縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年9月28日

九月二十八日(金)

トラがネコに化けた夜

十一勝十一敗一分で迎えた昨夜の阪神中日戦。
久しぶりで三塁を守る今岡に、中日中村の三遊間のゴロが襲った。
待ってとった体勢がまずかったか、右足に体重がかかり、よろけるような妙な倒れ方をした。一塁へはかろうじてツーバウンドで刺したが、ひざか足をひねったらしい。いたい。

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でも、痛みはあるだろうに、今岡はそのまま引っ込まず、次の打席で、走者一塁において、みごと三塁左を抜く二塁打だ。
もともと鈍足の彼が痛む足をひきずって、けんめいに二塁へ駆け込んだ。
塁上で、めったにしない小さなガッツポーズ。
三ヶ月のブランクからはいあがった彼のくそ意地がつたわってきた。ぼくは、安っぽく感動はしない。プロなら当たり前のプレーだからだ。
打線不振の不甲斐ない阪神は、せっかくランナーをためても、次の一本がでないまま、八連敗だ。でも、ひさしぶりで今岡のガッツなプレーをみせてもらった。
はいあがって再起なるか?ホームページに、一時は進退も考えたと書いた今岡。外野席のファンは、「お帰りなさい。今岡」と書いたプラカードを振っていた。

けさのスポーツ新聞の見出しは、きびしい。ニッカンは、

「300万人突破の日に8連敗」
「『猫ナイン』」叱る宮崎オーナー」「甘えるな」

デイリーは、語呂合わせできた。
「泣きっ面に8連敗」
「トラがネコに::」
「復帰今岡右ひざ負傷」
うーん、我輩は猫だった、か。南無阿弥陀仏。
でも、生まれ変わって七回化けて出て来い。

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投稿者 nansai : 12:02

2007年9月27日

九月二十七日(木)

戦争の太鼓の音が聞こえるって? 

「これは日本のメディアがあまり報道しないことなんですが…」
こんな前置きで、テレビのワイドショーのコメンテーターが披露する海外情報が、平和ぼけのぼくには興味深い。
急きょパソコンの前に座り、へえ、ほんまかいな、と情報源のサーチにかかる。これは老いた脳のストレッチみたいなものだ。

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イラン情勢が切迫しているらしい。
「たいへんなことになっているのをしらないのか」と、ワイドショーをぽかんと眺めていたら、挑発された。
タイガースの連敗なんか悲しんでいる場合ではない?
アメリカがイランを爆撃しようとしているというのだ。

「中東大戦の足音が聞こえる」(ニューズウイーク)とは聞き捨てならぬ。
ネットをのぞいてみると、うわさは、一年前から取り上げられ、記事や論文がネット内にわんさと山積みされている。
本気なのか、様子見のリークか。イスラエルにイランの核サイトを空爆させるプランもあるとか。イスラエルに先に手を出させて、イランが報復に出れば、アメリカの出番というシナリオもあるとか。背景は、イスラエルが絡んでくるので複雑だ。
外交はもう手詰まりで、イランの経済制裁に賛成している国連の国々も怖気づいて足並みが乱れているらしい。
いま、強硬派のチェーニー副大統領が、ブッシュとライス国務省長官をゆさぶっているとか。イラン討つべしと後押ししているネオコン理論派は、政権の内外でまだ活発に動いているらしい。
一方、アメリカ軍高官は、イラン戦争のうわさを打ち消そうとけんめいのようだ。

大統領選挙をひかえたアメリカで、イラクの増派か撤退であれほど、もめているのだから、ブッシュは、もう懲りて、いまイランと戦端を開くとは考えられないのだが。まさかと思うぼくのシロウト判断は、あてにならないのか。

アメリカが眼のかたきにしているのは、イランの「イスラム革命防衛隊」だといわれる。この強大な組織(らしい)が、武器供与や訓練で、イラクの武装勢力、シーア派民兵を支援しているとにらんでいる。イラク問題がかたづかないのは、イランの後押しだとみているのだ。

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アメリカ上院は、政府がこの12万人の革命防衛隊を、テロリスト集団と指定し経済制裁を加えるよう決議した。法的にそうなれば、この組織の対外的ビジネスが封じこめられ、イランと付き合いの国にも大きな影響がでてくるらしい。

