縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年3月30日

三月三十日(金)

モノレール、ニュータウンへ

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自宅の近くの空中を走るモノレールが、かなりべんりになった。
この月から、ニュータウン彩都の入り口まで延伸、千里中央駅へ直通となった。ありがたい。
町開きにあたり、おそらく採算を度外視して、運行本数を増やした。付近住民のぼくとしては、心苦しいが、赤字を積み重ねている公共工事の恩恵をこうむることになったのだ。
この線が存続するには、今後もくろみ通り沿線の人口はふえるだろうか。沿線住民は、これからはクルマをすてて、モノレールを、もっと利用せねば。が、そうはいかんわな。

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今後、ニュータウンが、どう発展するか、わからない。いまのところ、電車はがらがらである。ほとんど無人の車内へ、「お年寄りや妊婦に席をお譲りください」とくりかえすアナウンス。枕が、あれば寝台車なのだが。
ゆっくり揺られながら考え事をするには、最適である。もうしわけない。

夜八時ごろのモノレール阪大病院前駅かいわいは、ひっそりして北欧の郊外駅のようだ。駅の構内では、駅員が一人だ。改札口で新聞も売ってくれる。

さて、少子高齢化のすすむ日本で、都市郊外は、これからどうなるのだろうか。
欧米先進高齢国の都市では、昼間は町に人があふれ、その半分は老人であるということだ。
高度成長前夜の千里ニュータウンの情景を思い出した。入居者が、みな若かった。もう、あのような時代はこないだろう。あのころの子供たちの笑い声は消え、高齢者の増えたオールドタウンでは、ぼつぼつ老朽マンションの建て替えがはじまっている。

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怒涛の勢いで、東京への一極集中が加速し止らない。彩都に誘致していた武田薬品の研究所に袖にされ、あてにしていた大阪府の知事がたけり狂っていた。しかたないだろう。

先年なくなった経済学者ドラッカーは指摘する。
今日では、あらゆる先進国において、田舎の人口は5%を下まわり、さらに減少を続ける。
かれはいう。人は、コミュニティを必要とする。
「今日、われわれに残された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことのないコミュニティを創造することである」と。そして、非営利かつ非政府である組織NPOだけが、その役を果たすだろうと。

いまは人気のない暗いモノレール駅のプラットホームに立って考えた。この彩都線の沿線に、新しい住民が集まってくるとして、将来、ここに望まれるコミュニティがうまれるだろうか。

役所も企業もだめ。非営利組織NPOだけが答えだと、ドラッカーは喝破しているのだが。

投稿者 nansai : 11:09

2007年3月23日

三月二十三日(金)

なぜ座布団を投げるの?

先日、朝、テレビをつけたら、このシーンが寝ぼけ眼に飛び込んできた。大相撲春場所の土俵に、座布団が乱れ飛んで、力士がみえないほどだ。無敵の朝青龍が、まさかまさかの開幕二連敗した翌朝だ。

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八百長報道で心ない中傷を受け、世間をみかえしてやる気持ちが、力余って、裏目に出たのか。

家内が、「どうして、座布団を投げるの」ときく。
もっともな質問だ。さほど相撲通でないぼく。早速グーグルにあたってみる。
「座布団 相撲」と、いれてみると、やあ、出ている、出ている。
「教えて!なぜ座布団投げるのか」「あれってどういう意味なんですか?喜んでいるの?褒めているの?」など、12万5000の項目がならんでいる。寄せられた諸説は紛々、正論、持論、いろいろと勉強になるなあ。さすが、この国では、相撲は、弱くても、国技であると感じ入った。

正解は、もともとは、横綱が格下の力士に負けたときに投げられる。横綱へのブーイングと、金星を挙げた力士への祝福の意味があるとのこと。昔は、羽織を投げた。あとで、呼び出しか力士本人が、羽織を返しに行くと、ご祝儀がもらえる慣わしがあったそうだ。その名残か。
ご祝儀をわたすとは、粋な振る舞いだ。しかし、強すぎて反感をもたれているモンゴル出身の横綱へのあてつけ、ざまあみろ、という感情もあろう。

でも、「あれほどの座布団が、宙に舞うのは異常だ。」「下品だ、横綱への礼を失している」と、怒っている人も多いようだ。

甲子園など野球場では、ひいきチームのふがいなさにたいしての腹たちまぎれのブーイングは、激しい。本来の、座布団投げは、それとは違うのだろう。

投稿者 nansai : 11:02

2007年3月22日

三月二十二日(木)

