縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年9月29日

九月二十九日(金)

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さあ、最終決戦。甲子園は大騒ぎだ。「8連勝で迎え撃つ!やり返せ猛虎」(スポニチ)とスポーツ紙はかまびすしい。胸が騒ぐではないか。本来、戦いすんで日は暮れての、この時期に、結構なことだ。

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対中日5勝13敗のあげく、41歳の山本に準完全試合をくらって、ぼくは、あかん、シーズンは終わった、南無阿弥陀仏、なんまいだ、をとなえた。ところがだ、息の根がとまったと思ったら、どっこい、虎は生きていた。死んだはずの投手陣がしぶとく生き返ってきた。

名将!オカダ監督が、王道野球のころもをかなぐりすてたのだ。昨年の打点王今岡が長期欠場して、鉄壁のはずのJFK防衛線がくずれ、とたんに、なりふりかまわぬ戦いぶりで、タイガースは、驚異的ペースで勝ち始めた。8連勝は、けなげである。「天晴れ」をやろう。

ことしの甲子園球場入場者数は、300万人を超えると予想されている。昔はおっさんが多かったが、新しい若いべっぴんのトラキチも増えた。がんばってもらわねばならん。ぼくも、300万分の一の観客だ。一回だけ、観戦した。

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確率は低いが奇跡を信じて、一戦一戦が、まるで高校野球のように、ドラマのように楽しめるのはいいぞ。これぞプロ野球だ。わくわく、おもしろいじゃないか。たとえ優勝かなわずとも、だ。今夜の一勝こそ大事なのだ。「日本一」が、なんぼのもんじゃい。

パリーグは、ロッテをふくめての4球団が団子レースでひしめきあって、盛り上がった。プロ野球はこうでなければ。来期をにらんでといいわけしつつの、気の抜けた消化試合などはもってのほかだ。

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一抹の不安がないことはない。
ここぞのときの連敗だ。バントはしない、ヒットエンドランはかけない、自由に打て、のオカダ采配は、明快だが相手にすんなり読まれてしまったのではないか。
球界きっての野球理論家岡田監督は、優勝監督だけでなく、大打者としての申し分のない実績の裏打ちがある。スポーツ各紙は、神様のようにもちあげている。サッカーのジーコのように。
だからか、エリートでプライドが高すぎたからか、落とした試合を認めたくない。臨機に応変せねばならぬのに、急遽対策して繕うことが苦手だったのでは?
だから、ツメを隠している老獪なチームに、とことん裏をかかれて来た。情報戦に強い忍者軍団に弱かった。昨年の日本シリーズで、バレンタイン監督率いるロッテに4たてを食ったのがいい例だ。今年も、中日戦で信じられないほど負け続けたのは、落合ドラゴンズに徹底的にケツの穴の毛まで読まれたのではないか。

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ならば、だ。めちゃくちゃ、いったれえ。なりふりかかわず勝てばよいのだ、というオカダの無手勝流は、タイガースにチカラがついてきているから、案外、通用するのだ。苦しいのは百も承知で、17連勝を狙っていこう。

投稿者 nansai : 14:26

2006年9月22日

九月二十二日(金)

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いよいよ本格的な、高齢者時代の到来だ。
国としては、高齢者に寝込まれては困るのだ。できるだけ元気でいてほしい。もう老人医療費の負担増には耐え切れないから、ピンピンコロリと、お願いしたいというのが、自治体の本音だ。
だから、すいすい元気に動き回る老人は、都市、地域のタカラである。老人たちの好奇心をかきたてピンピンの行動力をうながすべし。その活力の潤滑油は、交通費だ。(無料でなくてもよいが思い切った割引率が望ましい)どうも大阪近辺の電車、バス代は、職を離れた高齢者にとって負担が重過ぎるのではないか。

女性専用電車は、ある。大学教授などの痴漢たちから、身を守るためとのことだ。優待席なるシートは、いったい、だれのためか。体育系の女子高校生など若い女性が座り込んで、席をゆずるどころか、わき目もふらずケータイに見いったり、大胆不敵なのは、コンパクトを出して人前で化粧したりしているが、それは、まあいい。
古希以上でよい。優待席ではなく、割引定期を、出してはどうか。映画館も千円に割り引いてくれるご時勢だ。

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ラッシュ時をはずれると、私鉄も、地下鉄も、環状線も、大都市では、幹線以外の電車は、がらがらのまま走っている。もったいない。もっと老人を誘致してのせれば、資源の有効活用が図れるのだ。電車会社は、設備の、われわれ老人は、時間の。
どうだろう。高齢者諸君も、遠く山奥の秘湯よりも、近くの都市の娯楽設備を有効活用エンジョイして、シャッター通りだらけの都市の活力の源泉になっては?