もひとつ驚いたのは、シリアと北朝鮮のむすびつきだ。
いつの間にか、核とミサイルの技術をめぐって両国が密接な関係にあるのだそうだ。北朝鮮によるシリアへの核協力が、欧米のメディアで報じられている。

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先月、シリアの核関連施設をイスラエルが「謎の空爆」をした。イスラエル奇襲部隊が、シリアで北朝鮮供与の核物質入手という英夕刊紙の報道も。まるでハリウッド映画だ。
平壌放送が躍起になって、デマだと打ち消していた。六カ国協議が延期されたのはそのためだというニュースもある。
6者協議とはべつに、北朝鮮は、核拡散を狙っているのか。商売になるなら、核やミサイルを、どこの国にも売るというのか。

平和ボケの日本では、内閣が倒れ、一日何回もくりかえし、なたで父親が殺されるテレビニュースが流れている。
ぼくらは、核拡散は国連まかせで知ったことではないとして、拉致問題でアタマがいっぱいだが、北朝鮮が、その裏で、はるか中近東で核やミサイルを売ろうとしているとは知らなかった。いま、アメリカやイスラエルは、そっちに神経をとがらせているのだ。

日本の外交は、ずれているのだろうか。

投稿者 nansai : 14:43

2007年9月21日

九月十六日(日)

お大事に。安倍さん

総裁のウツワというよりは、参議院選挙用のポスターとして起用された安倍さんだが、あまりにまじめできちょうめんで、

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そんな人がウツになりやすいから、はたせるかな、いじめられて、もともとない答えをさがしているうちに、ココロがこわれて、痛ましい退場振りだ。
後のことはよく考えずに目前の選挙に勝ちたい一心で、党から抜擢された。毛並みは血統書つきだったが、経済にも改革にも、あまり詳しくはなかったのではないか?
世論調査で「つぎの首相にふさわしい人」を尋ねたら一番多かったという。有権者は(とくにおばさん)見た目重視、ときめこんだのは、自民党の長老たちか、国民をちょっとなめすぎたかなあ。世論調査の人気も民意も、あてにならないのに。
そこそこにハンサムで背も高いし、外国の元首と並んでも、見た目にひけをとらない。選挙民の皆さんに、好感度バツグン。とくに、女性向けに、ルックスでは非の打ち所のないスターだったのだが。
「統治能力のない人」が首相にいたことの怖さをわれわれは見てしまった、と飯尾淳教授はいう。党は安倍政権をもっと早くおわらせるべきだった。自民党には連帯責任がある、とも。
首相候補には、宇宙飛行士よりもややこしい条件下に耐えられる精神力テストが必要なのだろう。

問題の根は、もっと深い。
今の日本、何がもっとも深刻かといえば、国家指導者の「人材飢饉」(田勢康弘)といわれる。いつから、そうなったのか。

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首相というリーダーの「器」を育て上げ選別する能力を、いつの間にか、政党が失ってしまった。これはゆゆしいことだ。
日本の首相は、世界の列強に伍し、一億三千万人の乗員乗客を乗せて航行する超巨大宇宙船の機長なのだ。巡航時の操縦能力はもちろん、いざという場合の統治能力、危機管理能力は、必須である。安倍さんには荷が重すぎたか。
航空機の機長にはマニュアルにもとづいて、図上、実地と、徹底的研修がおこなわれると聞く。宇宙船の機長はさらに長期の訓練が必要なのだろう。運転がはるかに容易なはずのJR宝塚線の惨事は、どのような環境で、だれがひきおこしたか。

将のウツワといわれるが、名将のもとには、孔明や秋山真之のような名参謀がいてチームを形成していた。太平洋戦争はエリート参謀たちの責任のなさが追及されている。
グローバルに同時多面展開する政治の時代、将も参謀も、
人材がたりなければ、システムで解決せねばならぬ。
国会でまどろっこしく上げ足を取り合っている時代ではない。「ご議論」という決定方法は、はたして有効なのか。
もたもた空転は、国家の取り返しのつかない機会損失だ。
スーパーコンピューターを導入して、海外の過去の事例より推定される対策群のオプションを検索できるようにはできないものか。あかんやろか。

