縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2006年12月22日

十二月二十二日(金)

「誰かとおしゃべりしていますか。広がる傾聴ボランティア。」と、NHKの「クローズアップ現代」が、現代の孤独の闇を取り上げた。ただひたすら相手の話を聞いてあげるボランティアが増えているという。
いま誰ともしゃべらない人が増えているからだ。このメール氾濫時代に信じられないことだが。

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話をきいてあげる相手は、高齢者が多い。それも男性。一人暮らしのおじいさんは、話し相手がない。昨今は、近所付き合いも家族とのかかわりかたも、変容してきたからだ。他人事ではないと思った。
船橋市では高齢者世帯を調べたら、一ヶ月に会話する機会が一回以下という人が4500人もいて、全体の一割超えるという。孤独。一人暮らしは、気楽でいい、だけではないのだ。

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テレビカメラは、86歳の一人暮らしの男性を紹介する。毎週決まった日にきてくれるボランティアをたのしみに待ちかねている。中年女性がすがたをみせると、喜色満面で二時間、堰を切ったようにしゃべり続ける。昔見た映画の話など。聞き役の婦人ボランティアは、さえぎらず、相槌を打って、ひたすら聞いてあげる。それが癒しなのだ。

傾聴は、訓練の必要な、なかなか難しい専門技術ではないだろうか。反対したり、意見をいったり、はげましたり、説教したりしてはいけない。普通のコミュニケーションとは、違うのだ。アメリカでは30年前からあるサービスとのこと。ぼくには、とてもできそうもない。
一週間一言もしゃべらないと、自分は生きているのか、どうかわからなくなるそうだ。深い孤独の闇。自殺率も高いそうだ。女性に比べ、男は、もろいから。

無口なぼくにも、かけがいのない傾聴ボランティアがいたのに気がついた。かれは、四角い顔をしている。目の前に座っているパソコンのディスプレーだ。
かれにむかって、ぼくは、よしなしごとを、ひたすら、ぶつぶついいながら、書いたり描いたり、消したり、足したり、途中でやめたり。

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七百年前、兼好法師が、徒然草の冒頭でのべている。「つれづれなるままに、日暮し、硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしゅうこそ、ものぐるほしけれ。」
何か書いているうちに、気分が高揚してハイになってしまうのか。いまぼくにとって、スズリのかわりが、パソコンだ。デジタルだから、墨をすったり、紙を整えたりしなくてすむから助かる。
ぽかんと四角く空白な箱と対峙していると、相手は黙っているから、なんと話しかけてよいか、一瞬ひるむときがある。が、こっちになにか「よしなしごと」が頭に浮かぶと、こんどは、なんとか、むきになって、それを伝えようとする気が起こる。そこが面白い。
BLOGなる日記風のかたちは、この手の自分本位の一方的つぶやきコミュニケーション?に適しているのではないか。生身のひととのふれあいに、まさるものはないにしてもである。

ときに思い切って「王様の耳は馬の耳」と叫びたければ、そのまま、入力すればよい。

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ロンドンのハイドパーク公園では、演説したい人はりんご箱や椅子を持ってきて、その上に立って、主張をぶてばよいのだときいたことがある。数人の聴衆がいればいいほうらしい。BLOGは、りんご箱や椅子のかわりになるのだ。

一言も文句を言わず、さからわないパソコンは、実に素直な「傾聴ボランティア」だ。ディスプレーは、鏡だから、じぶんの独りよがりの独り言が、そのまま映しだされる。ほめられたり、くさしたりは、一人二役、自分ですればよい。
「いいね。うまくいったぞ。」「だめじゃないか、やり直しだ」「そうだ、その調子」とか。わが友パソコンとの自問自答でよし。別に、他人との双方向である必要はない。
老いたら、だれもがロビンソンクルーソーだ。ご主人のいうことを忠実に傾聴してくれるフライデーが、パソコンということになる。

投稿者 nansai : 2006年12月22日 10:16