縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年6月30日

六月三十日(木)

鳥谷、ついに離陸
待ってました。二番にあがってからの鳥谷は、いい働きをしているぞ。急に本塁打が増え、いつのまにか打率も三割目前。ここぞというところで、結果を出している。守備も一皮向けたようだ。若さはすごいね。
もともと体も素質も備わっていた選手だが、英才教育が、阪神にしては、功を奏した珍しいケースだ。
このままぐんぐん上昇してゆけば、阪神は、一番から切れ目なく打線がつながり、優勝が見えてきた。
本人の英姿は、テレビでしか、みたことがないが、ぐんぐん急上昇する鳥谷の洋々たる前途を祝して、Tシャツのマークをデザインした。われながらいい出来だ。
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相撲取りなら、タニマチから化粧回しが贈られるところだが、Tシャツで勘弁してもらおう。がんばれ。

いいのかなあ、独走態勢とおだてられて?
よそがこけてくれるから、貯金が十三にふえたが、例年の夏の転落コースを乗り越えられるか。スポーツ紙によれば、「流れなんかすぐ変わる」イケイケでは勝てん!と岡田監督がゲキをとばしているとか。その通りだ。

投稿者 nansai : 16:00

2005年6月27日

六月二十五日(月)の二

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このごろ愉快なこと。阪神の勝ちかたがいい。
日経新聞に連載の野村元監督の「私の履歴書」は、なかなか読ませる。苦労人のかれの野球観が理解できて、抜群に面白い。南海時代からの積年のうらみつらみを、これほどあからさまに紙面にぶちまけた「私の履歴書」はかつてなかった。
阪神に招かれて、ブレーザー直伝のデータ野球が通じなくて不発に終わったことをくどくど甘やかされた選手のせいにするくだりと、甲子園の大声援下、今岡をはじめ、のびのびと連日戦っているいまの阪神状況との対比が、じつに面白い。

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覇気がないと二軍に落とした今岡のいまの働きは、納得が行かないらしい。「敗軍の将、兵を語らず」の逆を行く野村は、ユニークな人物だ。
ぼやきながらも野村元監督は、確かに阪神改革のタネはまいてくれた。
しかし、ヤクルト選手に比べて野球に対する姿勢が違うと酷評された阪神選手は、今岡選手会長以下、一丸となって、いまこそ、ヤクルトをこてんぱんにやっつけて、野村元監督をみかえしてやらねばなるまい。

投稿者 nansai : 17:50

六月二十五日(月)の一

今度のインド洋津波でなくなった日本人は、37人だったとNHKは大きく報じている。

60年前、太平洋戦争の末期、六月の沖縄で、何が起きたか。
非戦闘員のはずの県民二十万人のうち、十二万人が戦火に巻き込まれ戦場に散った。死ななくてもよい十二万人の人命が失われた。周りが海に囲まれた離れ島が、戦場となったからだ。空も海も敵に囲まれ、脱出不可能だった。
守ってくれるはずの軍隊は、島の奥地に撤収し、置き去りにされた。連合軍の激しい艦砲射撃に追い立てられ、洞窟に逃げ込んだ非戦闘員の村人たちに、手榴弾が渡された。集団自決用だった。

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当時、相手は、鬼畜米英だ。みなごろしにされる。生きて虜囚の辱めを受けるな、と、みな教え込まれていた。
NHKの番組「沖縄 よみがえる戦場〜読谷村民二千五百人が語る地上戦〜」で、凄惨な当時を知る生き残りの老人たちの証言を聞くことが出来る。真っ暗な壕のなかで、女性も子供も、円座になって手榴弾を爆発させて。命を絶ったと重い口を開いて高齢の生存者たちが証言している。ある村の村民は、米軍のスパイ村という理由で、日本軍(敗残兵でしかない)に連れ出され、幼子にいたるまで手榴弾で処刑されたという。
こうして、戦火に巻き込まれて命を落とした十二万人の沖縄県民は、靖国にはまつられていない。

