2005年12月08日
十二月八日(木)
「大東亜戦争」開戦の日
昭和十六年十二月八日払暁、ハワイ真珠湾で、空母から飛び立った日本の雷撃機が、まさに戦艦アリゾナにむかて魚雷を投下しようとしている。あれから、半世紀あまりの歳月が流れた。
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今年も、きょう、また「大東亜戦争」開戦記念日がやってきた。日本が、ハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争の火蓋が切って落とされた日である。
その日から数えて、空襲で本土が焦土と化し、外地の植民地をすべて失い、300万人以上の同胞が命を落として、敗戦するまで、わずか、三年足らずのことだった。終戦の日、ぼくは、中学二年生になっていて、本土決戦に備えて海岸陣地の穴掘りの手伝いをしていた。
米英と戦争を始めたことを、小学校4年生だったぼくは、朝礼で校長から説明された。子供心にも大変なことになったと思った。
わが国は、ABCD包囲網に囲まれて隠忍自重の末、ついに堪忍袋の緒がきれて、やむなく立ち上がったのだと教えられた。
小学校でも、この戦争は、欧米列強の植民地支配からアジアを開放する東洋平和のための、正義の戦いだ、とたたきこまれた。聖戦である。
わが軍は、かしこくも天皇の統率し給う「皇軍」であり、われわれ国民は、天皇陛下の赤子であり、戦いにのぞんでは、天皇をお守りする「シコ」(自分を醜いとへりくだって言う意味)のミタテ(盾)であるとし、大君のそばで死のう、かえりみることはないと「海行かば」を歌った。日本語では聞きなれない文言は、みな万葉集や古事記からとったボキャブラリーだ。
「ミタミワレ、イケルシルシアリ、アメツチノ、」栄えるときにめぐり合わせた、ぼくらはどんなに幸せなことかと、すらすらと「小国民」は唱えたものだ。独裁者に感謝する北朝鮮のいまとかわるところはない。
戦時中、たしか毎月八日が、「大詔奉戴日」と定められた。大詔、つまり天皇のくだした宣戦の詔勅をかしこみ戴いて、戦争への決意を新たにする日というわけだ。
なぜか、毎年、日本のマスコミは、八月十五日はとりあげても、ほとんど、この日について口を閉ざして語ろうとしなかった。若い世代は、近代の歴史認識がないに等しい。靖国問題もくすぶり続けている。
ことしは、戦後60年、戦争を引き起こした日本人が総括してしかるべき節目の年である。
しかし、ことしも、大新聞で「開戦の日」をとりあげたのは、朝日新聞の社説と天声人語だけであった。NHKは、昨夜の「そのとき歴史は動いた」で、真珠湾攻撃と山本五十六を、二晩特集した。
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奇襲攻撃を受け大損害を出した当時のルーズベルト大統領は、烈火のごとく怒り、かつ恥じて、この日を「ザ デイ オブ インファミイ(屈辱の日)」と呼んだ。「リメンバー パールハーバー」が高らかに叫ばれ、米国民の戦意を高揚した。
真珠湾では、沈没した戦艦アリゾナの海上記念館では、当時の生き残り兵士が集まり記念式典が行われる。何も知らない日本の若い観光客が遠巻きにして眺めている奇妙な風景。
真珠湾攻撃や戦艦アリゾナについてのウェブサイトは、現在、グーグル上でも、9百万を優に超えるおびただしい数だ。永遠に語り継ぐべき一部始終を物語る資料が、アーカイブされている。ルーズベルトの演説も、なまの音声が聞ける。真珠湾に沈んでいる戦艦アリゾナからは、六十年以上たったいまも、重油のあぶくが浮いてくると、ウエブサイトは語っている。この日の卑怯な不意打ちを、当事者たちは、決して忘れないと誓っているかのようだ。「ザ デイオブ インファミイ」は、9・11の際、また引き合いに出された。あのとき、アメリカ人に真珠湾を思い出させたのだ。
はたせるかな、開戦後、しばらくは勝った勝った、と元気がよかったが、まもなく制空権を奪われ、連合艦隊も壊滅し補給路を断たれては、戦う前に餓え、万事窮した。情報戦でも歯が立たず、太平洋海域全線で敗退した。物量で負けても精神力で勝つといきまいたが、神風特攻も有為の若い命をむなしく散らせただけにおわった。
昨夜のNHK『そのとき歴史は』でも、真珠湾の奇襲で成功した山本五十六は、入念な演習を行い秘策を練ったが、最後まで開戦には反対だったという。しかし、事前に戦いの成算をきかれ、『半年は暴れてみせますが、あとは』大君のために死ぬだけだという趣旨の歌を残していたそうだ。意外だった。
戦いに利あらずとみて、山本は、最後は前線に死地をもとめ、ニューギニア上空で戦死するのだが、次々に倒れてゆく部下に顔向けできないだけでなく、近代の総力戦で惨敗したときの国民の犠牲を思えば、それを潔さとはいえないと思った。もはや戦争に美学はない。
この国では、後世に、史実はきちんと伝えられているのだろうか。歴史から学ぼうとしているとは、とうてい思えない。
「ウイキペディア」という一般からも書き加えられる自由編集のネット百科辞典がある。太平洋戦争や真珠湾攻撃については、英語版では客観的にみて史実が豊富かつ克明に説明されている。日本語版は、なぜか、編集不能の状況で、内容も貧困で、文字数もきわめて少ない。
大戦の評価をめぐって、もめているのだろうか。
ネット上の海外の膨大な史実を垣間見て、ぼくは、昭和六年から、昭和十六年までの、日本が大陸進出した国策の是非を、日本国民は学習し冷静に総括すべきだと思う。どちらの立場にたっても、正義など怪しいかもしれないが、冷厳な史実はふまえて、議論すべきであろう。
日本だけでも、三百万人以上の尊い人命(アジア全域では二千万人以上といわれている)を担保に入れた、「正義の戦い」など、許されるはずがない。
忠義とか国体とか、生きて虜囚の辱めを受くことなかれ、に代表される、軍人勅諭的価値観により、軍人だけでなく、死ななくてもよかった民間人の命が奪われたのだ。国家神道をよりどころにした大戦中のあの心理状況は、どこか、現在なんらかの原理主義を奉じている国々と共通したところがある。
なぜ、こんな恐ろしい間違いを起こしたのか。
われわれは歴史を学習したか。きょう開戦記念日から、なにか教訓を学び取り、後世に伝えることができるだろうか。
これほど甚大な結果をもたらす、将来のリスクをまったく読もうとしなかった国家指導者の罪は、重く、深い。
当時、戦争を指導立案した軍部が、同盟国ナチスドイツの勝利を過信したことも、開戦の理由のひとつだという説もある。そのときすでにドイツ軍はスターリングラードで壊滅していたのにである。やりきれない。
昭和二十年、頼みのドイツが降伏し首都が陥落しても、なお、本土決戦、一億玉砕を叫び、陣地の穴を掘り、竹槍で一人一殺の訓練をさせた。国体の護持でもめ、降伏を逡巡し先延ばししているうちに、空襲、原爆でさらなる犠牲が出た。米英との和平の斡旋を、相手もあろうに、ソ連のスターリンに託したのだ。
ことしも、日本のジャーナリズムのほとんどは、「開戦の日」の持つ意義についてふれなかった。残念である。靖国問題は、さまざまな感情の気流に煽られて、当分浮遊を続けるだろう。
投稿者 nansai : 2005年12月08日 14:07


