縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年11月10日

十一月十日(金)

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アメリカの中間選挙を今回ほど身近に感じたことはなかった。イラクが、最大の争点だったからだ。
民意は、政府のイラクへの対応に対して、全米で、ノーと出たようだ。
ブッシュ政権が、上下議院で、民主党地すべり的な敗北を喫したあとの、対応がすばやいのに驚いた。
手のひらを返すように、すぐさま、腹心の国防相を更迭し、次期下院議長となる野党の女性議員と昼食の予定を取り付け、今後の議会との協調体制を話し合うというのだ。

選挙による民意の受け止め方が興味深い。長引く複雑な問題に対して、選挙による民主主義のひとつの解決策を垣間見た気がする。
選挙により、政策に、民意が多数決で反映される原則がある。それにより、政府方針の見直しが可能なフレキシブルな仕組みも大切であろう。

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それよりもなによりも、アメリカでは、戦時下でも、戦争に反対する自由が、曲がりなりにも、保障されていると感じた。

戦時中の日本では、どうだったのだろう。半世紀以上前を思い起こしてみよう。
今とは制度が違うとしても、選挙で、つまり民意で、戦争をやめさせることができただろうか。三百万人が死なずにすんだのに。

国家が、愛国心、非国民などの思考停止用語と、治安維持法で、かりに厭戦気分があったとしても、民意を取り締まり圧殺してきた。民意も、大政を翼賛していたのだ。北朝鮮の現在とかわるところはなかった。
共産主義をおそれ、国体を護持するための皇国史観による教育は、当時のぼくらの全身にしみわたっていたからだ。
東洋平和のために、鬼畜米英と戦っている。戦争反対など、とんでもない考え方で、戦争末期には、一億総武装が閣議決定され、竹やり訓練が実施された。
最後は、一億玉砕してまで、「国体」を守れという政府方針を、新聞がつたえたが、国民は反対の声をあげることもなかった。国体を護持するために戦う軍隊は国民を守ろうとしなかった最近ようやく証言されるようになってきた。
しかし、もし、あのとき、戦争継続か否か、国民投票がおこなわれていたら、当時の雰囲気では、どうなっただろう。
焦土と化した本土には、女性にはまだ投票権がなかったし、老人の有権者の比率が高かったろうが、あのころのムードなら無記名の投票でも、本土決戦を支持し、戦争継続に一票を投じた国民が多かったのではなかろうか。
日露戦争の後の日比谷焼き討ち事件にみられた民衆の国家主義的な発想は、外界の豊富な情報をめぐって議論できる場がないと、ヘンな方向に向かうし、権力はそれにドライブをかけるだろう。
当時、中学生のぼくはもちろん選挙権はなかったが、戦況の実態も日本をめぐる世界の情勢について何も知らされていなかった。テレビはなかったし、新聞は大本営発表の事実無根の提灯記事をそのままのせた。

民主主義も自由も、きいたこともなく、きいても概念が理解できなかったろう。これも、北朝鮮の人々と同じ状況だ。
なにしろ、滅私奉公と教えられたのだ。己をむなしくして、国につくせ、ということだ。御民われ、大御心に帰一奉ることで、命を惜しんではならない。不惜身命とか、この手の四字熟語なら、少年のぼくは耳にたこができるほど聞かされ覚えていたものだ。
国民の情報判断レベルは、メディア状況が決定するが、常識というか教育の問題でもある。
世界史をふくめて、日本人の常識の「履修」はどうしたらよいのだろう。
選挙が国政にただしく機能するためには、棄権防止も大事だが、選挙民の判断力の「履修」が必須である。
政党が人気取りだけのためにたてた有名人候補を、なめたらあかんで、と拒否するのは、有権者ひとりひとりの常識という判断力だ。
高齢者時代の日本の選挙は、これからどうなるのだろう。無関心な若い者と、爺さん、ばあさん、それに無党派を自認する棄権者たち。

アメリカの中間選挙の結果をテレビで見て、六十年前の日本の悲惨な状況に思いが帰っていった。

投稿者 nansai : 2006年11月10日 13:20