縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年5月30日

五月三十日(月)

一気筆描き

パソコンでだれにも描けるお絵描きの新しい技法がある。つまり、「ペイント」による、墨一色の「早や筆描き」だ。マウスを動かして描く。きわめてかんたんである。「一気筆描き」と呼ぼう。

05053005.jpg

ウインドウズのアクセサリーから「ペイント」をさがす。

05053006.jpg

そのツールボックスから、なんと呼ぶのか、ペンキの刷毛の絵の描いてあるツールを選ぶ。左、右、斜め線のマークの太目のがお勧めだ。こんな風に○を描いてみよう。これなら、さらさらと軽いタッチで、かたちをとることができ、一気に描ける。ゆがんだりしてうまくいかなかったらやりなおせばよい。
かんたんな花の形を描いてみよう。着色するのも、あっという間である。幼稚園児と同じように、らくらく描ける。
習字を試みると、面白いタッチの字が書ける。習字の先生はなんというかは知らないが。

05053007.jpg

05053008.jpg

05053009.jpg

05053010.jpg

05053011.jpg

05053012.jpg

05053013.jpg

投稿者 nansai : 16:08

2005年5月29日

五月二十九日(日)


05053001.jpg

この「コーレー」ペンギンは、未来の自画像である。このごろ、バスの停留所でも、駅頭でも、このように、足の不自由な、でも、一人で歩きたいシニアの姿が目に付くようになった。いよいよ「杖の時代」の到来だ。

こんな絵を、ぼくは、鼻歌を歌ったり、口笛を吹くように、描いている。パソコンの力で、らくなものだ。描きたいものは、自分をふくめ、まわりにいっぱいある。
ぼくの描く絵は、少年がハモニカをふくようにかんたんだ。少々間違っていても音程がくるっていても。たのしいじゃないか。

何を描くかは、その日その日の身の回りの情報や気分、テレビや新聞雑誌に刺激される。思いついたら、すぐ、かたちにしてみたい、それだけだ。失敗も平気だ。あとでゆっくり手を入れたい、ということもないではないが、早く自分のイメージに具体的なかたちと彩りを与えたい、それがどんな風にみえるか、早くみたいのだ。デジタルのおかげで、せっかちなぼくの希望が、かなえられるようになった。
ウインドウズのオマケのペイントで、ぼくのように、そそつかし屋で不器用な人間も、ちゃんと絵が描けるのだ。間違えたら、即座に、描きなおせるのは、パソコンお絵描きの特権である。

05053002.jpg

ビューティフルなオールドマンを描いてやろうと思っている。じじむさくないオールドマンには、めったに出会えないがねえ。このフランス人の爺さんは、佐伯祐三の名作郵便配達夫を模写したものだ。

05053003.jpg

05053004.jpg

投稿者 nansai : 16:08

2005年5月28日

五月二十八日(土)

日曜日快晴

05060301.jpg

ワシがトラの子を捕まえて飛び去った。
先日は、ごちそうさまの楽天に、仙台で、返り討ちに会った。まさかの敗退である。驕りのトラ、ゴールデンイーグルスに四連勝を許すか。非力のはずの相手を、なめてかかって、浜中のようにぶんぶん振り回して敵の術中にはまった。

投稿者 nansai : 13:09

2005年5月26日

五月二十六日(木)の三

愛知万博にいってきた。
バスツアーに便乗させてもらい、何の予備知識もなく、ガイドブックも持たずに、まる一日半、好天にめぐまれて、広い会場をテクテク徘徊した。

ぼくが見たこの万博は、二十一世紀の日本社会を象徴する万博のように思える。アリの大群のように会場に集まる人たちを眺めていると、この国で高齢化と少子化、それに、アジア化が、どのように進んでゆくかを教えてくれるだろう。

