縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年4月25日

四月二十五日(水)

夕張市は、メロンでは食べられなかったのか

nansai070425-1.jpg

味とブランドで有名なメロンだけでは、食べて行けなかったのだろうか。夕張市は、多額の借金をして、メロン博物館など、遊園地からスキー場まで、約30の一連のハコモノを建て、観光客をひきつけようとした。
あげく、財政の破綻で、地方の縮図として、夕張市はさらしものになっている。
かつては地方再生のモデルケースの優等生だった。
多くの自治体が、夕張市を訪れ調査している。過疎の街づくりの模範として、数多く受賞しているのだ。
なんと経済同友会は「美しい都市づくり賞」(昭和63年)、自治省は「活力ある街づくり優良地方公共団体」(平成2年)、通商産業省は「ふるさと産業50選」(平成4年)などなど。

夕張だけでなく、活性化を願う地方自治体はみな程度の差はあるが、政府の音頭とりで、時代に流され、悪乗りさせられた。どだい無理な話の「列島改造論」が、もてはやされて、総括されていないままに。

あのころのアメリカからの内需拡大の大合唱、カネあまりの時代で、地方自治体は、こぞって政府保証つきの借金バスに乗り遅れまいとした。
景気対策のはずの公共工事が、くせものだった。
地域再生という実現不可能な国是まがいの空手形を信用して、投資ではなく、投機に手を出したのだ。
あらそって起債し、土地を買収し、道路をひき、ハコモノが全国津々浦々に建てられた。
目的として、どこでも、右へならえの「企業誘致、観光事業」のレッテルがはられ、選挙の公約にも掲げられた。

国は、景気対策として自治体に公共事業をうながした。
カネがなければ、借金返済の一部を地方交付税で負担するとした。自治体はわずかな負担で大規模事業が可能となり、競って会館やホールなどハコモノを建設した。ずさんな計画がペイするはずもなく、返済と維持費が自治体の財政を圧迫、地方の長期債務残高は200兆円を越える結末だ。

過疎に悩む地方の選挙は、集票マシーンとして土木建築系の地元資本が暗躍してきた。いまも、だろう。
選挙協力して当選のあかつきに、公共工事に参加できる。ばら撒きゼニで、地元もうるおう。

nansai070425-2.jpg

いわゆるコンクリートのりっぱなハコモノを建てるのは、かんたんだ。
しかし、このころ、全国で雨後のたけのこのごとく安易に企画されたテーマパークは、気息えんえん、苦しい運営をしいられている。
一目でわかる資料が、ネットで探せる
どの自治体も、あわよくば、ディズニーランドのようなテーマサイトを夢見て、過疎の地に、遠くから観光客を呼び寄せようとしたのだ。
この手の施設が生き延びる頼りは、地元のリピータというのが、至難の常識である。
甘い需要測定、いや作文で、かぎられた観光客を、あちこちの過疎の地域のあいだで奪い合おうというのだから、計画は最初から破綻していた。
だから、遊園地や博物館の持続的な運営は、その道のプロでも難しい。観光事業化は、地域の悲願ではあっても、誇大妄想にすぎない。

nansai070425-1.jpg

問題は、選挙だ。机上の地域活性化をうたいあげ、当選して、景気のよい公約どおり、ばら撒き行政のおこぼれにあずかり、政府の援助を見込んで起債してハコモノが建てられる。無責任な企画はどこかが持ち込んだのだろう。需要予測は甘いというよりでたらめである。役所にも議会にも、経営の眼を持った人材はいない。議会もぐるだから、あとの監視もない。
失敗しても国がなんとかしてくれるはずという神話。
これは、夕張だけの現象ではなかった。

nansai070425-3.jpg

「地方を切り捨てるな」というヒステリックな叫びはいまもきこえてくる。
でも、地域格差は、なくなるはずがない。少子高齢化は、地方の人口減少時代だ。
健康で文化的な最低の生活を欲するならば、ストローのように、都市部に住民は吸われてゆくだろう。冷厳な現実と向き合い、どう折り合うかだ。過疎地の起死回生の奇策は、ないと知れ。

