縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年5月31日

五月三十一日(木)

たいへんだ。
バスが、沈む。沈むよ。
だいじょうぶ。
大川をゆったりと航行中。なのだ。

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久しぶりで、いいアイデアをテレビで見た。
水陸両用の観光バスが、大阪に登場だ。定員40人。運転スイッチを水上にきりかえると、最高15キロでるという。こんなバスがあるんだなあ。これを、アメリカから買ってきて、水の町大阪の観光ツアーにと思いついた人がいる。えいっと私財一億円を投じたそうだ。たいしたものだ。このごろ手元不如意の大阪市交通局では、こうはいくまい。快挙だ。水の都ツアーに水陸両用観光バス、とは思いつかなかったなあ。面白い。クリーンヒットするだろう。

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さっそく、グーグルでしらべてみたら、北海道や栃木県、東京でも、もうちょっかい出して試験運転している。これから、競走だ。負けていられない。
話題に乏しい大阪にはぴったりのグッドアイデアだ。(同じハコモノでも車輪とスクリューがついている。夕張の二の舞にはならないだろう。)琵琶湖にもいい。不振の関西だが、アジアから観光客が呼べるぞ。
海外旅行にごぶさたのぼくは知らなかったが、水陸両用バスは、すでにニューヨーク、オーストラリア、ドバイ、アラスカ、マイアミ、アイダホ、サンディエゴ、など、世界あちこちの都市で成功しているらしい。

で、お調子者のぼくも、割り込んで、一案。
今年の天神祭りは、船渡御のほかに、バス渡御といこう。スポンサーは、いくらでもでてくるかも。
そのうちに、いろいろな型の水陸両用車が上陸するだろう。ダイハツなど、国産車も。
秋の御堂筋パレードも、サントリー、パナソニックと、水陸両用車パレードにして、大川を、大阪城から西へ下るなんていいなあ。あ、橋がじゃまか。
そうや、忘れていた。阪神の優勝パレードだ。雨の御堂筋もいいが、大川をさかのぼってから、やろうやないか。そのうちに。

投稿者 nansai : 17:16

2007年5月30日

五月三十日(水)

トウゴウさん、なんとかなりませんか

阪神が、甲子園で、ロッテに大敗を喫した日。
奇しくも、百年前の日露戦争で、日本海軍がロシア帝国のバルチック艦隊を対馬沖において、完膚なきまでに打ち破った、まさにその日だった。
旗艦三笠のマストにはZ旗が翻った。

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戦艦三笠の艦橋に立つ小柄な東郷提督の絵は、小学生だったぼくの目に今も焼きついている。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と打電し、いよいよこれから出動する三笠の艦橋の状況が描かれていた。大きな額が小学校の講堂にかかげられ、毎日、仰ぎ見みて、軟弱で臆病なぼくも、すごいなあと、武者ぶるいした。

それって、なんのこっちゃい、というむきもあろうから、ぜひウイキペディアの「日本海海戦」[Battle of Tsushima]]を参照してほしい。
司馬遼太郎渾身の作「坂の上の雲」に目を通すより、手っ取り早い。

三倍も戦力において勝るバルチック艦隊を、劣勢の東郷艦隊が、対馬沖で迎えうった。1905年5月27日。苦心して編み出した捨て身のT字戦法、敵前大回頭で打ち破った。ロシア艦隊は、戦艦、巡洋艦のほとんどを撃沈され、拿捕された。日本海軍は、水雷艇三隻と損害軽微だった。海戦史上まれにみる完勝だった。

戦闘中、マストにZ旗が、高く掲げられた。冒頭に描いた信号旗である。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」将兵いっせいに奮いたったと伝えられる。
あまりにも有名で、少年のぼくらも、戦時中、いやになるほど、ゼット旗の話を聞かされて、叱咤激励されたのを思い出す。
Zは、アルファベットの最終の字で、「もうあとがない」のこころで、トラファルガー海戦ではじめてネルソン提督が掲げた。
負けたらおしまいの大海戦にくらべれば、タイガースには、まだまだ、あとがある。終盤、なんとか遮二無二に三位にすべりこんで、プレーオフを制することだ。