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昭和二十年、沖縄は、本土決戦の捨石とされた。
国体を護持するための本土防備を調えるための時間稼ぎである。(ぼくも本土西部海岸で機関銃座のための穴掘り作業に駆り出されていた)。五月に同盟国のドイツが降伏した。八方塞りだ。食糧の補給路を断たれた軍隊は、戦えない。戦死ではなく餓死するしかない軍隊を、単なる精神論でアジア太平洋一円に配置した軍首脳部の無責任は、犯罪である。
どう見ても、戦争を維持不可能なことを知りながら、国体を護持するために、一億玉砕、本土決戦を叫び、ずるずる降伏が遅れた。国民の命よりも、国体護持が大事という選択だった。今の常識では信じられないが、当時は、陛下の「赤子」たちはそう信じさせられていた。
本土も焦土と化し、原爆の投下とソ連の参戦、満州北朝鮮からの悲惨な避難行を招いた戦争指導者の責任は重い。
結果責任として、十五年にわたる不毛な戦いで、三百万人の同胞が命を失ったのだ。アジアの戦争被害者は二千万人ともいわれている。
国家を率いた指導者たちは、日本国民に対して、謝罪していないのだ。
JR西日本の過失をあれほど言い立てる、今の風潮からすれば、いまいちど、史実に照らして、ぼくたち日本人が、誰がどういう理由で国を奈落のふちに落としたのか。歴史を総括せねばならない。六十年前、日本で何が起きていたのか。
NHKの「あの日―昭和二十年の記憶」は、必見の番組だ。

投稿者 nansai : 17:22

2005年6月16日

六月十六日(木)

さいきん、小泉首相以下政府要人たちが、「クールビズルック」とやらノーネクタイのシャツ姿で、省エネをPRしているとおぼしきシーンを、テレビでちょくちょく見る。
どう見ても似合わない閣僚たちの照れ笑いをみて、どことなくしっくりこないのは、なぜだろうと思っていた。
ニューズウイーク日本版のワグナー副編集長のコメントが傑作だ。
なぜ、ちっともクールでないのか、だらしくなくみえるのか。氏いわく、クールビズを着ている人は、ニュース映像でみる連行される容疑者そっくりなのだと。
かれは、ノータイは、いかがなものかという意見だ。
ネクタイが役に立たない衣料であることは認めるが、ウエスト周りが緩んだ中年男から取ってしまったら、どうにもしまらない。

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背広とネクタイが百年前からほとんどかわらないのには、理由がある。どんな男がどんなときに着ても、とりあえずさまになるからだ。以上が、ワグナー氏の意見。うーん、とりあえずか。洋服の本場の外人さんの説だからか、妙に説得力がある。

「クールビズ」が、環境省の提唱だったとは知らなかった。
このヘンな名称も公募したらしい。
室温28度のオフイスで快適に過ごすために、ノータイとノー上着でゆこうという趣旨という。
体感温度で2度の差があるそうだ。
自分が涼しいだけのためではない、エアコンの温度を下げすぎないようにして、無駄な電力を節約しよう、というところが省エネの眼目なのだ。二十八℃より部屋の温度を下げないという、数値目標が明示されているのは、大きな進歩だ。暑いだろうが。

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大昔、1961年にも、「ホンコンシャツ」つまり半そでワイシャツの普及キャンペーンがあった。あのときも、ノーネクタイで半そで開襟シャツだったかなあ。暑い日本の夏にテトロンなど新合成繊維を普及させるのが目的だった。

投稿者 nansai : 17:25

2005年6月15日

六月十五日(水)

「優先座席」とは、なんだろう。わかっていないか、わからないふりをしているのか。
満員電車の優先座席は、きょうも、寝たふりの三匹のメスたぬきによって占拠されている。みな、二十歳以下にみえる。べつに、かわゆくはみえない。
国際的にも珍しい、車中の奇癖「たぬき寝入り」をいったい誰が教えたのだろう。ときおり薄目を開けてあたりをうかがうが、すぐ目を閉じて、気持ちのよい既得権を守ろうとする。