あれもこれもは、むり。集中と選択しか、企業も国も生き残れない。企業は、バブルがはじけ、つぶれそうになって、身にしみた。
選択とは、限られた機会と資源を有効に使うことだ。維持できないものを、整理統合することだ。売り渡し、捨てることでもある。
それを、「切捨てだ!」と叫び、地域に票をねだるのは、選挙民にこびる言葉のトリックにすぎない。
人口は、先進国ではますます都会に集中する。これは、承服しがたくても、よくもわるくも、文明の必然、法則だ。
なのに、過疎の地方が、ばらばらに、競い合わされ、巨額の債務地獄という破綻の道へ、まっしぐらすすんでいった。政府も、田中角栄の列島改造論をひきずったまま、地方をミスリードしたのだ。

nansai070425-1.jpg

「地方を切り捨てるな」とあじって、とにかく目先の選挙に勝つ。それは国を危うくすることではないか。民主主義の算定のフレームがゆがんでいるように見える。日本は、農村を選挙の基盤とする候補者が、人口の比率よりも多い。地方を見据えて調整しつつも、将来の国益がはかられねばならぬ。地方出身の候補に、それは可能か。

選挙のつど、不要不急かもしれぬ「公共工事」という、地元への安易な公約のにんじんをぶら下げて、目先の得票を狙ったことも、長い眼で見れば、地方自治のパワーを削いできたのではないか。

夕張は、メロンで成功してきた。だが、観光目当ての博物館は、よけいだった。
夕張市を他山の石として、地方は、生き残るための、「身の丈」の経営を、必死に考えねばなるまい。

投稿者 nansai : 10:34

2007年4月19日

四月十九日(木)

23歳の犯人は、バージニア工科大で33人を撃ち殺し、自分に向けて引き金を引いた。いともかんたんに。
GLOCK 19。
9ミリ、セミオートマチックピストル。凄惨な凶行に使用されたのが、このハンドガン二丁だ。ネットで調べたら、おびただしい数の同製品の画像がでていた。

nansai070419-1.jpg

先月犯人は寄宿舎から40分離れた銃砲店で、このピストルを555ドルで買った。店は、かれの運転免許証、小切手帳で名前住所を確認し、移民カードで永住権をチェックした。30分で照合が終わり、彼はクレジットカードで支払った。バージニア州で銃を買うのは、拍子抜けするほど、かんたんだ。

nansai070419-2.jpg

今度の事件でも、アメリカの銃刀法が変わることはないらしい。銃を自衛のために保有することは、建国以来の市民の権利であるという。この既得権をめぐって、国論が二分しても、投票で覆ることはないそうだ。
文化の問題であるし、お国柄でもある。対応は容易ではないと思う。

先進国では、正常な人間が、争いの解決に理性を持って銃に訴えることはまずないだろう。
長崎市長射殺事件を見ても、決して大義をかざしての身をすてての反抗ではない。何かの不適合な精神的状態の人間が、武器を入手したときが、こわい。何とかに刃物というやつである。
アメリカよりは、まだ日本のほうが現実的に対応できる。
銃刀法があるだけましだ。銃刀狩りを、重点かつ集中的な取り締まりを定期的におこなうことはできないものだろうか。

nansai070419-2.jpg

技術が進歩して、武器さえあれば、おんなこどもでも大量殺人できる時代だ。アフリカでも、中近東でも。

ぜったいに、銃が、たやすく手に入らない社会に。

投稿者 nansai : 16:11

2007年4月18日

四月十八日(水)

氷を溶かすには

温家宝首相の「氷を溶かす旅」に、ぼくらは、もっと拍手してもよいのではないか。虚心坦懐に。

nansai070418-0.jpg

かれは、もともと地質技術者らしい。国会でスピーチしたり、朝街に出てジョギングしたり、学生相手に野球をしたり、これまでの首脳にくらべ、ぼくの目には、じつによくやっていると映った。

しかし、こういう中国のジェスチュアにだまされまいぞ、と警戒する勢力は一部ジャーナリズムにも根強い。

春風にさそわれてソフトムードの客人には、こちらも
気持ちよく熱烈歓迎して、いい気分で帰ってもらうのがいい。新聞は、歓迎一色一面トップであつかうべきだったのではないか。
乗せられても素直に乗れば、と思う。外交は、だましだまされだ。北国の春の日のようにゆっくり時間をかけて、氷を溶かすのがよい。こころが凍り付いて固まってしまうのは、策の下なるものだ。

nansai070418-2.jpg

国境や資源のような積年の「火種」は、運よく、都合よく、消えることは決してないものだ。どうにもならない。しかし、インドとパキスタンのカシミールのように、こじれに、こじれては、難儀である。

