縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年2月26日

二月二十七日(火)

公園のハトとエサとの深刻な関係
ぼくは、いま、つきあいのことで悩んでいる。
隣の公園の中を歩き回っているハトたちとのカンケイである。点呼して数えたことはないが、二十羽以上はいるだろう。

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改装中の小さな公園は、日中は、寒々として、こどもたちのすがたはない。真新しいベンチには、元気のない若いセールスマンが所在無げに、腰をおろしているだけだ。
芝生が張ってあるので中に立ち入らないでください、という市からのお達しの紙が、紐に吊るされてひらひらと寒風にそよいでいる。あちこちに散らばって、空腹な(ふうにみえる)ハトたちは、その芝生の種などをついばんで、生きているのだ。
ぼくが悩んでいるのは、このハトたちにえさをやったものかどうか、ということである。

気まぐれなぼくは、ときどき豆やパンくずをまいてやる。目がいいのだろう。離れたところからも、何羽もわっと寄ってきて、羽ばたきながら争ってつつく。黒山のようになる。腹をすかしているんだ。こんなにありがたがって、食べ物にむらがってくるとは。
その点、うちのネコなどは、横着なものだ。えさが用意されているのは、当然と思っているらしい。
公園横の「パン屋さん」のどうせ捨てるパンくずをわけてもらおうかな。

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ところが、「とんでもない」としかられた。
「ハトにえさなんか、やったらあかん。」と友人のひとりは、いうではないか。「ハトは、害鳥やで。ベランダの糞の被害でえらい目にあった。」
公園のそばのパン屋さんも、とばっちりで、わんさと投書がきたので、びっくりしたときいた。ハト撃退派は、パンくずを出すな。ハト愛護派は、パンくずをえさに与えよう。どないせいちゅうねん?

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おやおや、不勉強なぼくは、ネットで調べてみることにした。

ハトにえさをやるべきかどうかは、世界のあちこちの都市の大問題だった。ハト対策に東京、ニューヨーク、ロンドンの各市当局は、頭をかかえている。資料をみると、状況証拠は、ハトに圧倒的に不利だ。ハトは繁殖力が旺盛である。えさが豊富なら、年に8回、各2個の卵を産み、雛は6ヶ月で成鳥になるというのだ。
ビルやマンションと公園の間を通勤して、ベランダにフンや羽毛を撒き散らして洗濯物を汚す、巣をつくり排水管をつまらせる、、鳥インフルエンザも心配だ、と住民から苦情が殺到しているそうだ。

ロンドンでは、ハトをめぐって、市長と動物保護団体が大喧嘩だ。「トラファルガー広場の戦い」である。
トラファルガー広場には、世界からの観光客が集まり、ここでハトにえさをやる。えさのトウモロコシは免許を受けた売店で販売していた。ところが、二千年に市長が変わると、すべてが一変した。

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リビングストン市長は、ハトが大嫌いで、諸悪のもとのハトを「羽を生やしたネズミ」といい(うまい比喩だ)、広場でのえさの免許販売をやめさせて糧道を断とうとした。
このままだと4000羽が餓死してしまう。トラファルガー広場のハトを救う会が結成された。えさの量を減らしてハトの数を減らすことには同意した。1800羽に減ったが、えさの与えかたで、いまだにロンドン市側ともめており裁判沙汰になっているという。

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平和都市ヒロシマも、困ったらしい。平和記念公園のハトの始末については、市民のつきあげに苦渋の選択をせまられたようだ。
「鳥獣保護および狩猟に関する法律」をふりかざせば、知事の捕獲の許可は可能だ。しかし、平和のシンボルを追放するのは、市民の強い反発が予想される。
えさやりを自粛しよう、と、問題の解決を市民に納得させたのがよかった。当初の2000羽が、300羽をきったはずだ。
泥沼になるかもしれぬ条例化はさけられ、啓蒙でソフトランディングできたようだ。日英の国民性の差か。

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繁殖力旺盛だから、増えるハトの数と迷惑は、与えるえさの量に比例するらしい。ハトをかわいがる人とハトを憎む人と、どこでも、ひとびとは二派に別れる。ここの公園の近所の人たちも、おそらく同じだろう。アメリカの農務省の発表では、住民の苦情にこたえて年間六万羽を殺しているそうだ。
ベネチア、ニューヨーク、世界の都市も対応は、いろいろ。ハトにえさをやることが法令違反になるのが、ロスアンジェルス、ロンドンだ。さて、大阪は?

