縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年1月26日

一月二十六日(木)の二

赤い実を食べる野鳥がこない。
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気になる話をきいた。
昨日、出入りの植木屋さんがぶらっと訪れて、ピラカンの赤い実がぎっしり鈴なりのわが家の庭をみて家内にいったそうだ。
「ここもですか?今年は、南天やピラカンの赤い実が、どこの庭でも残っていますよ。この時期、いつもはヒヨなど野鳥がついばんで、あっという間に、食べつくされてしまうのに。今年は、おかしい。」
それはへんだなあ、まさか、トリインフルエンザの影響じゃないだろうなと家内と話していたら、今朝の新聞に、
「野鳥の姿見ず、なんでだろう」
という投書がのっていて、どきっとした。それは、
福井県の七十六歳の神職の方から寄せられたものだ。
その方の庭には、ナンテンの木が多く、真っ赤な実をつけている。マンリョウ、センリョウの実も雪とのコントラストであざやかだ。ところが、

「今冬は、これらの木に一羽の野鳥もみかけない。
いつもの年ならあっという間にたべつくされてしまうのだが、こんなことは、私の知る限りはじめてだ。なぜなのか。ほかのところではどうなのだろうか。」
と心配されている。野鳥だけでなく、サルやイノシシも昨秋から姿をみせていない。何かの異変ではないかとも。
なんでだろう。

投稿者 nansai : 18:07

一月二十六日(木)

「とりンピック」だ。鶏で勝負だ。

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いよいよ来月は、イタリアのトリノで冬季オリンピックが開かれる。せっかくのチャンスに、なんとか、あやからなくてはと、張り切っているのが、隣のイタ飯レストラン「マリアン」の店主だ。
何しろ当店の心のふるさとが、トリノなのである。
イタリア料理のメッカ、トスカーニ地方の都市、トリノ。この町こそ、かれが信奉している「スローフード」運動の本拠地である。当店自慢のイタリアンコーヒーも、じつはトリノの有名ブランド「LAVAZZA」なのだ。(といっても、近所のだれも知らない)

ここら界隈では、イタリア国旗を掲げた料理店がやたらに多い。競争はシレツをきわめている。オリンピックをにらみ、他店にさきがけて、当店も新メニューを開発せねばならない。
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店主は、あるアイデアを思いついた。「スローフード」は、地元で手にはいる安全な食材を調理する。ならば、トリノにちなんで、そうだ、鳥だ。地鶏だ。うまくて、からだによい地元の食材 。「トリンピック料理」でいこうということに決定。

いいしゃれは、うまい料理を生む。(そんな格言はないが)極秘のうちに開発されるトリノ風地鶏料理が楽しみだ。
ぼくも近所のよしみで、「とりンピック」のポスターをらく描きして、応援することにした。
店内に貼るポスターでは、もちろん、店主も、アルプスの山並みをバックに、地鶏君といっしょにでんぐりがえってもらうことに。

常々、スローフードを標榜する当店としては、ゼッケンのMは、当然、ファーストフードの王者マクドを意識しているのだ。あ、ボードに車輪がついているのは、ぼくのミスだ。

投稿者 nansai : 15:09

2006年1月25日

一月二十五日(水)

「トリスバー」時代

年をとってちょっと残念なのは、かつての飲み友達が、櫛の歯をひくように年々へってゆくことである。
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引退して、それぞれの城に引きこもる。年老いて、五体満足なのはそうはいない。酒量が落ちるのはしかたがない。名うての大酒飲みだったのが、体調をくずして禁じられたり、あちこち手術したり、運の悪いのは亡くなったり、いろいろである。若いひとたちがすり寄ってくることは、まずない。当然のことながら、飲み友達は、へる一方である。