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「明日は勝つぞ、タイガース!」
アドミラル ネルソンとトウゴウにあやかって、タイガースの士気を鼓舞すべく、甲子園でゼット旗だ。「各員一層努力せよ、」と、ふりまわしても、…あかん。かなあ。

なにしろ、対ロッテ交流戦が、2戦24失点だ。
どうやって点をとるか。打線よりも作戦だ。サンスポのインタビューにこたえて、
「ベンチワークだ。」
と、星野前監督はいう。こういうときこそ、監督は、さい配で選手を動かすべきだとも。

しろうとのぼくにも、そう思える。じゃあ、なんのためのカントクなのだ?と、これは、ぼくの遠吠え。
こうもいいたい。
再三ひどい目にあわせてくれるパリーグの外人監督たちの用兵術に学ぶべし。どっしりかまえて動かないポーズは、泰然自若というより、往年の強打者はベンチワークに弱く、次が読めないからかなあ。
もう目先の勝負にはこだわれなくなったから、じっくりいろいろ考えて世代交代へ、だね。
負け惜しみのようだが、往年の弱い、はがゆいタイガースに帰ったようで、おろおろぼやき、かつ悪態をつきつつ、歯噛みしながらの応援には、ついチカラがはいるなあ。

で、Z旗だ。ダメ虎時代に還ってほしくない。秋には、体力回復して、なんとか三位に滑り込もう。プレーオフを制して日本シリーズへ。明日があるさ。

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「百発百中の一発、よく百発一中の敵砲百門に勝る。」
世界が仰天した未曾有の成功体験がわざわいして、後年、自信過剰の日本海軍は太平洋戦争で手痛い目にあうことになるのだが、それはまた別の話。

投稿者 nansai : 11:54

2007年5月28日

五月二十八日(月)の二

阪神まけると新聞売れん

負けた、負けた。ロッテに、14失点、今季ワースト。
阪神大敗の翌日のスポーツ新聞が、おもしろい。
扱いに苦慮しているのがわかる。

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オカダ監督の暗い顔と他人事のようなコメントでは、売れんわなあ。なんや、あれは?某デザイナーのユニホームも、あんまり似合わんのお。と、つい八つ当たりもしたくなる。
卑怯なのは、サンスポだ。ウマに乗って逃げた。
まるで競馬新聞だ。一面の見出しが、
「女が勝った!ウオッカダービー 64年ぶり快挙」
ようやく5面に、やっとタイガース関連だ。敗因から目をそらし、金本への死球をとりあげて、
「ロッテ、なにすんねん、虎、なにしてんねん」

ゴマすって、オカダをかばう新聞もあるが、うその大本営発表はできない。太平洋戦争中の負け戦の報道振りと似ていて違うところは、読者がみな戦況結果を知っているということだ。みんないっぱしの評論家なのだ。ロッテにくらべてぼろくそだ。

口々に、いわく、
敗戦処理に中村や能見を使うのをやめてほしい。
島谷を優遇しすぎや、使わん勇気も必要。
などと、トラ党の声はもっともだ。

テレビ評論家も、ふだんは談合のように口重くかばいあうが、連敗が続くと、つい本音が出る。
バレンタイン監督のようなパリーグの用兵にくらべて、第一球からの盗塁やヒットエンドランなど、もっと早く仕掛けんかい。

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尻馬に乗って、ぼくの意見はこうだ。
若さにもっとチャレンジさせよ。
昔の名前に頼らずに、首脳陣は、選手をブランドで使うな。不調なら、ひっこめろ。無名でも実績なくても、実力の可能性に賭けよ。鳥谷のように。
大相撲の白鵬も、ゴルフの石川少年も、若い可能性を爆発させた。
阪神は、年功序列だ。パリーグをみても、阪神を追放された選手たちが、めいめいの持ち味をいかして主力打者で活躍している。
阪神は、上のふたが重く、ようやく芽の出た林も、もう28歳だ。桜井も狩野も、もっとはやく世に送り出すべきだった。出し惜しみしているうちに、つぶれてしまうこともあるのだ。