05052606.jpg

平日だったので、家族連れは少ない。中高年の入場者がやたら多い。おばさんたちは、みな元気に帽子をかぶりリュックを背負っている。足が不自由なのか、杖をつく人が増えた。それに、目立つのが、車椅子に乗る人、押す人。きょうは、親孝行の日になるだろう。
それに、修学旅行の学生生徒たち。
善男善女の大群だ。
ぼくをふくめて、何を見ようという目的があるわけではないようだが、とにかく、広い敷地に、人がこんなに多く人が集まることはめでたい。そう、これこそ、祭りの原点だ。朝、ゲートから会場に小走りに向かうひとは、楽しそうだ。「もう、わたし、興奮してきたわ」と、はしやいでいる中年女性は、どこの館でもいいから整理券をもらうのだという。
さしたる理由もなく、大義をふりかざして、これほどのスケールのイベントをくりひろげられるカネを集める政治の力は、すごいし、こわい。

05052607.jpg

たった一日ちょっとの感想だが、とりあえず感心したのは、会場の隅々に動員配置されたおびただしい人数の老若男女のボランティアパワーである。善意親切の人海戦術だ。
はるか離れた駐車場の整理係から、会場にあちこち置いてある八通りもの分別ゴミ箱の指導係りまで、いたれりつくせりで、親切だ。
帰りのバスの乗り場を忘れた。サハラ砂漠のような広大な駐車場で迷子になってしまった。若い案内係たちは、徘徊老人のぼくを、なにも手がかりを覚えていないのにあきれながらも、誘導してくれた。
巡礼の人たちを沿道の住人がこころをこめて接待するように、ここでは、何とかわが地元の催しを成功させようとするボランティアたちの気持ちがひしひしと伝わってくる。大阪万博の花は、パビリオンの美人ホステスだったが、愛知万博は、老若のボランティアたちだ。

さて、21世紀にもなって、これだけの巨費を投じた「万博」の意味とは、いったいなんだ、という基本的な議論はつくされているのだろうか。

万博の原型は、おそらく百年以上前のパリ博やロンドン博なのだろう。十九世紀から二十世紀の初頭は、科学技術の進歩が急に発展したが、それを訴えるコミュニケーションの手段が限られていた。壮麗な総ガラスのパビリオン水晶宮とか、鉄の壮大な建造物エッフェル塔など、民衆の度肝をぬいたし、啓蒙の意味があった。
当時のパビリオン様式、つまり、移動テント型のサーカスのような見世物小屋の原型が、百年たっても、進化していない。知識を伝える手段が、時代の進歩についてこれていない。あれから百年以上、二つの大戦を経て、馬車が自動車に、新幹線に、気球が、ジェット機に、変化したというのに。
いまのパビリオンは、江戸時代からの見世物小屋にひとしい。だが、なかでなにが見せられるのか、完全なブラックボックスだ。いうなれば、出し物を教えない、看板のない映画館である。それを、十重二十重に取り囲むアリのように待つことをいとわない観客がいる。顧客満足ゼロ。見せる内容も、どれほどの知識と感動をあたえられるのだろうか。
大きな小屋に、いり口があって、出口がある。その空洞のなかで、長蛇の列を作ってコンベアーのようにながれてくる千差万別の観客に、限られた時間内に、何を伝え印象づければよいのだろうか。「こんなに待たせて、腹がたつ。ひとをばかにしている。」などと思わない従順なタイプの日本人はまだまだ多数生き残っているようだ。

帰ってから、本屋で、公式ハンディブックを買った。どじな話だ。表紙に、「愛・地球博。」だじゃれみたいな愛称。その下に、英文では、小さく「自然の叡智」としるしてある。
ぼくは、万博にも、大義名分と、目的があると思うが、どうも、それは、まちがいらしい。会場内をうろうろ歩き回っただけでは、それはわからなかった。
思い起こせば、大成功とされている大阪万博の「人類の進歩と調和」という抽象的な概念も、なんのことやら空気のようで理解しようがなかった。
企画段階では議論の対象になっても、中身が具体的でないお題目は、通じない。具体的なものでしか、民衆は理解しない。つまり、見世物の内容だ。いわく、月の石、人間洗濯機。冷凍マンモス。
こんなものを見るために何時間も炎天下の戸外に並ぶ人たち。でも、それは、一生の思い出になるといわれれば、それはそれなりの意義があるだろう。

