縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年6月 2日

六月二日(金)

愛国心

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「愛国心」をめぐっての議論がさかんだ。若い人は無関心だろうが、年配の人でも、急に態度が変わって自説をまくしたてたりするから、こわい。びっくりする。
戦争に負けるまで、少年のぼくは、愛国というよりも、軍国教育をいやというほどうけてきた。目撃者として、証言しておきたいこともある。
当時の教育は、「忠君愛国」がモットーだった。小学校、中学校(旧制)が、メディアで、絵本も童謡も軍歌も、「愛国」は、「忠君」と切り離せないワンセットだった。ぼくの中学校の校訓は、「純忠」だった。
記憶では、戦争末期には、愛国は「忠」一色に染められてゆき、その「忠君」も、戦争が敗色濃厚へすすむにつれ、「国体護持」というスローガンに呑み込まれていった。
愛国ではなく、「国体」を護持する、という大義のもとに、本土決戦、一億玉砕が叫ばれ、ポツダム宣言の受諾が遅れ、何十万という民間人の命が救えたはずの、降伏のタイミングを逸したのだ。そのため、敗戦の年だけでも、東京大阪の大空襲、サイパン、沖縄、広島、長崎の原子爆弾、外地居留民の多くの犠牲を出した。
大義であれ、正義であれ、なんといおうと、あの戦争の結果として、三百万人の何物にも変えがたい同胞の命が失われたのだ。文部省が教育の軸として推し進めた「国体」とはなんだったのだろう。

愛国の「国」とはなにか。「国敗れて山河あり」という。中国何千年の気の遠くなるほどの悠久の歴史上では、国など掃いて捨てるほどあった。でも、ふるさとの山も川もそのままだ。

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国を愛するのは、ふるさとを愛することだといわれる。藤原正彦氏は、祖国愛だという。愛するのは、ネーションではなく、カントリーだという人もいる。
戦前の「忠君」とセットになった「愛国心」は、今言われているようなそんな静かな気持ちではなかった。「国」は、報国戦士、護国の鬼という風に用いられた。あれほど犠牲を払い敗戦しても、もうしわけない、臣民のチカラが足りなかったとして、新聞は「一億総懺悔」と書いた。一億は、シコの御盾でしかなかった。

ぼくは、コミンテルンとスターリンに、日本の脆弱な関東軍の実態を通報した人たちは、愛国者とは思わない。何十万人の大陸残留の邦人の命が、卑劣なソ連の参戦によって奪われたからだ。
せめられないにしても定年後、日本の半導体などのノウハウを近隣諸国に流した技術者たちの国益に反する行動については、困ったものだと思ってしまう。

9.11以後、イラク戦争にいたる多民族国家で移民の国のアメリカの「愛国」キャンペーンも、しっかりみせてもらった。
この国の「愛国」のかたちは、国会の外でも、これから、いろいろ議論されるだろう。元軍国少年のぼくの苦い体験もふくめて、世界の歴史を検証してほしいと思う。大賢は、歴史に学ぶものだ。

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「見よ。東海の空あけて」で始る、幼いぼくが歌っていたなつかしい歌がある。
ああそうだ。「愛国」といえば、「愛国行進曲」だった。むつかしい歌詞で意味はほとんどわからなかったが、ぼくら小国民が、覚えて日々口ずさんだ歌だ。ご紹介しよう。

一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ

昭和十三年発表

投稿者 nansai : 2006年6月 2日 16:35