粉症が、直訳紹介されたのを、ふうーんという感じで読んだのを覚えている。ヘイフィーバーとかいわれても、そんなの、米国の風土病で、われわれ日本人には関係ないと受け止めていた。今日のショウケツをきわめている花粉症状況は、隔世の感ありだ。

当時の広告で、「レスタミン コーワ」を知った。抗ヒスタミン剤のハシリだったような記憶がある。このとき、カエルのイラストが登場した。
後日、コーワのカエルは、大スターとなった。「オメエ、ヘソねえじゃないか。」薬店店頭でぽかぽかアタマをたたかれながら人気者だったマスコット人形を覚えていない人はいないだろう。
カエルの頭をキューピーのからだにのせたのは、佐野寛氏のアイデア。組み合わせが、独創的だった。
ここで、花粉症防止マスクの大流行にちなみ、Tシャツアイデアを勝手にデザイン。著作権は、大丈夫だろう。

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投稿者 nansai : 13:18

2005年4月19日

四月十九日(火)


理由はわからないが、ことしの甲子園球場は、女性の虎ファンが増えたらしい。
試合中にもテレビカメラに映る可能性が高いとあって、女性たちの自己顕示の場となったようだ。まるで応援ファッションショーだね。

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ピンクのユニフォーム姿が増えた。運がよければ、テレビに映るかもしれないのが、たのしみで、はげみになっているのかも。試合が終わった後の観客席でも、やはりピンクが目立つねえ。だから、ピンクのユニホームがよく売れると、グーズ売り場のおばさんが話していた。

ぼくのBLOGのアーカイブには、阪神応援団の面々を待機させているのだが、数年前の流行おくれの衣装を着ている。これは、気がつきませんでした。さっそく、ピンクのユニフォームに着替えてもらった。連敗脱出に、心機一転だ。

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ぼくは、甲子園球場には、ここ何十年足を踏み入れたことはない。耳を聾するばかりの大声援も、ヒッティングマーチなるものも、じかに聞いたことはない。自宅のテレビサイドで、都合のよいときだけ、応援する。
オカダ采配を眼のカタキにして、形勢不利となると、見ていられなくって、スイッチをきってしまうのが常だ。頼りない勝手なファンである。
「トリタニと心中する気か、追い込まれたときのヤノのリードはなんだ。」とか、ぼくの下敷きは、辛口の夕刊紙の悪口雑言だ。
そのくせ、勝てば上機嫌になり、負けると不機嫌になる。
すまんことに、電車にも乗っていないし阪神球団の興行収入にはまったく貢献していないが、テレビ中継の視聴率に、多少は影響をあたえているかな。

投稿者 nansai : 12:22

2005年4月18日

四月十八日(月)


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かわうそは、獲物の魚を岸に並べる奇癖を持っているらしい。ほんとかなあ。出久根達郎「かわうその祭り」の新聞書評で知った。
転じて、参考書をひろげ、机辺に散らかし、自分の文章を引用文だらけにすることを獺祭(だっさい)、かわうその祭りという、とある。子規は、その居を「獺祭書屋」と号した。

とすると、わがBLOGは、まさにそれだ。
かわうそは、ぼくである。みずから描くところの「絵のようなもの」を、岸ならぬ、絵巻物コンベアに並べている。絵や文章を書く手順も、ダッサイそのものだ。
ただ、インターネットのおかげで、机のまわりに資料を散らかさなくてすむ。他人にはみえないが、ぼくのアーカイブ奥深くは、無数のサカナのきれっぱしでいっぱいなのだが。

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さて、これは、かわうその図、のつもりだ。なにせ一度もお眼にかかったことがない。絶滅が危惧されている。高知県南西部だけに生息の可能性があるらしい。
水族館の人気者ラッコとは、親戚筋なのだろうか。

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投稿者 nansai : 16:55

四月十七日(日)

カラオケの持ち歌のほとんどないオンチのぼくだ。だが、人気のない道などひとりで歩いていて、つい口ずさんでいる歌が、ニ、三ないでもない。そのうちのひとつが、なんと、「海行かば」なのである。戦時下、半世紀以上前におぼえた悲壮な調べだ。
夜、公園のそばを通りながら、無意識に、「うみーゆーかば」と声低く歌っている自分に気づいて、あ、と思うことがある。

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うみゆかば みづくかばね 
やまゆかば くさむすかばね 
おおきみのへにこそしなめ 
かえりみはせじ

戦時下の少年の頃、ニユース映画にはしょっちゅう悲しげなこのメロディが流れ、歌っていた。出典は万葉集だろう。
現代語に訳してみると、
海で戦って死ねば、死体は海水に浸かって浮かぶだろう。
山で戦って死ねば、打ち捨てられた死体は草に覆われるだろう。
天皇のおそばで死ぬのだから、決して後悔はしないぞ。

