2005年05月26日
五月二十六日(木)の三
愛知万博にいってきた。
バスツアーに便乗させてもらい、何の予備知識もなく、ガイドブックも持たずに、まる一日半、好天にめぐまれて、広い会場をテクテク徘徊した。
ぼくが見たこの万博は、二十一世紀の日本社会を象徴する万博のように思える。アリの大群のように会場に集まる人たちを眺めていると、この国で高齢化と少子化、それに、アジア化が、どのように進んでゆくかを教えてくれるだろう。
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平日だったので、家族連れは少ない。中高年の入場者がやたら多い。おばさんたちは、みな元気に帽子をかぶりリュックを背負っている。足が不自由なのか、杖をつく人が増えた。それに、目立つのが、車椅子に乗る人、押す人。きょうは、親孝行の日になるだろう。
それに、修学旅行の学生生徒たち。
善男善女の大群だ。
ぼくをふくめて、何を見ようという目的があるわけではないようだが、とにかく、広い敷地に、人がこんなに多く人が集まることはめでたい。そう、これこそ、祭りの原点だ。朝、ゲートから会場に小走りに向かうひとは、楽しそうだ。「もう、わたし、興奮してきたわ」と、はしやいでいる中年女性は、どこの館でもいいから整理券をもらうのだという。
さしたる理由もなく、大義をふりかざして、これほどのスケールのイベントをくりひろげられるカネを集める政治の力は、すごいし、こわい。
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たった一日ちょっとの感想だが、とりあえず感心したのは、会場の隅々に動員配置されたおびただしい人数の老若男女のボランティアパワーである。善意親切の人海戦術だ。
はるか離れた駐車場の整理係から、会場にあちこち置いてある八通りもの分別ゴミ箱の指導係りまで、いたれりつくせりで、親切だ。
帰りのバスの乗り場を忘れた。サハラ砂漠のような広大な駐車場で迷子になってしまった。若い案内係たちは、徘徊老人のぼくを、なにも手がかりを覚えていないのにあきれながらも、誘導してくれた。
巡礼の人たちを沿道の住人がこころをこめて接待するように、ここでは、何とかわが地元の催しを成功させようとするボランティアたちの気持ちがひしひしと伝わってくる。大阪万博の花は、パビリオンの美人ホステスだったが、愛知万博は、老若のボランティアたちだ。
さて、21世紀にもなって、これだけの巨費を投じた「万博」の意味とは、いったいなんだ、という基本的な議論はつくされているのだろうか。
万博の原型は、おそらく百年以上前のパリ博やロンドン博なのだろう。十九世紀から二十世紀の初頭は、科学技術の進歩が急に発展したが、それを訴えるコミュニケーションの手段が限られていた。壮麗な総ガラスのパビリオン水晶宮とか、鉄の壮大な建造物エッフェル塔など、民衆の度肝をぬいたし、啓蒙の意味があった。
当時のパビリオン様式、つまり、移動テント型のサーカスのような見世物小屋の原型が、百年たっても、進化していない。知識を伝える手段が、時代の進歩についてこれていない。あれから百年以上、二つの大戦を経て、馬車が自動車に、新幹線に、気球が、ジェット機に、変化したというのに。
いまのパビリオンは、江戸時代からの見世物小屋にひとしい。だが、なかでなにが見せられるのか、完全なブラックボックスだ。いうなれば、出し物を教えない、看板のない映画館である。それを、十重二十重に取り囲むアリのように待つことをいとわない観客がいる。顧客満足ゼロ。見せる内容も、どれほどの知識と感動をあたえられるのだろうか。
大きな小屋に、いり口があって、出口がある。その空洞のなかで、長蛇の列を作ってコンベアーのようにながれてくる千差万別の観客に、限られた時間内に、何を伝え印象づければよいのだろうか。「こんなに待たせて、腹がたつ。ひとをばかにしている。」などと思わない従順なタイプの日本人はまだまだ多数生き残っているようだ。
帰ってから、本屋で、公式ハンディブックを買った。どじな話だ。表紙に、「愛・地球博。」だじゃれみたいな愛称。その下に、英文では、小さく「自然の叡智」としるしてある。
ぼくは、万博にも、大義名分と、目的があると思うが、どうも、それは、まちがいらしい。会場内をうろうろ歩き回っただけでは、それはわからなかった。
思い起こせば、大成功とされている大阪万博の「人類の進歩と調和」という抽象的な概念も、なんのことやら空気のようで理解しようがなかった。
企画段階では議論の対象になっても、中身が具体的でないお題目は、通じない。具体的なものでしか、民衆は理解しない。つまり、見世物の内容だ。いわく、月の石、人間洗濯機。冷凍マンモス。
こんなものを見るために何時間も炎天下の戸外に並ぶ人たち。でも、それは、一生の思い出になるといわれれば、それはそれなりの意義があるだろう。
「虚飾の愛知万博 土建国家最後の祭典」という本を買った。非公式ガイドとうたっている。万博に行く前に読めばよかった。
万博プロヂューサーとして隠れもない堺屋氏は、万博は巨大なイベントで興行であり、エンターテインメントだといいきっているという。(続きは、後ほど)
投稿者 nansai : 2005年05月26日 15:55