投稿者 nansai : 15:23

五月二十八日(月)

我輩は蟻である

ぼくは、毎朝、熊野詣だ。
知る人ぞ知る「熊野かいどう」をてくてく歩いている。

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かつての八軒家船着場、いまの京阪天満橋駅が起点だ。
階段をあがり、土佐堀通りをこえ、だらだら坂を南に上がる。トウカエデの街路樹の下を、えっちらおっちらと、たったの二百メートルくらいだが。
熊野かいどうだ。

「熊野街道は、このあたり、(渡辺津、窪津)を起点にして、熊野三山に至る道である。」
と、坂の上がり口に、石碑が立っている。
「京から淀川を船でくだり、この地で上陸、上町台地の西側、脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられ、平安時代中期から鎌倉時代にかけては、「蟻の熊野詣」といわれる情景がつづいた。」
千年前の平安時代からの細い道を、ぼくは毎日歩いている。蟻の行列の一匹だ。

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蟻たちは、なぜ、この道の果て、はるばる熊野を目指したのか。信心の薄い平成のぼくには、想像もつかない。
熊野は、浄土信仰が盛んだった平安末期、現世にある「浄土」の地とされたといわれる。

その頃、仏が滅してから、二千年。
京から、上皇や女院による熊野御幸がひんぱんにおこなわれたという。
暗黒の「末法の世」を説かれても、ちんぷんかんぷんの庶民はそれどころではなかったが、当時の貴族社会は、不安でパニック状態に陥っていたと思われる。

記録が残っている。鳥羽上皇21回、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、
上皇クラスの御幸は、約百年間に百回を数える。おびただしい回数だ。
それも、物見遊山の旅行ではなく、身を清め、京から徒歩600キロ、莫大な経費をかけ大勢の人数を従えての一ヶ月半の難行苦行だった。

そんな熊野参詣に、ひとびとを駆りたてた恐れは、なんだったのか。
道中の難行苦行が一切の罪業を消滅させ極楽に往生できる、という阿弥陀信仰だったというが。

上皇の御幸がすたれたあと、室町時代からは、武士や庶民が、蟻のように列を成して、熊野を詣でたらしい。

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眼を閉じて、タイムマシーンに乗ってみよう。
1159年12月、人家もまれなこの細い道を徒歩の平清盛が白装束姿で、後白河院の熊野御幸のおともしている。
保元の乱は、その留守を源義朝らに襲われたところから始まった。平家、続いて、源氏と、武家政治への転換点だったのだ。

御堂筋と平行する、この筋は、いまは大阪のどこにでもある、名もない道のひとつだ。千年も前から、上町台地に向かうこの細い道を、人々が往来した。
だが、交通量のはげしい坂の入り口にたつ石碑の銅版に気づく人もいない。

大阪は、坂の町、夕日の美しい町だ。日の沈む西方の浄土に向かい手を合わせて、この道を歩いた蟻たちの行列を描いてみた。

投稿者 nansai : 11:56

2007年5月22日

五月二十二日(火)

「もし自分が乗り合わせていたら」

去年の夏の夜、JR特急列車大阪行き「サンダーバード」の車内で起きた強姦事件を、五月になって大新聞の社説が、こぞって「自分が乗り合わせていたら」などと、取り上げ始めた。

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衝撃的だったのは、客席の6割を占める約40人の乗客が、ただ傍観していたからだ。かかわりたくないという計算が、40人の乗客に働いたのか。
被害者が連れさられても、ただ押し黙っていたのか。なにもしなかった。加害者に加担したといわれても仕方がない。
ああ、日本人もここまで落ちぶれたか、と唇をかみし締めた人も少なくないだろう。品格もへちまも、武士道も、惻隠の情もないのか。
歯がゆくても、恥ずかしくても、これが、いまの日本の社会の縮図だろう。と、昨今のいじめにいたるまで、不毛な日本人論は止め処もなく、続く。

