2005年04月07日
四月七日(木)
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「トシをとったら植草甚一になろう。」いま、ある世代以上の人は、身におぼえがあるのではあるまいか、と、池内紀氏は、「生き方名人」のなかで述べている。60年代から70年代にかけては、植草甚一の生き方にあこがれたものだとも。
植草甚一、没後26年。彼の著作は、復刻されて、いまだに書店の店頭では、現役だ。
白いひげ、色鮮やかなシャツにジーンズのいでたちで、いつも一人ぼっちでぶらぶら散歩した。イエナ書店で半日ねばり立ち読みし、ノートを広げてメモをとる。喫茶店でコーヒーを飲んで、古本屋でさっき手に入れたばかりの本をひらく。古雑誌などは重いので不要なページをびりびり破り捨てるのが癖だった。
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46歳でジャズにはまり、永遠の青年のような好奇心をもち、植草甚一はひょうひょうと軽い足取りで町を歩いた。東京日本橋生まれ。古本、映画、ジャズ、ミステリー、ファッション、ニューヨーク、とレパートリーはひろく、旺盛な好奇心でものを買い集めた。(没後、コレクション ?のガラクタ市が西武百貨店で開かれ、ぼくも二三点買ったのを思い出した。)
かれにとっては、街は市場であり、日々の散歩は仕入れだったのだろう。そんな知的仕入れと幅広い雑学的教養に裏打ちされた独特のスタイルの「雑文」といっては失礼か。まさに、好奇心ワンダーランドの集大成が、植草甚一スクラップブック全41巻。晶文社刊
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マニアでないぼくは、畑違いで、モダンジャズとかミステリーではついていけなかった。だが、本屋や雑誌をどんどん買い込み、何でも面白がり、調べてやろうという衰えを知らぬ意欲と「大正式散歩」の体力には、敬服し共感していた。おびただしい数の洋書を読破できるかれの英語力の歯とあごが強靭なことに驚くのだ。あやかりたいと思う。
「いつも夢中になったり飽きてしまったり」という書名の本もだした。マイペースの、いい人生だなあと、当時そんなに熱心なファンでも読者でなかったぼくも、うらやましく思ったものだ。
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かれは、またコラージュの達人でもあり、いまも復刻版で書店に並んでいる植草甚一コラージュ日記(平凡社刊)で、その多彩なセンスが伺える。几帳面な四角張った手書き文字と、雑誌や本から切り抜いた銅版画などのカットの絶妙な取り合わせは、30年前の作品だが、おいしい。
明治41年生まれだから、亡くなったぼくのオヤジの年配だ。お会いしたことはないが、この似顔(のつもり)はネットで調べて描いたが、まったく似ていないらしく、正答率ゼロ。まわりのだれにもわからなかった。
本屋の店頭には、なくなっても二十年以上たつのに、復刻版を、若い読者が買ってゆく。稀有なケースだろう。
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もし植草さんがデジタル時代のいまご存命なら、必ずや、海外情報の宝庫インターネットとDVD録画にハマると思う。そうなると、心配だ。植草さんは、古本屋と喫茶店めぐりの散歩とパソコンの前に座るのと、どうバランスさせるか、時間配分に悩んでしまうのではないだろうかと。
ぼくは、もうかれの亡くなったときの年齢を超えてしまった。もともとものぐさなぼくは、無尽蔵な情報源パソコンの検索についかまけて、いつしか植草さんのような名人芸的散歩の醍醐味を忘れてしまったようだ。
ぼくも、年はとっても、パソコンでの情報サーチにかけてはかなりの腕自慢のつもりだが、前述の池内紀氏によれば、動きのにぶいこの手の趣味的大食漢を、なんと「知的糖尿病」と呼ぶらしい。ぎくっとさせられる。
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ぼくのとりえといえば、植草甚一が切り抜いていたコラージュの材料を、デジタルの力をかりて自前で描き調達していることくらいだ。
投稿者 nansai : 2005年04月07日 17:18