竹馬やいろはにほへとちりぢりに 万太郎

幼友達を懐かしんだ久保田万太郎の句である。
昭和三十年代、ぼくたち安サラリーマンたちの「竹馬」は、トリスバーの止まり木だった。
会社帰りのぼくらは、毎晩、群れて、呑んだ。駅前の裏通りが多かった。へべれけになっても、すぐ終電車に乗れる。トリス「バー」といっても、ゆったり座る席はなく止まり木に腰を下ろす。
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飲むのは、 トリスとか、ニッカ、オーシャンの当時の二級ウイスキーだ。女性が客席につかないから、まあ、安かったね。つまみもろくなものはなかったが、安月給でも、安直にいっぱいやれた。なりふりかまわぬトリスの掛け声は、
「うまい安い」。ウイスキーの大衆化だった。
ウイスキーといっても、二級は、課税の便宜上か、原酒混合率5%以下、つまり0%でも「ウイスキー」と名乗れたと、サライ一月十九日号で読んだ。(ぼくらは、原酒のまにあわせものと本物と区別する知識も味覚もなかった。)
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映画でしか、酒場の雰囲気に接していないぼくらには、飲んだことのないほんもののスカッチやバーボンとの味の差なんかわかるわけがない。
トリスやニッカ、オーシャンの、ハイボールで酔っ払って大満足だった。北新地の本物のバーとちがって、アマチュアの女性バーテンダー?がカウンターの向こうにいる。客席側にはでてこないのが原則だが、カウンター越しに話がはずんだりすると、うれしくて通った。
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水割りというしゃれた飲み方が定着したのは、後の話だった。メーカーも、ハイボールの宣伝に忙しく、水割りは教えていなかった。

そういえば、ぼくが最初に酒屋で買ったトリスのビンは、しわしわの紙でまいてあって、ご親切にも、ウイスキーの飲み方が記載されていたなあ。友人とハイボールをそのとおりに作って飲んで、ひどく酔っ払いひどい目にあった。アルコールの度数を知らなかったからだ。

角、だるま、ジョニ赤などは、高価で手に入らず、夢のまた夢の存在だった。昭和三十年当時の上司が社用で連れてきてくれたスカッチウイスキーのショットバーがある。遺跡のような堂島の地下で、いまなお営業している。

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当店の財産と自称する顧客名簿は、独特の、名刺をはりつけた客の顔の写真アルバムだ。(平成の今では、過去帳のようなものだ。)個人情報保護などおかまいなし、客が、みな先客の写真をひっくりかえして眺めている。自分の写っている古い写真が見たければ、ここへくればよい。
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仲間といっしょに写真を撮ってくれ、と客のほうがリクエストするのだ。残してまずい写真もあるだろうに。もう時効だが。
暗い店内で、バーテンが、三脚を立て、いまや骨董のニコンの名器SPで、フラッシュたかずに息を止めて長いシャッターを切る。この儀式を半世紀続けて、戸棚いっぱいの膨大な冊数の古アルバムが残った。アルバムは、寄る年波で、いたんで背中のリングが外れかけている。
古いアルバムに残された何千人の写真の大半は、転勤や退職で、もう店に来られなくなった客だ。四十年前幽霊のようにやせた若いぼくの顔も、色あせた名刺とともにセピア色の写真に残っている。アルバムのなかで、いまやぼくがいちばん古参の客の一人だそうだ。
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ときめくサントリーも、当時は、「洋酒の壽屋」の時代で、堂島の小さな洋館に本社があった。ぼくらが洋酒を覚えたのは、トリスバー全盛期、昭和三十年代のはじめだ。敗戦の混乱がようやく落ち着き始めた頃、若くて「教会のねずみのように」貧乏だったぼくに刷り込まれた安い酒の味が、いまだに、ぼくの舌をグルメとは程遠いものにしている。でも、なにを飲んでも、酔っ払えたし、いい気分だったなあ。
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時はうつり、焼酎やビールに押されて、さいきんはウイスキーが売れなくてメーカーもあわてているそうだ。
電線のすずめのように止まり木に並んでいた飲み友達も、いろはにほへと、・・・・散り散りに、か。
つれづれに描きなぐった酒飲みの絵を、脈絡なくぞろぞろ並べてみた。

投稿者 nansai : 16:50

2006年1月23日

一月二十三日(火)

売り出せるか、「そらそーよ」
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阪神オカダ監督は前の二人の監督に比べて目立たない。輝かしいエリート球歴からして頭脳には、本人も自信があるらしいが、おしいことに口下手である。
試合後のインタビューでも、「なるほど」と思わずひざを打つような名コメントは期待できない。
しいて探すと、「そらそーよ」が口癖とか。裏には、そんなこともわからんのか、という舌打ちしたい気持ちもあるのだろうが。
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阪神球団も、ないものねだりをあきらめて、岡田語録のなかから「そらそーよ」を商標登録するつもりらしい。
オカダ監督御用達焼酎「そらそーよ」も新発売。と、スポーツ新聞が取り上げている。商魂たくましい知恵者はいるものだ。