JRの責任は重い。
悲しいかな、いまさら、日本人の正義感と勇気のなさを憂えても、間に合わない。ならば、JRは、車内防犯、乗客の安全を、知恵とカネで補わねばなるまい。JRは、こういった車内犯罪のリスクを重視して、装置の改善に投資すべきだ。

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いま、この国では、犯行を目撃しても、ふつうの乗客は、勇気がなく、係わり合いを恐れると、JRは銘記すべきだ。
で、しかたがない。発想の転換だ。勇気のないふつうの乗客でも、仕組みしだいで、凶悪な車内犯罪の抑止、通報に協力できる。
いざ事件が発生したとき、さあ、車内犯罪警報ボタンが目立たず、どこにあるのか、どうしたらいいのか、乗客にわかりにくい。これが問題だ。地下鉄の車内装置は、字も小さくて上品で、読みにくい。表示は、何のためだ?

車内あちこちに備えられている(はずの)警報装置の存在が、遠くからでも、はっきりみえるように表示すれば、犯人への抑止力になるのだ。警官を同乗させるのと同じ効果を考えたい。

犯罪行為をみかけたら乗務員にお知らせくださいなどと、悠長なことはいっていられない。
鋭い音響で、犯行に及ぼうとしている犯人をけん制し威嚇すべきだ。
「こらあ、なにしとんねん。」
声を出す勇気のない乗客でも、ボタンを押すと、大音響がひびきわたるとか。銀行の警報装置のように。

以上は、すでに一般住宅が採用している最近の防犯対策と、おなじことである。犯人にやる気をなくさせるのだ。想定外の悪質犯人をひるませる抑止のための装置へ、一般の防犯住宅に習い、JRは、アタマを使って、もっと投資せねばならない。

「長いものに巻かれ、みざる、きかざる、みてみぬふり、」などの卑怯ともとれる独特?の暮らしの知恵で、ふつうの日本人は、長年、耐えて生き抜いてきた。
反面、まちがっていてもリーダーにそそのかされれば、ねこじゃらしのような見せ掛けでも「大義のようなもの」があれば、付和雷同。雪崩れて、戦争にも、異論を唱えない国民性が、遠くない過去にはあった。

こわいことに、残念なことに、激変の21世紀犯罪社会にも、日本人は、急には、変われないだろう。

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朝日の社説「列車内の犯罪、もし自分が居合わせたら」どうするか、と問われて、考え込んでしまう日本人。、だから、多発する乱射事件をものともせず、銃を持って自衛するのが、建国以来、憲法で保障された伝統だ、と言い張るアメリカ人。
もう、世の中が、こんなに変わった。なんとかいい知恵をしぼりださねば。

投稿者 nansai : 15:26

2007年5月15日

五月十五日(火)

そんなに長生きしたいですか、
と問われて。
「日本人の死に時」(幻冬舎新書)

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願わくば花の下にて春死なん
その如月の望月のころ 西行

その花も散り、万物かがやくばかりのの新緑の候であるが、ただぼんやりと座して、お迎えを待っていてはいけないらしい。「ぴんぴん、ころり」が、国是のようだし、国会でも、議論されている。
ここ数年、死を考えるブームで、本や雑誌が、次々に出版されている。
いい本が出た。
久坂部羊「日本人の死に時」(幻冬舎新書)これは、近来まれな快著である。

「死に時」のすすめ。この触れにくいテーマをめぐって、あちこちでハチの巣をつついたような議論が展開するだろう。いいことだと思う。

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作家でもある著者は、老人医療医。数々の老人の死を看取ってきた阪大医学部出の現役の医師だ。

