2005年05月06日
五月六日(金)
JR事故、あとからあとから
同乗の二人の運転士が遭難現場をそのままに逃げたとか、当日の午後ボウリングを親睦会で楽しんだとか、JR西日本の不手際と混乱が、攻撃の標的になっている。
神戸の震災の教訓をふまえて、今回は、付近の人たちもみなが協力し合って、けが人の救出に協力した。と、その矢先の当事者たちの不心得、不手際である。現場の献花台に弔問に訪れた市民からは、とても同じ人間とは思えない、という意見が多い。

しかし、である。JR西日本という企業は、いまの日本の縮図ではないだろうか。日本中の組織は、JR西日本に酷似している。大阪市役所や社会保険庁など、似たようなものだ。
細かく縦割りされた企業内部、政府、自治体、学校、病院に、組合組織がからむ。仲間のオキテ、互助システムを守ることが優先する。日本型のマフィアだね。より上位の価値判断は考慮されえないのである。郵政改革ひとつをとっても、あのように、自民党内で、紛糾するのだ。国益とか構造改革とか、大きな広い高い見地から判断し、議論することができにくくなくなっている。
今回は、電車区が、小さな宇宙だったのではないか。
その狭い組織の中での価値判断、制裁をともなう秩序、利益がなにものにも優先する。オキテを厳しく仲間内で守ろうとするのは、組織なるものの宿命でもある。昔の日本の軍隊の内務班組織のようだ。

けっしてひとごとではない。つぎのような状況下で、あなたはどういう行動をえらぶだろうか。
家族や仲間でドライブ中に、高速道路上で人身事故で負傷者を目撃したとしよう。
家族、仲間との、次の予定があれば、かかわりになるのを避けて、横目でみながら事故現場をゆっくり通り過ぎるのがふつうだろう。「たいへんだ。ひどい事故だ。救急車がはやくくればいいのにねえ」といいながら。
まず、かかわりをいやがる。(この場合も、身近な組織内の仲間内や、顔見知りの近所、身内親戚は逃げられない。)つぎに、自分は手をくださずに、どこか分業化された専門の組織に転嫁する。こういう日常の流れになれていて、JRの電車区のひとたちの今回の不適切な行動となってバレてしまったのだろう。

自分の組織に直接のかかわりはないという判断は下しやすいものだ。
いつもの踏切事故だという判断でボウリング親睦会が開かれたが、何人犠牲者が出れば、組織全体の共同責任とみなすのか。三人まではOK決行だが、十人以上はまずい、自粛して、中止。喪に服すということになるのか。
こんな緊急の際は、なによりも、トップのリーダーシップが問われるのだろう。組織のすみずみへの瞬時のコミュニケーション能力が問題である。
JR西日本のホームページをみてほしい。文字量が少ない。あまりに貧相かつ脆弱な内容だ。企業トップの必死かつ真摯な姿勢誠意を社内外に示すのに、これほど必須の媒体はほかにないのだ。
ケータイでは情報量もすくないし、トップの肉声迫力が伝わらない。ホームページへのトップの積極的参加は,JR西日本再建の第一歩だろう。

とても、人ごととは思えないし、罵詈雑言をあびせている人たち全部に石を投げる資格があるとも思えない。
より上位の価値判断、お国のためとか、民主主義のため、愛国無罪とかを強調できるのは、9・11のような異常事態だ。戦争中は、日本中が、結束した。一億玉砕とか、国体を護持するためには最後のひとりになっても戦う決意を固めた。やりきれない状況だった。
しかし、今回のような事の善悪の判断については、まず、親のそだてかた教育だろう。
この手の企業の「良心」、サービスの精神は、企業の教育で学習する以外にない。国鉄マンとか、JRマンとかの矜持、良心は、終身雇用が維持されていたバブル崩壊までは、愛社精神と平行して存在したのではなかろうか。
マニュアルでは、その背後に流れる精神はつたわりにくいものだ。

説話による伝承、物語は、一般のひとに理解しやすく伝わりやすい。因果応報を教える説話、エピソードが、つまり、ケーススタディが体系化、テキスト化され学習されるべきだろう。
そういえば、昨年のスマトラの津波のとき、イギリス人の小学校四年生がたまたま教科書で読んでいたので、周囲に通報して人名方助かったという美談を思い出した。。
狭い集団、電車区内のオキテに従うだけでは、ひろく人間としての信頼を勝ち得られないし、世間に対して企業の社会的責任をになうことはできない。
これは、企業だけでなく、政党にも、政府、各省庁、自治体にも、あてはまることだ。
くりかえしていうが、JR西日本は、今の日本の組織の縮図である。だれもがやりかねない。決してひと事とは思えないし、よってたかって石を投げてすむ問題ではなく、奥が深いように思われる。
投稿者 nansai : 2005年05月06日 14:22