エリート官僚は頼りにしたいが、縦割りの省益に左右され、視野せまく世界の事情に暗い。かつての不良債権のしまつの危機的もたもたぶりを見ると、まことに不安だ。
太平洋戦争も、陸大、海大卒の当時の超エリート参謀たちの独断による作戦で、あの悲惨な結果をまねいた。

秀才でも経験豊富でも大人物でもない安倍さんを責めても仕方がない。有権者をなめてかかり、目先の選挙に勝つ、それだけのために、かれを総裁首相に選ばざるを得なかった仕組みの危うさが問題だ。こまったことだ。

投稿者 nansai : 20:00

九月十三日(木)

安倍さんもぼくもこけた日。 
清水の舞台で崩れ落ちた安倍首相も苦渋に満ちたさんざんな一日だったろう。ぼくはぼくで、ああ、今朝は不覚をとった。

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朝、地下鉄の始発駅で、階段でつまずいて足をふみはずしたのだ。よせばよいのに、まさに出ようとする電車に間に合うと見て、目が泳いで、あわててふみだした足がもつれてこけた。
自業自得である。スローモーションだが、ご禁制の「駆け込み乗車」だった。
両手に荷物を持っていたので、転んだ際に右の足首にしたたかに全体重がかかり、ぐしゃという感じ。とりあえず次の電車に転がり込んだが、立てなくなりどうにもならず、淀屋橋駅のホームから、親切な駅員さんに、車椅子で地上にあげてもらった。

近くの整形外科のレントゲンでみたら、捻挫。老骨はどうやら大丈夫らしいが、ちょっと始末に困る部位のようだ。ギブスはさけてテーピングで様子をみることになった。不安だが、医者はクスリもシップもくれない。体で治すのだそうだ。

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体重を支える片足が不自由だと、車椅子がこんなにらくなものかとはじめて知った。松葉杖の保証金は、一対二本?で四千円。

一歩も歩けないのは、右足のかかとを床に着地させるとき激痛が走るからだ。家ではソファにごろんとイモムシ状態で、室内数十センチでも移動に困難をきたしている。なりふりかまわず、移動は、四つんばいか匍匐前進が、しんどいが効率がいい。

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チベットの修行僧のように体を持ち上げて動かすのに、自分の体重がこんなに重いとは知らなかった。イモムシの短い足がたくさんあるのは、そのためなのだ。
痛い右足のかかとを浮かせて、どっこいしょと、借りた松葉杖に体重をかかけて「歩く」のには、コツが必要だ。なれるのに時間がかかりそうだが、だいぶ上達した。
初めて気づいたが、わが家は家じゅう段差でバリアだらけだ。障害があれば、とても暮らせないとわかった。階段があがれないから、2階の寝室で寝るのはあきらめて、居間のソファで寝ることに。

回りの評判は、にわか身障者に、いたってひややかである。
それみたことか。年齢を考えろ。ふだんから重い荷物を持ちすぎだ、というのだ。読めもしない資料や本をかかえてはこぶのは、愚の骨頂だとも。
ここぞとばかり、有益なアドバイスを雨あられのごとく頂戴するはめに。いちいち、ごもっともである。
教訓。転ばぬ先のチエ。

「転ばない体を作る」。偶然か、けさの毎日新聞のヘルス欄の特集だ。ストレッチなどで、バランスや転倒回避力をやしなう転倒予防7か条を紹介していた。
高齢者が転ぶと、骨折などで、そのまま寝たきりになりやすい。65歳以上では、「寝たきり」など要介護の原因の一割以上が転倒だそうだ。さらに、一度転んだ経験のある人は、再び転びやすいとか。

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結論。段差につまずいても、踏みとどまる力があれば転倒しないらしい。全身を鍛えることだそうな。そうか、踏みとどまる力か。ぜんぜんこりないのが、ナンサイなのである。

投稿者 nansai : 19:01

2007年9月12日

九月十二日(水)

朝青竜、どうすればいい?