ヨシモト漫才では「そらそうや」は定番だが、「や」と「よ」の違いはおもろいと乗ってくるか。
「そらそーよ」と、つい口をついて出るから、へんにくせになりそうだ。関西限定の流行語になるかも。
ふらふらとあがって、ぽてんヒットになるか。浜風に乗れば思わぬ場外ホーマーになるかもしれない。
と、大賛成したうえで、余計なお世話だが、ぼくなりに焼酎ブランドの別アイデアを考えた。不動の監督「岡だるま」は、どうだろうか。キャッチフレーズは、
「ななころび、やおき。こけたら、たつ。」
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な、そらそーや?忘れ物をとりにいって、四たて食らって、来年の宿題ができたなど、いいわけしないこと。「こけたら、たて」や。がんばってください。期待してまっせえ。
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ついでに、トラキチのオヤジを、話題の「ちょいモテ親父」にヘンシンさせてみた。どうみても、オカダ監督には似ていない。
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投稿者 nansai : 16:45

2006年1月19日

一月十九日(木)

道頓堀が真珠できれいに?

あのヘドロの道頓堀が、真珠の養殖できれいになるという。ほんまかいな。生活排水で水質汚染の目立つ道頓堀で川をきれいにしょうと、二〇〇三年から養殖されていた真珠貝100個が、始めて川から取り出された、と新聞に報道されていた。夜ごとミナミのネオンの光を浴びながら、真珠は大きなもので直径13から14ミリに成長していたらしい。一個で時価3万円だから、夢もある。
水の澄んだ道頓堀で、首を出して泳いでいる人魚を描いてみた。胸元には、真珠の首飾り。
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真珠の母貝イケチョウ貝は、一日にドラム缶一本分の水を浄化できるそうだ。水の汚れの原因となる窒素やリンを取り込んだ植物プランクトンを食べて成長するからだという。まさに逆転の発想。効果が、ほんものなら、すばらしいことだ。
この奇想天外の構想は、あるNPOが考えだしたすごいアイデアだ。マスコミがわっと飛びついたのだが、このまま継続して定着するといい。母貝一個二千円から五千円でオーナーを募り養殖しているようだ。
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むなしく「百年河清を待つ」よりは、まずイケチョウ貝で真珠を養殖する。水質浄化の夢も、ミナミらしく現実的で一石二鳥、いいではないか。
いつのことやらわからないが、優勝に興奮した阪神ファンが大腸菌の心配なく飛び込めるほど、道頓堀がきれいになればいいねえ。ところで、あの濁った水は、ドラム缶何本なのだろう。

投稿者 nansai : 14:24

2006年1月16日

一月十六日(月)

ここだけの話だが、このらく描き絵巻は、実は、申請すれば、ギネスブックものなのである。
理由は、横流れスクロールだ。世界何百億ページのネットのなかで、このように、とめどなく横にスクロールして、延々と流れるサイトは、ほかに見当たらないからだ。
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たんに奇をてらって、横に長くなったのではない。パソコン上での日本語文章の読みやすさを追求してゆくと、このような縦組み横流れの形が生まれてきたわけだ。
どうすれば、もっと読みやすくなるか。横書きとくらべてみてほしい。
なお、いっそうの実験を繰り返してみたい。
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前代未聞の、横に長い長いBLOG絵巻。
コンテンツの内容はともかく、まず続けるけることこそ、チカラなり。ひそかに目途にしているのは、一日一尺、つまり30センチ。尺取虫だな。絵巻と名乗るからには、横に長い長い絵柄も考えてみよう。
気息えんえんでも、しゃにむに横へ横へと進む。それでも一年たつと、百メートルの絵巻が出現する。
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日本語の読みやすさを追求してゆくと、パソコンのディスプレーの上でも、縦組み処理がのぞまれてきた。