日中、長い歴史で紆余曲折をへた。ともに、これから生きてゆくことが大事なのだ。これまでの歴史はもう変えられない。変えられるのは認識だけだ。
でも、過去を水に流そうというのは、日本の理屈だ。
いわんや過去の戦争を正当化しようとするのは、たんに不勉強なだけだ。国際的には、けじめをつけられないのは、女々しく卑怯ともとられかねない。
アメリカも、真珠湾攻撃を汚辱の日として「忘れない」といっている。ネット上の膨大な量の記録をみるとよい。
史実は、曲げられないし、消去できない。証拠は動かないが、加害者側は語らない。墓までもってゆき、語りたくない。
あくまで事実無根といいつのって、相争うことで、双方のナショナリズムの火種に、ふいごで風がおくられることになる。

ヨーロッパに眼を向けてみよう。
わずか60年前まで、戦争を繰り返し、あれほどいがみ合っていた英独仏の関係のようになれないものだろうか。

nansai070418-3.jpg

ぼくの眼には、温首相の野球ユニホーム姿が象徴的にみえた。
鍵は、スポーツにある。
スポーツは国境を越えるというが、当面浮世のなまぐさい利害を超越できるからだ。それも国別対抗のオリンピック形式ではない。それぞれの地元に愛されるプロチームの一員になりきることだ。
欧州では、なんといってもプロサッカーだ。欧州各都市のチームに、世界から国境を越えて選手が参加してくる。昨日の敵が、きょうの神様になることもある。
日本では、国技の大相撲だ。角界にとって、モンゴルは、親戚みたいな存在だ。

ダイスケを見よ。地元ボストンでは、人気チームのヒーローとして、あれほどまでに(テレビで知る限り)身内として受け入れられている。
くりかえすが、地元のチームの一員となることだ。
地元チームに参加し勝利に貢献することで、受け入れられ頼りにされ尊敬され、語り継がれるほどの親しい感情は生まれる。そして、選手を応援することで、初めて地元同士、わだかまりがとけ、交流できるのだ。

中国では、野球は「棒球」というらしい。温首相が旗をふれば、これからすごい勢いで、人口十三億の国に「プロ棒球」が普及するかも。
三十年後には、セントラルやパシフィックのような中華「棒球リーグ」が、各地域に30は出現するだろう。プロ野球球団は、500チームではきかない。
優れた中国人選手が生まれ、大リーグにも、日本球界にも、進出するだろう。大相撲のようになる。

ダイスケにあやかろう。
スポーツを通じて、はじめてわかるのだ。今生きている日本人たちは、別に、鬼ではない、友人だと、中国の人に思ってもらえるようになる。

昭和の軍国少年ぼくらは、60年前までは、日本は神州、神の国で、攻め寄せてくるのは、「鬼畜米英」と教わった。敵が上陸すれば、一人一殺して、神州を守らねばならないと。

戦争が、人を鬼にする。
平和になれば、殺し合いが終われば、憎しみの火種は自然に消えるはずだ。
なーんだ、べつに「鬼畜」じゃなかった、相手も普通の人間じゃないかとわかる。
ジープに乗って町中を走り回りチューインガムをかんでいる若いアメリカ兵をみて、腹をすかせていた少年のぼくらには、すぐにわかった。
残念なことに、国じゅう焼け野が原となり、同胞300万人のかけがえのない命を失った後だったが。

投稿者 nansai : 11:12

2007年4月16日

四月十六日(月)

さくらさくら

さまざまのこと
思い出す桜かな

これは、春の園遊会で、安倍首相が唐突に引用した芭蕉の句だ。

nansai070416-1.jpg

老いた芭蕉が、故郷の伊賀上野で、思いがけなく先君の遺児から花見の宴に招かれたときに、感慨をこめて詠んだ句らしい。
その22年前、仕えていた先君が25歳で急逝した。近習だった芭蕉は、あまりのことに驚き世をはかなんで出奔したのだ。
首相には、郵政脱藩組を意識してとか、の思惑はなさそうだが。