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朝青龍が非難ごうごうだ。

異文化にはぐくまれて育った外国籍のかれを横綱に推挙したのは、横綱審議会の面々である。むにゃむにゃと本人にも意図不明な四字熟語を唱えさせて、晴れて日の下開山と認定した。格好をつけただけの、その時点で予想されたことだ。
かれがふさわしくないというなら、平成の横綱になにを期待するか、はっきりした基準はあるのか。なければ、いじめである。

まず、相撲というビジネスモデルが、国技のわくをはみでてしまったことだ。国技ではなく、国際技になった。
日本人は、力士という職業に魅力を感じなくなった。新弟子になりてがない。子供たちも裸になるのがはずかしいそうだ。これからは、番付の中心となる日本人選手がたりなくなるだろう。こんご体力気力充実した強い力士は、みな海外勢になるだろう。
力士は、髷を結えなければならないという条件も、そのうち無視されるだろう。金髪のままでも縮れ毛でも、相撲とってカネ儲けしたければOK、人種を超えた開かれたスポーツにならないともかぎらない。こんな単純で興奮する格闘技はほかにはない。日本固有の礼儀とか、言い出さなければ。

大リーグも、戦後しばらくは黒人を排除していた。いまはどうだ。日本のプロ野球も主力打者は外人だ。助っ人と呼んでいるが。
ボクシングは体重別でなければ、危険で、争えない。サッカーも、ソフトボールも、国籍にこだわれば、帰化させなければならない。
体型や筋肉の組成で人種間の差は意外に大きいのではないだろうか。

相撲は、伝承スポーツという人がいる。日本人だけの日本文化を伝承するというのだ。それは、蹴鞠や流鏑馬、歌舞伎や文楽のようにだろうか。保存の対象だが、当然、古典芸能とスポーツでは、条件が違う。競うプロスポーツにはなりえない。

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強いもの、技量の差で、定められたルールのもとで、成果をおさめたものが、プロスポーツの勝者だし、チャンピオンだ。常識だ。それがグローバルスタンダードである。
相撲の横綱は違う、というのか。
横綱にふさわしいかどうか、勝負の成績とは、べつに人間としての品格を問われる。それも、スポーツには、シロウトの横綱審議会が判定する。この決め方は、もう無理ではないのか。
ほかのどのスポーツも、強くて勝ち抜いた選手が、チャンピオンである。かれの性格が、人の上に立てる人格者かどうかの判断は、べつの基準だろう。あえて言えば関係ないことだ。

アメリカの大リーグでは、中南米の選手が増えた。英語もままならぬ選手は多い。国技としての野球の約束ごとは、試合の前の国歌斉唱に敬意を払うことだけだ。イチローも松井も胸に手を当てて星条旗を見上げている。


巡業に出る義務があるというなら、それは、横綱の矜持とは関係ない。契約上の問題だ。相撲興行の運営上不可欠ならば、朝青龍に巡業の参加についての違約のペナルティーをあらかじめ契約書に記載しておかなければならなかった。国際技のビジネス慣行に、以心伝心はむりである。


投稿者 nansai : 17:46

九月十日(月)

タイガース首位へ。でも暫定だ。
(あとどうなるかは、わからん)

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週末の三日間は、テレビの前にくぎづけになって、ひさしぶりに阪神巨人戦を堪能した。それも、三連勝とも一点差、ついに、ついに、五月に12もあった差をひっくりかえしたのだ。ようやった!

今朝の新聞では、タイガースは、もう優勝したように賞賛のあらしだ。ダッグアウトの奥で、いつもニガ虫を噛み潰して、薄くなった髪を手でなで上げていたオカダ監督も、白い歯を出して笑うようになった。

でも、プレーオフがあるから、日本シリーズに出場できるかどうかはわからない。しかし、値打ちからすると、この3連戦は、日本プロ野球の歴史に残るだろう。

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「首位や 虎ファン涙目」「12差 ひっくり返す」 
「奇跡生む 日替わりヒーロー」(毎日)
「21選手出場 トラ10連勝」(毎日)