戦意高揚のためか、戦場の死屍累々のさまを、たんたんと歌い上げている。なんともリアルな描写である。芭蕉の「夏草やつわものどもの夢のあと」よりも、すごい。

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歌の意味が完全にわかったら、一億国民、戦意が昂揚させられただろうかと思う。戦後のアメリカ軍撮影のニュース映画では、ガダルカナルやインパールで、万葉集に描写されたのと、同じ悲惨な光景が何度も映し出されていた。
いまは、もともとの歌詞の意味が風化し昇華されてしまい、少年の頃覚えたメロディーだけが、しつこくぼくの耳の奥に残っている。

数少ないが、もうひとつのぼくのレパートリーが、「ツー ヤング」だ。

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ツーヤング ツーリアリー ビーインラブ
ゼイセッド ザ ラブズワード 
ア ワード ウイブ オンリーハード

途切れ途切れに、覚えていて、リラックスしたときなど、いまも、知らず知らず、くちずさんでいる。
これも半世紀前、はやったナット キングコールのバラードだ。
LP以前、ステレオ以前の「電蓄」できいた化石のような名曲だ。
当時は、ほとんど意味わからずに原語?で覚え歌っていた。少年の自分は、録音機のように意味抜きの音声だけを記憶していたのだ。あの頃は記憶力はよかったからな。

早いもので、今年でナットキングコール没後40年、アメリカでは、かれの栄光の日々をしのぶイベントが企画されているらしい。

このごろ、「ツー ヤング」と、つい口をついてでる古い歌詞の意味が、始めて、わかるようになったことに気がついた。年をとり英語が多少わかってきたせいだ。なんと何十年後に。
「ツーヤング」には、まわりから恋愛を反対されているハイティーンのカップルの控えめな抵抗の気持ちがうたわれていた。

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まわりは、お説教ばかりだ。まだ早すぎるよ。お前たち。
まだ早すぎるよ、お前たち。ほんとの愛なんて。
愛なんて、ことばの上だけ。お前たちは、聞きかじっただけのだ。
わかるわけがない。愛の意味なんて。

ふうん、こういう意味だったのか。いまさらと奇妙な感じがするが面白い。

でも、ぼくらは、決して早すぎはしない。愛は、わかるんだ。
この愛は、これからいつまでも続くぞ。
そして、いつか、周りの人も、きっと思い出すよ。あのとき、ぼくたちは、早すぎはしなかったのだと。

いま、若者にむかって、「ツー ヤング」なんて忠告すれば、大きなお世話といわれるのが、落ちだろう。大人の説教など、とても考えられない。むかしの歌から、当時のアメリカ社会での男女の交際の事情が浮かんでくる。

思えば、小学校三年生からは「男女席を同じうせず」の時代だった。「ツーヤング」と周りから言われる環境になかったし、同窓会には女性がいないのだ。
敗戦後怒涛のように流れ込んだアメリカ文化、とくに映画は、「文化の泉」といわれた。若く餓えていたぼくらは、変わり身はやく、映画館に通い、戦時中あれほど親しんでいた軍歌とあっさり決別し、アメリカ文化に、あっという間に洗脳されたのだ。

投稿者 nansai : 12:32

2005年4月16日

四月十六日(土)


満開の桜も散った。
造幣局通り抜けのサクラもそろそろ終わりの土曜日、七名集まった旧制中学の在阪同窓会の面々。古希過ぎると、酒も控えめになり、盛り上がるということはなくなった。

死に支度 いそげいそげと さくらかな

どこから仕入れてきたのか、こんな句も披露されて、ぎょっとしながらも、実感だなあ、とうなづきあった。
昭和19年、地方の旧制中学校に入学し、すぐ学徒動員、敗戦、そして学制改革。

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外地からの引き揚げ組あり、結 核で療養を余儀なくされたり、楽しいはずの青春前期に、お国の都合で振り回された連中だ。共学のチャンスにめぐまれず、当然ながら、同窓生に女性は一人もいない。

昨年まで座の中心で盛り上げてくれていたサッカー部出身のK君も、がんで帰らぬ人となった。前回も出席して、「ひさしぶりで、きょうはよく飲んだ」といっていたのになあ、あの時すでに:など、話しがしめっぽくなるのはしかたがない。妻に先立たれて、脳梗塞で寝たきりの身を、ふるさとから離れた病院の四人病棟で過ごしている友人の消息も報告され、一同しゅんとなった。

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めいめい病気の経過報告か、孫自慢か。
今年の話題の特徴は、この年になって、長年連れ添ったカミさんだが、どうも話が合わない、とぼやくやつが増えたことだ。
昭和ひとケタだし、いまさらと思うが、価値観がずれているのに気づいたとしきりにいう。一日家にいて鼻つきあわせていると、そうなるのかなあ。
ボクシングにたとえれば、述べ三万ラウンドくらい対戦している相手だが、このごろは一方的にやられ防戦一方。戦意喪失のこのごろらしい。女性たちは、弁はたつし相手は記憶力に物言わせて、攻めてくるから、とうてい太刀打ちできない。いにしえの秀才たちも、いまや、白旗状態だ。ムダな抵抗はやめ、沈黙で抗議のポーズを保つだけだ、と意気あがらない。