尊敬する俳人のYさんが、夏の終わりに、ひっそりと亡くなられていた。八十歳近辺だったか。編集していた同人誌の片隅に、小さく載っていて知った。どこにも知らせるなということだったらしい。
生前は、会合などで忙しく飛び回っておられたが、あるとき「交通費が、ばかにならないのですよ。」ともらされたことがあった。
ボランティアに近い動きをしておられたが、高齢になると、自前で払う交通費が負担になるのだ。
Yさんは、さいごまで、好きな道を指導的立場で第二の人生を開拓され、充実した一生をおくられた。かれのように、高齢にして、世のため、人のために動かれたかたの交通費のご心配はかけない社会にしたいものだ。


投稿者 nansai : 16:17

2006年9月21日

九月二十一日(木)

困ったことになった。
隣のイタめし食堂「マリアン」の大将が妙なことを思いついたのだ。店の奥に中古のパソコンをおいて、このらくがき絵巻を、いつでもだれにも、自由に見られるようにするというのだ。置く場所が店の隅っこだから、だれも気づかないかもしれないが。

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そもそも、この変則ブログは、ウエブで日本語の読みやすい縦組みを普及させたい、という高邁、かつ雄大なアマノジャク的動機から出発した。見た目が大事のスタイルシートだから、当然、中身に関心を持つ人はまれである。ブログといっても、変則で、双方向コミュニケーションに背を向けている。

じまんではないが、中身は、ほとんど蒸留水。毒にもクスリにもならないことは保証する。年寄りがわけのわからぬことをぶつぶつひとりごとをつぶやくように、即興の「絵のようなもの」を描きちらし、それに短い(つもりの)縦書きで文章をつけている。

いぶかしく思われても、絵にならなければ文章をつけない、という理屈に合わない妙なところに、ぼくはこだわっている。取り上げるテーマは世に掃いて捨てるほどあるから、本末転倒といわれても、下手でも、絵になるかならないかが、みそなのだ。
絵と文がつるみあい、ワルツを踊るのだ。ジルバもいいな。(ロックはわからない。)「平成の文人画」と、大きく出たいものだ。
プロのデザイナーが見向きもしないペイントで、しろうとのぼくがマウスを操って描くのは、いい気分だ。
いったい誰が描いたのか。ふふふ。年齢不詳の「変人二十面相」が、ぼくの世を忍ぶ仮のすがたのはずだった。

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こんな内容の薄いコンテンツでも、みてくれるひとがいないでもないが、ノー サンキュー、コメント主義である。ごくまれにわが意を得たようなのが出来たときは、風呂場で鼻歌のひとつもでるが、他人にきかせることではない。「へをひっておかしくもなしひとりもの」が、もともとの趣旨だ。

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イタめし食堂マリアンは、21世紀に向かい、スローフードの提供を誓った。店の壁には、ぼくの「絵のようなもの」のプリントアウトが、額縁におさまって、不ぞろいにならんでいる。スローフードを目指す店主の願いが、絵馬として飾られているのだ。

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古いパソコンが、奥のワイン棚のすみにおいてある。ここで見ようと思えば、このブログがみられるのだ。

客がみることのできるパソコンがおいてあるレストランは少ない。特定のブログをいつもみられるようにしてある店も事務所もないから、これは、たしかにアイデアだが、ぼくにとっては、なんだかへんなことになった。
落ち着かないのはどういうわけか。よくわからない。申し訳ないが、見てくれる人の顔がみえることのわずらわしさだろう。若々しいつもりのパフォーマンスが売りの覆面レスラーのマスクがずり落ちて、はげ頭を見られてしまうようなものか。

ここの大将は、ひげの濃いクマなのに、なかなかのアイデアマンである。パン屋も経営して、眠い目をこすりながら早起きしてパンを焼いている。よそにないトリノ風「グリシーニ」が後を引くと評判だ。