21選手総動員は、タイガースカラーだ。
押さえの三枚投手は、もちろん、すばらしい。目先の一勝という、気合だけでは、連投酷使のつけがまわってくる。かならず。
下柳などベテラン選手は、39歳、心底、今年の異常猛暑がこたえたはずだ。
新世代の林 桜井、下園が飛び出してきたのは、もちろんだが、他球団で、戦力外通告を受けたり、引退寸前と思われた脇役の活躍がうれしい。高橋、葛城、野口、檜山の面々。間に合うかと思われた安藤の復活もありがたい。ファームに落ちている今岡はどうなのか。
「優勝マジック13点灯」(スポニチ)は、はしゃぎすぎだろう。

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ぼく自身は、「日刊ゲンダイ」のやたら長い、さめた見出しをたかく評価している。

「巨人3タテ25年ぶりの10連勝はメデタイし、いいことずくめの勝利だが…」
「何度もいうようだが、阪神首位に立つのはまだ早い」
「いつおちるんやろうと、そればっかり考えて体に悪いわ」もファンの偽らざる心理
「敵は、巨人だけでなく過密日程と連戦疲れと落合中日」などなど。

ご指摘のとおりだ。
ぼくは、ファンではあるが、テレビやラジオで応援する。
騒がしすぎる甲子園球場の熱狂的応援儀式になじめないのだ。本場アメリカでも、テレビで見る限り、ああいった光景は繰り広げられていない。クールジャパンの応援風景かなあ。
幼いこどもをつれて甲子園に出かけて、ユニホームを身にまとい、応援棒をふるまわし、雨中にも、六甲颪を絶叫する、ぼくにはあれほどの元気はない。

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いいことが、そんなに続くはずがない。
と、トラファンは、もともと、くらい性格だ。辛酸をいやというほどなめてきたから、はしゃぎすぎにブレーキをかけるのが、真性トラファンだ。
また、悪い予想ほどよく当たるのが、悲しい。今期も、広島に不覚をとる。ナックルにきりきりまい。日本シリーズではロッテに3タテ食うとか。
しろうとの予想通り、とは、どういうこっちゃ。なにしとんねん。

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そうではあるが、タイガースが勝つと、愉快だ。なんとなく気分がいいんだな。勝った夜は、うきうきして寝床に入り試合の経過を反すうしつつ眠りにつくこと、しばしばである。面白きこともなき世を面白く。ありがたいことだ。
入場料も払わないタダ見のファンのくせに、タイガースの試合、それも勝ちゲームだけを見るのがすきだ、とは勝手なものだ。

がんばりすぎずに、優勝しようや。
藤川投手は、ぼくにはエキスポランドのジェットコースターのように見える。目先の一勝にフル回転させて、球児をつぶしては、なんにもならん。捨てゲームも計算のうちや。

投稿者 nansai : 15:23

2007年9月 7日

九月七日(金)

ブッシュは歴史の勉強が足りないのか

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追い詰められたブッシュ大統領が、歴史家から非難を浴びている。
イラクからの早期撤退をせまる野党主導の議会に、62年前の日本占領の成功を引き合いに出して、苦しい反駁をこころみた。
早期撤退に抵抗するブッシュ大統領は、歴史の常識をくつがえし、ベトナムの撤退は失敗だったとした。
第二次世界大戦では、日本帝国とナチドイツを破ったあとの占領政策よろしきを得たからこそ、両国とも、首尾よく民主主義国家にヘンシンさせたではないか。日本を占領の成功例として引き合いに出した。
これに対しては、それはないよ。野党からもいっせいにブーイングだ。いまのイラク情勢と、かつてのドイツ、日本をくらべることじたい、むちゃくちゃだと、反論が集中しているらしい。

それよりも、ぼくが驚いたのは、アメリカでは、議会が、堂々と、大統領に向かって、早期に撤退すべし、と迫れるところだ。拘束力はないらしいが、選挙で勝ちとった民意が背景にある。9・11以降、愛国一色だったアメリカで、このように、まだシビリアンコントロールが機能している。
選挙で勝った野党が議会で多数を取れば、撤兵議題が上程できるとは、さすが民主主義の本家だと感心した。
占領地からの撤兵論議など、かつての軍部独裁の日本帝国では、とうてい考えられないことだった。
昭和16年、華北からの撤退を要求されて、血を流した英霊になんと申し開きするのだと、軍部は怒り狂い(おそらく当時の国民も)一切の妥協交渉を拒否して、あの300万人を失う破滅の大戦争に突入した。