「虚飾の愛知万博 土建国家最後の祭典」という本を買った。非公式ガイドとうたっている。万博に行く前に読めばよかった。

万博プロヂューサーとして隠れもない堺屋氏は、万博は巨大なイベントで興行であり、エンターテインメントだといいきっているという。(続きは、後ほど)

投稿者 nansai : 15:55

五月二十六日(木)の二

とりとめもない、どうでもいいことを描きつらねているこのブロッグは、内容的には、カロリーゼロである。
閉鎖型なので、ときおりぶらりと、ひやかしているのは、一握りの顔見知りのひとたちだけだ。
だが、再三、ぶつぶつ説明している通り、ぼくには、深い深いたくらみがあるのだ。大きなお世話かもしれないが。

05052604.jpg

ひとつは、漢字かな交じりの日本語の文章を、気持ちよくすらすら読み飛ばせる縦書き縦組みをネットの上でもフォーマット化したいということである。ぼくらは、長年、新聞や雑誌の記事を、ななめに拾い読みすることになれている。いまは絶滅した日本語ワープロでは、たてにも横にも自在に書けたのに、日本人の読字習慣にやさしいネットの上の表記法を提案したいのだ。

もうひとつは、絵を楽しみたければ、パソコンは、スケッチブックだし、アトリエだということだ。マウスをうごかせば、かんたんに絵がたのしめる。高齢者にも描けるらくがきのすすめである。へたでもいい。別にきれいに仕上げる必要もない。すこしなれてくると、いい絵に感動したり、ドキッとするアイデアに出会うと、触発されて、まねをしてみたくなる。ひとりよがりの「創作意欲」というやつだ。失敗してもいいのだから、実験ができる。
だから、絵は描いてみたいが、面倒な準備や後片付けはごめんだ、出来るだけ、省エネでお絵描きを楽しみたい、というずぼらな諸兄には、マウス絵は、ぜひおすすめである。

05052605.jpg

日本語の文章は、縦組みのほうが読みやすいとこだわる人は、まわりにも、案外少ない。どうして、そんなに固執するの?とふしぎがられることも、しばしばである。

ネット上の文章縦組みについては、ほかにも、一家言をお持ちの方がいる。心強い「同志」にちがいないと勝手にきめている。
東京のコピーライターの大御所で、ゴルフの達人兼シングルにしてゴルフマナー評論家の鈴木康之氏だ。縦組みのWELOVELINKS.JPを立ち上げている。
内容は、ゴルフにまつわるフォトエッセーだ。

その点、ぼくのは、種々雑多なスタイルの「絵」とトピックの、雑炊か、ちゃんこ鍋だね。なんでも鍋にいれてしまうのだ。
いろんな具のはいったお好み焼きのようでもある。そんな具を、全部、ぼく一人で描いている。とりとめのない文章が、どろどろのメリケン粉の役をしている。いいかげんだから、生焼けが多いのは仕方がない。

投稿者 nansai : 15:50

五月二十六日(木)の一

転ばぬ先のストレッチ

05052601.jpg

年のせいだろう。このごろ、ちょっとしたはずみで、よろけ転びそうになる。おっととと、こらえきれず尻餅をついてしまうことも、ときどき。
階段の段差とかじゅうたんの合わせ目とか、つま先が、なにかにけつまずいて、バランスをくずすのだ。
路上も、室内も、風呂場も、バリアフリーでないから、危険がいっぱいだ。統計によれば、浴室での転倒事故で救急車で病院に担ぎ込まれる率は、交通事故よりも多いそうだ。風呂好きの高齢者には、やばい話だ。
以前はよろけそうになっても、身に備わったバランス復元力で、転倒にはいたらなかった。これからは、そうはいかない、ストレッチをしなさいといわれた。