しきしまの大和心をひと問わば
朝日に匂う山桜花

不幸にも、桜の花は、先の戦争にふかく関わりつづけられた。貴様と俺とは同期の桜。ぱっと咲くよりは、潔い散りかたが、武士のかがみと尊ばれたのだ。

万だの桜か 襟の色
花は吉野に 嵐ふく
大和男子と 生まれなば
散兵線の 花と散れ

悠久の大義に生きよ、戦場で命を惜しむな、いさぎよく散る桜をみよ、というわけだ。いつ頃からこういう美意識が生まれたのか。

nansai070416-2.jpg

とにかく日本人は散るさくらが好きだった。
「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」とか「久方の光のどけき春の日に しずごころなく花の散るらん」
などが、標準メニューだ。
つぎは、ぼくの好きなひねくれ一茶の句。

ただたのめ
はなは はらはら
あのとおり

この世に、ただ頼み参らすのは、観音さんしかないと、一茶はいうのだ。

nansai070416-3.jpg


投稿者 nansai : 14:29

2007年4月 6日

四月六日(金)

隣りの北大江公園で、午後、ハトとホームレスの猫が満開のさくらの花の下で、なにやらひそひそ、しゃべっているのをきいた。

nansai070411-2add.jpg

腹をすかせて、ベンチの下にうずくまっている黒猫が、うらやましそうに。
「この公園の桜も、ようやく満開やな。
川向こうの造幣局の通り抜けも始ったで。あっちは、ぞろぞろ、ものすごい人出や。えらい違いや。
夜店も出て、満員の京阪電車は、うはうはらしい。」

「そういえば、ここには、だれも花見に来よらんなあ。がらんとして、もったいないわ。
ことしは、冷えるからやろか。
公園も整備されて、花見にはもってこいなのに。桜の木も十五本以上はあるで。
酒盛りが始ると、おこぼれがもらえるのに。おなかすいたなあ。」
と、鳥目のハトだから、夜の宴会はつきあえない。

「大阪の町は、みなが散歩するようにならんと、元気がでんと、建築家の安藤さんもいうてはった。
で、これから、みなが散歩できるように、大川一帯に桜を植えて、「平成の通り抜け」にしたろ、という構想らしい。雄大やないか、アイデアが。」
「ところで、この界隈は、どうなる?
蚊帳の外では、つまらんなあ。このさびしい公園に人が集まるにはどうしたらええやろか。
わしらも、かわいがられて、えさをもらいたいし。」と、ハトも空腹そうだ。

「あんたら、ハトはあかんわ。まるまるふとっているし、それにしては、フンのしまつとか、マナーが悪すぎるデ。」と、自分の評判は棚に上げてホームレス猫。
負けじと、ハトも、いいかえす。
「ネコは子をぎょうさん産むから、きらわれるんや。人間の世界のように、ねこにも「赤ちゃんポスト」をつくってくれたらええのにな。」

nansai070406-2.jpg

花見の季節はすぐ終わる。
だが、いよいよ、日本人にとって勝手の違う「少子高齢化」時代にはいる。どうなるだろう。想像もつかない。この公園の風景も変わるにちがいない。お年寄りで、いっぱいになるかも。
近所の都心のマンションに、高齢者が続々とかえってくる。そのうち人口三人に一人は高齢者だ。

人口減少社会の設計」(中公新書松谷明彦、藤正巌著)によれば、長い時間をかけて高齢者社会に移行したイギリスの都市が参考になるという。

どんな町でも日中に人でにぎわっている。その半分が高齢者だそうだ。町の真ん中には歩行者天国がある。高齢者が安心して歩き回れるよう、駐車場があちこちにもうけられている。クルマが遠慮するシステムがつくられているらしい。ぼくらは、人間が安心して歩けるはずの歩道を、ベルも鳴らさずスピードを上げて走る自転車におびえているというのに。
そして、多くのベンチが町のあちこちにある。高齢者が、長時間、町の中ですごし、知り合いに会い、落ち着いて話せる場所が必要だ。