マコトの勇姿

ひさしぶりで、キオスクの新聞売り場の前で、足が止まった。ン!スポーツ新聞のでっかい見出しが、ぼくの目にとびこんできたのだ。
驚いた。なんと、なんと、
「今岡5打点 7連勝
開幕待てん 誠の姿や」
とあるではないか。
さっそく、マコトの勇姿をサンスポから、無断で謹写。

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じつのところ、オープン戦の今年の出足の悪さに、阪神をあきらめていた。
主軸選手の高齢化とけが。かたくなな采配による中日戦十一連敗。井川の拉致。鳥谷の成長以外に取り立てて好材料のない今年は、こりゃあかんわと、本番前は一喜一憂して、おろおろせぬことに。
ところが、今岡が、生きていた!
「覇権奪回のキーマン、完ぺき復活!」(サンスポ)となれば、楽観は許されないが、すこし愁眉をひらいた感じ。いつまで続くか、とにかく、めでたい。

投稿者 nansai : 14:11

2007年3月19日

三月十七日(土)

関西空港ゲートにて

所用があって、久しぶりで、週末、飛行機に乗った。
さいきんは搭乗手続きも思ったよりもスムーズだなと楽観していたら、ゲートでひっかかった。何度も、警報音がブーブーとなって身体検査されるはめに。

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若い係りが、天眼鏡みたいな機械で、ズボンのすその折り目から、メタ腹のなかまで触って、厳重にチェックする。小銭、デジカメ、めがねケース、そうざらえしても、凶器は発見されない。同伴の老妻が呆れ顔で見守るなか、10分間検査されたが、ブーブーの結論がでない。

係りは首をひねりながら、ズボンのベルトのバックルではないでしょうか、ということで、無罪放免、やれやれ飛行機に乗れた。
老人のぼくは、慶事のため、黒っぽい背広に白いシャツ、地味なネクタイで身を固めていた。「こいつがテロリストかも」と推理するのは、かなり卓越かつ飛躍した推理力が必要だと思う。

ぶー、ぶー、あやしいぞ、あやしいぞ、と連呼し告発し続けたのは、ゲートの警報装置だ。
いうところの冤罪なのだが、満員の地下鉄で、いわれなく、隣の若い女性にブー、ブー、このジーさんチカンですう、と警報されたら、どうしようと思ってしまう。ぼくは、駅長室に連行されるだろう。警官が来る。告発した女性は、ムシの居所がわるく、空港のゲートのように警報音を発したのかもしれない。ブーブー鳴るだけでゲートは弁護してくれない。おそろしいことになる。「それでもぼくはやっていない」という映画のようになるかも。解放されたいぼくは、おそらく、かんたんに屈服して、犯してもいない罪を「自白」するだろう。

「こいつ、あやしいぞ、怪しいぞ」と、警告するゲート。
空港では、ゲートのそばに、人間がいて、天眼鏡で再チェックしてくれる。ありがたいことだ。だから、腹も立たない。
でも、ハイジャックを防ぎ、凶器になりそうなものを、事前に発見するのが、究極の目的だろう、といいたくなるねえ。
モノは考えようだ。この年齢で、ハイジャック犯候補として、厳重なかつご懇切なるチェックを受けたことは、ぼくがあまりよぼよぼにみえなかったわけで、光栄なことだ。この日の関西空港では、ぼくがゲートイン前の最高年齢容疑者だったのではないか。ご苦労ではあるが、あほと違うか。

現場での目撃証人は、たいせつなのはあたりまえだ。
深夜の交通事故では絶望的だ。相撲では、勝負検査役が土俵際に座っている。野球の線審は、人手がたりなくて、あてにならないとされている。アメフトは、チャレンジ制度があって、ビデオで再チェックが許される。ゲートのうしろに人間がいてくれてよかった!