本の副題には、「そんなに長生きしたいですか」
腰巻には「あなたは、何歳まで生きるつもりですか?」と、たたみこんでくる。
続いて、
「苦しみ、うとまれ、寝たきりになりたくない、人のための、「『ほどほどで死ぬ』哲学」とある。

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医療行政ではやっかいもの扱いの後期高齢者としては、たじたじと、あとずさりだ。まことに時宜を得た、ごていねいな問題提起ではある。

そう、高齢者社会に生きるものにとっては、この200ページの薄っぺらな本は、まさにバイブルなのだ。

いいかえれば、「あんたの死に時」を教えてくれる本である。なかでも、第八章「死に時のすすめ」は圧巻だ。
参考になるぞ。ご同輩。戦友諸君。

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62歳の内科医が、みずからの胃ガンを手術不能と判断して、自然の摂理として受け入れ、そのまま死を待つことにした。その衝撃のエッセーが紹介されている。
かれは、医師として、悲惨な老後をさんざんみてきた。年をとってからのつらい死は非常に多い。この医師は、自身で胃がんを診断して9ヶ月後になくなった。

かれの書き残したエッセーによれば、ほんとうに死が近づくと、恐怖心も徐々に弱り、死もそれほど怖くなくなるというのだ。上手に死を受け入れれば、穏やかな最後を迎えられるとも。

数々の老人の死を看取ってきた久坂部医師はいう。心の持ちようで、死ぬ前には死が怖くなくなる。こんな朗報は、ちょっとないのではと。

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著者によれば、ガンによる死がいいのは、確実に死ねるということだそうだ。それも一年以内に。

むかしはみんな家で安楽死していた。
「近代医療の発達する前は、たいていの人が自分の家であまり苦しまずに死んでいました。自然にまかせておけば、人間はそれほど苦しまずに死にます。」
著者は、たんたんと説く。
死が苦しくなるのは、人間があれこれ手を加えるからだ。放っておけば、そんなに苦しむ前に力尽きて死ぬ。
多くの人にとって、長生きは苦しいのに。と、著者は、マスコミで世に喧伝されている安楽長寿情報に顔をしかめる。そんなバラ色情報に浮かれていると、いずれ訪れる老いに苦しめられるとも。

まだ若く時間にゆとりのあるうちに、「長寿の危険」にそなえるようすすめている。
そうか、長寿は危険でいっぱいなのだ。
西行法師の願いのように、満月の花の下で眠るように、とはいかないらしい。

介護現場を知る久坂部医師は、歯にキヌ着せず、こう指摘する。
健康情報ばかり先走り、人々はまるで悪霊につかれた豚のように、悲惨な長寿の谷底になだれこんでいると。

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同医師の述べる結論は、かんたんだ。死に時がきたときは、抗わないことが、いちばん、らく。
受け入れる準備さえできていれば、心も穏やかになれるだろう。
「自然に逆らうことは、苦しみと煩いを増やすばかりです。多くの老人の死を看取って、そう思います。」
そのとおりだろう。わが意を得た。

この新書の720円は安い。
まだ書評で取り上げられていないようなので、ぼくはぴんぴん元気な友人たちに一読をすすめている。

投稿者 nansai : 10:33

2007年5月11日

五月十一日(金)

連敗を9で止め、タイガースの長すぎた大型連休がやっと終わった。

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10連敗!それは、あんまりだ。
この二試合は、連敗ストップをかけてなりふりかまわず、戦ったのは、評価できる。
ぼくは終盤の土壇場しかみていないが、藤川投手の誇り高き「この一球」をテレビの前の特等席でじっくり堪能した。
スタンドの大観衆の中では味わえない、投手と打者の虚虚実実の駆け引きに、久しぶりにうならされた。

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勝った昨夜のキャッチャーが、駆け出しの狩野というのがうれしいじゃないか。
昨夜は、見事だった。あっぱれだ。
ほとんど一軍の試合にお呼びでなかった狩野捕手が、意表をつく変化球をまぜ、藤川をリードして、三者凡退させた。甲子園の大舞台に臆せず最後までマスクをかぶった。
「変化球のサインだしてもええよ。」と藤川が声をかけたという。美学の直球勝負に封印して勝った、と、朝日は書いている。
狩野は、直球に絞ってくる相手の的をはずして、らくに三振をとろうと思った。と、これは別のスポーツ紙から。

