縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年1月18日

一月十五日(月)

敬太君の歌会始

知人の吉田さんの次男坊は、いまどきまれな孝行息子である。

帰省した兄とボールを蹴りに行く
土手一面に月見草咲く
               吉田 敬太

この歌を詠んだ吉田少年は、一月十五日、宮中で催された歌会始の儀に、最年少の栄えある入選者として参内した。今年の題は「月」だった。生まれて初めて詠んだ歌で、応募作2万3737首のなかから、たった十名の入選者に選ばれたのだ。すごいことだ。おめでとう。

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最新のヘアースタイルで髪の毛を逆立て、直立して朗詠をきくサッカー少年敬太君。その初々しいすがたが、新聞やテレビに大きく取り上げられた。
まだ十六歳。高校一年生で未成年のゆえをもって、付き添いとして吉田パパがモーニングに身を固めて同行した。孝行息子のおかげで、二重橋を渡れるなんて、夢にも思わなかった。なんと誇らしいことだろう。

吉田パパの本職は、コピーライターなのだが、あれはトビがタカをうんだとか、驚いたなあ、センスは息子のほうが上じゃないの、とか、周囲にひやかされても、にこにこしている。

宮内庁のウエブサイトを開けてみた。
ここには、歌会始に寄せられた天皇皇后はじめ皇族がたのお歌についての解説がくわしくのっているのだ。おそるおそるアクセスすると、意外、なんと、これが横組みである。ちょっと残念な気がする。

ぼくは、日本古来の和歌の型を表現するには、木で鼻をくくったような横組みは、なじまないと思う。
あのようなデリケートなひらがなの詩を、いきなり横組みするのは、あまりにもおもむきがない。
耳からきく場合は、違うらしい。宮中で披露されるときは、朗々と、語尾を独特の節回しで延ばす古式豊かな発声法がつたえられている。

平成デジタルの御世にも、伝統ある日本語の文章は縦組みでうつくしく表現できるのではと思うのは、昭和一桁うまれのぼくだけだろうか。
デジタルだからといって、一律に横組みすることの是非を、ハード、ソフト両面から、もっと検討し議論したい。【まだ不十分ではあるが、その答えのひとつが、この縦組みサイトのつもりなのだが】

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敬太少年のように、学校で横書きになれた若い人のなかには、どっちでもいいじゃないの、どうして縦書きにこだわるの?と、ふしぎがる向きも多いことだろう。
しかし、すべての日本語の文章をパソコン上で横組みにしてしまって、繊細な日本語独特のいいまわしの行間の意味、雰囲気は、伝わるものではないだろう。
これからの日本語の伝え手、つくり手である若い人たちにも考えてもらいたい。

歌会始は、いい機会である。
つぎのWEB3・0の兆しも、世間では議論に上っている。
しかし、この際、ちょっと立ち止まって、パソコン上で、和歌や俳句、随筆などの伝統の和の感覚を伝える日本語の文章をどう表記するかを考えてみたいものだ。
日本人のための、日本人による、デジタル世紀の日本語をどのようにつくりあげてゆくか、または、どのように流されてゆくか、老いも若きも、国民のあいだでひろく、論じてほしい。

務め終へ歩み速めて帰るみち
月の光は白く照らせり

歌会始に寄せられた御製が、ウエブサイト上に、横組みされるのも、まあ、大きな時の流れではあるだろうが。

投稿者 nansai : 2007年1月18日 13:55