縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年6月26日

六月二十六日(月)

ローニンブルーのTシャツ
当然、奇跡は起こらずワールドカップは、あっさり終わった。
世論調査でも多いのが、「負けたのは、実力どおり」。マスコミにおあられた国民にも、やっと完敗の事情がのみこめてきたのは、かつての敗戦のときとおなじだ。奇しくも、60年前、沖縄戦で、物量戦で完敗した日本軍が組織的抵抗をやめた日だったのだが。

もともと実力の無い日本チームを、NHKを始め各局が、なぜ、あのように必死で盛り上げようとしたのか。
なんでも、NHKの負担するテレビ放送権料が、一説には、400億円だったそうな。なんとかモトをとり戻したいテレビ局にとっては、視聴率戦争だった。

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日本チームが早々と敗退しても、中継を打ち切るわけには行かないのだろう。まだ未練がましく、サッカーマニアしか関心にない、知らない国の試合を、くりかえしくりかえし「ゴーーーーーーール」と、再放送している。
ごくろうなことだが、後始末を、もともとサッカーに無関心な平均的視聴者に押し付けられても困る。松井の姿の見えない大リーグ中継と同じ轍を踏んでいる。
なじみのない異国のサッカー試合はもういいから、番組編成を早く、平常に戻してほしいという向きは周りにも多い。
ぼく自身は、このせっかくのチャンスに、世界レベルの本気のがちんこ名勝負を見てやろうと思ってはいるが。真夜中の中継に、おつきあいはねえ。

とにかく、日本代表選手はよくやったが、体力、筋力、技術、精神力、すべてに、世界の一流チームとの「格差」があった。日本選手の一人当り海外練習試合「出張コスト」は、だんとつ、世界一だろう。ガーナとかコートなんとかのチームの試合はこびをみると、身長、筋肉にハンデのある日本がアフリカブロックにいたら、永遠に出る幕はないのではないかとさえ思ってしまう。フランスチームも、主力は、アフリカ系ばかりだ。

敗戦を記念して、臥薪嘗胆(一発で変換できるのがすごい!)をテーマとするTシャツ用のアイデアを二点描いた。
4年後南アフリカへ向かう、新チームへのはなむけとすることに。前のは、ムンクの「叫び」の構図を無断で拝借、あとのは、侍も禄を離れて「浪人ブルー」に。これでは、元気、でないかなあ。

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投稿者 nansai : 11:47

2006年6月16日

六月十六日(金)

これは、猫の絵のつもりである。ぼくは、こんな絵を、ウインドウズについている無料お絵描きソフト「ペイント」を使って、マウスで描く。

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描くときはパソコンの前から離れられない、という理由で、写生はできないから、架空の、猫を描く。デッサンの腕前を問われることはない。猫から、ちっとも似てないじゃないか、と文句をつけられることもない。

このようなカンタンかつ幼稚な描写法にこだわる変わり者は、グーグルのイメージ検索してみても、今のところ、全世界でも、そうたくさんは、いない。

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もちろん、絵やイラストを描くプロで、幼稚でお手軽なペイントを利用する人はまずいないが、これから主婦や高齢者の間ではペイント描きは、ぼちぼち普及するかもしれない。

グーグルをぶらついていたら、偶然、「しらが頭の少年」なる御仁のブログに、「ようこそ 私の美術館」を発見した。
http://homepage3.nifty.com/h15k01k25-74_04na/

作者は、どうやら、ぼくよりもかなり年上の元技術者のかたらしい。前置きには、こうある。
「主題の作品は、私が70歳からペイントソフトで、しかもマウスで描いた邪道画です。でも、メルヘン調、ファンタジー調、版画調などといろいろ描き分けたつもりです。ペイントソフトは、どのパソコンにもはいっている簡便ソフトです。」
なるほど、邪道画ねえ。
ぼくの画風?とは、まったく好みもタッチも違うが、高齢ながら、かなりの好奇心の持ち主とおみうけした。昭和一けたの天邪鬼という点では、共通しているようだ。なにしろ、いまどき、「ペイント」でマウスをうごかして、緻密な計算のもとに、絵を描こうというのだから。
それも「邪道画」と称しているところは、したたかな反骨の気風がうかがわれて微笑ましい。
「しらが頭の少年」氏、いわく、ねらいは、「お絵描きソフトともいわれるウインドウズペイントで、どこまで鑑賞に耐える「大人の絵」が描けるかへの挑戦だ」と。
当然パソコン歴も、ぼくより年季がはいっていて、目標も、さすがエンジニアらしく、ご自分の考え方が、誠実に明確に掲げられている。
つまり、デジタル画像処理技術と、アナログ的描画手法(マウス・手描き)とを組み合わせて描いた画像を「部品」と考え、それらを組み合わせて、画面を構築してゆく「作風」の確立がねらいだそうだ。いいねえ。その志や、壮たり。
一面識もない先達に、こころより拍手声援を送らせていただく。ますますの精進とご健闘を祈りたい。