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突然、ひとりが、山本周五郎の「日本婦道記」。あの中に出てくる烈女節婦こそ、理想の妻の像だと言い出した。なにをいまさら、「忠孝」でもあるまいに、時代錯誤な、と思いつつも、うなずくオトコたち。
日本婦道記は、昭和十七年から昭和二十一年まで執筆された連作だ。その小説を、ぼくは読んでいない。

だが、ぼくたち同世代でこんな年の夫婦のあいだでも、価値観のずれが、こころの亀裂を生じているとは、戦後の民主主義教育の成果?かなあと、ある面でおもしろく思ったことである。

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ぼくらより少しあとの世代は、年齢の差のない友達夫婦が多い。山本周五郎描くところの、武士の妻の鑑と、男女平等の平成の今日は、さぞ両立しにくいことだろう。

幹事氏の実感あふれる閉会のあいさつ。
「来年は、このなかでだれが欠けるかなあ。ま、がんばろうや。」

投稿者 nansai : 13:30

2005年4月15日

四月十五日(金)の二

いろんなタッチの絵「のようなもの」を、自分ひとりで勝手に描き、思いつくままに、脈絡なくこのラク描き絵巻物にのせている。画風というほどのものはないが、あきっぽい浮気モノである。だから、ごちゃまぜだ。なんでもありの、昼飯屋のおかずのショーケースのようだ。

ときに、前に描いたあのタッチは、われながら良かったなあ、と、まれにではあるが、ふりかえって気づくことがある。

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でも、そのときの気分で、なにかがはずんで、絵が勝手に描けたというところがあって、再現が難しいことに愕然とする。偶然が描かせたのだろう。気分が違うと、同じような絵は、もう描けないのか。それは、ぼくが、しろうとだからだろう。プロの人は、偶然をたのむような、そんな経験はないのだろうか。

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しろうとの特権で、いろんな絵をあれこれ思いつきで工夫して描いてみたい。べつに商売にしているわけではないから、気分に任せて、くるくる絵のタッチがかわっても、どこからも文句はこない。
これがレストランで、シェフの思いつきや気まぐれでソースの味がひんぱんにかわったら、ごひいきの客はきっと怒るだろう。

横に流れるこの絵巻は、時間とともに、きわめてゆっくり動いている、いわば回転寿司のベルトコンベアである。
ぼくは、この上に、一日に三点ていど、自分では吟味したつもりのスシを握って、置く。お客の顔がまるでみえないコンベアに。
ネタも、自分が、うまいと思えばいい。すし屋の大将としては、失格で、わがまま極まりない。ほめられても、くさされても、なにかいわれるのが、いやなだけだ。

投稿者 nansai : 16:55

四月十五日(金)の一

団塊の世代もいっせいになだれ込んでくるとあって、本格的高齢者社会の到来だ。むかしの老人が、シニアと呼ばれるようになった。
それも、ばりばりの元気な人と、からだがだんだんいうことをきかなくなった人にわかれる。それぞれに、余生をどう過ごそうか、なんとか自分なりに自分を実現し表現する手だてをさがしていることだろう。

これは、シニアライダーの像だ。

ぼく自身はオートバイには乗れないが、ハーレーかヤマハにうちまたがり、ちょっとシワの増えたガールフレンドを乗せてハイウエーをぶっ飛ばせたら気持ちいいだろうと思う。ぼくは、パソコンの前で、ハンドルの代わりにマウスをあやつって、空想するのだ。

むしろ、ぼくにとって、おもしろいのは、らくがき絵の材料を探り調べることだ。アメリカの老ライダーたちは、どんないでたちでマシーンに乗ってアリゾナあたりを走っているのかなあ。いい年をして群れを作ってクルーズするのが楽しいらしい。皮ジャンや胸につけているエンブレムも、サーチエンジンのグーグルが教えてくれる。まるで、ガキだねえ。アメリカだなあ。

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それはいいが、こっちもネットにかまけて、からだを動かさなくなると、いかん。
歩くのにはいいはずのゴルフへの情熱がひところに比べると、著しく薄れてきた。
元気な老人をアクティブシニアというらしい。もうしばらくは、「アクティブ」でいたいものだ。

投稿者 nansai : 14:14

2005年4月14日

四月十四日(木)の三

根がけちだから、本を買ったときカウンターにおいてある無料のPR誌を片っ端からふくろにいれてもらい、電車の中で読む。そのなかに、きらりと光る読み物に出会えるときがある。文芸春秋「本の話」から。