投稿者 nansai : 12:20

2007年3月16日

三月十六日(金)

切符をもらって、ピカソ展をみてきた。
大阪駅構内の大丸の15階にエスカレーターで上がれば、そこは小さいミュージアムだ。ピカソの大小の作品が、天井の低い狭い会場にひしめきあっているが、平日の午後は閑散としている。いいねえ。リラックスして本物とむきあえるなら、肩を張らないデパートの催し物でいいのだ。

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残念ながら、絵のそばの説明のプレートがちいさく、暗い会場だから文字もまったく読めないので、イアホンを500円で借りる。ないよりは、便利だ。
興奮して図録も買ったが、絵や彫刻の写真がちいさいのはしかたがない。ピカソ晩年の遊びか、白いふくろうの焼き物がすばらしかった。そのうちに、ぜひ模写したいものだ。

本来は、絵はゆったりとした空間で(理想は自分の部屋で)鑑賞できればよかろうが、本格的美術館で、黒山のような観客の頭越しに、読みにくい説明板を頼りに、急いであせって見なければならぬ絵画鑑賞は、ぼくにはしんどいなあ。
その点、気楽に出かけられる駅中の美術館はすばらしい。ただし、「混み合わなければ」、の条件付だが。


投稿者 nansai : 15:15

三月十五日(木)

いま書店の店頭で、願ってもないブームが起きている。本が売れないから、各社から新書版がつぎつぎに企画されているという。
新書は、選ぶにも、読むにも、あきておっぽり出すにも、手っ取り早いのが助かる。テーマが、狭く絞られていて、鋭く明快。安い。コーヒー二杯分だ。軽くて、かさばらず、薄い。飛ばし読みに適しているから、せっかちで飽きっぽいぼくには向いているのだ。
新書の売り場では、いい年をして、駄菓子屋の店先できょろきょろ眼を輝かせているガキのような自分がいるのに気づく。

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「ネコを撮る」(朝日新書)という新書を発見。いい本のようだ。あたりまえだ。何しろ著者が、動物写真の第一人者岩合光昭氏である。
ネコを撮るなら朝だと、岩合氏はいう。朝日が差しこむところに、ネコはいると考えていいそうだ。朝日を浴びて、眼を細めて、じっとしているネコは美しい。たしかに。
考えたこともなかったアドバイスがいっぱいだ。コーヒー代二杯で、世界をまたにかけて動物の写真を撮ってきた巨匠のご教示に預かれるのは、ありがたい。
イヌよりも圧倒的にネコの写真が多いらしい。(逆に本屋では、ねこの本は圧倒的に少ない。)岩合さんのホームページに寄せられる投書の70%が猫の写真つきだそうだ。

ぼくが思いついて、手振れ防止のデジカメで、うちの飼い猫に近づいて撮ろうとしても、ぴんぼけになってしまう。接写が下手だからというより、猫のきもちになっていないからかなあ。
猫を撮る。その奥は、深いようだ。
ぼくも、自分の腕前のことはたなに上げて、一眼レフのましなカメラがほしくなってきた。



投稿者 nansai : 14:24

2007年3月14日

三月十二日(月)

ダイスケの魔球?

新聞休刊日の今朝、テレビニュースが、大リーグオープン戦で、松坂大輔投手がホームラン二発をくらい、ノックアウトされたと伝えていた。
「ええ―、それはないよ、」
と、寝ぼけたぼくはベッドでのけぞった。
必殺のはずの魔球ジャイロボールはどうしたのだ?
愛国者のぼくは、にわかダイスケファンになっていたのだ。
ネットの上だが、知らぬ間に、現地ボストンでの前評判にのせられていた。その矢先のノックアウト。なんということだ。
あまりに付け焼刃だったが、この絵巻はダイスケ礼賛をテーマにしようと思っていた。つぎのように。

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NHKでも、連日、大リーグのオープン戦の日本選手活躍の模様が報じられている。ハシのこけたようなことまで報道するから、どうかと思う。やはり、海の向こうに嫁に出した気分で、晴れがましく気になるのか。
井川を拉致された阪神ファンは、どうしてくれると「ブウーイング」なのだが。

なかでも、松坂大輔投手の前評判は、すごいようだ。レッドソックスの本拠地ボストンでも、ちょっと過熱気味、ひいきの引き倒しではないか。

ダイスケの呼び方も、DICE-Kと、アメリカ人に覚えやすく、うまくひねられている。
DICEはサイコロで、Kは三振だ。背番号18をおまけにつける。Tシャツは、ネット上でみるかぎり、サイコロの絵とアルファベットのKをあしらったのが多い。
アイデアをいただいて、ぼくもオリジナルデザインで、描いてみた。(サイコロを立体にしたのが独創的なのだ。)