千年以上の伝統を持つ漢字かな混じり表記を、横組みしてしまうのは不自然で、読みにくい。
日本人の発明にかかる、かつてのワードプロセッサは日本語の文章を書く上では定評があったが、枕を並べてあえなく絶滅した。
このサイトは、ある意味で、日本語ワードプロセッサーの菩提をとむらいつつ、新たな日本語表記の地平を探ろうとするものだ。と、大きく、志を掲げておく。
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このらく描き日記サイトをたちあげ、なお細々と続けている理由を、再確認しておきたい。
一、どうしても、日本語の文章を、ウエブ上でも、読みやすい縦組みで書いてみたい。あえて横方向スクロールに、文章を流して、走り読みできるようにしたい。
いまなお、ウエブ上で読みやすい縦組み文章のかたちをさぐっているところである。

二、パソコンを使えば、だれでも、思い立ってすぐが描けることを伝えたい。(MSペイント使用)絵手紙や絵日記は、デジタルでも、やさしく、たのしく、ゆっくりと人の心に伝わりやすい。
四、高齢者によびかけたい。やりたいこと、おもしろいことを試みるのに、年齢は関係ない。何歳からでも、はじめられる。
ボランティア活動で、力をあわせて、日本語の文章を入力編集して、膨大なデジタルアーカイブをつくり、日本語文化を散逸させず誰でも利用できるように後世に伝える仕事が待っている。そのためには、このような縦組み形式が役立つのだ。

投稿者 nansai : 17:16

2006年1月13日

一月十三日(金)

ミラノ「ちょいモテ親父」
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このところのミニバブルで浮上してきた、にわか富裕層。DOM、「ダーティ オールドマン」とは、大前研一氏が名づけた小金持ち男性のことだが、70年代にはやった歌の文句にあるらしい。
このあたりではみかけないが、首都圏に出没し始めた「ちょい悪親父」と同義語。言いだしっぺの雑誌「LEON」は、コンビニで売っている。
ページをめくってみると、かっこいいイタリアは「ミラノ親父」の特集だ。ご親切なことに、日本のおっさんたちもモテたいなら本場にあやかってはどうかという提案。
ぼくも、さっそくミラノの街角にヒントをもらって、「ちょい下ゴコロ、丸出し男」を描いてみた。かっこよく長いマフラーを巻いて、葉巻をくわえている。
まねして似合うのかねえ。
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同誌のご託宣によると、男のファッションは、キメとハズシだそうな。どういうこっちゃ。フッサフサのファーつきダウンを、寒がりのワニ親父に着せてみた。フードの内側はコヨーテの毛皮だとか。
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天候やフトコロの関係で海外へゆけなくても、こんな要領で、コンビニの雑誌から、あちらの街角ファッションをスケッチするのも、週末のひまつぶしとしては、おもしろいような、さみしいような。

投稿者 nansai : 17:11

2006年1月12日

一月十二日(木)

大前研一氏の「平成株バブルの天国と地獄」(文芸春秋二月号)のなかに、DOMというひとたちがでてくる。
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「東京新宿の伊勢丹メンズ館という、世界でも珍しい男性向けファッションのデパートにいっていただきたい。そこでは初老の男が、少しでも足が長く見えるズボンはないかと、目をさらのようにして探す光景が飛び込んでくる。」
DOMとは、ダーティ オールドマンのことだ、と大前氏は辛らつだ。中年以上の小金持ち男性。流行語の「ちょいモテオヤジ」なる手合いである。
ダーティとは、手厳しいが、そのDOMをあおっているのが、「負け犬」なる三十台の未婚女性だと大前氏は断定する。なるほど。

さいきん、銀座、青山には、海外シェフの名を借りた三ツ星レストランが増えた。そこでは、DOMおやじと負け犬の「わけありカップル」で占められているらしい。

高級品の売れ行きが回復したといっても、DOMと負け犬の二つの層が局地的に消費をひっぱっているだけなんだそうだ。
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ふうん、でも、どん底の、よどんだままの関西からみれば、花のお江戸は、くるくる移り変わりがはげしくても、元気があってよろしい。
オールドマンのぼくとしても、お絵描きのテーマとして、愛すべき「ちょい悪オヤジ」に興味がある。LEONという雑誌が火をつけたそうな。そんな雑誌を読んでまで、あまりにまじめにモテたいと渇望するのは、いかがなものか、ではあるが。

さっそく、ミスターDOMの人相描きを試みた。
LEONのキャラクターのジローラム氏とは、あまり似ていないようだ。

投稿者 nansai : 14:14

2006年1月11日

一月十一日(水) 