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「がん治療に携わっていて、一番悲しいのは、死ななければならない運命の人が、死ぬことを納得していないときである。
もっと生きたい、死にたくないと右往左往する姿をみると、私も同じように振舞う可能性を考え、暗然となる。」(「死生観を確立するために」慶大医学部放射線科講師の近藤誠先生)重いことばだ。こう続く。

「人はいつから死を恐れるようになったのだろうか。
生き続けようとする本能は、人間以外の動物にもある。

しかし、死ぬ間際の犬猫が、恐怖を感じているようには見えない。死に対する恐怖は、思考の中枢、大脳新皮質が発達して作り出されたものなのだろう。」

そうか、と思い当たった。犬猫になればいいのだ。
人はいつから死をおそれるようになったのか。
宗教がからんで問題はそんなに単純ではないが、死に際しては、犬猫の自然のままの対応のほうがましではないか。

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ぼくは「知らぬがほとけ」という言い方が好きだ。
わが国で、いまはやりの「ピンピンコロリ」主義も、死ぬときはわけもわからず、あっというまにおさらばしたいという庶民の願望だ。誰の世話にもならずに。

本屋の書棚をのぞくと、いよいよ高齢者時代到来とあって、出版界は、にわかに、死に関する本を続々と出し始めた。文芸春秋新年号は、 理想の死 を大特集した。

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エッセイストの嵐山光三郎氏は、死ぬための教養(新潮新書)のなかで、つぎのようにいう。
死の恐怖から逃れるための最大の処方箋だった宗教が力を失った今、自分の死を平穏に受け入れるために必要なのは、自分の教養だけだ。単なる知識ではない「死ぬための教養」こそが、自己の終焉を納得する武器になると。

あとがきで、祖母は九十九のときに いままで好きなことをしてきたから、この世に未練はないが、死んだことはないから、死ぬとはどういうことなんだろうねえ、といいながら、死んでいった。こうなると死ぬのが愉しみにさえ思えてくる。 とも書いている。

いわゆる「大往生」は21世紀の最大の願望のひとつではないか。
地球46億年の摂理のまま、ぼくらの祖先バクテリアもアミーバも恐竜も、生きとし生けるものは、ことごとく滅びたわけだ。ただなんとなく当然のように。
いつのころからか、未体験の死に対しては、人間の知能が発達して、人類は、恐怖という「妄想文化」をつくりあげてしまった。これは不幸なことかもしれぬ。
近藤さんは、書評で難波紘二著「覚悟としての死生学」を推薦している。

投稿者 nansai : 14:56

四月十四日(木)の二

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油断大敵とは、まさにこのこと。ダウン寸前、死んだはずの巨人を立ち直らせてしまった。
井川が打たれるのは、井川の勝手で計算済みとしよう。問題は、終盤一点差の土壇場で、ウエクサを続投させたことだ。ここは、ウイリアムスか藤川をだして、かならず逆転するぞという気迫を、選手に示すべきだった。
はたせるかな、無策の四球と犠打で、追加点を献上だ。反撃も腰砕け。ぼくは、投手を惜しんだオカダ采配の、ゆとりというよりは、驕りだと思う。
なめたらいかん。この一敗があとあとひびかねばよいが。

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投稿者 nansai : 14:50

四月十四日(木)の一

大阪駅前東口の街頭で、毎日、雑誌を片手で高く掲げて売っている人がいる。かなりの年配の男性。手がしんどいだろうにと思ってみながら、脇をすりぬけるようにして通る。何の雑誌だろうか、表紙とか内容がよくわからない。一部200円。
場所が交差点のそばなので、通行人はみな忙しく通り過ぎてゆく。内容も見ずに「ください」と、声をかけるのは、施しとみられても照れくさく、ちょっと抵抗がある感じだ。

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その間の事情が、読売新聞「ざっくばらん」に紹介されていた。雑誌の名は、「日本版ビッグイシュー」。大阪で創刊され、ホームレスの人々に販売をゆだねている。
一部200円のうち、110円が販売員の収入になるそうだ。街頭に立つのは、朝八時から夜八時まで。一日30部売れれば、簡易宿泊所に泊まれて、3食の弁当が買える。一日206部売った人がいて記録になっている。
一日立ちっぱなしだが、ホームレスのひとたちにとって、

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これが自立の支えになるという思いが、はげみになる。

このような雑誌をストリートペーパーという。
日本版との関係は、よくわからないが、イギリスが本家のTHE BIG ISSUEは、立派なウエブサイトもつくっている。1993年、ホームレスと社会的に阻害された人々のためのキャンペーンとして立ち上げられた。ジャーナリズムと芸術芸能の記事を載せたしゃれた雑誌のようだ。「ストリートライト」というコラムは、ホームレスの人たちが寄稿している。96年からは有名人が市場に続々登場。記事のレベルも高いからか、数々の賞もとっている。週刊誌として発足し、イギリスの諸都市、シドニー、ケープタウン、ロスアンゼルスに延びた。

