2006年08月29日
八月二十九日(火)の一
八月某日
思い起こせば、二十世紀の「平和」というスローガンは、ハトとかオリーブの葉とか、きれいごとのポスターの図柄にしかみえず、どうも現実味がないように思われてならない。
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61年前の総力戦に敗れた日本の昭和二十年を思い起こせば、あまりに抽象的だ。実情にそぐわない。61年前の暑い夏、国体の護持のために、日本国民は、一億玉砕を覚悟するように、政府から指導されていたのだ。
終戦。市民をまきこんだ大量殺戮そのものの戦争が終わった、原爆の威力はまったく理解できていなかったが、空襲で逃げまどわなくてもよい。もう殺し合い(日本が制空権をうしなってからは戦争末期は、一方的殺戮と破壊だったが、)しなくてもよい。その安堵感をなんと表現するか。平和という言葉に置き換えても、そらぞらしい。
レバノンでもイラクでも、きれいごとのスローガンよりも、もう殺しあわない工夫が、切実に大事なのだ。
どんな大義があろうとも、とりあえず、殺し合いをやめることだ。61年前の戦争指導者の一部は、その動きに最後まで反対した。そのため、100万人以上の無用の死者を出した。
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戦争が終わって、負けてというべきか、なによりも、うれしかったのは、夜、明かりがともせたことだ。灯火管制の必要がなくなった。空襲におびえずにすむのだ。電灯の笠にかぶせていた黒い布を取り去る。電球の光で部屋が明るく照らし出される。それがどんなにうれしかったことか。
投稿者 nansai : 2006年08月29日 11:00