どっこいしょと腰をおろせるベンチが、これからのまちづくりの主役になる。
テレビで紹介されていたが、あちらの公園では、ベンチを寄付した人の銘版がはりつけてあった。
市民が亡くなった家族の思い出の記念とかで、ベンチを寄贈するらしい。記念植樹みたいな感覚だろう。

先日NHKの再放送で「小さな旅、明日も笑顔で」をみていたら、この国での高齢者社会の未来像は、巣鴨の高岩寺の境内にあった。

nansai070411add.jpg

「ばあちゃんの原宿」で、つとに有名なとげ抜き地蔵商店街だ。境内には、もちろんベンチがびっしり十重二十重に準備されて並べられている。
話し相手をもとめて遠くからやってくるお年よりの常連も多いからだ。
自分で撮った猫の写真を見せ合ったり、コミュニケーション用と称しておかきや飴玉もめいめい用意して。おしゃべりをたのしむのだ。
カラオケ喫茶「昔の唄の店」も、客層は90歳から60歳と幅が広い。食べ物の持ち込みは自由。みな、出番の合間に、持参した手料理を、分け合っている。
常設の花見のようなものか。
65歳の易者さんが、しばらく顔を見せない人へのことづけをあずかったり、ここでは、高齢者が、交流しやすい街づくりになっている。

こんな風に、日本でも、欧米の高齢者コミュニティとは一味違った「寄り合い」の場が多彩にくりひろげられるだろう。それに合わせた町づくりが、そろそろのぞまれるのだが。

ここ八軒家船着場の界隈は、京と大阪を結ぶ交通の要衝として栄えた。
通り抜けの始る以前の夜桜の季節、三十石舟が大川を漕ぎ渡るの図。時代考証は、ちゃらんぽらん、いい加減だが、オリジナル。天満橋過ぎて天満青物市場辺りの風景のつもり。

nansai070406-3.jpg

投稿者 nansai : 14:02

2007年4月 5日

四月五日(木)

これはなんの絵?
07040501.jpg
出張から帰宅して、なぜか無性に絵が描きたくなった。
油絵のように(描いたことはないが)たいそうな準備がいるわけではない。パソコンの前に座って、ペイントを立ち上げて、いきなりそそくさと描き散らすだけなのだ。
夜遅く思い立って、マウスで描いたこの絵は、なにに見えるだろうか。
雑誌の写真をみて描いたのだが、どうも自信がない。
あすの朝、さめた眼であらためてたしかめてみたい、と思った。

これは、蒟蒻。のつもりなのだ。

新幹線のPR誌の「車窓歳時記」(ひろさちや文)に、こんにゃくのエッセイがのっていた。ルビなしで、漢字の標題。読めるが、ぼくには書けない。
「蒟蒻植う」が、晩春の季語らしい。前年から囲って保管しておいた蒟蒻芋の球茎を四月末から五月の初めに畑に穴を掘って植えるそうだ。
パソコンに「こんにゃく」と入力すると、「蒟蒻」と変換されてでてくる。たいしたものだ。
エッセイにそえられた写真が、ライトを浴びていかにもこんにゃくのぷるんぷるん素材感をだしていた。
ぼくにも描けるかなと、絵心をさそわれた。
見ようによっては、建築現場の瓦礫のかけらにみえないこともない。

投稿者 nansai : 13:04

2007年4月 2日

三月三十一日(土)

沖縄戦の修正?文科省が教科書検定

nansai070402-1.jpg

これは、徳利ではない。
昭和二十年の沖縄戦で使用された日本陸軍の手投げ弾だ。「決戦手榴弾。」金属不足で、なんと陶製である。上部にマッチのような発火装置があり、信管部にはゴム製皮帽がつけられ、中に火薬がつまっている。(ネットで発見した。信楽古陶館や海兵隊沖縄戦資料館に展示されている。左の絵は、米軍使用のMK2。)

nansai070402-2.jpg

敗色濃い沖縄戦で、戦禍に巻き込まれた住民は10万人近い犠牲者をだしたが、戦線の一部では、日本軍から、自決するための手榴弾を渡されたという。おそらくこの種の陶製の手投げ弾だったろう。鬼畜米兵から、生きて虜囚の辱めを受けることのないようにと。それが、軍の強制だったどうか、検定教科書にどう記載するかでもめていると新聞は報じている。文部科学省は、「軍が強制」という記述に修正をもとめているらしい。軍は自決命令をだしていないと、個人の名誉回復をめぐって裁判にかけられているからだという。
その背後には、前の戦争の正当化を願っている勢力が、政府、自民党にキャンペーンを張り始めたと、ニューヨークタイムズは、一昨年に指摘している。