ホームレスのひとびとの自助努力を後押しするこのようなアイデアは、もっと、広まってほしいものだ。

投稿者 nansai : 08:58

2005年4月13日

四月十三日(水)の二

夜八時、地下鉄の駅にハトが一羽、家路に急ぐ乗客に混じって、地べたを、てくてく歩いている。踏み潰されはしないかと心配だ。
やあ、どうしたの?迷子ではなそうだ。
そんなところに、えさが落ちているわけはないのに。
地下鉄千里中央駅のエスカレータの降り口。吹き抜けから舞い降りてきたのだろう。何の用事かな、今夜も、ハトは首を振りふり、なにやら忙しそうなので
「おさきに。じゃあな」

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投稿者 nansai : 12:32

四月十三日(水)の一

あめあめ ふれふれ。もっとふれ。
巨人阪神初対決。阪神電車100周年記念日とあって強行。それでも、雨中の甲子園は、4万6923人の合羽を着たトラキチで満員だ。世界でも、ここだけの現象だろう。ようやるわ。
期待の赤星がぬかるむ塁上をかきまわして、八‐一で大勝。
試合前のインタビューで、巨人堀内監督が穏やかな顔で「赤星を塁に出すな」といっているのですがねえ。と、人ごとみたいな口ぶりだった。そのとおりになった。
ことしの赤星が、阪神の「イチロー」になるか。
(この走る赤星選手は、一昨年描いたが、急遽マイピクチュアから引き上げて、あわてて雨「脚」をつけくわえたもの。拡大可)
スポーツニュースによれば、統計上は、いま最下位の「巨人の優勝絶望!」との気の早い予測が出たそうだ。なんぼなんでも、巨人、このまま終わるわけはないだろうが。

投稿者 nansai : 12:29

2005年4月12日

四月十二(火)

満開の桜も、この雨で散ってゆく。
週末は、好天に恵まれて、どこからともなく、人が集まり、花見の宴でにぎわった。日本人は、むかしからこうだったらしい。
古来、詩人、俳人は、庶民のように飲めや歌えやと、素直に花に浮かれていては商売にならない。満開の花も、やがて散るのだ。古今、新古今のむかしより、浮世のはかなさ、無常をうたわねばならない。

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ただ頼め
はなは はらはら
あの通り             一茶


頼み参らせるのは、観音様だけと一茶はいうのだ。

投稿者 nansai : 15:38

2005年4月11日

四月十一日(月)の二

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「あれは、むしろ、絵心のない不器用な人にとってこそ、いい道具なんです。」(「似顔絵」岩波新書)
パソコンで描いた絵を評して、天才イラストレーター山藤章二氏は、このようにのべている。
「そこそこの絵を描くには役に立つ。だから、そのレベルで喜ぶのはいっこうにかまわない。しかし。それからさき作品化するのはむしろマイナスに作用する。パソコンで作った画面というのは、にてくるんです。」。
山藤氏は、隠れもないプロ中のプロのイラストレータだ。剣豪にたとえれば、宮本武蔵級。かれの似顔塾コンテストに応募してくるたくさんの絵をみて、このような印象をもった。
山藤画伯は、おそらくコンピューターアートのことをいっておられるのだろう。あれは、かなりの熟練を要し、「そこそこの絵」は、しろうとには、なかなか描けない。あれは、ぼくの愛用する初心者用オマケソフト「ペイント」より、はるかに高度なソフトを使う。ウインドウズしか使えないぼくには、とうてい無理だ。

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一方、ぼくのソフト「ペイント」を使いマウスで描くのは、もっと原始的だ。デジタルというよりアナログだ。オーケストラとハーモニカ、ゴルフとゲートボールの違いがあるだろう。手軽さで、指笛か草笛ににているかな。
すなわち、あまりにかんたんだから、だれにも手がだせて、自分でも「そこそこの絵」を描いてみようという気になる。

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うけあってもいいが、これは楽しい。不器用でもなんとかなる。へたがいい、とほめるひともいる。

絵心は、ひとそれぞれだが、稚拙、粗雑、ひとりとか仲間内で楽しむなら、それもよしだ。町内会のへぼゴルフコンペや、ゴルフ原っぱでの草野球みたいなものではないか。自閉症の子が、ペイントで絵を描いたのをみてほしい、という親御さんが立ち上げたイギリスのサイトもある。
ぼくも、いわゆるCGにはとんと暗いが、MSペイントは、はるかに手軽でそれなりに自由度があると思う。いまご婦人のあいだで大流行の「絵手紙セット」よりも絵を楽しむ幅は、はるかにひろがる。絵筆の上部をつまんで、無理に線をびびらせたりの制約がないからだ。
これは、ぼくが、数年前試みた、イラク侵攻前のブッシュのイメージらくがきだ。

