縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年04月29日

四月二十九日(金)

きょうは、みどりの日

不二ひとつうづみ残して若葉かな 蕪村

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あらたふと青葉若葉の日の光 芭蕉

ああ、ありがたい。万物、緑の中にある。日本、いや、このごちゃごちゃした大阪までも、いちばん美しい季節を迎えている。今朝の新聞は、題字までがグリーンに印刷されていた。
しかし、『そうか、きょうは「みどりの日」か』、というところまでは定着しないままに、四月二十九日の祝日は、三年後には、「昭和の日」に変わるらしい。

だが、ぼくたち府民にとっては、「大阪にもっと緑を」だ。緑にもっとも遠い町が、大阪市内だ。
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ここにきて、やっと、大阪を、もっときれいに、かっこつけなければいけないという気運が盛り上がってきたようだ。
大阪の川は、埋め立てられたり、上を高速道路を通されたり、高度成長期は、戦災で残ったなけなしの資源の自然破壊もやりたいほうだいだった。緑も、東京に比べれば、格段に、見劣りしている。
「国際集客都市」をうたってはいるものの、いまのままでは、日本のみならず、世界の観光客のどこからも、そっぽを向かれてしまうことがはっきりしてしてきた。
集客の目玉は、家電などのショッピングだけらしい。
すっかり忘れられていた「水の都」再興が叫ばれだした。
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建築家の安藤忠雄さんが音頭をとって、サクラの木千本を大川端一帯に市民の力で植えようという運動も発足した。「平成の通り抜け」と名づけられたが、さすがスケールが大きい。
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お役人まかせでは、予算もないし、ラチがあかない。市民のみんなが少しずつカネを出し合って、木を植える。けっこうなことではないか。
サクラの木一本にプレートをつける。募金に応じた30人の氏名を記載する。千本が計画されているという。

大仏殿の大屋根の瓦に寄進した善男善女の名を刻むのにヒントを得たものだろう。自分たちの植えたサクラの花を毎年春に見られるのはすばらしいことだし、桜並木を後世に引き継いでゆくのは、先に生まれたものの誇らしい義務だろう。

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かつての水辺の主役川端やなぎも中ノ島公園ののすみにのこっているだけだが、復活させてやなぎさくらをこきまぜると、すばらしい景観だろう。

ワシントン市のポトマック河畔に、毎春、いまも咲き誇るサクラはみごとだ。93年前日本から3000本のサクラの苗木が寄贈された。不幸な戦争を越えて桜は咲き続けてきた。いまも全米からの花見客でにぎわい、新聞テレビで報道されている。サクラの女王も選ばれるという。

たんに構内を「通り抜け」るのではなく、こんどは花見ができるといいと思う。そもそも、花見とは、「群桜」「飲食」」群集」の3っの要素がそなわっていること。これらが満たされているのは、日本の花見だけだと、白幡洋三郎氏の説である。
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将来、「平成の花見」の新しいかたちが、大川の水辺でうまれないものか。工夫しだいで、楽しみである。東京の上野公園のむこうをはって、水の都のこっちのほうが、はるかに風情がありそうだが。(その前に大阪名物ブルーのテントをなんとかしなければ)

ぼくにも、二つ、提案がある。
いま、この国で、里山が見直されてきた。花粉症の原因の杉やヒノキの人工林の役目は、時代とともに、もうおわったのではないか。
何千年前から、日本の緑の原風景は、もともと照葉樹林だ。日の光にてらてらと輝く、シイ、クス、クヌギ、ブナ、など。里山のそばの田んぼには、トンボもカエルもいた。そんな里山の風景が、道路工事、宅地開発で消失が心配されて、NHK番組で再三取り上げられている。
かろうじて残されている鎮守の森は、典型だ。里山を知らない都市住民は多い。
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そこで、提案だ。市内の公園には、「里山」風景を復活し、子孫に残そうするのはどうだろうか。
お化けのように見苦しくなるヒマラヤスギなど、もうたくさんだ。おりおり流行して猫の目のように変わる外来種の植樹は、もういい。
あらためて、日本の風土にクスノキは最適の樹種ではないかと思う。公園や街路広場には、クスノキなどを巨木、大樹に育てる設計にしたいものだ。大きく育つスペースも確保したい。むかしは、学校の校庭には、樹齢数百年のクスノキの大木が必ずたっていた。さいわい、市内の空き地状況は、がらがらである。
戦災で荒廃した大阪には、ロンドン、パリにくらべ、大樹巨木がほとんどない。万博公園にしても、30年しかたっていない。一流都市としての、気品貫禄にかけるのは、このためだ。
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こう考えると、植樹計画は、その場しのぎではなく、樹齢百年単位でなければなるまい。

つぎは、みみっちいが、切実な提案である。
大阪人は、ほんとうのところ緑に愛着がないひとが多いのではないか。その証拠には、緑を愛する代償に、落ち葉の始末があるが、これで近所がいつももめている。市役所にも文句がくる。
うちの前に落ち葉が飛んでくる。かなわん。
だれが掃除するのや。
もめた挙句、かならず、木の持ち主に、こういう要求をつきつけてくる。
「木を、切ってくれ。」
落ち葉の掃除が、かなわん。緑はいらんから、木を切ってくれということだ。
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大阪では、落ち葉が、「騒音」「排気ガス」のように「公害」と、みなされているのだろうか。動物の毛が抜け変わるように、葉が、新陳代謝しなければ、植物は生育のしようがない。
これでは、大阪は、緑の都市に代わりようがないわけだ。御堂筋のイチョウも、銀杏が路上に落ちると、風情があるととらずに、掃除せんならんと、ふくれっつらをする。

そこで、「みどりの日」にあたり、提案だ。大阪を緑あふれる町にしたいと思うひとは、落ち葉も愛してほしい。市民は、落ち葉にめくじらたててはいけない。みんなでやれば、腹もたたんのでは?

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ボランティアでも有料でもいい、落ち葉掃除隊をつくって、みんなで落ち葉をひろって町を掃除しよう。Tシャツがもらえる抽選券つき落ち葉掃除券を市民府民に買ってもらおう。
イヌ好きのひとは、みなビニール袋をぶらさげて、愛犬の排泄物の始末を、よろこんでしているではないか。

投稿者 nansai : 2005年04月29日 10:36

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