そんなことは、どうでもいいと、ぼくはいいたい。
もっと大事なことに、目をそらし見逃してはいけないと考える。

なぜ?と問うことが、たいせつではないか。
太平洋戦争末期、昭和二十年の日本人は、軍隊も民間人も、なぜ降服を肯んぜず、集団自決のみちを選んだのか。
いまネットを検索すれば、デジタルに記録されたおびただしい資料と索引から、薄っぺらの教科書よりもはるかに大量の情報が得られるのだ。
問題は、それをどう読み解き解釈するかである。

戦火に斃れたおびただしい犠牲者の数をみてほしい。イラク戦争とは桁違いだ。
沖縄では、日本側の死者行方不明者は18万8136人。うち、民間人9万4000人が犠牲となり、軍人軍属の犠牲者は2万8000人。
サイパンでは、戦死2万1000人、自決8000人、捕虜921人。
このいたましい結果は、愛国、報国とか忠義とか勇猛とか玉砕、武士道などの美徳めいた言葉ではとうてい説明できない。
当時、少年のぼくらは、鬼畜米英に屈することをよしとせず、(婦女子は陵辱をおそれ)国体を護持するためには、「玉砕」をも辞さないとする「文化」の中で育った。

あらためて、たった4年間で300万人が命を落とした大きな歴史の流れに、学ばねばならないと思う。なぜ、一億余のひとびとが、何を信じて、あの巨大な津波に巻き込まれ溺れたのか、を知ろうとすることだ。

歴史の教科書では、何を教えるか、どの立場に立つか、いまのように歴史認識と価値観が別れている時代ではむつかしい。あの戦争はやむをえなかった、正当化しようとする勢力も、根強いときく。
文部科学省の官僚が、教科書の合否判定するのも、いまの大臣のように歴史に暗い政治家につつかれるだろうから、あぶなっかしい限りだ。サッカーのレフリーと違って、史実の判断のルールが明確でないからだ。
なのに、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に修正を求めた。
教科書の役割とはなにか。歴史の「履修」は、学力の差をはかるテストにおわってはいけない。まる暗記の受験科目としてのみ扱ってはもったいないと思う。

めいめいが、一生かかって、学び続けるものだろう。教科書は、その過程の一資料にすぎない。
ぼくは、ものごごろついてから万世一系の皇国史観の真っ只中で育った。戦時中の教科書は墨を塗ったりして、敗戦後すぐに否定されたが、正しい歴史認識がぼくの身につくには、ずいぶん時間がかかるものだとしみじみ思う。いまは開かれた世界から、日々豊富で多様な情報を提供できるテレビとネットの影響は大きい。

学ぶなら、根拠ない年号にこだわらず、歴史の大きな流れをつかむこと、さまざまな受け取り方があることを学ぶことが、世界市民としての、教養というよりは常識ではないか。

これからの歴史の教科書は、テーマごとに、参考文献、ネット、ビデオ、DVDを参照するように指導し便宜を図る手引きであればよい。いいかえれば、教科書は、ウエブのホームページというか、ポータル機能を果たせばよいと思うのだが。

手っ取り早く、だれにもわかりやすいのは、NHKスペシアルなどのアーカイブからの映像記録だ。
つぎに、インターネットだ。情報量では、紙数にかぎりある教科書は、さかだちしてもかなわない。 

ウイキペディア日本語版で、「沖縄戦」をひいてみよう。15ページにわたり、くわしい史実が記述されてある。なかで、「沖縄戦末期と沖縄住民の状況」については、議論が分かれるが両論が併記されている。外部リンクの豊富な資料のなかから、鳥飼研究室「:沖縄戦と住民」が内容充実している。
情報のデジタルアーカイブ時代に、文部科学省が、政治家の圧力をうけつつ、情報量の貧しい検定教科書をしぼりこむ。これは、なんということか。


投稿者 nansai : 10:34