2005年09月07日
九月七日(水)
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いつの時代でも、大きくなったら、なにになりたい?とおとながきく。
昭和のひとけたの、ぼくの小さかった頃の童謡。
ぼくは軍人大好きよ、
いまに大きくなったなら、
勲章つけて、剣下げて、
お馬に乗って、
はい どう どう
「将来」とは、まさに来たらんとする、「未来」とは、いまだ来たらざる、ということだろう。
そして、大きくなった、ぼくら年老いたものにとって、それは、遠くにあって、さしてまぶしいものではなく、ごく手近かなふつうの日々のことになった。若いときに感じた不安やおそれも、そして、夢も希望も、いまさら、どうってことはないという、諦めか悟りに似た境地で、日々生きていける。
日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ
藤沢周平は、隠居した三屋清左衛門に、こういわせている。
かれの日記に「残日録」と名づけたゆえんをきかれて、日が沈むまでには、まだ時間があるだろうからという意だとこたえている。別に数えようということではないとも。
老人にとって「未来」はあるか、という設問にふさわしい絵を、さてと、ぼくの描きさしアーカイブのなかから、さがしてみた。はかなくマジックが点滅する近未来だ。
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投稿者 nansai : 2005年09月07日 15:56