「ぬりえ」は、大人の頭にいいか?
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「塗り絵で脳を活性化!」こんなキャッチフレーズで、大人向けのぬりえが出版されている。売れているのだろうか。
日経にのった小学館の広告を見て驚いた。アート感覚いっぱいの全く新しい塗り絵「京都のぬりえ」1,260円、「大人が楽しむ塗絵」1,050円、描く楽しさと名画のパワーで、身も心もリフレッシュ!などと、宣伝にこれ努めている。どうやら、「大人のための塗り絵」は、静かなブームらしいのだ。
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名画も花も、大人向けの美しい手の込んだ塗り絵ブックが、いろいろそろっている。絵を描きたいけれど絵心がない人向けに、あきらめないでと、塗り絵をすすめている。色を塗ることは脳を活性化しリラクゼーション効果があるらしい。頭が元気になり癒しの働きが期待できるとは知らなかった。

海外でも、塗り絵は、英語でカラリングブック。AMAZONを開けてみたら、驚いた。あるわあるわ、6、000冊以上の種類がある。童話、漫画、風景、花、むかしから、なんでも塗り絵ブックになっていたようなのだ。欧米で、塗り絵がおもちゃでなく書籍として出版されていたとは知らなかった。
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この絵巻に、「MSペイント」で描いているぼくの絵は、実は、塗りえのようなものだ。輪郭の線を、自分ですきなように描き、好きな色でぬりつぶすのだから。いってみれば、自分で作る自由自在な塗り絵なのだ。いわれてみると、たしかに、暇つぶしの域を超えて、アタマの体操にはなっている。
超初心者向きに、オマケとして添付されているのがお絵描きソフト「MSペイント」だ。日進月歩のドッグイヤーにも、まったく改良されたあとはないが、このソフトのすごいところは、塗りつぶし能力だ。りんかく線のなかを、みごとに瞬時にきれいに塗りつぶしてくれる。
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小学生のころ、本来絵がすきだったぼくが、先生の評価を得られなかったのは、せっかちでアバウトな性格から、色の塗りつぶし方がおろそかだったからだ。乱雑な手抜きにみえてしまう。クレヨンでもパステルでも水彩でも、かたちをとるのは得意だったが、ていねいな塗りつぶしが、苦手だった。これは絵としては致命的で、中学高校でも、絵の成績がいいはずがない。
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人に教わることがへたなぼくは、絵なんか習おうと思ったことは、一度もない。だから、ある年の夏、「MSペイント」という、ウインドウズのオマケのお絵描きソフトとの偶然の出会いは、かろうじて残っていたぼくの絵心に、ぼっと灯をともしてくれた。60の手習いどころか、70歳にちかくなっていた。最初まどろっこしかったマウスの扱いになれるにつれ、デジタルの恩恵により、ぼくだけのちいさな、しかし、多彩な「塗り絵世界」が突然まばゆいばかりに目の前に開けたのだ。ビルゲイツ氏には感謝している。
ペイントの助けを借りれば、だれでも、こどももおとなも、じぶんだけの塗り絵の世界が自由自在につくりあげることができる。

楽しみながら、老いた脳が活性化できるとは、うれしいねえ。静かな塗り絵ブームを歓迎した。

投稿者 nansai : 13:07

2006年1月 2日

一月二日(月) 

年賀状は、どうなるのだろう?
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ぼくは、この国での年賀状の運命が気になっている。
もちろん、これから年始のあいさつは、伝えるメディアの革新によって変化してゆくだろう。
ぼくが心配するのは、郵便局から、一通たった50円で配達される紙の年賀状の行く末だ。

郵政公社の発表では、元旦に配達された年賀郵便物は20億5200万通。国民一人あたり十六通というから、まだまだ、たいしたものだ。
とはいうものの、昨年よりも一億七千三百通減ってしまった。 一年に七、八パーセントの減少は大きい。ふつうの企業ならまっさおになるところだ。
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このままでゆくと、年始のあいさつを若い人はケータイですませ、年寄りはおっくうがって、日本古来の年賀状のやりとりはすたれてしまうのか。あやうし、年賀状だ。