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さて、62年前の占領下の日本は、ブッシュから引き合いに出されるほど、優等生だったのか。連合国に無条件降伏した年、ぼくは、地方の一中学生だったが、今思えば、あの時期のアメリカの占領政策は、成功したと思う。
往生際の悪い新聞は、降伏を「終戦」といいかえ、占領軍を「進駐軍」と呼ぼうとした。あの頃の記憶がよみがえってきた。

一面の焼け野が原、なにもかも破壊されつくして、もういい。参った、という感じだった。
精神論の大和魂は通用せず、日本は、物量戦に完敗した。
本土決戦を叫んだ一部の軍人も、すぐおとなしくなった。
二重橋の玉砂利にひれ伏してみずからの至らなさを悔い泣きながら天皇にわびる人たち。ニュースの映像がくりかえし、いまも登場するが、ぼくらは、そんな気持ちは毛頭なかった。
もう空襲がない。家に帰れる。灯火管制がおわり、電灯がつけられる。ほっとした。それだけでうれしかった。

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敵国降伏の神風も吹かなかったし、「一億玉砕」もせずにすんだ。

この期に及んで、なお「一億総懺悔」と煽る大新聞もあった。戦争に負けたのは、国民の責任だ、と。そこまで頭はまわらなかった。負けて悔しいというより、心底、終わってよかった、と思う日本人が、ぼくだけでなく、ほとんどだったのではないか。

それよりも、現実だ。
空腹な日本人は、現実主義者だった。原理主義ではなく。
焼け野が原の国土に、海外からの復員兵、外地からの引き上げ者がひしめく。
「鬼畜米英」のはずの進駐軍が、意外にも秩序正しく行動した。米軍は、上陸すれば、婦女子に暴行の限りを尽くすと宣伝されていたのに。
米軍のものの豊かさに、何もかも失ったぼくらは、圧倒された。これでは負けるはずだ、とだれもが納得した。

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学徒動員で本土決戦の穴掘りから解放されたぼくら中学生は、ある日、また駆り出された。
歩兵42連隊のいなくなった空き家の兵舎を、進駐軍のために掃除するためだ。のみやしらみをいやがったのか、米軍はすぐに兵舎に入らず野営していた。
ぼくは、その日、インスタントコーヒーの小袋を拾って帰ったのを覚えている。米軍の携帯口糧で、アルミのホイルにはいっていた。
熱いお湯に溶かして飲んだあの晩、ぼくは生まれて始めて、アメリカ文化を味わった。

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ジープ。この軍用車こそ、少年のぼくらの眼に映ったアメリカの豊かさの象徴だった。米兵の乗り回すジープの機動力とかっこよさに、しびれた。神社の階段も、らくらく上がれるすごいパワーらしい、とうわさしあった。終戦後の日本には、大八車か、荷馬車しかなかった。木炭バスもほとんど見かけなかった。
ジープから、チョコレートやチューインガムをこどもたちにばらまいたから、甘いものに飢えていたこどもたちには、いいPRになった。米兵がラッパ飲みしていたコカコーラは、なぜか、ぼくらの口にはいることはなかった。

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一枚の写真が、ぼくらにショックを与えたのをいまも鮮明に覚えている。
昭和二十年九月二十七日、天皇のほうから、米国大使館に連合軍最高司令官マッカーサー元帥を訪問した。
会見室で二人で並んで撮った写真が世界に配信された。肩が並べられないほどの一目瞭然の身長の格差。片や、モーニング。片や、ふだんの軍服。それもシャツ姿だ。
ひとことも付け加えることのないシーンが、ぼくらの眼に焼き付けられた。
軍服に身を固め白馬にうちまたがった大元帥の「ご真影」。かつての宮内省貸下げのイメージとのあまりの落差に、中学生のぼくもがく然とした。
東久邇内閣の内務省は、不敬にあたるとして、すぐ発売禁止令をだしたが、GHQにより、はばまれたそうだ。
その後アメリカ大使館での二人の会見は、十一回を数え、相互の信頼感は高まっていったとつたえられている。