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稚拙を恥じず、へたなりに、自由にいろいろアイデアをひねり試みてみて、あらためて山藤画伯のご高評をいただきたいものだ。
73歳のぼくの脳裏には、75歳ではじめて絵筆を取って、100歳過ぎるまで故郷の心象風景を描き続けたモーゼスばあさんの姿が焼きついている。もちろん会ったことはない。NHKテレビの日曜美術館で見て感心したのである。小柄な農家の主婦だったモーゼスばあさんのあのひたむきなマイペースがいい、うらやましいと。

我流を貫いたグランマ モーゼスは、アメリカの国民的英雄だ。彼女の絵を復刻したグリーティングカードはベストセラーだし、彼女自身、切手にもなった。

投稿者 nansai : 16:54

四月十一日(月)の一

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独り言のような絵入り日記を、ぶつぶつ言いながら、一方通行で描いている。日付はあってもなくてもいいようなものだ。
この変形BLOGの唯一のとりえは、横へのスクロールする長さである。
えんえんといくらでも続けられる絵巻物だ。
ぼくの根気がつづけばだが、こんなことを試みるひとはいないだろうから、いまのところ、本邦初の怪挙?のはずなのだ。

日本語の文章を読みやすく、縦組みにし横スクロールする、あたりまえもいいところの、コロンブスの卵だが、だれも試みなければギネスブックいりだ。
のぞいてみようとする奇特な人は、いまのところ両手に満たぬだろうだが、あきないは、うしのよだれ、という。

継続は、ちからなりというほどでもないが、「惰性」という慣性力?を利用して、あきず、こりず、だらだらと描き連ねている。中身のことはおくとして、グライダーが滑空するように、これはさほどエネルギーを食わないので続けられる。

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一日一尺、30センチが目安である。べつにノルマではないが、一年たつと100メートルになる。(大川をまたいでいる天満橋の長さとくらべたらどうなるのだろう?)

投稿者 nansai : 16:43

2005年4月 8日

四月八日(金)


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タイガース4連覇ならず。エースのはずの井川でふんばれず、万全の押さえの久保投手が、つるべ打たれて、大逆転負け。
好調の阪神改造打線は、元広島勢が3、4番だ。広島のすさまじい闘志に、終盤は、圧倒されてしまった。ことしはあなどれない。
土俵際で、打っちゃられたが、七転び八起きや。

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投稿者 nansai : 12:19

2005年4月 7日

四月七日(木)

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「トシをとったら植草甚一になろう。」いま、ある世代以上の人は、身におぼえがあるのではあるまいか、と、池内紀氏は、「生き方名人」のなかで述べている。60年代から70年代にかけては、植草甚一の生き方にあこがれたものだとも。
植草甚一、没後26年。彼の著作は、復刻されて、いまだに書店の店頭では、現役だ。

白いひげ、色鮮やかなシャツにジーンズのいでたちで、いつも一人ぼっちでぶらぶら散歩した。イエナ書店で半日ねばり立ち読みし、ノートを広げてメモをとる。喫茶店でコーヒーを飲んで、古本屋でさっき手に入れたばかりの本をひらく。古雑誌などは重いので不要なページをびりびり破り捨てるのが癖だった。

46歳でジャズにはまり、永遠の青年のような好奇心をもち、植草甚一はひょうひょうと軽い足取りで町を歩いた。東京日本橋生まれ。古本、映画、ジャズ、ミステリー、ファッション、ニューヨーク、とレパートリーはひろく、旺盛な好奇心でものを買い集めた。(没後、コレクション ?のガラクタ市が西武百貨店で開かれ、ぼくも二三点買ったのを思い出した。)

かれにとっては、街は市場であり、日々の散歩は仕入れだったのだろう。そんな知的仕入れと幅広い雑学的教養に裏打ちされた独特のスタイルの「雑文」といっては失礼か。まさに、好奇心ワンダーランドの集大成が、植草甚一スクラップブック全41巻。晶文社刊

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マニアでないぼくは、畑違いで、モダンジャズとかミステリーではついていけなかった。だが、本屋や雑誌をどんどん買い込み、何でも面白がり、調べてやろうという衰えを知らぬ意欲と「大正式散歩」の体力には、敬服し共感していた。おびただしい数の洋書を読破できるかれの英語力の歯とあごが強靭なことに驚くのだ。あやかりたいと思う。
「いつも夢中になったり飽きてしまったり」という書名の本もだした。マイペースの、いい人生だなあと、当時そんなに熱心なファンでも読者でなかったぼくも、うらやましく思ったものだ。

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かれは、またコラージュの達人でもあり、いまも復刻版で書店に並んでいる植草甚一コラージュ日記(平凡社刊)で、その多彩なセンスが伺える。几帳面な四角張った手書き文字と、雑誌や本から切り抜いた銅版画などのカットの絶妙な取り合わせは、30年前の作品だが、おいしい。