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ときにアナウンスがあって、優先席は、その席を必要とされているお客様のために、リザーブされています、譲ってあげてほしいという趣旨が告げられる。ウマの耳に念仏とはこのことだ。
ケータイの使用は心臓の悪い人のペースメーカーに悪影響をもたらすからおやめくださいなどと、現実性のないメッセージを、無人の車中にアナウンスする無神経さもよくない。そんな人がどこにいるの、と無視されるくせをつけているようなものだ。
つり革につかまって立っている老人の眼の前の柱に譲ってあげてほしいと、表示してあるが、その真下の座席の目をつぶっているたぬきたちには見えない。
「女性、優先ではない、専用車」に、知らずに老人がまぎれこんだら、えらいことになるのだろうが。ぼくには試してみる勇気はない。

投稿者 nansai : 11:16

2005年6月14日

六月十四日(火)の二

最近、夫婦でスイスに行ってきた友人がいる。
この季節だと寒いくらいかと思ったら、あちらでは、氷河が溶けるとさわがれているほど暑かったらしい。マッターホルンなど、絵葉書でしか見られない風景が手に届くようなところにあるホテルで、ワインを飲みながら、うつらうつら昼寝をしたそうだ。あえて山に登ろうとしないのがいい。最高のぜいたくだねえ。

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ぼくも、先日クソ暑いさなか、愛知万博でうろうろ歩き回った。歩くアリの大群のひとりである。有名企業館は、どこもとてもはいれないから、人気のない、すぐはいれそうなパビリオンを狙うことになる。
スイス館のレストランは、がらがらだった。なかにはいると、張りぼてのアルプスの岩がおいてある。
そこで、ベンチに腰をおろし、本場ブランド(多分)のホットチョコレートをたのんだ。せっかくだがアルプスの清涼な気分は、張りぼての前ではちょっと味わえなかったなあ。
スイス館は、外壁に山という漢字が大書してあって日本人向けにアピールをつとめていたが、成果はどうだったのだろう。ぼくの印象だが、パビリオンは情報源としては空疎だ。それは大阪万博でも同じだった。
人ごみの熱気はある種の興奮を与えるかもしれないが、情報としては、ていねいにつくられたウエブサイトのほうが、急造パビリオンの掲示された情報よりも、よっぽど豊かでわかりやすいと思った。

ぼくは、はいらなかったが「スイス館の魅力」なる「十五分の体験ツアー」をWEBであとから読んだ。
「スイス館の使命は果たせるか」という早手まわしな記事ものっている。
自然と環境がテーマなのに、スイス館の山は非常に人工的にみえるとのきびしい評価も、正直にのせているのが、おもしろい。

画面に突然、みたことのないりっぱなパビリオンの写真が目にとびこんできた。なんと、三十五年前の大阪万博の折のスイス館だ。こんどのより、かなり立派だ。建物ではなく「木」という考えで建てられたという。
ぼくは、おぼえていない。
ビジターの長い行列をさけるための流れに配慮したそうな。


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パビリオンは、しょせん見世物小屋にすぎないのだが、主役のはずの見世物が判然としない、となると、情報もメッセージも発しないパビリオンは、たんに屋根つきの空洞である。

各国が万博に出展する際のわかりやすい使命は、やはり日本からの観光客誘致だろう。名古屋近辺のお年寄り富裕層に、ぜひ行ってみたいなあと思わせるのが、目的のはずだ。
そのためには、ちゃちな、といっても、大金が投じられているのだが、目立たないパビリオンだけでは情報発信力が弱い。どの国も、安上がりで効果的なインターネットの事前PRを活用したらいいのにと思う。会場にくる善男善女たちは、おそらく、他国のことは、まったくといってよいほど知らないのだから。