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数少ないぼくのタニマチだが、(ときどき、おかみさんの目を盗んで、ワインを一杯だけふるまってくれる)つねづね、いやみをいう。
「なかなか更新されませんなあ。」
「この絵は前にも見た」
「文章が長すぎる」などなど。
いちいちご指摘のとおりだ。

でも、バーチャルに書いたり描いたりするとき、特定の見る人、読む人を気にしすぎるのは、もともとの趣旨に反する。何かいわれても聞こえないふりをする、いわゆる「勝手つんぼ」が、ぼくの覆面スタイルだった。くさされるのもいやだが、ほめられるのもしんどい。頭隠して尻隠さずでいいじゃないかと居直れるのが、ブログだ。

しかし、まれにだろうが、店の奥のパソコンを覗き込む女性たちは、目が高いことが予想されるのだ。怖い存在である。まあ、この猫かわいいとか、反応が早い。(絵にかんしては、たいていのおじさんはめくらだ。)そうなると、無意識に、彼女たちのうけをねらおうとする気弱な自分がこわい。

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正体のばれたぼくは、愛想笑いしながら、マウスでのお絵かきがどんなにかんたんかを、この古いパソコンの前で得意げにマウスを動かして実演するようになるだろう。動物園で、絵が上手というふれこみのチンパンジーが、絵の具で紙と手をべたべたにしながら、めちゃくちゃ描きなぐって、幼児たちの人気をさらうように。
年賀状のマウスでの描き方(来年はイノシシだ)なんか教えてあげると、客寄せパンダならぬマウス絵ジーさんは、この町内の有名人になるだろう。
気の重いことだが、そうなれば、ここの大将の思う壺なのだ。

投稿者 nansai : 13:49

2006年9月19日

九月十九日(火)

大阪には塔がない

大阪には、塔がない。あっても低すぎて目立たない。大阪城も、高さではひけをとるから再開発が必要だろう。観光で世界から人々を引き寄せたいはずの21世紀の大阪だ。海外から見て一目でわかるシンボルがないのが、気になっていた。海外の都市は、上海にしても、パリ、ニューヨーク、独自の塔を立てている。

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塔とくれば、展望台だ。
十月一日がいつのまにか「展望の日」と決まったらしい。知らなかった。
てん(10)とぼう(1)のごろあわせで、全日本タワー協議会という団体が制定した。くるしいが、まずはめでたい。関西の4っの塔が参加していて、「天空京神ヨンタワーロボ」をキャラクターに選んだと新聞で読んだ。
幸福の神様ビリケンがリモコンで操縦し、困った人を助けるのだそうだ。

ビリケンとは、おもしろそうだ。ぼくも悪乗りして、通天閣の向こうを張る新タワーを、極秘裏に、スケッチしてみた。ビリケンタワーということにしよう。

ラッキーなビリケンさんにあやかって、淀屋橋とか、大川のどこかをまたいで、建てる。はるか海外からも大評判になる。安藤さんが仰天しそうなおもちゃ感覚で、ビリケンタワーはゆっくりと大阪を眼下に見渡しながら回転するのだ。
アメリカ生まれのビリケンさんは、手が短いのであしの裏がかゆくてもかけない。足の裏をなでてあげると、ご利益があるということだ。おかねがたまる。

ビリケンさんのあごの下は、ニューヨークの自由の女神塔のように展望台になっているから、大阪城や通天閣が見下ろせる。小手をかざして眺めれば、水の都の大川の水辺に、えんえんと続く桜の回廊も一望のもとだ。
ところで、この絵でビリケンさんの向かって左の足の親指にとまっている鳥にご注意いただきたい。さて?
と、まあ、ばかみたいといえばそれまでだが、ペイントとマウスで、こんなたわいもない思いつきが、こちょこちょっと、かたちに、でっち上げられる。思いつきは新聞やテレビからだ。紙一枚使うわけでなし、いちびりの一人遊びが楽しめる。おそまつ。


投稿者 nansai : 14:13

2006年9月15日

九月十五日(金)の二

飲んだら乗るな。すぐ降りんかい。

飲酒運転は犯罪だ。無責任きわまりない飲酒運転に、世間の怒りが爆発だ。
「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」のスローガンは、調子よすぎて、ききめがなかった。