05052602.jpg

古い友人と一年ぶりでゴルフをしたら、びっくりするほど、よく飛ぶようになっていた。練習はほとんどしないのに、どうしたんだ、ときいてみたら、ヨガを続けているという。ストレッチのおかげで、週一回だが、足腰がしっかりしてきた。軸がぼくみたいにふらつかない。よく飛ぶはずだ。
米国でも、パワーヨガがさかんらしい。オウムのような呪術秘法めいたのはいやだが、科学的ストレッチならやってみようと決めた。
とりあえず、壁に両手をついて、片足を後ろに踏ん張り、足首の筋肉をのばすのを教わった。激しい運動はかえってマイナスとか。これくらいならできそうだ。ぼくのストレッチ元年だ。

05052603.jpg

転ばぬ先のストレッチ、しばらく、これでいってみよう。

投稿者 nansai : 15:43

2005年5月25日

五月二十五日(水)

05051501-2-thumb.jpg

午後、東洋陶磁美術館で開かれている、デンマーク王室の磁器コレクション「ロイヤルコペンハーゲン展」をみにいってきた。京阪電車で一駅の距離だ。
こじんまりした美術館は、とても大阪とは思えない、緑したたる静かな環境の中之島公会堂の前。入場料900円。昼下がりの薄暗い会場には、おばさまたちが多い。二千円のカタログは、もう売り切れていた。

デンマーク王室ゆかりのロイヤルコペンハーゲンは、欧州屈指の名窯である。今回は、絢爛豪華な「フローラダニカ」シリーズが、展示の目玉だ。
十九世紀に123年もかかってやっと完成したデンマークの野生植物図鑑から、モチーフをとった。
細密に印刷された銅版画のボタニカルアートを、絵筆で皿や花瓶の曲面に移すのは、研ぎ澄まされた名人芸と気の遠くなるような集中力が必要だったろう。チーフデザイナーは、失明したそうだ。

オリジナルのセットは、もともとロシアの女帝キャサリン二世への献上品として企画されたが、彼女が完成前になくなったので、いまもデンマーク王室の公式晩餐会で使用されているらしい。

05052502.jpg

一般に親しまれているのは、ブルーフルーテッド・シリーズだ。なかでも、「メガ」というあたらしいシリーズは、十八世紀からしたしまれてきた伝統のキクの絵柄の部分を、なんと、そのまま、拡大したデザインだ。
新鮮な感覚が受けて、ベストセラーになっている。このアイデアは、卒業制作のため訪れた26歳の年若い女子学生のデザイナーの卵が、思いついたというからすごい。ほのぼのする話だ。

投稿者 nansai : 16:34

2005年5月19日

五月十九日(木)

丸いトマトも切りよで四角

週刊朝日に鎌田という病院の先生の、「トマト寒天」がダイエットにいいというエッセーがのっていた。つまり、トマトジュース寒天だ。すぐつくれて、ようかんのようなかたちだ。原料はトマトとてんぐさの食物繊維だけで、ゼロカロリー。おなかが、いっぱいになる。
一ヶ月で8キロもやせられるのはすごい。ほんとかなあと思いつつも、お医者のアドバイスだから、一も二もなく信頼して、ありがたくいただきである。

05051901.jpg

このごろ、たぬきのように、みぐるしく腹がぽこんと飛び出して、小規模ながらいかにも肥満体という体型になってきた。周りから激しく指弾され、身のおきどころがない。

さっそくネットでレシピを調べてみると、あるわ、あるわ、知らないのはぼくぐらいのもので、トマト寒天は、ダイエットでは常識の定番レシピとして、テレビ番組でも紹介された。リバウンドの心配がないことを、自らの体験に照らして鎌田先生は力説している。先生は、不振にあえぐ寒天業界の組合からも表彰されているらしい。

健康によいスローフードを志している隣のイタリア料理店の大将に話したら、さっそく、若い女性向けのサラダレシピの試作があがってきた。もしお客の支持がえられれば、定番レシピに昇格のはこびとなるはずだ。
ビタミン豊富、便秘解消の食物繊維の働きが、うれしく心強い。おいしくて、おなかいっぱい食べながら、美しくやせられるのだ。評判になれば、うわさがうわさを呼んで、ご近所はおろか、キタ大阪市民の美容健康改善に大いに寄与することになるのだが。