明治41年生まれだから、亡くなったぼくのオヤジの年配だ。お会いしたことはないが、この似顔(のつもり)はネットで調べて描いたが、まったく似ていないらしく、正答率ゼロ。まわりのだれにもわからなかった。

本屋の店頭には、なくなっても二十年以上たつのに、復刻版を、若い読者が買ってゆく。稀有なケースだろう。

もし植草さんがデジタル時代のいまご存命なら、必ずや、海外情報の宝庫インターネットとDVD録画にハマると思う。そうなると、心配だ。植草さんは、古本屋と喫茶店めぐりの散歩とパソコンの前に座るのと、どうバランスさせるか、時間配分に悩んでしまうのではないだろうかと。

ぼくは、もうかれの亡くなったときの年齢を超えてしまった。もともとものぐさなぼくは、無尽蔵な情報源パソコンの検索についかまけて、いつしか植草さんのような名人芸的散歩の醍醐味を忘れてしまったようだ。
ぼくも、年はとっても、パソコンでの情報サーチにかけてはかなりの腕自慢のつもりだが、前述の池内紀氏によれば、動きのにぶいこの手の趣味的大食漢を、なんと「知的糖尿病」と呼ぶらしい。ぎくっとさせられる。

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ぼくのとりえといえば、植草甚一が切り抜いていたコラージュの材料を、デジタルの力をかりて自前で描き調達していることくらいだ。

投稿者 nansai : 17:18

2005年4月 6日

四月六日(水)

四月二十九日の「みどりの日」が、再来年から「昭和の日」に変わりそうだ。戦前は「天長節」と呼ばれた。昭和天皇の誕生日だった。
朝日新聞の社説は、復古主義ではいけないと述べているが、ぼくは、昭和天皇をしのぶ日であってはいけないと思う。戦前の「明治節」のように。

さっそく、「昭和の日」のシンボル案をデザインしてみた。昭和の前半は真っ黒だった、後半は、バブルにいたるいきさつも、記憶に新しいから、みなで考えてみよう。

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといわれる。昭和では、愚者も賢者も筆舌につくせぬ痛い目にあった。何がおきたのか。学習せねばならない。かつての「明治節」のように、治世の賛歌であってはならない。

思い起こせば、戦前、昭和の小国民として国民学校で教育を受けたぼくらは、「御民われ生けるしるしあり。あめつちの栄えるときにあえらくおもえば」と、毎日うたい、このような昭和の御世に生を受けたことを幸いと思えと指導された。北朝鮮のいまの金体制を、戦前の日本を知るぼくらは、笑えない。
昭和二十年敗戦、無条件降伏。

わずか十数年で、領土を失い、広島では数秒で14万人が亡くなり、300万人の同胞が命を落とした。日本は、指導者たちは、いったい何をどう間違ったのか。
はたして昭和の歴史にIF(もしも)はなかったのだろうか。

その歴史を、中国や韓国に教科書をチェックされ指摘されるのではなく、日本人が、みずから、学習せねばならない。日本人たるもの、歴史認識は、試験に出る出ないの問題ではないことを認識しよう。

そういえば、昭和天皇がなくなったとき、若い運転手さんの話を聞いて仰天したことを思い出す。日本がアメリカと戦って、特攻隊機がアメリカの軍艦に突っ込んでゆく古いニュース映画を始めてみて驚いたというのだ。
十二月八日の開戦記念日に、ハワイで戦艦アリゾナの記念式典に空爆を受けて生き残りの軍人が整列しているところに、なにもしらないノーテンキな日本人の若いカップルたちがのぞきこんでいたりしているという。その日は、アメリカの新聞は、毎年、「屈辱の日」としてしっかりとりあげているのに。

昭和の日の制定はけっこうだが、八月十四日の敗戦記念日と十二月八日の開戦記念日もあわせて、歴史を学習する日としてほしい。正しい歴史認識のためには、おびただしい史実という情報の公開が必要だ。

テレビも公共放送を自認するなら、それこそ、ネット上で歴史をアーカイブして、歴史情報館をつくり、365日、国民だけでなく、世界にむかって、お互いのことばで、めいめいの歴史認識を確かめ合うこともできると思う。
もう鉄筋コンクリートの古文書館よりは、バーチャルに無尽蔵に資料が収集でき、即座に検索できるインフォメーションアーキテクチャが必要だ。情報構築物の建設はバーチャルだが公共工事だ。

民間放送も、ふところにゆとりがありそうだし、あんなに買収騒動でカネを積むなら、記念行事などの際ブロードバンドで歴史の史実アーカイブにまわせないものか。これは、視聴率の問題ではない。日本の百年の計だ。

投稿者 nansai : 13:12

2005年4月 5日

四月五日(火)の二

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これはお宝の皿である。染付け吹き墨の技法で、椿の大輪を描いてみごとだ。江戸中期の作らしい。「和楽」誌から、ちょっと拝借した。ぼくの描写力とMSペイントでは、皿の気品まで活写するのはむりだ。でも、当時の陶工の大胆な筆使いには遠くおよばないにしても、なぞってみることはできる。よちよち、たどたどしく、がいいのだ。マウスを動かして、わずか数分だ。

投稿者 nansai : 18:26

四月五日(火)の一

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苦手ヤクルトとの緒戦をエース井川で落として、今年の行方が心配されたが、二三戦を危なげなく連勝。
若手投手陣も好調。戦前の予想でぼろくそだったスペンサーの活躍が収穫だった。うれしい誤算だ。いま泣いたカラスが、もう笑った。オカダも笑った。
ことしは、ハナから行くでえ!