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それどころか、卑怯なひき逃げが増えているという。許しがたい。昨年は二万件に達し、10年間で3倍に増えている。厳罰の飲酒運転がばれるのを恐れて、ドライバーが、被害者を救護せずに逃走するのだ。これはひどい。もう二度と悲惨な福岡の幼児三人の死亡事故をおこさせないようにせねばならない。

昨年の飲酒運転検挙件数は14万件だった。
この際、飲み屋だけでなく、酒造メーカーも自動車メーカーも、自動販売機業者も、もうけてばかりいないで、飲酒運転撲滅のキャンペーンを、カネを出して、もっと本気でしてもらいたい。酒も自動車も、潜在的な凶器なのだから。製造業者責任はあるはずだ。
道路上では、禁酒法を適用すべし。アメリカとちがって、この趣旨を徹底するように、まじめに取り組んだ広告もみたことがない。

「飲んだら乗るな。すぐ降りろ。」ぼくも、ポスター用に絵を描いてみた。
酒気帯びの千鳥足運転が大事故を引き起こす危険なのだ。この絵では、クルマが、いい気持ちで、酔っ払ってふらふらしているようにしか見えない。失敗作だ。

で、つぎに、改善したつもり。だが、やっぱり狂気の酔っ払い運転の恐怖が伝わっとらん。あんまり迫力ないねえ。

投稿者 nansai : 14:51

九月十五日(金)の一

「泥臭くてもええ!」、
日刊スポーツの見出しが躍る。
竜を捕らえるまではなりふりかまってはいられない。岡田監督が泥臭く、執念の采配で4連勝を導いた、とニッカンは持ち上げている。

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監督就任後、初めてのスクイズ(信じられない)を、関本に敢行させたが、ネット裏のだれもが首をひねるセーフティスクイズという中途半端さで失敗した。
「初スクイズで岡田監督4・5差」「奇襲失敗も、禁破り1点奪う執念采配」と見出しは続く。へえ、スクイズって、誇り高いオカダにとって禁じ手だったのか。

ここにきてようやく、そのプライド高い岡田流を崩し、「王道野球」とやらの理想をかなぐりすてたのは、大いに結構。臨機応変だ。やや遅きに失したが、野球は勝って何ぼだ。

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若いころからエリートだった大打者オカダは、大監督として、星野型のつなぎ野球に反発してきたと、ぼくはみている。あえて打者に自由に打たせ、ヒットエンドラン策もとろうとしなかったのが、危機を招いた。ぶつぶつ評論家たちが遠慮がちにつぶやいているのを(新聞やテレビ中継でだが)小耳に挟んで、ぼくもはがゆかった。
なぜ、あんなにぼろぼろ無残に、中日に負け続けてしまったのか。油断か、驕りなのか。中日ドームでの戦い方に、カイゼンの余地はなかったのか。面子をすてれば、負けないための、なりふり構わぬローテーションのやりくりはできたはず。

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いま、藤川の肩には疲労が蓄積しているらしい。
「これからは特攻出撃だ」と、別の新聞は書いていた。
シーズン開幕前は、ひともうらやむ「投手王国」といわれた。鉄壁のはずのJFKがつぶれてから、先発投手陣も、今岡を欠く打線も、目醒め奮起した。

もう、あとがない。監督がプライドを捨てたら、死に物狂いのトラは強い。
これから一皮向けた岡田監督が、采配の結果次第で、名将とよばれるようになるかもしれない。期待しよう。

投稿者 nansai : 14:08

2006年9月11日

九月十一日(月)

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大きな瞳、優しい表情。戦後みなが貧しかった時代、ぬりえに描かれた「華やかな世界」は少女たちのあこがれだったという。日経新聞によれば、東京には、ぬりえ美術館もできたらしい。
いま、高齢者のぼけ防止に、養老院でも、ぬりえが活用されているという。ちょっとしたブームのようだ。