テレビやネットからの映像を、現場の大画面テレビとすなおにつなぎフルにいかすことだ。田舎から会場を訪れた人たちにもわかりやすい感動をあたえるような情報を伝えることに徹底すべきだと思う。パビリオンのなかは、あまりに巨大なテレビ画面よりも、60インチから100インチ程度の薄型テレビをふやすとよい。

投稿者 nansai : 17:00

六月十四日(火)の一

「菜の花畑に 入日薄れ、見渡す山の端 霞ふかし」
ぼくが、ただ一曲、二部合唱の上も下も、正しく!歌える小学唱歌である。「なのはーなばたけーの」からあとの文語調の歌詞の意味はほとんどわかっていなかった。
小学二年生のとき習ったのを、60年後のいまも覚えているのだから、教育というものは大事だ。

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国会に「菜の花議連」というのが、あるらしい。鈴木棟一の風雲永田町(夕刊フジ)によれば、各党から128人が集まっている。「菜の花の有するバイオマスエネルギーなどに着目し、これからのわが国社会のあり方を模索」(目的)すべく、まず議員会館のまわりの土手を菜の花で埋め尽くそうとしている。
かつて菜の花は日本の原風景としてどこにでもあり、25万へクタール、35万トンの油がつくられていた。
それが外国の安い大豆油、菜種油が入って作られなくなった。1000分の一の規模になってしまった。
田園風景から、菜の花畑が消えてしまったのは、由々しい問題だ。エネルギー問題の解決に役立つとは思えないが、菜の花で山間地の遊休地をうずめることができるという案には賛成だ。

投稿者 nansai : 10:10

2005年6月10日

六月十日(金)

遊びごとのようなお絵描きも、まだ始めたばかりだと思っていたら、いつの間にかもう七年目になっている。
ちなみに、37歳で夭折したゴッホの画業は、たった十年だったそうだ。すごいねえ。短いようで、十年という年月は、完全に燃焼すれば、あのようなエネルギーを創出するのだ。
こんなぼくにも絵を描けそうだと思ったのは、ある夏にパソコンのお絵描きソフト、ペイントと出会ったおかげだ。
以来、パソコンは上達しないが、ぼくも、けっこう長く 「絵のようなもの」を描いて、またもたと、楽しんでいる。

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幼稚園に上がる前の幼児が、ぶうぶうとひとりごとをいいながら、おもちゃの自動車を砂場で走らせているのと同じだ。ペイントで描くのは、自分の世界で、しょせん一人遊びだ。絵を描いているときのぼくのあたまのなかは、幼児にとっての砂場みたいなものだ。つぎは、何をして遊ぼうかなという、こどもっぽいひとりよがりのアイデアが勝手にわいてくる。

これは、寝ころがっている河童のつもりだ。実在しない動物だが、三頭身の頭でっかちに描いてみた。横長のパソコンの画面におさめやすいからだ。芋銭など古人は、こんな風には描いていない。

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ときどき、いいなあ、まねができない、ほんとうに、うまいなあと、しみじみ、見ほれるプロの絵に出合うことがある。アイデアがすごい、センスは天性のものかなあ、精進のたまものなのか、プロなんだから当たり前だが、あんな風な絵は、とても描けないと思う。
技と経験では到底かなうはずもないが、ずぶのシロウトが、めげてもしかたがない。
こちとらとしては、プロには、とても思いつかないドシロウトならではの視点が探せると思っている。下手でいい、下手がいいと慰められるが、それはまたべつだ。
シロウトなりに、誰も気づかないわき道、裏道、いろいろありそうだ。

テレビを見ながら思うのだが、お笑いの世界に突如湧いてくる若い素人のアイデアパワーは、たいしたものだ。既成の型にはまったプロには無理なユニークな切り口でつっこんできている。型破りは、アマチュアの特権かもしれぬ。これは新しいプロたちの誕生だな、と感心もし期待もしている。

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ところで、なまいきをいうようだが、お絵描きではシロウトのぼくが、プロに絶対に負けないとひそかに自負していることが、ひとつある。それは、即興描きのスピードだ。ウインドウズのペイントとマウスの組み合わせが必殺技だ。(プロの絵描きさんは、パソコンを使わない人が多いし、パソコンを使う人もほとんどがMAC派なのだ。いわんやオマケのペイントを使う人は皆無である。)