ま、いいか。ぼくは、気が向いたときだけ、たまにハトたちにパンくずをなげてやることにした。タバコのポイステよりもいけないことかなあ。
このせまい公園で、いったい何羽のハトが食っていけるだろうか。トラファルガー広場で1500羽、広島市の平和記念公園では、500羽が適正人口?らしいが。

投稿者 nansai : 17:56

二月二十六日(月)

ピック症
けさの朝日新聞の一面トップは、五段抜き大見出しで、
「働き盛り 突然万引き」。
分別も地位もある中高年の万引きの原因は、「ピック症」と呼ばれる認知症だったと報じている。
ええ!そうだったのか。

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まじめに仕事をしていた働き盛りの人が、万引きをして、社会的地位を失うケースが相次いでいる。それは、若年認知症が原因だった、という衝撃のリポートである。すごい。二人の婦人記者のスクープだろうか。
認知症は、脳の前頭葉と側頭葉の血流低下と萎縮で起きる。うち八割が、「ピック症」とされている。
百年も前に症例が報告されていたという。

やっぱりと思った。
中高年で社会的地位もあり、万引きするような品物を買うカネがないわけでもないのが、なぜ。ボールペンや消しゴムを万引きして懲戒免職とは、と不思議に思っていた。当の本人は、周囲の状況を気遣わず、まったく罪の意識がないそうだ。
朝日新聞の一面に、「ピック症」のチェックリストがのっている。正しく診断できるようになったのは、この10年らしい。
同じようなケースの痴漢行為も、本人の自覚のない場合は、冤罪を言い立てる前に、ピック症を疑ってみるべきではないだろうか。シロウトの類推に過ぎないのだが。

投稿者 nansai : 17:42

2007年2月20日

二月二十日(火)

大阪シティーマラソン

隣の公園のはとが、しゃべっていた。

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「東京は元気がええなあ。東京マラソンは、雨の中を三万人の市民が走ったらしい。沿道からもすごい声援や。市民の新しいお祭りやというて、新聞もほめとるわ。」
「先をこされてしもうたが、大阪が元気を出すのに役立つええことやったら、すぐまねせなあかんで。

大阪シティーマラソン!
これ、ええがな。二番煎じもへったくれもないわい。
東京かて、ロンドンやニューヨークの大都市マラソンに触発されたんやから。
大都市の景色を見ながら走るのは、市民ランナーにはたまらん体験らしい。」

「そうや。大阪は、水の都や。八軒家のここらあたりから、中ノ島、大阪城あたりの、大川沿いは、美しい世界屈指の名マラソンコースや。
世界から、観光客を呼べるわ。」

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「ここだけの話。わし思うんやけどな、「御堂筋パレード」より、市民マラソンのほうが盛りあがるでえ。あれやめたら、マラソンで世界へ大阪から、観光情報が発信できるで。パレードは、大阪ローカルのお笑い中継の扱いだけやもん。」
「ふうん。そうやけど、そらあかんと思うわ。
成功している都市マラソンは、どこでも市民ボランティアの力が大きいそうやな。で、大阪は、どうやろ?どれくらい集まるやろか。」
「そうやな。(ため息)
しかし、のりに乗ったら、阪神の優勝パレードみたいになるかもしれへんど。」

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マラソンを走りたい人に女性が増えたのは、時代だろう。走れないぼくからみれば、唖然。あのつらい長時間の走りに、氷雨が降る。でも凍えても耐えて完走したい。がんばる自分をみつめられるよろこびがあるという。えらいなあ。

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東京マラソンも、評価をめぐって、ぼろくそにこきおろしている夕刊紙もある。確かに石原ショーの面はあるだろう。だが、走りたい人がこんなにもいるとは。

