縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年8月22日

八月二十二日(火)

魂は、ろうそくの炎のようなものだろうか。鎮守の森の木のように、そもそも魂は、一柱、二柱と数えられるものなのだろうか。
神道の教義では、祀られている魂の集団があるとして、そこからある部分の集団を、わけて祀ることはできないとしているそうだ。炎を、別のろうそくに移すことはできるのに。

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だれがきめたのだろう。どうも経典や教義にもとづいた神学論争を経た決めごとでもなさそうだ。
奇妙なことに靖国をめぐる議論は、ここに端を発している。A級戦犯の合祀の是非は、政治問題である。
ぼくは皇国史観の真っ只中で少年期をすごしたが、神道の神さんの世界の約束事には心得がない。分祀か合祀かについても、興味がない。だが、神さんの祀り方についての約束事の解釈で国内で目くじら立てて言い争い、それでアジアのもめごとの火種にするのは、生産的でないと考える。難問だらけの日本に、そんなヒマはないはずだ。

毎日新聞八月七日に連載された「靖国-戦後からどこへ::揺れる分祀論」に、いろいろと教えられた。
どうして「分祀」という考え方が許せないのか、不思議に思っていた。
分祀とは、ある神社の祭神をろうそくの火を移すように別の神社でも祭ることを指し、靖国からA級戦犯の御霊14柱を別に移すには、246万柱すべてをいったん廃祀することになるからだめということらしい。そんなことをだれがきめたかといえば、神社本庁で、教学研究所というのがあって、そこで決めるという。法王庁か、野球のコミッショナーのような存在か。
毎日新聞の取材によれば、担当の坂本国学院大学神道文化学部教授が、分祀否定見解を執筆した。しかし、坂本教授もいまは困った立場に立たされているようで、「これについて私は語れない。もし語ったらいろんなものが壊れてゆくだけです。::私は単なる神社本庁のプロパガンダをやっている男に過ぎない」と、述べていると、毎日新聞は報じている。
A級戦犯の合祀は、78年に、東京裁判を否定する松平宮司が、独断で敢行したといわれている。すでに故人となった一人の宮司の行動が、今、政界をゆるがせている。おかしなことだ。

靖国問題で、首相は心の問題だというが、それは立場を換え被害者の身になった「心の問題」は、また別だろう。アジア各国の戦没者は二千万人を越えるといわれる。アジアの人たちの感情を逆撫でして、居直ってしまい、ひっこみのつかぬ状況は、まずい。

元軍国幼年のぼく自身は、分祀か否かについて、深い関心はない。日常生活では、神主さんもお坊さんも、おおらかに、受け入れていて、細かいタブーは教えられていないし強制もされていない。アラブの宗派間の争いをみるにつけ、この日本は、宗教的には、自由な国である。
ここのところは、ひとつ、神社本庁におかれても、神さん側の面子も都合もあろうが、教義とか、かたくるしいことをいわず、あんじょう、丸く治めておくれやすと、お願いしたいものだ。

靖国神社の存在そのものに、先の戦争への反省がないと見る国もあろう。分祀なんかではすまされないということか。

ならばと、不謹慎ではあるが、ぼくは、いいアイデアを思いついた。
東の靖国とはべつに、アジアを見渡して鎮魂不戦の記念施設を、西の大阪につくろうではないか。
東西本願寺など、仏教にイニシアティブを取ってもらうのも一案。これまで、310万人の戦没者の霊を慰めるのに、仏閣はなにをしていたのだろうか。大寺院の建立、大仏さんや観音さんのモニュメントもいい。

また、無宗教で、パリの凱旋門やエッフェル塔のような記念建造物を構築するのも一案だろう。千年先を見据えて、国を越えて、先の戦争の全犠牲者を弔う記念碑を建てるのだ。
満州、中国、ガダルカナル、インパール、サイパン、硫黄島、広島、長崎、東京、大阪::それぞれの戦場被災地から、いささかの土を運びいれ、メモリーの塔を建てるのはどうか。いまだにたくさんの遺骨が収集されず、山野にうちすてられたままだときく。
平和史観にもとづく、かなりの規模の戦争博物館もつくりたい。藤田嗣治の戦争絵はぜひかざりたい。資料はすべてデジタルアーカイブし、他国の公文書館とも情報を公開しあいたい。
地盤沈下にあえぐ大阪は、こうした施設の勧請に手をあげるべきではないか。場所は、北摂がいい。JR吹田操車場跡地が最適である。万博公園と手をつないで、あたらしくアジアに向けて、たくさんの人を呼び寄せ、戦後61年平和を保った、若い日本のメッセージを発信したいものだ。アジア各国の若い人たちとの交流とコミュニケーションが喫緊の課題だ。隣の国々が恐れている軍国主義とは、日本は、まったく無縁の国であることを知らせたい。こじれにこじれた靖国問題がのどに刺さった骨であるならば、こうしたノーテンキで前向きな考えは、とりもなおさず、国のため心ならずも命を失った英霊の願うところではないだろうか。


投稿者 nansai : 2006年8月22日 13:02