縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年01月02日

一月二日(月) 

年賀状は、どうなるのだろう?
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ぼくは、この国での年賀状の運命が気になっている。
もちろん、これから年始のあいさつは、伝えるメディアの革新によって変化してゆくだろう。
ぼくが心配するのは、郵便局から、一通たった50円で配達される紙の年賀状の行く末だ。

郵政公社の発表では、元旦に配達された年賀郵便物は20億5200万通。国民一人あたり十六通というから、まだまだ、たいしたものだ。
とはいうものの、昨年よりも一億七千三百通減ってしまった。 一年に七、八パーセントの減少は大きい。ふつうの企業ならまっさおになるところだ。
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このままでゆくと、年始のあいさつを若い人はケータイですませ、年寄りはおっくうがって、日本古来の年賀状のやりとりはすたれてしまうのか。あやうし、年賀状だ。

年賀ハガキは、明治の中期からさかんになってきたらしい。
敗戦直後は、民間人のアイデアを取り入れた「お年玉くじつき」が大ヒットした。
昭和二五年、最初の発行枚数は、わずか十八万枚だったという。自分にではなく、相手に当たるかもしれない「お年玉くじ」をはがきにつけたのは、すごい発想だった。それに、年賀状を復活させれば、戦争で別れ別れになった人同士消息を知らせあうことができ、くじの寄付金で社会福祉に役立てられるのだ。当時を思えば、一石三鳥のいいアイデアだった。
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虚礼でもこぬと気になる年賀状(閑老人)

こんな川柳が新聞にのっていた。そのとおりだ。惰性だけで出す、こころのこもらない虚礼はつまらないが、年賀状を絶滅させてはいけないと思う。

では、時代にさからって、年賀状を再び正しいブームにするにはどうしたらよいかだ。ぼく思うに、それにはエンダイな構想が必要である。

まず、あまりに迅速でべんりすぎる「ケータイでは及ばぬ世界」を知ることではなかろうか。時代を逆流して、「スローメイル」の考え方をすすめることだ。これは配達をおそくするのではない。コミュニケーションのスピードを落としてみることである。
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べつに急ぐことではないが、思いを伝えたい、気持ちが伝わればありがたい、受け取るとうれしい、元気が出るというたぐいの手紙やハガキを書くこととやりとりすることを、大事にしたい。
これは、他人にむかってだけでなく、自分に向かっての自己表現、自己確認の行為でもある。

ゆっくり考えて書くスローメールは、いいものだ。手紙やハガキにかぎらないが、せかせかあわてず、ゆっくり考え、表現し、ゆっくりとコミュニケーションをやり取りする急がない人生があってもいい。
ローカル線の鈍行列車で各駅に停車しながら旅情を味わうようなものかもしれない。
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じゃ、お前はどうだといわれると、パソコンに出会って初めて、スローな表現世界に気づいたことを思い出す。ブラインドタッチができなくて、入力がおそいというのもある。が、ゆっくりとあれこれ考えながら、あとから継ぎ足したり、考えが変わると、ころっと書き換えたり、そこは自在なのだ。
絵にせよ、文章にせよ、行き詰まったり、あきてしまい書きっぱなしのを、日にちがたって、また手をくわえる。
この絵巻に登場するぼくの絵は、なん年か前のを引っ張り出して、ちょこちょこと、手をいれたりしていることが多い。温故知新。これも、いいものである。ビジネス文書だと、こうはいかないけれど。

もらった手紙の返事も、愚図のぼくは、すぐには取りかからず、熟成させて(ものはいいようだ)出す。スローメイルは、ずぼらなぼくの味方なのだ。
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よって、賀状に限らないのだが、文章や絵や写真を、かんたんにパソコンで表現し、編集し、プリントアウト(ハガキは、小さくて狭いから最適だ)する楽しみかたをひろめること。このエンダイな構想をぜひ実現させたい。
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江戸時代は、寺子屋で習う読み書きそろばんが、世界有数の識字率を高めた。寺子屋の手本には、年始状の文例が多くふくまれていたそうだ。
これからの少子高齢化社会は、学校も自治体もNHKもまきこんで、もちろん郵政公社も協賛して、国民のための「デジタル寺子屋」を提唱してはどうか。受験や資格、学歴とは無縁な世界がここにはある。成績も、落第も合格もない、ここで、やさしくデジタルな表現を、学び、伝え合うのだ。ひとりひとりがデジタルな文章力、表現力をつけることは、単なる趣味を超えて、一国の文化水準を高める自己啓発キャンペーンになろう。

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学んで楽しめて自己表現できる世界へ案内されれば、小学生も主婦も高齢者も、人生を楽しむ可能性が大きくひろがってくる。これは、自動車の運転を習うのに似ているかな。

さっそく、スローメイル普及キャンペーンのシンボルをひねり出しておいた。かたつむりを起用して、ケータイに頼らず、ゆくりと思いを伝え、運ぶキャラクターだ。

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のろまのかたつむりは、英語で、SNAILだから、スローメイルSMAILはどうだろう。これはいいぞ。
なに、国際的な「スローフード」のシンボルが、カタツムリなのだが、しょっている殻をあたたかいハートにみたてたのが、たんなるぱくりではなく、ぼくのドクソーなのである。

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つぎに、郵政公社からたのまれたわけではないが、お年玉はがき販売促進策をかんがえてみた。
元日、デパートの福引袋が、あのように大うけしているのはなぜだろう。袋を開けるときのどきどきさせるスリルと夢だ。
戦後の貧しかった時期の「お年玉くじ」はがきは確かに好評たったが、いまは、景品が問題だろう。夢が小さく、当たる気がしないから、どきどきわくわく感に欠ける。

ならば、夢を、ひとまわり、でっかくしてみよう。それは、いやなことばだが、カネだ。「年末ジャンボ宝くじ」的センスも、導入せねばなるまい。

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デラックス版お年玉はがき、百円、千円版もあってもいいんじゃないの。射幸心一点張りの宝くじと一線を画さねばならぬのなら、福祉や教育など寄付目的を、具体的にどかーんと大きくうたうことも必要か。

くわえて、せこい話だが、当選し