年賀ハガキは、明治の中期からさかんになってきたらしい。
敗戦直後は、民間人のアイデアを取り入れた「お年玉くじつき」が大ヒットした。
昭和二五年、最初の発行枚数は、わずか十八万枚だったという。自分にではなく、相手に当たるかもしれない「お年玉くじ」をはがきにつけたのは、すごい発想だった。それに、年賀状を復活させれば、戦争で別れ別れになった人同士消息を知らせあうことができ、くじの寄付金で社会福祉に役立てられるのだ。当時を思えば、一石三鳥のいいアイデアだった。
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虚礼でもこぬと気になる年賀状(閑老人)

こんな川柳が新聞にのっていた。そのとおりだ。惰性だけで出す、こころのこもらない虚礼はつまらないが、年賀状を絶滅させてはいけないと思う。

では、時代にさからって、年賀状を再び正しいブームにするにはどうしたらよいかだ。ぼく思うに、それにはエンダイな構想が必要である。

まず、あまりに迅速でべんりすぎる「ケータイでは及ばぬ世界」を知ることではなかろうか。時代を逆流して、「スローメイル」の考え方をすすめることだ。これは配達をおそくするのではない。コミュニケーションのスピードを落としてみることである。
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べつに急ぐことではないが、思いを伝えたい、気持ちが伝わればありがたい、受け取るとうれしい、元気が出るというたぐいの手紙やハガキを書くこととやりとりすることを、大事にしたい。
これは、他人にむかってだけでなく、自分に向かっての自己表現、自己確認の行為でもある。

ゆっくり考えて書くスローメールは、いいものだ。手紙やハガキにかぎらないが、せかせかあわてず、ゆっくり考え、表現し、ゆっくりとコミュニケーションをやり取りする急がない人生があってもいい。
ローカル線の鈍行列車で各駅に停車しながら旅情を味わうようなものかもしれない。
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じゃ、お前はどうだといわれると、パソコンに出会って初めて、スローな表現世界に気づいたことを思い出す。ブラインドタッチができなくて、入力がおそいというのもある。が、ゆっくりとあれこれ考えながら、あとから継ぎ足したり、考えが変わると、ころっと書き換えたり、そこは自在なのだ。
絵にせよ、文章にせよ、行き詰まったり、あきてしまい書きっぱなしのを、日にちがたって、また手をくわえる。
この絵巻に登場するぼくの絵は、なん年か前のを引っ張り出して、ちょこちょこと、手をいれたりしていることが多い。温故知新。これも、いいものである。ビジネス文書だと、こうはいかないけれど。

もらった手紙の返事も、愚図のぼくは、すぐには取りかからず、熟成させて(ものはいいようだ)出す。スローメイルは、ずぼらなぼくの味方なのだ。
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よって、賀状に限らないのだが、文章や絵や写真を、かんたんにパソコンで表現し、編集し、プリントアウト(ハガキは、小さくて狭いから最適だ)する楽しみかたをひろめること。このエンダイな構想をぜひ実現させたい。
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江戸時代は、寺子屋で習う読み書きそろばんが、世界有数の識字率を高めた。寺子屋の手本には、年始状の文例が多くふくまれていたそうだ。
これからの少子高齢化社会は、学校も自治体もNHKもまきこんで、もちろん郵政公社も協賛して、国民のための「デジタル寺子屋」を提唱してはどうか。受験や資格、学歴とは無縁な世界がここにはある。成績も、落第も合格もない、ここで、やさしくデジタルな表現を、学び、伝え合うのだ。ひとりひとりがデジタルな文章力、表現力をつけることは、単なる趣味を超えて、一国の文化水準を高める自己啓発キャンペーンになろう。

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学んで楽しめて自己表現できる世界へ案内されれば、小学生も主婦も高齢者も、人生を楽しむ可能性が大きくひろがってくる。これは、自動車の運転を習うのに似ているかな。

さっそく、スローメイル普及キャンペーンのシンボルをひねり出しておいた。かたつむりを起用して、ケータイに頼らず、ゆくりと思いを伝え、運ぶキャラクターだ。

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のろまのかたつむりは、英語で、SNAILだから、スローメイルSMAILはどうだろう。これはいいぞ。
なに、国際的な「スローフード」のシンボルが、カタツムリなのだが、しょっている殻をあたたかいハートにみたてたのが、たんなるぱくりではなく、ぼくのドクソーなのである。