投稿者 nansai : 16:29

2005年4月 2日

四月二日(土)

「暮しの手帳」が創刊されて半世紀以上たった。
最近刊行された「暮らしの手帳」保存版「花森安冶特集」をぱらぱらめくっていて思い当たった。そうか、五十年前、ぼくの師匠にあたる人がいたとすれば、じつは一度も会ったことのない同誌の編集長花森安冶その人だったのではないか。

当時、地方の学生にとって、「暮らしの手帳」は、高くて買えなかったから、町の貸し本屋で借りて読んだ。昭和二十年代のおわりごろのこと。

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ふつうの表現で日常のことをわかりやすく説明しようとする日本語の文章に始めて出会った。「やくたいもない」とか、ぼくにとって新鮮な関西なまりのよどみない言文一致の文章に強い影響を受けた。
編集長花森安冶の見事なまでのワンマンショーで、内容のユニークさはもちろん、誌面のすみずみまでが、いま風にいえば、イラストレーション、カット、タイポグラフィのお手本の宝庫だった。
不遜にも、絵を習ったことのないぼくも、ああ、花森のようなユニークな細い線のカットを描きたい、あのタッチなら、なんとなくぼくにも描けそうな気がしたのを覚えている。そう思っただけで、なにもできなかったのだが。
万能の編集者花森安冶は、主演、脚本、監督とワンマンでこなすチャップリンのような存在だったろう。あのころすでに外国雑誌を購読し「ニューヨーカー」誌がお気に入りだった。欧米の文化がだいすきで、タイプライターに憧れていたそうだ。タイプライターが自在に打てたらいいなあと思っても、当時は、習うのもたいへんだった。いまなら、かれは、パソコンをすぐさま使いこなしたに違いない。

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聡明なかれなら、しろうとにも描ける「MSペイント」のすばらしさをすぐ理解するだろう。
パソコンのおまけについているソフトを利用しない手はない、無料なんだから。紙も絵の具もいらない。かんたんにマウスで絵が描けるよ、と、大笑いしながら「暮しの手帳」で特集を組むかもしれない。
MSペイントでのドローイングは、まさに花森安冶風のイラストレーション向きなのだ。「ニューヨーカー」誌の一流作家に負けない作品だって、かれなら、このバカちょんソフトを駆使して、たやすくモノにしただろう。

テレビもゲームもない頃「講談社の絵本」やのらくろ漫画をながめながら大きくなったぼくは、学校がほめてくれるような絵をていねいに描くことは挫折したが、エンピツの線描きで、友達のノートに、絵本でおぼえた戦争や武士の絵のようなスケッチを描いてやり、得意になっていた。先年も同窓会で同級生の一人が五十年前のぼくのらくがきノートを持ってきてくれ、ぎょっとした。

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正直、ぼくは、還暦をはるかに過ぎるまで、パソコンで自分に絵が描けるとおもっていなかった。若いころから正式に師について絵を習ったこともなく、学生時代も美術部のようなクラブに属したことはない。
ふりかえってみると、地方の学生だったぼくにイラストレーションやデザインへの眼を見ひらかせてくれたのは、終戦直後、貸本屋でみた「暮しの手帳」だったのだ。学生のぼくは定期購読者でもなく、時々手に取るだけだったのだが、この雑誌の強烈な個性に魅せられたのだ。

その後、ぼくもパソコンに出会い、文章は書いていたが、絵はプロの仕事とかんがえていた。自分にも、普通のパソコンで簡単に絵が描けるのを知ったのは、60歳を半ば過ぎてからだ。動機は、年賀状である。
ある夏、初心者向けのパソコン誌「ぱそ」をながめていたら、ペイントで簡単な絵が描けるという記事がのっていた。作例は、あまりにへたなサカナの絵で、これなら、 もうちょっとましなのが描けそうだと思った。

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しろうとは、何を描くか。何を描いていいかわからない。
ここで、みなつまずくところなのだ。

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が、ぼくは、花森イズムで、その手の勘には自信があった。望むところだ。
技術はへたでも、描く対象なら、そこらじゅうにころがっている。

そうだ。若いときなじんだ「暮らしの手帳」の花森安冶タッチで、思いつくまま自由に、描けばいいのだと。

投稿者 nansai : 16:07