投稿者 nansai : 13:41

2005年5月18日

五月十八日(水)

眼と花の世界。

ふとしたきっかけで、接写する魅力に、はまってしまった。

05051722.jpg

ぼくは、このごろ、にわかに、デジカメでの接写にこっている。花でも、皿でも、人形でも、何にでも、とことんレンズを近づけてクローズアップで撮ってみることにした。以前買ったデジカメをひっぱりだして、チューリップのマークに、ダイヤルをあわせる。

そこに、老いた目にはこれまで見えていなかった、深海のように新しい世界が開けていた。ピントの合わせ方ではよく失敗するが、デジカメはすぐやり直しがきくのがありがたい。
出不精のぼくとしては、カメラをぶらさげて遠くへ出かけなくても、机の周辺、棚のうえ、窓辺、部屋とか裏庭とか、ご近所、裏山、身近なところに、被写体がうようよ発見できるわけだ。クローズアップの世界は、被写体から五センチとか、一メートルていど、眼と鼻の距離だ。初心者のぼくの技術では、動物や昆虫なんかより、動かない植物や静物がおもしろい。

これは、昆虫採集や狩猟に似ている。
路上観察とかで、知らない街の路上へさまよいでて、被写体をきょろきょろ探しながら、撮るのも面白そうだが、これはこれで、究極の狭小なレンズの範囲に、広大な宇宙が広がっていたことを発見した。

つまり、カメラをかまえて、極限まで接近すると、被写体の、モノにまつわる思いもかけぬ「物語」がみえてくるのだ。だから、花なら花を接写すれば、だれが撮ってもまちがいなく同じように写るのだが、そこに自分だけの思い入れというか、「物語」を発見できるかどうかだ。



何十年も前に北欧で買った陶器のニワトリの首だけアップしてみると、これがいいかたちをしている。くちばしのさきが欠けていたりしていて、過ぎ去った年月を思い起こさせてくれる。愛知万博で買ってきたネパールの石版刷りした星占いカレンダー。三百円。接写すると、ファインダーいっぱいに、ウシやサカナや神様が現れるのを、シャッターぱちり。いくら撮ってもパソコンにいれておけば、かさばって整理にこまることがないのがいい。
小庭に植えようと妻が花屋で買って来た名も知らぬ小花。接写しようとレンズを近づけると、そこには無数のつぼみがびっしりつまっていた。ぼくの肉眼ではとうてい感知できない微妙精妙なデザインのデテールに気づく。きょう撮っておかなければ、明日は花が開いてしまい、まもなくしぼんでしまうだろう。

ぼくのくせで、これまで、カメラなど買っても、新機能がついていても、ややこしそうだと、使いこなすのは最初からあきらめてしまっていた。新しいものには目がないのに、くわずぎらいだった。取扱説明書と首っ引きしていると、メカに弱いから、こんぐらがってしまう。クローズアップや動画も、そうだった。
こんどは、わかりにくい取り説を我慢して読んでみたら、そこには、目のくらむような世界につながる新しいひろい道が開けていたのに、やっと気づいたわけだ。

05051730.jpg

投稿者 nansai : 13:18

2005年5月17日

五月十七日(火)

卓上瞬間湯沸し器

電気湯沸かし器はむかしからあったが、これは秀逸な出来だ。プラスチック製の一見ちゃちなつくりだが、このグッドデザインはフランスのTFAL、組み立ては中国。

05051720.jpg

価格が六千円ちょっと。しゃれたかたちは、いつもテーブルの上に出しっぱなしにできて、見た目にかさばらない。もちあげるとき、とても軽い。
お湯がほしいとき、その都度わかす。一人前一杯分、沸かす水の量がすくなくてすむのがいい。保温力はまったくゼロという、原点的な電気やかんである。取っ手の上部のボタンを押すと、コーヒー茶碗一杯の水が、数分もするとごとごと音を立てて沸騰する。せっかちなぼくは気に入っているのだ。

