縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年2月14日

二月十一日(日)

きょうは、なんの日?

建国記念の日」は、なんともさびしい祝日である。
祝日ではあるが、何を祝う日なのだろう。気にする人は、ほとんどいないのではないか。

nansai070214-1.jpg

「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」として、「の」の字をはさんで法制化され、ようやく国民の祝日に復活するまで、9回の議案提出、廃案を経たにしては、今日は何の日?だ。

二月十一日。かつては、紀元節といい、四大節のひとつだった。

「くーもにそびゆる たかちほのー」

紀元節には、式典があった。天皇皇后両陛下のセピア色の御真影の前で、小学生のぼくらは大きな声をはりあげて「紀元節の歌」をうたい、校長先生の奉読する教育勅語を頭を垂れてきいた。
意味はよくわからなかったが、高千穂の峰皇孫が降臨したという神話を歌った歌詞らしかった。

nansai070214-2.jpg

雲にそびえる高千穂という山は、東国原知事の君臨する宮崎県にある。その山に天から降りた天孫ニニギが、神武天皇とどうつながるかは、よくわからなかった。
神武は、宮崎を船出して瀬戸内海を東征し、大阪湾に上陸したが破れた。やむなく、熊野を迂回して地方豪族を打ち従え、奈良県の橿原で初代天皇に即位したという言い伝えだ。ときに紀元前660年。弥生時代だ。神武は、百七十三歳で没したという。
ぼくが小学生のころ、神武天皇は、絵本と教科書に描かれていた。日ハムのひげをそる前の小笠原選手とそっくりだった。

nansai070214-3.jpg

初代天皇神武天皇の即位をもって紀元元年と定めたのは、明治政府だ。複雑な事情をかかえていた。
なにしろ神話と歴史がごちゃ混ぜの時代だった。神武天皇が実在したかどうか、さまざまな仮説がたてられている。

暦の計算上で紀元前660年になってしまったが、信憑性を疑う人はあまりいなかった。
紀元節は、世界各国の建国記念日のなかでは、ダントツに古い。どうしてそんな勘定になったか。明治政府が定めたいきさつは、ウイキペディアなどにくわしい。
今でこそ荒唐無稽と笑い飛ばせる時代設定だが、ぼくら小国民は、もちろん当時の国民は疑う歴史認識はもたなかったと思う。
御民われ生けるしるしあり、天つちの栄えるときと、ぼくらは歌った。万世一系の皇統をいただき、万邦無比のよい国に生まれ合わせたと信じた。「八紘一宇」が危ないキーワードで、世界の隅々にまで他の民族にもこのよろこびをおすそわけしようと望むのは、大きなお世話だった。

神話の年数をベースに逆算して、紀元二千六百年が盛大に祝われたのは、太平洋戦争突入の一年前の昭和十五年。橿原神宮参拝者は一千万人を越え、祝賀ムードは最高潮に達した。翌年、高揚した気分のまま、日本は、300万人を失う無謀な大戦争につっこんでいった。

nansai070214-4.jpg

古事記や日本書紀など、日本にまだ文字のなかったころ部族ごとのばらばらに口づてに伝わる説話が、ようやく聞き書きで、編集されたのは、漢字の輸入された六世紀になってからだ。

古代から引き継いだ民族の伝承はすばらしい。どんなに荒唐無稽であろうと、このような神話は、民族の素朴な誇るべき文化遺産だ。神話に罪があろうはずがない。しかし、神話を史実とすりかえ、国民に信じさせたカリキュラムの罪は深いのだ。

「紀元節」は、戦争遂行のための皇国史観の教育に利用されるだけ利用された。敗戦で廃止されて、ぼくらも目が覚めた。
「建国記念の日」が、紆余曲折のはて、「の」の字をいれて復活したのは、国敗れて戦後二十年たってからだ。でも、この国を「神の国」と考えている人は、もう多くない。国の気持ちは、自転しながらも、ゆっくりゆっくりと、右に左にぶれる。知らず知らず、地軸が傾くのだ。明治から昭和の初期にかけてのぶれかたはひどかった。
もうああいう時代は、繰り返したくないと思う。大丈夫だろうか?

nansai070214-5.jpg

ぼくは、近代国家としての建国記念日としては、もうわが国は、神話に基づかないで、明治天皇の東京遷都の日に定めてはどうかと思う。その際は「の」の字を取り去りたい。
ついでに、この際、国歌を新調したいものだ。
オリンピックでも大きな声で歌える元気のよい新国歌がほしい。オンチのぼくではあるが、軍艦マーチのような、とはいかないだろうから、小学唱歌「ふるさと」をマーチにロックにでもサンバにでも編曲しては、と提案しよう。
なぜなら、国歌は、歌われる歌詞の意味がみんなにわかること、共感されることが、なによりたいせつだ。愛国心は、まぶたの裏に浮かんでくる国土の思い出と離れがたいものであるからだ。

投稿者 nansai : 2007年2月14日 16:01