2006年02月15日
二月十五日(水)
老梅や穢き迄に花多し 虚子
高浜虚子没年の句らしい。晩年の虚子は、どういう思いで、老梅をみつめていたのだろう。先日の日経「春秋」欄に引用されていて、あ、と息を呑んだ。
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「寿命の尽きんとする老梅が、にぎやかに大量の花をつけることへの、感嘆と戸惑いを呼んだ句だが、老いを実感する身にはぐさりと突き刺さる表現である。」
と小泉内閣の末期の無用なあだ花論争へと続く。ぼくからみれば春秋子はまだ若いとおもわれるのに、老いを実感とか。
いやだねえ。「穢き迄に、花多し」か。五七五のなかに「穢」の一字は、際立ってえげつない。
ま、しかし、この期におよんでは、こちらは、じたばたせずに居直ることに。文人画を気取って、筆のかわりにマウスで、老梅を描いてみた。
梅の散りぎわが、桜のように潔くないと見られているのも、またよしとしよう。老いた梅の幹は黒々として、古来、鉄幹と呼ぶそうだ。
テレビをみていたら、七十歳の四世坂田藤十郎は、芸が枯れるということは考えられないという。みずみずしい、すごい自信だ。演劇の世界では、杉村春子も、森光子も、たいしたものだ。
家の近くの万博庭園は、まもなく、梅のほころぶ季節だ。
投稿者 nansai : 2006年02月15日 12:21