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つぎに、郵政公社からたのまれたわけではないが、お年玉はがき販売促進策をかんがえてみた。
元日、デパートの福引袋が、あのように大うけしているのはなぜだろう。袋を開けるときのどきどきさせるスリルと夢だ。
戦後の貧しかった時期の「お年玉くじ」はがきは確かに好評たったが、いまは、景品が問題だろう。夢が小さく、当たる気がしないから、どきどきわくわく感に欠ける。

ならば、夢を、ひとまわり、でっかくしてみよう。それは、いやなことばだが、カネだ。「年末ジャンボ宝くじ」的センスも、導入せねばなるまい。

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デラックス版お年玉はがき、百円、千円版もあってもいいんじゃないの。射幸心一点張りの宝くじと一線を画さねばならぬのなら、福祉や教育など寄付目的を、具体的にどかーんと大きくうたうことも必要か。

くわえて、せこい話だが、当選した賞金の山分けの仕組みの一工夫だ。送ったほう、受け取ったほうが、半分ずつ受け取れるように配慮したらいい。出したほうに、くじの半券が残るのは、どうか。競馬のような大当たりか、はずれかは、知らせあう話題として、盛り上がると思うのだが。

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やせてもかれても、年頭に二十億通の確実に届くダイレクトメイルは、そうざらにあるものではない。大きなお世話だろうが、お年玉ハガキは、郵政公社にとっては、ドル箱の広告媒体だ。この経営資源を、民営サービス向上のために、ぜひ利用してほしいものだ。民営では先輩のJRが、駅中ビジネスで大うけして悦に入っているのを指をくわえてみていることはない。

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まず、オリンピックに習って、公式スポンサーを数多く、つのってはどうか。
さらに、ぼくなら、「お年玉ハガキマガジン」(無料)を雑誌とウエブで発行して、公式スポンサーの広告を集め、津々浦々の郵便局で配布するねえ。
この雑誌で、有志企業から、しこたま協賛金をあつめる。そして、先に述べた壮大な構想にもとづいて、郵便のユーザーに、スローメイル作りのハウツーの楽しさを教え、だれにも役立つ商品情報情報を満載するのだ。もちろんネットとの連動である。       

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とまあ、一文にもならないアイデアだが、なんでもいい。思いついたもろもろのことを、こんな風に忘れる前に書きつけておく。気が向いたら、時にはBLOGにのせ、プリントアウトして友人におくる。こんなスローなライフスタイル、かつスローメイル、スローコミュニケーションをおすすめしたい。ああしんど。

投稿者 nansai : 15:04

2006年1月 1日

一月一日(日)

本日は晴天なり
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今朝は快晴だった。子規作のこの歌のいかにも楽天的なところがすきだ。景気や天候に関係なく、元気の出るよう賀状のコピーに、毎年、使わせてもらっている。
ここ大阪府下の郊外では、門ごとの国旗も門松もほとんど見当たらない。こどもの羽根突きも凧揚げもこま回しも、道を斜めに歩くほろ酔いの年始客も見ず、かつての正月気分は影を潜めた。クリスマスには、家々の庭にサンタのイルミネーションをこれみよがしに赤々点滅させていたのに。

賀状にかこつけて、平素の無沙汰を詫び久闊を叙すつもりでも、ぼくのような年齢に達すると、相手の事情がかわって、すなおにおめでとうという気分になれない状況が多発してくる。で、今年は、自作を一首、

身のたけの ほどよき
しあわせ 願いおり
薄明かりさす
年はあらたに

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ぼくには、出す当てもないのに、賀状のアイデアをめったやたら考え出し一枚ずつプリントする奇癖がある。理由は、狭いハガキに、干支のイヌやサルにちなむ発想を閉じ込めるパズルとして、おもしろいからである。だが、かんじんの名簿の整理がだめなのと、宛名のプリントアウトをしないから、失礼してごく限られた人にしか出せていない。というより、出せない。
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年賀状とはおかしなもので、自分ではおもしろがって一生懸命考えたつもりで投函する。ところが、宛名人不明とかで帰ってきたハガキをみると、これまた、われながら、色あせて見えるのがふしぎだ。もらったほうが、「ン」という情景が推察できる。が、独りよがりの一方通行だからこそ、作り手がたのしいのだ。いい気なものである。
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投稿者 nansai : 14:21