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うまい下手は別にして、そそくさと、あるアイデアを、かたちにして着色してプリントアウトして、またたくまに、一丁あがり。こんなことができるのは、僕が愛用するウインドウズの無料オマケソフト「ペイント」の実力である。
こんな一気早描きの、拙速パワーが、ぼくは気に入っている。こんな絵は、邪道なのかなあ。
でも、一気早描きには、いろんな可能性が秘められているように思うのだ。自分の描いた発想のつばさに乗って思わぬ世界に浮遊できるところが、自在なジャズ演奏に似ているとも考える。ぼくの場合は、残念だけど、からだをゆすりながら、ハモニカを吹くていどのテクニックしかないのだが。

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投稿者 nansai : 10:15

2005年6月 9日

六月九日(木)

思い立って草深い滋賀県の信楽を訪れたら、街じゅう、たぬきだらけだった。駅ホームから、国道沿いの陶芸店まで、大小のたぬき軍団を勢ぞろいさせている。
古くから縁起物で有名な超ロングセラーなのだが、どいつもこいつも、あまりに、画一的な顔なのでおどろいた。おびただしい数だが、よくみると基本形は、ワンパターンだ。どこにいっても、同じような顔つきのたぬきばかり。不気味なほど没個性の似たもの狸の大集団だ。おおげさにいうと、これは、日本文化特有の現象なのか。

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信楽の狸一号は、いつごろだれによってデザインされたのだろう。わからないという。むかし、オリジナルを考え出した作者のアイデアは、たいしたものだが、これから、世界を視野に思い切った新製品の誕生が待たれる。

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人口500万人の小国フィンランドは、デザイン立国が国是で、世界相手に商売してきた。
滋賀の山奥、信楽県立「陶芸の森」へいってきたのは、ちょうど開かれている「北欧のスタイリッシュ・デザイン―フィンランドのアラビア窯」で、現代フィンランド陶器の軌跡を探りたかったからだ。
フィンランドは、日本へも、ガラスや陶磁器など、高い水準のデザインの量産で、価格競争を回避しながら、愛知万博を機に攻勢をかけてきている。
デザインは、作家しだいである。北欧各国のガラス、陶磁器会社は、生き残るため、この百年の間に、ある時期、外国からデザイナーを招いて自由に競争させ、活路をひらき幾多の名作が生まれた。一国のデザインパワーを活性化するためには他国デザイナーとの交配・混血が必要だったのだ。
このようなアラビア窯のしたたかな革新の歴史は、信楽の窯元各社にも十分参考になるはずだが、果たして、地元ではどう受け止められたのだろう。

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ここ信楽の伝統たぬきは、ほうっておいても、縁起をかつぐみやげ物で売れているせいか、新しいデザインへの競争投資は見受けられないようだ。でんとあぐらをかいてはいないか。
視野を世界に広げ、思い切って賞金を弾んで、外国のデザイナーから、ざんしんなアイデアを募集してはどうだろうか。
いでよ、新しいたぬき、アフターたぬき。陶芸の里のスター誕生が期待されるところなのだが。
陶器には使えないが、ぼくもたぬきのスケッチをしてみた。かれが敷いているおおきな座布団状のものは、ごぞんじ八畳敷きのしろもの。マウスを動かして、一気描きの筆でゆっくり描いた。

投稿者 nansai : 10:23

2005年6月 7日

六月七日(火)

新聞はどこもとりあげていないが、六十年前のきょうは、第二回目の大阪大空襲の日だ。都島区は八割が被災、都島区の人口は12万4,565人から1万9720人に激減と伝えられている。「都島空襲を語る集い」が六月五日に開かれている。