NHKでは、ラストランした有森選手が、インタビューに答えて、世界の都市マラソンにくらべて、訴える「メッセージ性」がないとコメントしていた。
たとえば、ロンドンマラソンには、多額の寄付金が寄せられる。自分の走る目的は、パーキンソン病協会への寄付だとか、メッセージを掲げて走るランナーが多い。集まった寄付金は、ロンドンマラソンチャリティ基金を通じて非営利団体に寄付されるという。

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まったくのシロウト考えだが、大きなそろばんでは、大都市マラソンはペイするのではないか。鉄筋コンクリートのハコはいらない。道路などは、今ある設備を利用するのだから。
かつて大阪市長が夢見て膨大な費用を誘致運動に使い雲散霧消と消えたオリンピック投資にくらべてると、市民が走る「祭り」の費用対効果は、格段にいいはずだ。
「大阪は、生きてまっせえ。ええ町だっせえ。」
と、毎年定期的にきちんと世界にメッセージが発信できるなら、まねするのもわるくはないはずだ。これまでの大阪女子マラソンの実績もふまえて。

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投稿者 nansai : 09:35

2007年2月15日

二月十四日(水)

「誰かチョコ」

「誰かチョコ」というキーワード?が、BLOG頻度順の上位にきているのをみて、びっくりした。
「誰かチョコ」くれえ、といううめきだろうか。
YAHOOでサーチしたら、なんと660万件だ。

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まさに天下の奇習、バレンタインデーである。見たこともない異教の聖人をあがめる(らしい)日に、本邦でも、高価なチョコレートを豪華包装してプレゼントする。この国の誕生日には、まるで無関心なくせに。
デパ地下は、ごったがえすチョコレート博覧会だし、NHKは、特別番組で世界のチョコレート作りを紹介していた。

世間のせまいぼくは、驚いた。この奇習は、国のすみずみにまでひろがっているんだなあ。
メリーチョコレートの「わくわく川柳」が面白い。
川柳といっても、きまじめな作品が多い中で、ユーモラスなのをいくつか。

愛よりも人道支援の
ようなチョコ(46歳会社員)

義理チョコに両手
あわせる年となり(66歳団体役員)

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チョコレートにかこつけて、思いを伝える。恋人同士か、言い寄りたい相手に、渡す。それはいい。

あげる人がいない、渡す人がいない場合、配らねばならぬのは、つまらん。かねてから評判の悪いギリチョコは、いま窮地に立たされているという。
テレビ報道では、職場によっては、こぞって義理チョコ廃絶を決議したところもあるそうな。そりゃそうだろう。正論だ。

おくるほうの出費もたいへんなら、もらうほうもぎょっとすることがあるらしい。お返しに気を使うし、想定外の贈り手からもらったときなど、困惑するという。「友チョコ」が、今年のトレンドワードになっていた。

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しかし、「義理チョコ」は、世界に誇る?日本社会独特の風習だ。なくなるとさびしいなあ。「誰かチョコくれえ」も、わびしいもんだが。

本来、へんなお色気抜き、お返しなし。が、正しいギリチョコのすがたである。年賀ハガキみたいに考えてはどうかな?

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しかし、それにしては、高すぎるぞ。
お年玉ハガキみたいなものと考えたら、チョコ一個、せいぜい百円。寒中見舞い風のカードをそえて。
大阪のおばさんたちは、のど飴をいつも携帯していて、やたらにくれたがる。あの「おひとついかが」のノリを真似しては?

甘みのない苦いダークなチョコは、血圧やガン予防にいいと学術的にも証明された。もらえれば、ひとかけでも、からだにいい、ありがとさんなのだ。
もちろん、チョコのフィギュアもおもしろい。世界一のオタク日本だ。手の込んだアイデアあふれる極小成形品は、お家芸だ。改めて、一個百円のチョコフィギュア。人間考えることは同じで、店頭には、いち早く小さいテディベアなんかが並んでいた。