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かれのジャイロボールが、日本で開発された魔球としてはやされている。ゲームや漫画ともカンケイがあるらしい。
本人は、そういわれても、ぴんとこないらしいのだが。
半信半疑だが、ニューヨークタイムズもワシントンポストの一流紙も、図解入りで、科学的に、くわしくとりあげているから、びっくり。ウイキペディアでは、英語版日本語版どちらにも、かなりの情報量がのっている。ダイスケ以前に、ゲームや劇画でも魔球はとりあげられていたらしい。
ジャイロボールとは、進行方向に回転軸がむいており、ライフル弾のような螺旋回転をしながら進んでゆくとあり、なんのことやらよくわからない。
ニューヨークタイムズは、新しい球種は何十年に一回くらいしか出現しないものとして、胡散臭そうにジャイロボールをとりあげている。日本人でジャイロボールの普及をアメリカに宣伝して回っている人がいるらしく、その言動をルポしている。

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しかし、思えば、夢のような話ではないか。大リーグで、日本選手がこれほどまでに、期待されようとは。
ノックアウトされても、ダイスケは動じなかった。たいしたやつだ。
メイドインジャパンのジャイロボールが、まぼろしに終わっても、ネス湖の恐竜やツチノコのように、話題になるのは愉快ではないか。
新しい球種もかつては、先生格のアメリカから、教わったものだ。スライダーも、火の玉投手ボブフェラーが投げたものだ。

戦後すぐは、大リーグ野球と日本のプロ野球では、月とすっぽんと、ぼくらは思っていた。
1949年10月、日本のプロ野球が震撼した。
サンフランシスコ シールズがオドウル監督に率いられて来日した。日本が敗戦してわずか5年目だが、熱狂的歓迎を受けた。
当たるを幸い、日本チームをなぎ倒して、7勝をあげた。当時の日本の名だたる人気プレーヤーたちも歯が立たず、とにかく強かった。

少年のぼくらには、かれらが、大リーグやら格下のマイナーなのか区別はつかなかったが、とても太刀打ちできないという実感だった。体力格差、技術格差、戦術格差。どれをとっても、こりゃかなわんと思い知らされた。
草野球仲間と、一塁手ウエストレークの打撃フォームの真似をしたりした。内角球に対して肩を低く落とすスイングがかっこよかった。テレビのない時代、どうして仲間がウエストレークのフォームをさがしだしてきたのか。雑誌写真の切り抜きだろうが、はっきりしない。ぼくが、今ゴルフでダフリまくる遠因は、ここにあったかもしれない。
当時は大リーグの試合は白黒のニュース映画でしか見られなかった。ジョーディマジオのスタンスの広いノーステップ打法に眼を丸くした。

昭和24年。日本球界に大きな影響をもたらしたサンフランシスコシールズの来日。あれから、60年近い歳月が流れた。その年、日本のプロ野球は分裂して、セントラルとパシフィックの2リーグにわかれた。

日本の街を、米軍のジープやトラックに混じって、日本製のオート三輪がよたよた走り始めたころの話だ。
ことし、トヨタがGMを抜き、世界一になるという。

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イチロー、マツイ、ダイスケ。
民族の体力格差は、しかたがない。育った日本野球の特徴を生かして、めいめいが世界の水準を抜いたのだろうか。


投稿者 nansai : 11:37

2007年3月 2日

三月二日(金)

お国のために

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30年前に制作されたドキュメンタリー番組「遠い島」(昭和53年制作)が、朝日放送から深夜一時過ぎ、ひっそりと再放映された。深夜CMまみれの無残な姿で、アカデミー賞受賞式の前夜、あたかも人目をはばかるかのように。
真夜中のことで、見た人は、ほとんどいなかったのではないか。
アカデミー作品賞の呼び声高かったクリント イーストウッド監督の「硫黄島の手紙」は、賞を逸した。

ドキュメンタリー「遠い島―硫黄島・その33年」。1977年第15回ギャラクシー大賞を受賞している。
再放送は、深刻な内容にもかかわらず、俗悪な深夜向けCMが、フジツボのようにびっしりとりついていた。ずたずたに話が中断し、見るに堪えず、戦没者に対し心無いことのように思えた。どこか心あるスポンサーが、ノーコマーシャルで提供すべき重い内容なのに。