なにを隠そう、ぼくのこの縦書きブログの目玉も、内容にとぼしい文章ではなく、じつは、絵なのである。MSペイントて、マウスをこちょこちょと操って描く「絵のようなもの」だ。それを、長短の文章と混ぜ混ぜして、絵巻物のようにえんえんと横スクロールしたら、どのようになるかを本邦初で実験中というしだい。横に長い長いイヌなど、わざと描いているのはそのためだ。今のところ横に長いだけなら、どこにも負けないスクロールのはず。(そんなことをして、何になる?といわれると、答えに窮するのだが)

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こどものころから習い事は苦手だ。ぼくは、師匠にも手引書にもお世話にならず、このお絵描きも、古希近くになって、自分で工夫して勝手気ままに独習した。サッカー選手は新聞に載っている写真を見て描いたものだ。

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身を削って苦労して、絵をアートとして描いている人たちのなかには、あんなインスタントなものは絵ではないと眉をひそめる向きもあろう。
しかしだ。ぼくのような人間が、こうやってデジタルの恩恵でらくちんして描いている。キャンバスも絵の具も使わない。お粗末に見えても、これしもレッキとした絵だと思いたい。ウオーホルのシルクスクリーンのように、旧石器時代のアルタミラの洞窟の壁画のように、と、ぼくは、ちょこまかとマウスを動かしながら思うのだ。

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きけば、いまや空前のイラストレーションブームだ。
絵の好きなこどもたちも、どんどんペイントに挑戦し、たちまち卒業して、さらに上級高度なソフトへと離陸してゆくことだろう。
「ペイント」がお子様用三輪車なら、F1レースに出るレーシングカーのようなソフトもでてくるだろう。ぼくは、乗りなれた三輪車でゆっくりとお絵描きを楽しむことにしよう。

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投稿者 nansai : 14:04

2006年6月15日

六月十五日(木)

負けてほしくないゲームを二つ落としたのを、テレビに釘付けで見てしまった。一昨日のワールドサッカーと、昨夜の阪神楽天の交流試合だ。二晩、試合の終わるまで、テレビの前をうろうろしていて、疲れがどっときた。でも、くやしさをおさえつつ、負けた翌日の新聞を買い集めて、各紙の記事を比べ読みするのが、ぼくの屈折したたのしみである。

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負けたとたん、手のひらを返すような論調が、あちこちに。はたせるかな、堰を切ったように、ジーコへのブーイングがすごい。監督の頭の差で負けた、というのが、ぼくら野次馬には、わかりやすかった。
しろうとのぼくには、戦術の是非はよくわからないが、各紙それぞれカンカンガクガクの結果論が、興味深くおもしろい。
結局、はじめから彼我の体力に、差があった。終盤、お互いに電池切れ状態だったが、ヒディング監督は、土壇場に、体力のすぐれたでかい選手を、「王手」と投入してきた。それまで防戦一方でも善戦していたのだが、ガス欠の日本選手は、力つきて「まいりました」となった。
ぶっつかりあいで身長と体重差は、ボディーブロウのように効いてくる。持久体力の差が、監督の采配でカバーできなかったジャパン。

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切れ味のよかったのは、日刊ゲンダイだ。
「勝てもしない戦争を煽った大新聞は、性懲りもなくジーコジャパンは必ず勝つ、などとデカデカ流したがデタラメだ。」と、60年前の戦争を引き合いに出して、マスコミの報道を斬って捨てている。
その点で戦前の予想は「大本営発表」で、スポーツをばかにしていると喝破した蓮実さんの見解と一致していた。

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野球と違い、紙面でも、サッカーは分析の情報量が多いので読むに耐える。大新聞も、選手ひとりひとりを採点したりして、クールな分析をしている。
日経は、クロアチアに勝つには、「相手を受け止めて戦うサッカー」から「打って出てゆくサッカー」に転換せよというご託宣だ。「宮本のサッカー」から「中田英のサッカー」へ切り替えよという。この二人は、ピッチでもよく言い争っている。ジーコは何も指示しないらしい。ぼくは、ガンバの宮本を支持したい。


投稿者 nansai : 15:11

2006年6月 9日

六月九日(金)

ワールドカップと愛国心とマスコット
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今夜いよいよワールドカップ開幕。がんばれとはいいながら、世界最強のブラジルとか手ごわそうなクロアチアが相手では、運動神経の鈍いわが子を運動会に送り出す親のような気持ち。あきらめていても、そわそわ落ち着かない。
一方では、連日、新聞、テレビが、辛口コメントに封印して、みえみえの盛り上げをはかっている。いたいたしい。悲観して非国民といわれたくないからだろう。

例外もある。サッカー通の蓮実重彦元東大総長に、六月三日の日経がインタビューしていたが、これはしびれるほどクールだった。
日本にこだわらず、「国を超えて「超人」を見よ」と見出しにある。蓮実さんは、サッカーが好きなら、日本以外の世界のチームに興味を持って当然、と、次のようなご意見をお持ちだ。
冷静に見て、日本代表が一次リーグを突破するのは無理ではないか。現在の日本のワールドカップ報道は、大本営発表。単なる期待値をいっている。これは、「運動」としてのスポーツに対する軽視だ。
監督経験のないジーコには興味がないと歯にキヌを着せないコメントは、日本のジャーナリズムにはない。ひいきのひきたおしの、ぼくらとはまったく違った見方を教えてもらった。いやあ、たしかに、おっしゃるとおりでしょう。