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前日の負け方は、あまりに無残だった。
まさかの8回にひっくりかえされた。速球ごり押しの藤川は、読まれていた。
正捕手矢野は、ぼろぼろだった。走られるわ、捕逸するわ。
俊足の代走を一球めで走らせた井原コーチの走塁シミュレーションが成功した。
走る巨人が、キャッチャー矢野を動揺させ、力でねじ伏せる藤川の美学をがたがたにした。以前から嘲笑の的だった長嶋型の巨砲打線が、完全にモデルチェンジしていたのだ。

長い長いトンネルだったが、阪神は果たして抜けられたのか。
狩野、林、と、タイガースも、いよいよ、実力の世代交代だ。
この苦い9連敗は、主力選手に遠慮せずに、思い切って新戦力を登用できる機会を与えてくれた。
まだ先は長い。


投稿者 nansai : 14:59

2007年5月 8日

五月八日(火)

タイガース連敗阻止祈願

「岡田休養」
どでかい見出しが、スポーツ新聞にのっていた。すわと、買ってみたら、いつものように、小さく
「させん」
と「宮崎オーナー明言」とある。
なーんや!
サギだね、これは。キオスクで、毎度ひっかかるのも、いかがなものか。
「7連敗。それでも、信頼揺るがず」だそうな。

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さすがオーナー、あまいばかりじゃなく、苦言も呈している、とサンスポ。
「故障者が多いのに、強いチームの戦い方をしている。もっとチャレンジャーとして戦わないと。」
「星野前監督のように言葉で人をひきつけることも大事。アピールしないと。」とも。それはむりでしょう。

急に打つ手がなさそうなので、急遽、これまでに描いて忘れていたタイガース応援之図をアーカイブから引っ張り出してならべ、悪霊退散、厄除け必勝祈願を。

なにぶん緊急の事態につき、応援ギャルたちには、数年前の元気な夏の甲子園から、夏姿のまんま、タイムマシーンに乗せて出場してもらった。
「かっ飛ばせー、タイガース。」か、なつかしい!
ごめんね。ちょっと肌寒いかな。

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これは、いまは昔の絵だ。よだれをたらしているトラの口のなかでもがいているのは、気の毒に、巨人の堀内監督(当時)だ。あのころは、巨人も、ぱくりと、ごちそうさまだったなあ。

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優勝は、おこがましいが、土壇場大挽回祈願の絵馬を奉納することにしたい。もちろん、広田神社に。球児の横型ホームプレート絵馬のアイデアは、売れるぞ

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これも、なつかしいプラカード?
「ぶっちぎれえ。阪神!」首位にたって独走態勢にはいり、追いすがる二番手をつきはなすのだ。

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オカダ監督御用達焼酎「そらそーや」も、発売されたそうだが、売れ行きはどうかな。心機一転。頼まれてはいないが、びんもキャッチフレーズもかえてみた。
「ななころび、やおき。こけたら、たて。」

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投稿者 nansai : 16:20

2007年5月 7日

五月八日(火)

いよいよ、たけなわの「母の日」商戦。

花オンチのぼくだが、いま、ブルーのカーネーションが話題らしい。テレビ大阪のニュースで知った。2004年のグッドデザイン金賞だ。

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へえ、先端技術開発のブルーのカーネーション、一本なんぼやろ?
高そうだが、もらってうれしいかねえ、大阪のおばちゃんは?。
「もらったらうれしいですか」の質問(やらせかなあ。)に答えて、
「そりゃうれしいわ。
でも、何かに添えてね。そうや、商品券がええわ。」
やあ、条件つきとは、さすがである。赤い服を着こなしている身なりのいいおばあちゃんだったが。

