縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年05月22日

五月二十二日(火)

「もし自分が乗り合わせていたら」

去年の夏の夜、JR特急列車大阪行き「サンダーバード」の車内で起きた強姦事件を、五月になって大新聞の社説が、こぞって「自分が乗り合わせていたら」などと、取り上げ始めた。

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衝撃的だったのは、客席の6割を占める約40人の乗客が、ただ傍観していたからだ。かかわりたくないという計算が、40人の乗客に働いたのか。
被害者が連れさられても、ただ押し黙っていたのか。なにもしなかった。加害者に加担したといわれても仕方がない。
ああ、日本人もここまで落ちぶれたか、と唇をかみし締めた人も少なくないだろう。品格もへちまも、武士道も、惻隠の情もないのか。
歯がゆくても、恥ずかしくても、これが、いまの日本の社会の縮図だろう。と、昨今のいじめにいたるまで、不毛な日本人論は止め処もなく、続く。

JRの責任は重い。
悲しいかな、いまさら、日本人の正義感と勇気のなさを憂えても、間に合わない。ならば、JRは、車内防犯、乗客の安全を、知恵とカネで補わねばなるまい。JRは、こういった車内犯罪のリスクを重視して、装置の改善に投資すべきだ。

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いま、この国では、犯行を目撃しても、ふつうの乗客は、勇気がなく、係わり合いを恐れると、JRは銘記すべきだ。
で、しかたがない。発想の転換だ。勇気のないふつうの乗客でも、仕組みしだいで、凶悪な車内犯罪の抑止、通報に協力できる。
いざ事件が発生したとき、さあ、車内犯罪警報ボタンが目立たず、どこにあるのか、どうしたらいいのか、乗客にわかりにくい。これが問題だ。地下鉄の車内装置は、字も小さくて上品で、読みにくい。表示は、何のためだ?

車内あちこちに備えられている(はずの)警報装置の存在が、遠くからでも、はっきりみえるように表示すれば、犯人への抑止力になるのだ。警官を同乗させるのと同じ効果を考えたい。

犯罪行為をみかけたら乗務員にお知らせくださいなどと、悠長なことはいっていられない。
鋭い音響で、犯行に及ぼうとしている犯人をけん制し威嚇すべきだ。
「こらあ、なにしとんねん。」
声を出す勇気のない乗客でも、ボタンを押すと、大音響がひびきわたるとか。銀行の警報装置のように。

以上は、すでに一般住宅が採用している最近の防犯対策と、おなじことである。犯人にやる気をなくさせるのだ。想定外の悪質犯人をひるませる抑止のための装置へ、一般の防犯住宅に習い、JRは、アタマを使って、もっと投資せねばならない。

「長いものに巻かれ、みざる、きかざる、みてみぬふり、」などの卑怯ともとれる独特?の暮らしの知恵で、ふつうの日本人は、長年、耐えて生き抜いてきた。
反面、まちがっていてもリーダーにそそのかされれば、ねこじゃらしのような見せ掛けでも「大義のようなもの」があれば、付和雷同。雪崩れて、戦争にも、異論を唱えない国民性が、遠くない過去にはあった。

こわいことに、残念なことに、激変の21世紀犯罪社会にも、日本人は、急には、変われないだろう。

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朝日の社説「列車内の犯罪、もし自分が居合わせたら」どうするか、と問われて、考え込んでしまう日本人。、だから、多発する乱射事件をものともせず、銃を持って自衛するのが、建国以来、憲法で保障された伝統だ、と言い張るアメリカ人。
もう、世の中が、こんなに変わった。なんとかいい知恵をしぼりださねば。

投稿者 nansai : 2007年05月22日 15:26

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