昭和十九年から五十回も繰り返された空襲で、大阪府内の犠牲者は、約一万五千人にのぼった。被災家屋340,000戸、罹災者は120万人に達した。そのうち、昭和二十年三月十三日からの八回の空襲が、「大空襲」と呼ばれている。
三月十三日夜、B29超大型爆撃機約270機が大阪上空に飛来した。コウモリのように夜空を覆いつくす大型爆撃機の群れ。想像してみてほしい。約二千メートルの低空から、三時間半にわたり、大量の焼夷弾が落とされた。市街は焼き尽くされ、死者は4000人にのぼった。ほとんどが一般市民だが、痛ましい無差別戦略爆撃の標的となった。

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戦後に生まれた人たちは、高齢の口の重い生き残った人たちから聞き取り、インターネットなどで、この史実を確認し語り継ぐ義務があると思う。とくに、戦後生まれの政治家は、昭和六年からこの国やアジアで何が起きたのか、史実をぜひ検証してほしい。
靖国問題がかまびすしいが、歴史認識は、われわれ日本人自身の課題である。そもそも、昭和六年以降この間の戦争で、300万人の日本人、2000万人のアジアの人たちが、命を落とした、という歴史上の事実をあらためて認識することだ。それに日本がどうかかわったのかを、学校も教えてこなかった。長い間放置されたままで、大阪大空襲でなくなった人たちの名簿もまだ整理されていないという。
合祀とか分祀とかいわれるが、無差別戦略爆撃の標的とされて、非業の死を遂げた一般市民の御霊はどう祭られるのか。お国のために、また、戦局末期にいたずらに先延ばしされた指導者の決断のために、巻き添えを食って無言のまま「戦死」した大阪府民は、ああ、一万五千柱にのぼるのだ。それは、さきのJRの事故が百回起きたのより多い死者の数である。

当時、中学生だったぼくは、本州西部で、米軍上陸に備えて、兵隊さんと一緒に陣地構築に駆り出されていた。ぼくが描いた絵は、当時小学校一年生の佐藤泰正さんの「大阪大空襲を見た私」のなかのスケッチに基づいたもの。

「負けていたら、ぼくらは、戦争犯罪人だったな」と、後年、ベトナム戦時の国防長官マクナマラが回顧録の中で、ルメー将軍と語り合い述懐している。ルメーは、戦略爆撃の立案推進者で、マクナマラは当時の爆撃成果評価官だった。ルメー将軍は、のちに日本政府から旭日なんとか章を授与されている。

投稿者 nansai : 00:00

2005年6月 6日

六月六日(月)

ちょっと気が早いが、八軒家界隈からの夏の天神祭りの花火風景を描いてみた。

このアザラシのつぶらな瞳をのぞきこんでみてほしい。かれの目に映っているのは、打ち上げ花火の競演だ。遠い北の海から大阪湾に迷い込み、大川を遡上して、アザラシは、天神祭りの花火をきょとんと見上げているのだ。
じつは、この絵は、何年か前、評判になった多摩川のゴマアザラシ、タマちゃんの新聞写真を見てスケッチしたものだ。
そのアザラシの小さな瞳に、思いついて、花火を描き加えてみた。真っ黒な川面に映るのは、色とりどりの花火の反射。

これまでにマウスを動かして描き散らして、みそくそ、いろいろあるのを整理して、発想によっては、描き足してみるのはおもしろい。思わぬケッサクに化ける場合があるからだ。

例によって、ぼくのアイデアなるものは、へたなりの奇想天外が、モットーである。野球で言えば、落ちる球、変化球。ナックルなんか投げられたらいいねえ。
といっても、他人の目から見れば、ただのひとりよがりにすぎないのだが。そのギャップがまた面白く、自称アイデアマンの当人は、大満足なのだ。