05051721.jpg

このごろは、日本茶、紅茶、ハーブティー、コーヒー、ココアと、卓上で、ぐらぐら沸騰したお湯を注いで淹れる飲み物が多様化してきたから、役立つ。いろんな飲み物をはしご飲み?したい向きにはおすすめだ。以前入院したとき使って具合がよかったので、そのまま引き続き愛用している。
レストランや喫茶店などでも、テーブルに一台ずつ置いたら、変わったサービスになるのではないか。飲みたいときにスイッチを入れると、目の前でお湯が沸騰する。運ばれてくる途中でさめた生ぬるいコーヒーや紅茶よりは、よほどましかもしれない。

投稿者 nansai : 11:01

2005年5月16日

五月十六日(月)

がんばれ交流戦05051714.jpg

やはり積年の遺恨もあって、他流試合は盛り上がる。
交流戦は、パリーグ勢のがんばりで、興行的には大当たりだ。タイガースも、「楽天」のおかげで、連勝できて、やれやれ一息つけた。助かりました。田尾さん。
ひところは、接戦で、よう負けていたが、今後だいじょうぶかなあ。貯金がふやせるはずの交流戦で、トラは、ロッテに歯がたたなかった。 
左打者がでてくると、判を押したように左投手を出して逆転という悪いパターンが続いていた。
なんでやろ?ピッチングコーチが反省していたが、責任は、ぼやくだけの監督にあると思うよ。

先日、東京系夕刊紙に気になる情報がのっていた。ロッテの強さは、バレンタイン監督が日本に持ち込んだ緻密なデータ野球だと、いうのだ。
「阪神に完封勝ちのロッテは、情報分析プロが徹底個別指導」と、夕刊紙は報じている。
その担い手が、統計アナリストのプボ氏。かれは、カウント別のヒットエンドラン成功率といった、すべてのプレーを客観的な確率として出すらしい。監督は、バントのサインを出すのは、何球目が確率がいいかを、試合中も、プボ氏と相談しているそうだ。

05051715.jpg

福原も、丸裸にされていた。左打者には外角は直球が多く、内角は変化球が多い。それも何パーセントといった具合で出して、打者に狙い球をしぼらせていた。データが書かれた用紙は、選手がわかりやすい棒グラフや円グラフでびっしり、見やすいカラーだ。バレンタイン監督はプボ氏のデータをもとにぎりぎりまで先発メンバーを熟考するそうな。

ふーん、そうだったのかあ。
ロッテ球団では、話題のベストセラー「マネーボール」に紹介されていたアスレチックス式のデータ野球が採用されているのだ。パソコンと首っ引きの専門のアナリストが、元選手の個人のカンに頼らず、偏見や思い込みを排して、厳密にデータにあたり判断するやりかただ。
アスレチックスの成功をみて、今はどこの球団でも、データ解析のためのデジタルに強い専門家を導入している。引き抜き合戦もさかんらしい。
「マネーボール 奇跡のチームをつくった男」(マイケル ルイス著)は、金がないチームが、金持ち球団に勝つ技術、という副題がついている快著だ。しかし、大阪の本屋では売れている気配はなかった。
アメリカでも、給料の高い有能選手は、日本と同じように、すべて金持ち球団がかかえこんでいる。緊急重版された腰巻コピーに、いわく、「プロ野球革命はこの本に学べ!ヤンキースを脅かす貧乏球団アスレッチックスの奇跡」。

05051716.jpg

そう、アスレチックスは、藪投手が入団した変わりもの球団だ。投資収益率が抜群によかった。ハーバード大出のアナリストは、野球は大好きだが、選手経験がないデジタルおたくだ。いっさいの既成概念を排して、データだけにもとづき、選手の評価基準を見直し、安くて有能な人材を発掘していった。ホームランや打率ではなく、OPSつまり出塁率プラス長打率を重視するのだ。この球団がドラフトやトレードで獲得した選手の大半は、古い野球観のせいで過小評価されていたプレーヤーだという。