ぼくは、花屋をのぞいていないので、まだ話題のブルーカーネーションにお眼もじできていない。
で、以前に描いた赤い花びらにこちょこちょと手を加えて、

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はい、できあがり。このとおり、クローン栽培で、なんぼでもできるのだ。

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ここで、思い出した。
親しい友人が、手術して入院している。もう元気になって退院も近いのだが、そのお見舞いに、いつもの「絵に描いた花」はどうやろ。

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そうだ、絵がいい。戸口で逡巡しているのが、ぼくである。
この絵はいつも好評だ。見舞いの前に、病院の壁とドアをぬりかえ、名札を書き換える。

せっかくバイオで育てた花を持っていっても、ゴルフのうまい屈強なおじいさんなので、ネコになんとか、かもしれないので。


投稿者 nansai : 16:11

五月五日(土)

こどもの日

トラ、7連敗。泣いている場合か?

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プライドだけ高い監督の打つ手のはずれる采配の問題もあろうが、連敗の主な原因は、主力選手の年齢だろう。どんな名選手も、歳には勝てない。筋肉とカンが急激におとろえてくる。
おそれていたチームの勤続疲労が、意外に早く夏までもたず、ゴールデンウイークに、はやくも顕在化したのだ。
いたましいエキスポランドのコースターの車軸破断を思い出してしまう。
で、こういう世代交代の時期を、果断に、どう乗り切るか。あわててもしかたがないか。
右翼手の林、捕手の狩野が、頭角をあらわしたが、二軍に、そのほかの注目選手はいないか。
ドラフトでは、いい選手は、くじでしか当たらない。
外部からの補充は?緊急輸入は?
もともと阪神の戦力の中核は、元広島の打線、元日本ハムのエース、元中日の控え捕手などで構成されている。鳥谷のように純粋に阪神育ちは、案外少ないのだ。
大リーグをみても、ヤンキースもあのざまだ。どの球団も、眼の色変えて、人獲り、戦力補充ゲームだ。日本のプロ球団は、牧場になってしまった。
トラキチも、嘆いている場合ではない。

投稿者 nansai : 13:29

2007年5月 2日

四月二十九日(日)

四月二十九日 
きょうは、「昭和の日」。
確か、「みどりの日」だったはずなのが、
昭和一桁生まれのぼくに、なんの説明もなく、祝日の名前が変えられていた。
もともとは昭和天皇の誕生日だった。
戦前は、おごそかに天長節といった。

昭和天皇は、「人間宣言」などしていない、という学者の説が、「昭和の日」のトーク番組で披露されて、居並ぶ出場者がうなずいている。耳を疑った。

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これは、どういうこっちゃ。きょうの日に、またなぜ?
天皇の「人間宣言」は、その学者の見解では、当時の新聞が勝手に解釈して見出しをつけたという。おやおやである。
天皇は、普通の人であってはいけない、ということか。

敗戦後、天皇が神であることを自ら否定した、とされる昭和二十一年年頭詔書を、ネットで、読み返してみた。
冒頭に明治天皇の五箇条のご誓文が引用され、次のように読める。

「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。
天皇を現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」
いま読み返して、おっしゃるとおり、と思う。一部には、これはGHQの差し金だと言いつのる向きもあるようだが。
まさに、この「架空なる観念」により、昭和の暗黒の時代、ぼくら「臣民」は、死ぬほどひどい目にあい振りまわされたのだ。

きょうが、なぜ唐突に、「昭和の日」なのか。長年いろいろもめたあげく、議員立法した一部政治家たちの努力が実ったらしい。靖国や皇室をめぐって、平成の戦後生まれ「勤皇の志士」たちが頭をもたげそうな気配である。

