縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年5月 2日

四月二十九日(日)

四月二十九日 
きょうは、「昭和の日」。
確か、「みどりの日」だったはずなのが、
昭和一桁生まれのぼくに、なんの説明もなく、祝日の名前が変えられていた。
もともとは昭和天皇の誕生日だった。
戦前は、おごそかに天長節といった。

昭和天皇は、「人間宣言」などしていない、という学者の説が、「昭和の日」のトーク番組で披露されて、居並ぶ出場者がうなずいている。耳を疑った。

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これは、どういうこっちゃ。きょうの日に、またなぜ?
天皇の「人間宣言」は、その学者の見解では、当時の新聞が勝手に解釈して見出しをつけたという。おやおやである。
天皇は、普通の人であってはいけない、ということか。

敗戦後、天皇が神であることを自ら否定した、とされる昭和二十一年年頭詔書を、ネットで、読み返してみた。
冒頭に明治天皇の五箇条のご誓文が引用され、次のように読める。

「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。
天皇を現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」
いま読み返して、おっしゃるとおり、と思う。一部には、これはGHQの差し金だと言いつのる向きもあるようだが。
まさに、この「架空なる観念」により、昭和の暗黒の時代、ぼくら「臣民」は、死ぬほどひどい目にあい振りまわされたのだ。

きょうが、なぜ唐突に、「昭和の日」なのか。長年いろいろもめたあげく、議員立法した一部政治家たちの努力が実ったらしい。靖国や皇室をめぐって、平成の戦後生まれ「勤皇の志士」たちが頭をもたげそうな気配である。

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昭和の日本は、いまや映画「三丁目の夕日」で懐かしがられているように甘酸っぱいノスタルジーにつつまれている。
が、昭和という時代は、光と陰のコントラストが極端だ。満州事変の翌年、ぼくは、昭和のもっとも暗い陰の時代に生をうけた。かえりみて、ぼくの一生は、昭和と完全にシンクロしている。
こんな年齢だが、検事でも判事でもなく、時代の生き証人のひとりである。
それも、「進め一億、火の玉だ!」のスローガンのとおり、一億分の一人の証言しかできない。
ほとんど皇国史観で教育を受けた。
歴史認識としては、時代の波に翻弄されて、食うに忙しく、何も知らないし、理解していないと自覚している。

昭和二十年以前の昭和は、少年のぼくの眼からみても、ブラックホールの時代だった。いかなる大義をふりかざそうと、結果として、戦争を引き起こし300万人が命を落とした。あの取り返しのつかない重苦しい時代には、二度と帰りたくない。
想像を絶する強烈な思想の重力が、ある一点に、国民をひきずりこんでいた。「国体」である。
学校が教会で、校長が司祭だった。
あの時代は、愛国よりも「忠君」に、教育のウエイトが置かれていたと記憶する。

おびただしい数の昭和史が出版されている。700円で買える新書版がいい。若手の俊秀の書き手たちが鋭く昭和の抱える問題にせまっている。
その史実の解釈をめぐって、甲論乙駁、いろんな意見が、出始めている。

NHKスペシヤル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」(第61回文化庁芸術祭テレビ部門大賞)は、議論のたたき台として必見だろう。
昭和12年からの中国戦線での一連の事件は、証拠の解釈は自由だが、ドキュメンタリーにとりあげられた事実をみるかぎり、今も何かを物語っている。
現在、自衛隊金沢部隊に保存されている第一師団の戦闘詳報。90歳前後の従軍兵士たちの克明に記録された日記や証言。捏造はできない。口を閉ざしたまま多くの兵士がなくなったが、70年近く前の資料が断片にせよ現存している。ひとの記憶は衰えても、記録は残る。重い。
証拠をめぐって、解釈は、いろいろでかまびすしい。

が、昭和六年から二十年まで、なんと言おうと、日本は、沖縄戦だけでもで二十万人、二十万人の広島長崎の原爆犠牲などなど、戦争の最終段階は、国体護持を悠久の大義として、300万人の命を失った。いたましいかぎりである。
悲惨な時代に生まれたが、ぼくら少年は、新聞をはじめ正しい情報から隔絶されていた。考えることのかなわぬ葦だった。
旧制中学生は、昭和二十年、学徒動員された。ぼくら二年生は、本土決戦に備え海岸の機関銃座作りへ、1年上は海軍工廠で八月十四日の空襲で死傷者を出した。小学校に寝泊りし、新聞もラジオもみていなかった。
軍国少年のぼくらは、巨大戦艦「大和」の存在を知らされていなかった。
世界最大の戦艦が、沖縄へ片道燃料を積んだまま特攻攻撃して海の藻屑と消えたのを知ったのは、終戦後のことである。

いま、次々に発表される史実に接して驚き、あらためて、あの時代の狂気のうねりを思うのである。バブル期にも、またに似たようないやな予感がしたのだが。
その時代のエリート、かつ無知蒙昧の指導者層に、情報を持たず判断できないぼくらは運命を託さざるを得なかったのだ。

昭和というコインは二つの面、明るい表と暗い裏とがある。おなじ人物の肖像がきざまれているのだ。
老いたぼくは、自分の乏しいが、しかし貴重な経験を足がかりに、改めて距離を置いて、歴史に学びたいと思う。

ぼくたち日本人にしてみれば、もう済んだことだ。忘れてほしい。水に流したいのだが、世界は、過去の清算に、注目している。
21世紀の世界と未来を相手なら、日本は、もっと、いさぎよく、身を処さねばなるまい。いさぎよく。

日本人のあいだで、自虐史観とか、ことばをつくして意見の違う相手を罵しり合っても、むなしい限りではないかと、ぼくは思うのだが。そして、
「昭和の日」は、八月十五日がふさわしいと。

投稿者 nansai : 2007年5月 2日 14:19