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日本は有力市場と見られているのか、この高級ブランドのオーナー、マルコーニ氏は、はるばるベルギーからきて阪神のデパ地下売り場で立ったまま、商品にサインしていた。
占領軍ジープのあとを「ギブミーチョコレート」と叫びながら追っかけた終戦時を振り返ると、いま、ぼくらは、飽食のかぎりをつくしている。
ここで正義をふりかざすなら、フェアトレードに注目したい。ネット上では、情報があふれている。
ココア豆の生産地は、象牙海岸とかガーナとか、なにしろ労賃が安く、世界最貧国だ。アフリカの子供たちが学校に行けるように、適正な価格で、搾取されている国の農民のココア豆を買おう、という動きがある。

ぼくがチョコレート会社のえらいさんなら、BLOGでの「誰かチョコ」の悲痛なうめき声に耳を傾ける。のど飴クラスの、安心して配れるギリチョコの開発に、本気で取り組むようにはっぱをかける。儲かるまいがね。
さもないと、赤字に悩みアイデアに飢えている郵政公社が、津々浦々の郵便局で、アフリカ人道支援「チョコメール」を売り出すかも知れないぞ。

投稿者 nansai : 11:43

2007年2月14日

二月十一日(日)

きょうは、なんの日?

建国記念の日」は、なんともさびしい祝日である。
祝日ではあるが、何を祝う日なのだろう。気にする人は、ほとんどいないのではないか。

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「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」として、「の」の字をはさんで法制化され、ようやく国民の祝日に復活するまで、9回の議案提出、廃案を経たにしては、今日は何の日?だ。

二月十一日。かつては、紀元節といい、四大節のひとつだった。

「くーもにそびゆる たかちほのー」

紀元節には、式典があった。天皇皇后両陛下のセピア色の御真影の前で、小学生のぼくらは大きな声をはりあげて「紀元節の歌」をうたい、校長先生の奉読する教育勅語を頭を垂れてきいた。
意味はよくわからなかったが、高千穂の峰皇孫が降臨したという神話を歌った歌詞らしかった。

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雲にそびえる高千穂という山は、東国原知事の君臨する宮崎県にある。その山に天から降りた天孫ニニギが、神武天皇とどうつながるかは、よくわからなかった。
神武は、宮崎を船出して瀬戸内海を東征し、大阪湾に上陸したが破れた。やむなく、熊野を迂回して地方豪族を打ち従え、奈良県の橿原で初代天皇に即位したという言い伝えだ。ときに紀元前660年。弥生時代だ。神武は、百七十三歳で没したという。
ぼくが小学生のころ、神武天皇は、絵本と教科書に描かれていた。日ハムのひげをそる前の小笠原選手とそっくりだった。

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初代天皇神武天皇の即位をもって紀元元年と定めたのは、明治政府だ。複雑な事情をかかえていた。
なにしろ神話と歴史がごちゃ混ぜの時代だった。神武天皇が実在したかどうか、さまざまな仮説がたてられている。

暦の計算上で紀元前660年になってしまったが、信憑性を疑う人はあまりいなかった。
紀元節は、世界各国の建国記念日のなかでは、ダントツに古い。どうしてそんな勘定になったか。明治政府が定めたいきさつは、ウイキペディアなどにくわしい。
今でこそ荒唐無稽と笑い飛ばせる時代設定だが、ぼくら小国民は、もちろん当時の国民は疑う歴史認識はもたなかったと思う。
御民われ生けるしるしあり、天つちの栄えるときと、ぼくらは歌った。万世一系の皇統をいただき、万邦無比のよい国に生まれ合わせたと信じた。「八紘一宇」が危ないキーワードで、世界の隅々にまで他の民族にもこのよろこびをおすそわけしようと望むのは、大きなお世話だった。

神話の年数をベースに逆算して、紀元二千六百年が盛大に祝われたのは、太平洋戦争突入の一年前の昭和十五年。橿原神宮参拝者は一千万人を越え、祝賀ムードは最高潮に達した。翌年、高揚した気分のまま、日本は、300万人を失う無謀な大戦争につっこんでいった。

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古事記や日本書紀など、日本にまだ文字のなかったころ部族ごとのばらばらに口づてに伝わる説話が、ようやく聞き書きで、編集されたのは、漢字の輸入された六世紀になってからだ。