05051717.jpg

過去の野球観にとらわれず、コンピューターで、実践的な勝利の方程式を発見してゆく。チームの勝利にとっては守備力より攻撃力がはるかに重大とかだ。勝つためには、四球を評価し盗塁は無意味だとしている。赤星の評価や、いかにだ。

05051718.jpg

さて、タイガースに、プボ氏はいるのだろうか。阪神の体質には、どうもあわないような気がする。
しかし、もう野村野球にはこりごりだろうが、カンだけでなく、徹底してデータにもとづくチーム作りは正しいのだ。
何年か前のサクセスストーリーだが、アスレチックスの奇跡は、研究してみる値打ちはあると思う。チーム内の抵抗勢力の反対は、シレツをきわめるだろうが。
万が一、デジトラ阪神が生まれたら、おもしろくなりそう。むかうところ敵なし。かな?

投稿者 nansai : 16:30

2005年5月 8日

五月八日(日)

05051706.jpg

「母の日」は、商魂から生まれたギフト売り出しデーだ。とはいえ、こんな機会に、カーネーションなんか買って、ふだん思っていても口に出せない感謝の気持ちがあらわせるのはいいことだ。

05051702.jpg

母への感謝をあらわす「母の日」は、国によって日が違うし、起源は、諸説ふんぷんだ。いつ、だれがきめたのだろう?
アメリカ版はこうだ。
もともとは、反戦の集いだった。南北戦争で息子を失った母親たちの平和の集いでの訴えだった。
千八百七十年、ボストンで平和主義者のジュリア ハウという女性が提案したと伝えられている。以降、「母の日」を認めさせようとする平和運動が続いたらしい。

05051703.jpg

千九百八年、グラフトンの小学校教師アンナ・ジャービスが、母親の三回忌に当たる五月八日に、「母の日」をつくって国中で祝うことを友人たちに提案した。母親自身「母の日」平和運動提唱者だった。五月十日に教会に407人の母子が集まり、最初の「母の日」を祝った。
集まった全員に母親が好きだった赤いカーネーションが配られた。年を追ってスポンサーがつくようになり、全米各州で認められ、1910年、ウイルソン大統領が、五月第二日曜日を「母の日」を公式行事とする法案にサインした。

05051704.jpg

いつの間にか、母の日には、カーネーションをつける風習ができた。母親が生きていれば、赤いカーネーションを、なくなっていれば、白をつけ、どちらか不明のときは、ピンクを。
で、世界中の花屋さんは、笑いがとまらない。

戦後の日本は、このアメリカ版「母の日」を輸入した。

05051705.jpg

しかし、このごろのご時世だ。死別や離婚などで、母親と一緒に暮らせない子どもも増えていることだろう。
アメリカのCNN放送では、母のない子たちを気遣って配慮を呼びかけていた。
母親を知らない子どもたちにとっては、「母の日」は、つらい憂鬱な日ではないだろうか。「ありがとう」といってあげる相手を、知らないのだから。
ちなみに、ここに、こどものタッチで描いた女の人は、いかにもお母さんらしい感じの、架空の女性である。

05051707.jpg

投稿者 nansai : 13:07

2005年5月 6日

五月六日(金)

JR事故、あとからあとから

同乗の二人の運転士が遭難現場をそのままに逃げたとか、当日の午後ボウリングを親睦会で楽しんだとか、JR西日本の不手際と混乱が、攻撃の標的になっている。
神戸の震災の教訓をふまえて、今回は、付近の人たちもみなが協力し合って、けが人の救出に協力した。と、その矢先の当事者たちの不心得、不手際である。現場の献花台に弔問に訪れた市民からは、とても同じ人間とは思えない、という意見が多い。