しかし、ペンギンが空を飛ぶはずがない、「べつに、おもしろくもおかしくもない」と、南斎風アイデアはうけがわるい。

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上質!のユーモアは、家族を始め、まわりには伝わりにくいのが、つねである。とくに大阪風吉本タイプのどぎついお笑いの風土では、このような南斎路線は、あきまへんな。
天神さんのおひざもと天神橋あたりに、ワニとかアザラシが迷い込んできたという設定だ。おりしも、祭りで打ち上げられた花火の祭典に、ワニもアザラシも、川面から首をもたげて、びっくり仰天、目を白黒させているという場面。
多摩川や東京湾には、アザラシやクジラなどの珍客が海流に乗ってやってくる。大阪湾にもきてくれたっていいじゃないか。

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投稿者 nansai : 14:22

2005年6月 3日

六月三日(金)の三

ひさしぶりで上京して、都心の地下鉄に乗った。
駅頭と車中で見る限り、意外にも東京のビジネスマンは、からすの集団だった。おのぼりさんとしては、みな黒い背広を着ているのにたまげた。

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新人セールスマンたちのリクルートルックは当然として、老いも若きも、こぞってブラックスーツとは、どうしたことか。テレビでみると、内閣の皆さんが首相以下、似合わぬビズルックのファッションショーだ。
これから、お上の示唆どおり、ビルマやフィリピンのような省エネスタイルが、根付くのだろうか。忍者カラスルックとどうつながるのだろう。

ぼく思うに、ビジネスマン、営業担当者はいまのように競争がきびしいとき、忍者のような黒尽くめの衣装をえらぶようになっているのではないだろうか。いわば保護色ルックだ。
交渉相手に、違和感、つまり無用な警戒感を持たせないために、この物騒な世のなか、セキュリティの関門を通過できるルックが必要なのだろう。決して怪しいものでないという身分証明、アイデンティティが要求される。

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大企業勤務者には、首から下げるIDカードが支給されて、自分の身分が証明できる。巨大高層オフイスへはいろうとする外部者は、怪しい侵入者でないことを説明せねばならない。セキュリティの壁を潜り抜けるには、クールビズとか省エネなんかいってはいられないのだ。と、よそもののぼくなど考えてしまう。

最先端のスタイルは、ぼくの承知するところ、六本木ビル型のオフイスに登城する人たちのそれで、TシャツにIDカードを首からぶら下げるやつだ。

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つまるところ、ホリエモンルックなのかな。ところで、こんなTシャツはどう?バカみたい?そうだろう。

鍵は、セキュリティだ。よそものは、身分をIDで証明せねばならない。
IDカードをぶらさげている層は、Tシャツ着ていても仲間だ。ぶら下げていない層は、あやしいと認定されないように、省エネなんかくそくらえで、やむなく、真夏でも、黒いカラスルックということになるのかな。
政府がなんといおうと、クールならぬ暑い暑い、ホットビズか。競争はきびしいからなあ。

投稿者 nansai : 20:24

六月三日(金)の二

JRや地下鉄など、駅の乗客向け表示お知らせや警告をみるのが、好きである。駅ごとに、いろんな工夫をしている。なかには、なりふりかまわず、手書きでセロハンテープ止めも多い。

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「駆け込み乗車はおやめください。」「閉まるドアに注意、指詰めに気をつけてください」とか、エレベータのなかでペットに糞をさせるな、大きな文字でトイレの位置を知らせる「女性用」「男性用」など、コマーシャルと違い緊急な切実なおしらせばかりだ。イラストをつかったり、遠くから目立つよう、わかりやすく、時には、駅長名で、怒りもあらわに、と苦心さんたん、創意工夫をしている。どこそこへ行くのはどう行くのか、同じ質問が一日、何百回とよせられるのに、うんざりしたさまが、よくわかるのもある。苦労のかいあって、成功したのあり、失敗におわったのあり、いろいろだ。プロに頼んでこぎれいにデザインされたのに失敗作が、見受けられる。
がんばってほしい。頼まれてもいないが、一乗客のぼくも、このような駅ナカ表示のアイデアを勝手に考えてみている。たとえば、若者がまったく無視している優先席。あの表示は、いったいなんだなどと、フンガイしながら。