古代から引き継いだ民族の伝承はすばらしい。どんなに荒唐無稽であろうと、このような神話は、民族の素朴な誇るべき文化遺産だ。神話に罪があろうはずがない。しかし、神話を史実とすりかえ、国民に信じさせたカリキュラムの罪は深いのだ。

「紀元節」は、戦争遂行のための皇国史観の教育に利用されるだけ利用された。敗戦で廃止されて、ぼくらも目が覚めた。
「建国記念の日」が、紆余曲折のはて、「の」の字をいれて復活したのは、国敗れて戦後二十年たってからだ。でも、この国を「神の国」と考えている人は、もう多くない。国の気持ちは、自転しながらも、ゆっくりゆっくりと、右に左にぶれる。知らず知らず、地軸が傾くのだ。明治から昭和の初期にかけてのぶれかたはひどかった。
もうああいう時代は、繰り返したくないと思う。大丈夫だろうか?

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ぼくは、近代国家としての建国記念日としては、もうわが国は、神話に基づかないで、明治天皇の東京遷都の日に定めてはどうかと思う。その際は「の」の字を取り去りたい。
ついでに、この際、国歌を新調したいものだ。
オリンピックでも大きな声で歌える元気のよい新国歌がほしい。オンチのぼくではあるが、軍艦マーチのような、とはいかないだろうから、小学唱歌「ふるさと」をマーチにロックにでもサンバにでも編曲しては、と提案しよう。
なぜなら、国歌は、歌われる歌詞の意味がみんなにわかること、共感されることが、なによりたいせつだ。愛国心は、まぶたの裏に浮かんでくる国土の思い出と離れがたいものであるからだ。

投稿者 nansai : 16:01

2007年2月 9日

二月九日(金)

北大江公園のはとたち

朝、隣りの公園のはとが、しゃべっている。

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「けさは、よう冷えるなあ」
「かぜひいたらあかんぞ。
鳥インフルエンザと疑われるで」

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「この豆、うまいなあ。さっきの爺さんがまいてくれはった。」
「うん。うまい。でも、もうなくなったわ。
川向こうの天満繁盛亭で節分の豆まきの残りらしい。なんでも、大サービスで鶴瓶が客席に向かってまいた豆ということゃ。」

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「わしらがつついとるのは、芝生の種やで。ほかにたべるもんないもんなあ。
この公園、去年、改装したが、まだなんや寒々として殺風景やなあ。園内あちこちに裸の木が目立つね。
はやく春が来て緑がいっぱいにならんと寂しい。でも、ここの芝生、タネ食べてしもうて、大丈夫かいな。」

殺風景?空腹なはとたちは、勝手なことをいっている。せっかく税金でまかれた芝生の種を、ついばんでいるのに。

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ジャングルなど遊具が新調されたが、公園は、まだ未完成だ。ドッグランとおぼしき囲いもあるが、なんだろう。
昔からのヒマラヤスギは、半分刈られたままでストップがかかり立ち往生だ。
電信棒のような背の高い木が、丸坊主で植えられている。けやきのようだ。
木の種類をめぐって、付近住民のあいだでいろいろとあるらしいが、年月を重ねこれからかたちがととのってゆくだろう。明治神宮や万博公園とはあまりにスケールが違うが、こんもりした鎮守の森みたいな心安らぐ小公園になってほしい。

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ネットで調べてみたら、ここは、「街区公園」(従来は児童公園と呼んだ)で、半径250メートル程度の街区に居住する人々が利用する0.25?を標準とする公園らしい。ものいりで手元不如意な大阪市が、力を入れているモデル公園。せまいというのは、ぜいたくだろう。

ところで、ここよりも、もっともっと狭い、世界最小の公園を、ネットで発見した。
たいていの人が知らずに通り過ぎてしまうほど狭い路傍の公園?だ。はとたちにも教えてやろう。

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ぼくは訪れたことはないが、その場所はここ
ギネスブックに載っている世界最小の公園は、ミルエンズ公園といってオレゴン州ポートランドの繁華街の一角にある。直径わずか60センチの円形の敷地なのだ。へえ、うそや。こんなに小さいのか。グーグルイメージの写真で確かめてほしい。