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昭和の日本は、いまや映画「三丁目の夕日」で懐かしがられているように甘酸っぱいノスタルジーにつつまれている。
が、昭和という時代は、光と陰のコントラストが極端だ。満州事変の翌年、ぼくは、昭和のもっとも暗い陰の時代に生をうけた。かえりみて、ぼくの一生は、昭和と完全にシンクロしている。
こんな年齢だが、検事でも判事でもなく、時代の生き証人のひとりである。
それも、「進め一億、火の玉だ!」のスローガンのとおり、一億分の一人の証言しかできない。
ほとんど皇国史観で教育を受けた。
歴史認識としては、時代の波に翻弄されて、食うに忙しく、何も知らないし、理解していないと自覚している。

昭和二十年以前の昭和は、少年のぼくの眼からみても、ブラックホールの時代だった。いかなる大義をふりかざそうと、結果として、戦争を引き起こし300万人が命を落とした。あの取り返しのつかない重苦しい時代には、二度と帰りたくない。
想像を絶する強烈な思想の重力が、ある一点に、国民をひきずりこんでいた。「国体」である。
学校が教会で、校長が司祭だった。
あの時代は、愛国よりも「忠君」に、教育のウエイトが置かれていたと記憶する。

おびただしい数の昭和史が出版されている。700円で買える新書版がいい。若手の俊秀の書き手たちが鋭く昭和の抱える問題にせまっている。
その史実の解釈をめぐって、甲論乙駁、いろんな意見が、出始めている。

NHKスペシヤル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」(第61回文化庁芸術祭テレビ部門大賞)は、議論のたたき台として必見だろう。
昭和12年からの中国戦線での一連の事件は、証拠の解釈は自由だが、ドキュメンタリーにとりあげられた事実をみるかぎり、今も何かを物語っている。
現在、自衛隊金沢部隊に保存されている第一師団の戦闘詳報。90歳前後の従軍兵士たちの克明に記録された日記や証言。捏造はできない。口を閉ざしたまま多くの兵士がなくなったが、70年近く前の資料が断片にせよ現存している。ひとの記憶は衰えても、記録は残る。重い。
証拠をめぐって、解釈は、いろいろでかまびすしい。

が、昭和六年から二十年まで、なんと言おうと、日本は、沖縄戦だけでもで二十万人、二十万人の広島長崎の原爆犠牲などなど、戦争の最終段階は、国体護持を悠久の大義として、300万人の命を失った。いたましいかぎりである。
悲惨な時代に生まれたが、ぼくら少年は、新聞をはじめ正しい情報から隔絶されていた。考えることのかなわぬ葦だった。
旧制中学生は、昭和二十年、学徒動員された。ぼくら二年生は、本土決戦に備え海岸の機関銃座作りへ、1年上は海軍工廠で八月十四日の空襲で死傷者を出した。小学校に寝泊りし、新聞もラジオもみていなかった。
軍国少年のぼくらは、巨大戦艦「大和」の存在を知らされていなかった。
世界最大の戦艦が、沖縄へ片道燃料を積んだまま特攻攻撃して海の藻屑と消えたのを知ったのは、終戦後のことである。

いま、次々に発表される史実に接して驚き、あらためて、あの時代の狂気のうねりを思うのである。バブル期にも、またに似たようないやな予感がしたのだが。
その時代のエリート、かつ無知蒙昧の指導者層に、情報を持たず判断できないぼくらは運命を託さざるを得なかったのだ。

昭和というコインは二つの面、明るい表と暗い裏とがある。おなじ人物の肖像がきざまれているのだ。
老いたぼくは、自分の乏しいが、しかし貴重な経験を足がかりに、改めて距離を置いて、歴史に学びたいと思う。

ぼくたち日本人にしてみれば、もう済んだことだ。忘れてほしい。水に流したいのだが、世界は、過去の清算に、注目している。
21世紀の世界と未来を相手なら、日本は、もっと、いさぎよく、身を処さねばなるまい。いさぎよく。

日本人のあいだで、自虐史観とか、ことばをつくして意見の違う相手を罵しり合っても、むなしい限りではないかと、ぼくは思うのだが。そして、
「昭和の日」は、八月十五日がふさわしいと。

投稿者 nansai : 14:19