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「日本のマスコミの過熱報道は、大本営発表だ。」なんのことか、若いサポーターの大多数は、大本営の意味がわからないだろうが、ここまでいえたら、痛快だろう。

しかしだ。
そうではあるが、がんばろう、がんばってほしい。ニッポン代表。
日の丸の旗を見上げ、国歌をきいて、きわめてわかりやすいかたちで、原始的な「愛国心」のようなものが、ふつふつと、胸に湧き上がってくる。敗戦直後、水泳の古橋やプロレスの力道山を応援した、あのいい気分は望めないかもしれないが。サプライズの番狂わせは期待したいものだ。

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ところで、この絵は、大会の公式着ぐるみマスコット「ゴレオ」君だ。気の毒に、なんと、開会目前にかれの製造元が倒産してしまったらしい。「かわいくない」「パンツをはかず、みっともない」など、ゴレオ君の悪評さくさくで、売り上げ不振により経営不振に陥ったという。ほんとかなあ。ドイツのこどもたちにきらわれたのだろうか。ぼく自身は、このキャラクター大好きなのだが。
愛知万博のモリゾウときっコロも、最初はこどもがこわがるといって不評だったが、愛子さんのお気に入りと伝わり、空前のヒットとなった。

ぜひ、本番前に脱落?した「ゴレオ」君に会いたいものだ。
ちょっと気が早いが、センスもよく、とてもいい出来だから、「ゴレオ」君の倒産処分マスコットは、お宝価値もあるぞ。

投稿者 nansai : 11:10

2006年6月 2日

六月二日(金)

愛国心

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「愛国心」をめぐっての議論がさかんだ。若い人は無関心だろうが、年配の人でも、急に態度が変わって自説をまくしたてたりするから、こわい。びっくりする。
戦争に負けるまで、少年のぼくは、愛国というよりも、軍国教育をいやというほどうけてきた。目撃者として、証言しておきたいこともある。
当時の教育は、「忠君愛国」がモットーだった。小学校、中学校(旧制)が、メディアで、絵本も童謡も軍歌も、「愛国」は、「忠君」と切り離せないワンセットだった。ぼくの中学校の校訓は、「純忠」だった。
記憶では、戦争末期には、愛国は「忠」一色に染められてゆき、その「忠君」も、戦争が敗色濃厚へすすむにつれ、「国体護持」というスローガンに呑み込まれていった。
愛国ではなく、「国体」を護持する、という大義のもとに、本土決戦、一億玉砕が叫ばれ、ポツダム宣言の受諾が遅れ、何十万という民間人の命が救えたはずの、降伏のタイミングを逸したのだ。そのため、敗戦の年だけでも、東京大阪の大空襲、サイパン、沖縄、広島、長崎の原子爆弾、外地居留民の多くの犠牲を出した。
大義であれ、正義であれ、なんといおうと、あの戦争の結果として、三百万人の何物にも変えがたい同胞の命が失われたのだ。文部省が教育の軸として推し進めた「国体」とはなんだったのだろう。

愛国の「国」とはなにか。「国敗れて山河あり」という。中国何千年の気の遠くなるほどの悠久の歴史上では、国など掃いて捨てるほどあった。でも、ふるさとの山も川もそのままだ。

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国を愛するのは、ふるさとを愛することだといわれる。藤原正彦氏は、祖国愛だという。愛するのは、ネーションではなく、カントリーだという人もいる。
戦前の「忠君」とセットになった「愛国心」は、今言われているようなそんな静かな気持ちではなかった。「国」は、報国戦士、護国の鬼という風に用いられた。あれほど犠牲を払い敗戦しても、もうしわけない、臣民のチカラが足りなかったとして、新聞は「一億総懺悔」と書いた。一億は、シコの御盾でしかなかった。

ぼくは、コミンテルンとスターリンに、日本の脆弱な関東軍の実態を通報した人たちは、愛国者とは思わない。何十万人の大陸残留の邦人の命が、卑劣なソ連の参戦によって奪われたからだ。
せめられないにしても定年後、日本の半導体などのノウハウを近隣諸国に流した技術者たちの国益に反する行動については、困ったものだと思ってしまう。

9.11以後、イラク戦争にいたる多民族国家で移民の国のアメリカの「愛国」キャンペーンも、しっかりみせてもらった。
この国の「愛国」のかたちは、国会の外でも、これから、いろいろ議論されるだろう。元軍国少年のぼくの苦い体験もふくめて、世界の歴史を検証してほしいと思う。大賢は、歴史に学ぶものだ。

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「見よ。東海の空あけて」で始る、幼いぼくが歌っていたなつかしい歌がある。
ああそうだ。「愛国」といえば、「愛国行進曲」だった。むつかしい歌詞で意味はほとんどわからなかったが、ぼくら小国民が、覚えて日々口ずさんだ歌だ。ご紹介しよう。

一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ

昭和十三年発表

投稿者 nansai : 16:35