縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年11月27日

十一月二十七日(月)

家康をののしる会

大阪の不幸は、家康のせいや!「徳川家康をののしる会」というのがあるそうな。日経夕刊(十一月二十五日)によれば、東京コンプレックス丸出しの、このおもろい発想は、上方講談師たちから生まれた。

06112801.jpg

世の中の好ましからざる出来事の原因を徳川家康に求めて面白おかしく論じる座談会?が、二十年ぶりに復活するそうだ。
おもろいやないか。
なんでもかんでも、家康が悪い。まさに牽強付会だ。大阪にブルーのテントが多いのも、阪神が優勝逃したのも、強引に、みんな家康のせいにしてしまう話芸を上方講談師たちが競うのだという。
昭和五十年、三代目南陵が「大阪が東京に遅れをとっているのは、落城の悔しさが足らんからちゃうか」と言い出し、大阪城落城残念会」をひらいたのがきっかけらしい。
大阪には、しゃれ心と対江戸、東京の反骨精神があった。この二つをあわせたのが、この会だと、仕掛け人の旭堂南海はいう。

わからんでもない。金にあかせて常勝の巨人に歯がたたなかった時代の鬱屈した阪神ファン心理につながるものがある。
東京から見下ろされて、暴力、お笑い、コナもん、つまり、お好み焼きの町としか見えないのが、泣きっ面にハチの今の大阪だ。
日本を代表する大阪発祥の企業が、くしの歯を引くように、東京に移っていった。このままだと、天下の台所だった大阪は、何のとりえもない地方都市に落ちぶれてゆくのか。

06112802.jpg

このままでは滅び行くかもしれへん大阪のために、大阪城一帯ゾーンの観光資源としての活性化を何とかしなくてはいけないと、ぼくは考える。
権謀術策にたけた家康に堀を埋め立てられてあえなく落城した大阪城だ。完膚なきまでに破壊され、徳川によって再建されたが、火事で天守閣も焼け落ちてしまった。戦後建てられた天守閣は、姫路城などにくらべて、いかにも間に合わせで、品格に欠ける。そう思いませんか?
それに、急階段しかないせまい場所に小さな美術館をむりやり押し込んだから、見づらいし、豊富な史実を裏付ける資料が展示できない。大阪城は、ゴジラ映画のセットで踏み潰されるだけの役回りとなってしまったのだ。
大阪の財政は、貧乏のどん底にあえいでいるが、大阪城というかけがえのない歴史モニュメントを見直し再建できればと思う。

そういうわけで、上方講談師たちのトークショー「家康をののしる会」は、あきずに続けてほしい。(「ののしる」を、こてこての大阪弁では、どういえばよいかな?)

「大阪城を滅ぼした家康を見返すキャンペーン」は、ユーモラスに前向きに考えると、おもしろいのではないか。活性化のてことして、権現様を活用させてもらおうやないか。
大阪城落城の壮大なドラマは、その阿鼻叫喚のさまが大阪夏冬の陣の屏風絵に活写されている。国宝だか無形文化財の屏風絵に、兵士ひとりひとり、ぎっしり描きこまれた徳川豊臣両軍の合戦模様は、ハイビジョンで拡大してみると息を呑む。

この絵巻物のような光景を、京都の「時代祭り」をしのぐ一大パレードにしたら、どうだろう。
行列のコースを、型破りだが、東西の大川沿いにとろう。
京橋から八軒家遊歩道(京阪の中ノ島新線の地上にできるはず)を通って、市役所前から、東西に抜ける。御堂筋ではなく、東西を貫いて練り歩くのだ。
行列の主役は、淀殿、秀頼をはじめ、木村重成、後藤又兵衛、真田幸村など、いずれ劣らぬ、それこそ講談でおなじみのそうそうたるスターの顔ぶれだ。出自の不明な「御堂筋パレード」よりは、スジが通っていると思うが。

どうだろう。いいアイデアだ。パレードには、家康公にも加わっていただく。戦後も、じっさい数回行われたらしいが、京都の時代祭りと違って、盛り上がらずぽしゃってしまい、大金を投じてととのえられた具足甲冑などは行方不明という。もったいない。大阪らしいちゃらんぽらんのお粗末の顛末だ。

投稿者 nansai : 2006年11月27日 13:04