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「発車間際の駆け込み乗車は、大変に危険です。絶対におやめください。駅長」
どこの駅にも、かならず、こういった張り紙がテープでとめてある。
「重大な事故につながる恐れがありますから、絶対におやめください」とも。

先日、それを、やってしまった。
夕方、新幹線に乗るのに、珍しく定刻かなり前に、ホームに上がった。ゆうゆうゆとりをもって、新聞と飲み物を買い、座席番号を確かめてどっかりと腰を下ろして、さてと新聞を読み始めると、どうもアナウンスから流れる停車駅が、違うようだ。
あわてて左側ホームをみると、まさにわが「のぞみ」が発車せんとするところ。泡を食って、飲みかけのビールはそのままに、網棚から荷物をひっつかんだ。
あたふたとホームを横切って、滑り込み乗車、あやうくセーフ。やれやれである。ああ、しんど。
どじだ。べつに急ぐ旅じゃなし。乗り遅れたってたっていいのに。
どうして、とっさの場合、こんなにワーキングメモリーが混乱するのか、ケイケンが何の役にも立たぬことは、わがバンカーショットをみてもあきらかである。

投稿者 nansai : 19:14

六月三日(金)の一

卑怯なり。大阪のスポーツ新聞一面は、「阪神三連敗」を避けて、貴乃花の葬儀と一家の確執の特集で逃げた。
ふたりのエースは、将棋でいえば、飛車と角だ。大量点を献上して、あっさり壊滅した。井川は二軍落ち。
ヒットは仕方がないとして、ホームランだけは避けたいとき、打たれない配球は、頭を使えばできるのでは?

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コントロールの怪しいエースをどう投げさせるか、かわさずに、向かっていって、打てるところに球を置きにゆき、いたい目にあった。コーチと捕手の責任もありそうだ。
首位奪回は、クールにアタマを使って、データを読んで。

投稿者 nansai : 18:10| コメント (0)

2005年6月 1日

六月一日(水)

きょうは、いい日だった。
夕方ののぞみに乗るのに時間があったので、ひところ騒がれたコレド日本橋に始めて寄って見た。三階のスカンジナビア商品の美しく飾られてはいるけれど、人気のないフロアをぼんやり覗いていたら、フィンランドのガラスの鳥の展覧会をしているから見ていきませんか、と声をかけられた。
会場のさらに奥まった隅っこで、十脚ほどのいすが置いてあり、スライドショーがはじまっていた。

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白髪の大きな白人の爺さんが、小さないすにちょこんと座り、たどたどしい英語で、とつとつと、作品の解説をしている。十人に満たない聴衆は女性がほとんど。途中で靴音高く出てゆくのもいる。
解説の白髪老人はとみれば、こはいかに。ぼくが長年フアンとして尊敬していたオイヴァ トイッカさん本人ではないか。
ぼくも写真でしか知らない、知る人ぞ知るフィンランドのガラスアートの巨匠だ。トイッカの鳥シリーズは、世界的に高い評価を受けている。いまちょうど松屋でも展覧会が開かれている。
パンフレットには、トイッカ氏は、一風変わった作品で知られ、と紹介されてあるが、ユーモアセンスのないたわごとである。

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初めてお目にかかったが、あとのサイン会でサインしてもらい、ヨンさまに熱狂する中年のご婦人のファン心理が理解できた。日本のトキをかたどった作品が、今回10個限りの限定品ですと、女子店員が耳元でささやく。すすめられるまま夢見心地で、トキ一羽、大奮発。ガラスの脚の裏と箱にサインしてもらった。ぼくのおタカラだ。
トイッカさんは、1931年うまれだから、ぼくと同年輩だ。最近は工房生産が軌道に乗ったのか、作品の種類も増え、ぼくのようなプアーなコレクターにも手に入れやすくなった。
きょう偶然にひやかした店の名の「セレンディピティ」は、字引には、(偶然に)モノをうまく見つけ出す能力、掘り出し上手、または、幸運とある。よかった。

投稿者 nansai : 16:32