縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年6月27日

六月二十五日(月)の一

今度のインド洋津波でなくなった日本人は、37人だったとNHKは大きく報じている。

60年前、太平洋戦争の末期、六月の沖縄で、何が起きたか。
非戦闘員のはずの県民二十万人のうち、十二万人が戦火に巻き込まれ戦場に散った。死ななくてもよい十二万人の人命が失われた。周りが海に囲まれた離れ島が、戦場となったからだ。空も海も敵に囲まれ、脱出不可能だった。
守ってくれるはずの軍隊は、島の奥地に撤収し、置き去りにされた。連合軍の激しい艦砲射撃に追い立てられ、洞窟に逃げ込んだ非戦闘員の村人たちに、手榴弾が渡された。集団自決用だった。

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当時、相手は、鬼畜米英だ。みなごろしにされる。生きて虜囚の辱めを受けるな、と、みな教え込まれていた。
NHKの番組「沖縄 よみがえる戦場〜読谷村民二千五百人が語る地上戦〜」で、凄惨な当時を知る生き残りの老人たちの証言を聞くことが出来る。真っ暗な壕のなかで、女性も子供も、円座になって手榴弾を爆発させて。命を絶ったと重い口を開いて高齢の生存者たちが証言している。ある村の村民は、米軍のスパイ村という理由で、日本軍(敗残兵でしかない)に連れ出され、幼子にいたるまで手榴弾で処刑されたという。
こうして、戦火に巻き込まれて命を落とした十二万人の沖縄県民は、靖国にはまつられていない。

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昭和二十年、沖縄は、本土決戦の捨石とされた。
国体を護持するための本土防備を調えるための時間稼ぎである。(ぼくも本土西部海岸で機関銃座のための穴掘り作業に駆り出されていた)。五月に同盟国のドイツが降伏した。八方塞りだ。食糧の補給路を断たれた軍隊は、戦えない。戦死ではなく餓死するしかない軍隊を、単なる精神論でアジア太平洋一円に配置した軍首脳部の無責任は、犯罪である。
どう見ても、戦争を維持不可能なことを知りながら、国体を護持するために、一億玉砕、本土決戦を叫び、ずるずる降伏が遅れた。国民の命よりも、国体護持が大事という選択だった。今の常識では信じられないが、当時は、陛下の「赤子」たちはそう信じさせられていた。
本土も焦土と化し、原爆の投下とソ連の参戦、満州北朝鮮からの悲惨な避難行を招いた戦争指導者の責任は重い。
結果責任として、十五年にわたる不毛な戦いで、三百万人の同胞が命を失ったのだ。アジアの戦争被害者は二千万人ともいわれている。
国家を率いた指導者たちは、日本国民に対して、謝罪していないのだ。
JR西日本の過失をあれほど言い立てる、今の風潮からすれば、いまいちど、史実に照らして、ぼくたち日本人が、誰がどういう理由で国を奈落のふちに落としたのか。歴史を総括せねばならない。六十年前、日本で何が起きていたのか。
NHKの「あの日―昭和二十年の記憶」は、必見の番組だ。

投稿者 nansai : 2005年6月27日 17:22