縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2005年9月18日

九月十八日(日)

ヤクルト戦

05092601.jpg

何十年ぶりかで、超満員の甲子園球場で野球を観戦した。
土曜日の、阪神ヤクルト戦。全席売り切れのプラチナカードが、ひょんなことで手に入った。なんでも、切符の持ち主が仕事でいけなくなったとかで、すみませんねえ、と、ありがたく押し頂いたもの。
鉄傘の下のイエローシートは、一塁側のいい席だ。雨が降っても、傘いらずはありがたい。

このごろ、阪神は、若手のエースがよく打たれる。この日も、はたせるかな、福原投手が打たれて、打線は、ゴンザレスというぼくのしらない投手に手もなくひねられてしまった。
甲子園にはドレスコードがあるらしく、ちいさいこども、おばさんも、若い女性も、ピンクや黄色のユニホームを着て二本の応援棒が標準装備だ。お客は、観戦というより、応援パフォーマンスが目的だ。
ここは、猛虎教団の、お祭り広場なのだ。

ユニホームを着ていなければ、雰囲気に乗り切れない感じだ。阿波踊りで、そろいの浴衣を着ていないと、よそものとみられてしまうのと同じ。阪神百貨店のグーズ売り場でなくても、甲子園駅前の土産物屋でも売っている。
05092602.jpg


無気力な凡戦にもかかわらず内野席のタイガースファンは寛容でおとなしい。罵声をはりあげることもなく、静かにみている。
たまにヒットが出ると、大げさに、ワーッと拍手する。
それも、手をたたくのではなく、応援棒というプラスチックの棒をいっせいに、かちゃかちゃ打ち鳴らすのだ。
ぼくはそんなものは持ってないから、おずおずと手をたたくことになる。クラシックの演奏会にまぎれこんだみたいだ。

試合をみながら、妙なことに気がついた。
思えば、ぼくは、野球やスポーツを、テレビの前に陣取って、テレビドラマとしてみていたのだ。すなわち、望遠レンズでひきつけて、打者や投手の選手の表情やベース上のクロスプレー、ベンチの中の監督のしぐさなどを、クローズアップで手に取るようにみて、ぼくは一喜一憂する。野球のテレビ中継は、心理ドラマの野外劇場だ。監督や選手の一挙手一投足に、嘆き、ぼやき、みていられなくて席をはずし(ぼくならずとも阪神ファンには気の弱い人が多い)逆転などしようものなら、興奮して拍手する。
05092603.jpg

ところが、信者たち総立ち超満員の現場で観戦すると、信仰の薄いぼくなどは、間が持てない。居場所がない気がする。
ビールいかがですかあ、の売り声や周りのファンたちの応援情景は間近でアップでみれるが、くりひろげられるゲーム自体は、遠くの風景をガラス越しにみているような感じを受けた。臨場感の迫力よりも、むしろ距離をおいて他人事のようにみてしまうのがフシギだ。阪神ファンだが、狂信的熱狂度の低いぼくだけの印象だろうか。せっかく甲子園にいながら、もったいない、バチがあたる。

打ち取られた打者のいかにも無念そうな面持ち、ピンチに強打者を三振させた投手の小さなガッツポーズ。
テレビ画面なら、視線を釘付けにしてぼくは見逃さない。なに、テレビカメラが、先回りしてぼくらの視線をそこに誘導しているのだが。
球場を埋めつくした観客四万七千人がどよめき、照明で赤々照らし出された球場の隅にぽつんと座っていると、テレビではおなじみのそんな詳細な情報は、みえてこない。頼りは、やはり電光掲示板。ストライク、ボール、アウト、打率を確かめる。
そういえば、阪神を手玉にとったヤクルトのゴンザレス投手が、どんな球種を持ち、どんな顔をした選手なのかわからずじまいだった。

虚虚実実、はたして、なにが虚で、なにが実か。
いつのまにか、テレビの味つけになれてしまったぼくは、球場でのほんとの試合よりも、ブラウン管を通して演じられる中継ドラマのほうが、どきどきはらはら、感じられるようになってしまった。田舎のおふくろの手料理よりも、コンビニで買うカップラーメンのほうがうまいと思ってしまうのと同じだろうか。
05092604.jpg

応援が楽しい。パフォーマンスで目立ちたい。ぼろ負けしても、六甲颪(おろし)を歌うまで、帰らない。甲子園では、タイガースファンたちは、若者もおばちゃんも、ユニホームを着込んで、屈託がなく、うれしそうだ。
案外ドライでもある。
ぼくの席の前に座っていた二人連れのOLは、おそろいのユニホーム姿で応援棒を振り回していたが、敗色濃厚になった八回には、ケータイで笑いながら話しつつ、そそくさと姿を消した。

野球の楽しみかたも多様化したものだ。
「なんや、井川も福原もぴりっとせんなあ」、など、負け試合の中身内容に、うじうじこだわるのは、おそらくぼくら古いタイプのおっさんファンだけなのだろう。

投稿者 nansai : 2005年9月18日 17:38