名づけたのは、地元新聞のジャーナリストだ。
1945年、かれディック フェーガン記者がオフイスの窓から眺めていたら、路上に、あなぼこを発見。街灯の電柱のために掘られたのだが、市は何年もほったらかしだ。
みかねたフェーガン記者は、ある日思いついて、ごみを捨て雑草を刈り、花を植えることにした。勝手に「ミルエンズ パーク」と命名して、自分のコラムにお話をのせ始めた。
やがてかれの小さな妖精のおとぎばなしは市民に評判になり、20年も連載されたそうだ。ファンの熱意に押されて、あなぼこは1948年に市も正式に公園として認定された。
この狭い公園に、ファンは、胸像など、さまざまなギフトを提供したらしい。傑作なのは、蝶のための飛び込み台つきプール。カタツムリ競争やバグパイプの演奏とかのイベントも。

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フェーガンは1969年になくなった。
世界一狭い公園は、現在は道路工事のため一時避難中だが、すぐ近くの新しい居場所におちつくことになるらしい。
ユーモアだねえ。予算がなくても、市民のアイデアひとつで、世の中明るくなるんだ。心温まる話と思いませんか。皆の衆。

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投稿者 nansai : 10:50

2007年2月 7日

二月三日(土)

鬼も、いろいろ

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きょうは、節分である。テレビでは、成田山で横綱朝青龍がピンクの裃を着せられて豆まきのシーン。
昨今は、豆まきよりは、恵方を向いて願い事を念じつつの、巻き寿司のまるかぶりのほうが、社会現象として盛んなようだ。
でも、節分といえば、

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鬼といえば、ぼくの住んでいる摂津の国のこの町には、極め付きの伝説の鬼がいた。
その名を、茨木童子という。あまり知られていない。
平安時代、大江山を本拠に京を荒らしまわった酒呑(シュテン)童子の一の子分だった。生まれたときから歯が生えていて、かわいげのない巨体が周囲から恐れられた存在だったそうな。

親分のシュテン童子は、源頼光四天王によって退治されるのだが、渡辺綱と戦い、茨木童子のみ逃げ延びたといわれる。
四天王の一人渡辺綱の本拠は、八軒家船着場かいわいだ。ぼくの会社から歩いて数分の川端、同じ町内、まさに、奇縁だ。
渡辺綱は、茨木童子の腕を切り落とすが、悔しがった童子が、老婆に化けて腕を取り戻しにくるというホラーストーリーが脚色され語り継がれている。
ぼくは不勉強なのだが、茨木童子の名は、平家物語、太平記、御伽草紙、茨木(歌舞伎)、戻り橋(歌舞伎)、羅生門(能)、綱館(長唄)などにみえるらしい。由緒正しい、えらい鬼なのだ。

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ホラー版もグロテスクでおもしろそうだが、ぼくは、かわいい路線のオリジナルの茨木童子を描いてみた。ついでに、タイガースの応援させようと、トラ柄のパンツをはかせた。首のペンダントは、Tである。

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茨木童子は、市民のぼくが知らぬうちに、いつのまにか、ちゃっかり茨木市のキャラクターに起用されていた。市内あちこちに、かわいい漫画風の像がたち、駅の売店には、みやげ物まである。

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これは、「鬼は外」豆をぶっつけられ逃げまどっている伝統的な鬼。差別されてかわいそう、という声もあがらないようだ。

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描きやすいから、これまで鬼の絵は、いろいろ描きちらしてきた。
見てのとおり、アマチュアのぼくの絵のタッチは、われながら、まとまりなく、ばらばらである。
いろんな人が勝手に描いているようにも見える。今日思いついて描いた鬼は、今風の、ができた。ちょっと疲れているフリーターだな。
MSペイントのツールボックスから、筆、鉛筆、エアブラッシュのどれを使うかでも、画風?がころっとかわるのだ。酒盃をわしづかみにしている酒呑童子をブラシツールで描いてみた。

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投稿者 nansai : 11:59