050506-bowl.jpg

しかし、である。JR西日本という企業は、いまの日本の縮図ではないだろうか。日本中の組織は、JR西日本に酷似している。大阪市役所や社会保険庁など、似たようなものだ。
細かく縦割りされた企業内部、政府、自治体、学校、病院に、組合組織がからむ。仲間のオキテ、互助システムを守ることが優先する。日本型のマフィアだね。より上位の価値判断は考慮されえないのである。郵政改革ひとつをとっても、あのように、自民党内で、紛糾するのだ。国益とか構造改革とか、大きな広い高い見地から判断し、議論することができにくくなくなっている。
今回は、電車区が、小さな宇宙だったのではないか。
その狭い組織の中での価値判断、制裁をともなう秩序、利益がなにものにも優先する。オキテを厳しく仲間内で守ろうとするのは、組織なるものの宿命でもある。昔の日本の軍隊の内務班組織のようだ。

050506-bowl.jpg

けっしてひとごとではない。つぎのような状況下で、あなたはどういう行動をえらぶだろうか。
家族や仲間でドライブ中に、高速道路上で人身事故で負傷者を目撃したとしよう。
家族、仲間との、次の予定があれば、かかわりになるのを避けて、横目でみながら事故現場をゆっくり通り過ぎるのがふつうだろう。「たいへんだ。ひどい事故だ。救急車がはやくくればいいのにねえ」といいながら。

まず、かかわりをいやがる。(この場合も、身近な組織内の仲間内や、顔見知りの近所、身内親戚は逃げられない。)つぎに、自分は手をくださずに、どこか分業化された専門の組織に転嫁する。こういう日常の流れになれていて、JRの電車区のひとたちの今回の不適切な行動となってバレてしまったのだろう。

050506-bowl.jpg

自分の組織に直接のかかわりはないという判断は下しやすいものだ。
いつもの踏切事故だという判断でボウリング親睦会が開かれたが、何人犠牲者が出れば、組織全体の共同責任とみなすのか。三人まではOK決行だが、十人以上はまずい、自粛して、中止。喪に服すということになるのか。
こんな緊急の際は、なによりも、トップのリーダーシップが問われるのだろう。組織のすみずみへの瞬時のコミュニケーション能力が問題である。
JR西日本のホームページをみてほしい。文字量が少ない。あまりに貧相かつ脆弱な内容だ。企業トップの必死かつ真摯な姿勢誠意を社内外に示すのに、これほど必須の媒体はほかにないのだ。
ケータイでは情報量もすくないし、トップの肉声迫力が伝わらない。ホームページへのトップの積極的参加は,JR西日本再建の第一歩だろう。

050506-bowl.jpg

とても、人ごととは思えないし、罵詈雑言をあびせている人たち全部に石を投げる資格があるとも思えない。
より上位の価値判断、お国のためとか、民主主義のため、愛国無罪とかを強調できるのは、9・11のような異常事態だ。戦争中は、日本中が、結束した。一億玉砕とか、国体を護持するためには最後のひとりになっても戦う決意を固めた。やりきれない状況だった。
しかし、今回のような事の善悪の判断については、まず、親のそだてかた教育だろう。
この手の企業の「良心」、サービスの精神は、企業の教育で学習する以外にない。国鉄マンとか、JRマンとかの矜持、良心は、終身雇用が維持されていたバブル崩壊までは、愛社精神と平行して存在したのではなかろうか。
マニュアルでは、その背後に流れる精神はつたわりにくいものだ。

050506-bowl.jpg

説話による伝承、物語は、一般のひとに理解しやすく伝わりやすい。因果応報を教える説話、エピソードが、つまり、ケーススタディが体系化、テキスト化され学習されるべきだろう。
そういえば、昨年のスマトラの津波のとき、イギリス人の小学校四年生がたまたま教科書で読んでいたので、周囲に通報して人名方助かったという美談を思い出した。。

狭い集団、電車区内のオキテに従うだけでは、ひろく人間としての信頼を勝ち得られないし、世間に対して企業の社会的責任をになうことはできない。
これは、企業だけでなく、政党にも、政府、各省庁、自治体にも、あてはまることだ。
くりかえしていうが、JR西日本は、今の日本の組織の縮図である。だれもがやりかねない。決してひと事とは思えないし、よってたかって石を投げてすむ問題ではなく、奥が深いように思われる。

投稿者 nansai : 14:22