縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年07月11日

七月七日(木)

七月七日は、何の日かと問うと、たいていの人は七夕の日と答える。
その日こそ、日本を破滅のふちに追いやった太平洋戦争の糸口となった中日戦争が、始まった日なのである。
盧溝橋は、別名マルコポーロ橋、北京の南西郊外にある全長二百七十bの美しい橋である。欄干には500ものライオンの石像がきざまれている。

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1937年(昭和12年)七月七日から八日にかけて、この橋の近くで起きた小競り合いの武力衝突が、日中全面戦争につながっていった。いわゆる盧溝橋事件である。
日本の新聞は、この日の史実をほとんど報じていない。コラムニストが、数行ふれているだけだ。現地の盧溝橋では、記念館が改装されたそうだ。
ネット百科事典でしらべてみよう。日本語版英語版の情報量の差は、段違いだ。これは、どうしたことだろう。
なにが起きたのか。史実の認識は、たいせつである。そもそも、当時、なぜ日本の軍隊が、北京周辺の中国軍の兵営の近くで、演習をしていたのだろうか。

中国大陸での一連の武力紛争を、ぼくらは、「支那事変」と教えられていた。大義は、東洋平和のはずだったのに。
「東洋平和のためならば、なんの命が惜しかろう」
と、小学生のぼくらも、軍歌を歌った。

わが大君に召されたる
生命栄えある朝ぼらけ
たたえて送る一億の
歓呼は高く天を衝く
いざ征け つわもの日本男児

この歌のメロディーは、まったく脈絡なく、ふとしたときに、いまも口をついてでてくる。前線の兵士に「銃後」のぼくらは、ヘイタイサン、アリガトウと、慰問文を書いた。

「肩を並べて兄さんと
きょうも学校にゆけるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために戦った
兵隊さんのおかげです」
幼いからだをゆすってリズムをとりながら歌った。はずむようなメロディーは、いまも耳に残る。

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小学生のぼくらは、授業を中断し、引率されて沿道に整列した。小旗を振って出征兵士を送り、白い箱にいれられた英霊の物言わぬ凱旋を出迎えるためだ。南京陥落はちょうちん行列で祝ったらしいが、よく覚えていない。
戦争のような、そうでないような、不拡大方針といいつつ、ベトナムのような泥沼の戦いとなった。退くに退けぬ状況は、大義を疑うこともない国民には、知らされていなかった。

四年後の昭和16年、アメリカは、ハル通告で北支からの撤兵をせまってきた。だが、陸軍は、あれほどの尊い犠牲を出して、いまさら兵をひくことはできないとつっぱねた。こんどは、政府は、米英に宣戦を布告し、「大東亜戦争」という、市民をも巻き添えにした「総力戦」につっこんでゆくことになった。直前の戦力比較シミュレーションで得た、どうみても成算のない数字を無視しての、無謀な宣戦だった・

結果は、国中が焦土と化し、かけがえのない300万人の同胞の命と、海外植民地のすべてを失うことになった。また、この戦争にまきこまれたアジア各地の人たちの犠牲については、天文学的数字が出されている。

投稿者 nansai : 2005年07月11日 18:19

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