じつは、ぼくが描いているペイント画は、まさにデジタル版塗り絵なのである。ぬりえのもとを、描いてしまうのだ。紙もいろえんぴつも使わない。ねこでもふねでも、えいっと、いいかげんに輪郭を描く。ペイントから、適当な色を選び(これがたのしい)ペンキ缶のしるしをクリックすると、あっという間にぬりつぶしが完了。これは楽チンできれいに仕上がる。やり直しも簡単だ。安上がりで前準備後始末、不要である。あまりに簡単すぎるのだが、認知症の治療効果が期待できれば、ありがたい。
こちょこちょとマウスをうごかすことで、多少アルツハイマー気味のぼくの脳も、活性化しそうだ。ネコの塗り絵を描いてみよう。

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投稿者 nansai : 14:07

2006年9月 4日

九月四日(月)

タブーについて語るのは、いつの世でも、難しい。
人の考えには、とてつもなく大きな幅、意外なほど深いミゾがある。もっとも、深くは考えていない人(選挙権は持っている)が、大半なのだが。
「私は子猫を殺している」。
こう切り出した坂東真砂子さんの日経にのせた猫殺しエッセーは、誰をも仰天させ、誰にもわかりやすいテーマだった。

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新聞紙上では音なしだったが、果たせるかな、ネット上では、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎになった。
あちこちで臨時魔女裁判が弁護士なしで開廷された。タヒチ在住の本人が予期したように、鬼とののしられ、罵詈雑言の十字砲火が浴びせられている。
いや、すごいものだ。覚悟の上で、タブーにちょっかいをだした坂東さんにとっては、逆さ張り付けは、本望。思う壺か。

ぼくには難解な文章だが、要するに、彼女はじぶんの飼い猫に不妊手術するにしのびないし、そもそも人間は、メス猫の「生」、発情期にセックスし子猫を産む幸せをうばってよいのか、ということらしい。でも、子猫の野良猫化は、社会の迷惑という認識に異存はないという。

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メス猫は半年で母親になり、一度に5,6匹の子猫を産む。
飼い主としては、当然面倒見切れないから、貰い手をさがすか、捨てるかだ。捨て方がむつかしい。?坂東女史のように勇気がなければ、情がうつらぬように、できるだけ遠くに持っていって捨てる?自分で手をくださずに、役所に処置をたのむ。イヌネコで年間40万匹が処置されるらしい。
だからといって、生まれた子猫をすぐ殺してもよいのかと、ここで、非難が一段とヒートアップする。

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しかし、そもそもだ。イヌや猫を人間がペットとして行動の自由を束縛するのはいかがなものか、所有の傲慢だと彼女はいう。
うーん、そうではあるが、この生きにくい世のなかで、信じられるのはペットのお前だけだと、孤独な人や寄る辺のない高齢者の精神安定剤の役をはたしているばあいもある。
元野良猫の、ぼくのイエネコもそんな存在である。
環境庁のご指導のとおり、(配布のパンフに飼い方が載っている)異性に会うこともなく、外にださずに、イエの中で居場所を自由に転々としつつ、家族に猫かわいがりされて、生きている。一日の大半は動かず眠っているようだ。首に鈴をぶらさげ、猫じゃらしに走り回って飛びついているが、不憫といえば、そうかなあ。ソニーが製造を中止したロボット犬も、アメリカの老人ホームで人気だとか。
ペットは、現代では、家族の一員になってしまったのか。傲慢な人間に、意向をきかれもせずに。

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子猫を殺した告白は、魔女狩りで憎悪の的となっているが、問題の根ははるかに深く、重く受け止められねばならない。こうして平成版の生類憐み論争が繰り広げられているのは、いまの日本があまりに平和だからか。
しかし、子猫殺しも大問題だろうが、いまもなお、この国にいろいろ存在するタブーを根深いタブーのままに、くさいものにふたして葬ってはいけないと思う。自由闊達に議論できる国であってほしい。

殺すという行為が、人に向けられることは、重い。
昭和六年以降の戦争の実相を語ることは、兵士にとってタブーだったのだろう。
昭和十二年の中国の上海戦線で、なにが起きたか。
90歳に近い元兵士たちが、孫たちにきかれて、口を開き始めている。NHKの9月2日放送の「祖父の戦場を知る」は見ておきたい番組だ。「孫たちへの証言」は、大阪の出版社が毎夏戦争体験の手記を集め19冊を数える。最近孫世代からの投稿が増え初めた。番組は、「自分はたたみの上では死ねない」といった祖父の戦争を知ろうとする孫たちを取材している。

投稿者 nansai : 15:21