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昭和20年2月、日本軍は、栗林中将以下、地熱60度の地下にアリの巣のように地下壕を掘りめぐらし要塞を築いて待ち構える硫黄島に、米軍が上陸。思いもかけぬ頑強な抵抗に遭い「太平洋の墓場」といわれた激戦となった。
一平方キロあたり双方の戦死者は1400人。
日本軍は二万人が戦死(全員玉砕といわれたが1000名は捕虜となり生還)、米軍は6800人戦死。22000人負傷した。
番組は、戦後33年経って、日米双方の生還者、遺族の生の声を取材した。20人あまりの証言を淡々と積み重ねてある。生還した兵士たちは、一様に口が重く語ろうとしない。
摺鉢山に星条旗を立てた国民的英雄のインディアンの兵士は、国債の宣伝のために呼び返され、英雄扱いされているうちにアル中になって死んだ。
その星条旗が立てられる瞬間を双眼鏡でとらえていた日本軍将校は、その直後撃たれて両眼を失った。いまもそのシーンを夢に見るが、カラーだという。
捕虜となって生還した大隊長は、もう何も覚えていないと取材を拒否。

33回忌は、仏教でも供養の一区切りである。
硫黄島戦没者供養塔が建てられた。遺族が集まる法要の席で、僧侶がたちあがり、今日は天皇誕生日だから、万歳を三唱するといい、音頭をとる。
「テンノウヘイカ バンザーイ」
遺族のおばあさんたちが曲がった腰をかがめたまま唱和させられていた。
「バンザーイ」
みていて、胸がつまった。痛ましい限りである。

長野県から参列した金田シズエさん、84歳(当時)が、マイクの前でインタビューにたんたんと答える。

どんなお子さんでしたかときかれ、
「親の口からいうのもなんじゃけど、親孝行な、やさしい子でした。
お国のために果てたのじゃから、あれでよかった。満足しております。」
日本が栄え、わたしも皆さんもこのように幸せに過ごせているのも、ああいう子たちがいってくれたおかげと思っております。
家に帰って、さみしいときは、わたしは歌を歌って、眠ってしまいます。歌はほかに知らないので、よくないかもしれないが、軍歌をうたいます。
「それより後は一本の 煙草も二人分けて飲み
ついた手紙も見せおうて 身の上話繰り返し」、
そのうちに、疲れて寝入ってしまいます::

ぼくは、胸のつぶれる思いで聞いた。

再放映された番組が終わって、解説の道上アナウンサーがつけくわえた。
33年前このドキュメンタリーの取材に応じたかたがたは、今ほとんど亡くなっているでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。
おばあさんの口ずさんでおられたのは、軍歌というより、戦争の挽歌として知られた「戦友」です。
「ここはお国を何百里」
バックにゆっくりと歌詞が映し出された。

一、ここはお国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下

二、思えばかなし昨日まで 真っ先かけて突進し
敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか

この14番までえんえんと続く長い歌詞の、なんと十番を、84歳の金田のお母さんは、覚えていた。眠ろうとして、くちずさんでいたのだ。せつせつとして裏悲しい調べは、決して元気の出る歌ではない。

いま、大きな戦争はなく、平和が続いている。
愛していた死者から、前向きに生きる勇気がもらえるとして、「千の風となって」が、世界中で歌われ朗読されているという。

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません

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硫黄島の日本軍戦没者二万人。「太平洋の墓場」で、誰に見守られることなく、ほとんどの遺骨は、まだ地熱60度の地下壕にある。おそらく眠ってなんかいない。千の風になり、大空を吹きわたれたら、どんなに気持ちいいだろう。

昭和二十年三月、硫黄島守備隊が玉砕して、日本は制空権を失いB29の本土への空襲が激化した。
内地のぼくら中学(旧制)二年生も、本土決戦に備えての陣地構築のため、日本海海岸に動員された。
丸太を縦に並べた機関銃座を、老兵といっしょに、アリの巣のように海岸の岡沿いに掘りめぐらす作業だった。国体護持のために、である。
硫黄島に送られたのも、老いた応召兵たちだったと、ドキュメンタリーの解説はのべていた。本土決戦をひかえて日本には、老兵か子供しか残っていなかったのだ。

あれから、62年の歳月が流れた。
今回、ハリウッドで、突然、硫黄島が映画化され評判にならなかったら、この国はと、ぼくは思ってしまう。

投稿者 nansai : 13:49