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マッカーサーは、賢明だった。連合国間の天皇を裁判にかけよという意見を無視し、あえて戦争責任を問わずに、占領軍の日本統治にたくみに利用した。
当時、元駐日大使など日本通が進言していたのは、天皇は、女王蜂のような存在で、いなくなると、日本の民衆は、ハチの巣をつついたようになり収拾がつかなくなる。日本の統治占領に、百万の軍隊が必要になると。

ぼくは中学生だったが、小学生4年からあれほどたたきこまれた国家神道の教えは、脳裏から、あっという間に、揮発した。戦争に負ければ、歴史の教科書には墨を塗り、神話も国体もへちまもない。教師も軍事教官もヘンシンだ。詔勅も戦陣訓も軍人勅語も、紙切れと化し、コーランのような強制力は、もとよりない。一神教でない神道は、たんに神話に根ざしただけで教義を持たないから、真の意味の宗教でないといわれるゆえんか。

毎朝、朝礼で宮城へむかって東方遥拝しなくなっても、校庭から、天皇皇后の御真影を保管する奉安殿がなくなっても、神社の前で頭を下げなくても、こだわる理由のないぼくらは、べつになんとも感じなかった。教育によって強制されていた崇めるべき対象が消滅したのだから。
ここらが、一日五回もメッカの方角に向かい礼拝する戒律の厳しいイスラムと、ちがうところだ。

日本占領が無難に推移し、くすぶる焼け跡から日本の国力が徐々に立ち上がれたのは、国内に、イラクのスンニ派とシーア派のような宗派間の根深い争いがなかったからだ。
長いものにはすぐ巻かれ、変わり身が早く、八百万の神さんのどれも信じていないご都合主義のしたたかさが、ぼくら日本人にはあったのだ。

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地方都市に住んでいたぼくにとって、進駐軍キャンプでのアルバイトは楽しみでもあった。たんに掃除などの雑役にこき使われるのだが、らくなものだった。

『アメリカ映画は、文化の泉』」だった。GHQはチャンバラやあだ討ち劇を禁止した。テレビもなく海外渡航も許されない終戦後、映画はアメリカの豊かさと楽しさを垣間見せてくれた。「ユーコンの叫び」「キューリー夫人」「ガス灯」など、周到に日本人再教育のためのハリウッド映画が選定され、たちまちぼくらは洋画ファンになった。
漫画ブロンディで、アメリカならどこの家庭にもある電気冷蔵庫や夜中におなかのすいた亭主のダグウッドが作る巨大なサンドイッチを知った。

ピュリッツアー賞受賞作家のジョン・ダワーは、次のように書いている。

ひどい空腹と物不足の当時に会って、アメリカ人たちの豊かで快適な生活ぶりは、日本人の目にはとにかく信じられないほどだった。アメリカが「偉大」な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのあり、それが豊かになる方法のように見えたからであった。「敗北を抱きしめて」

イラクでは、地下にもぐったフセイン大統領の銅像が群集によって引き倒された光景がニュースとして流された。軍事作戦は成功したが、大統領が逃亡し国内は無秩序に陥った。官僚システムが徹底的に破壊されたからだろう。
アメリカは、イスラムの宗教指導者たちの煽動力を過小評価していたのではないか。ここが、占領政策を覆す巨大な精神的火薬庫だったのに。
ジハード(聖戦)で戦死すれば殉教者、とわりきって、爆弾を積んで突っ込み命を捨てることを恐れない。

そんな教義は、いちおう国体が護持された日本では成り立ち得なかった。まさに手のひらをかえすように、無視され忘れ去られた。
戦時にあっては、神風特攻隊は、信念というか、命令により敵艦船に爆薬を抱いて突入したが、もともと、神道そのものに、そんな民衆を動かす指導力はなかったのだ。終戦までは、国家神道という宗教の指導者は、政府の官僚と軍部と学校の教師だった。

そんなわけで、イラクやアフガニスタンのように、日本では武装勢力が蜂起することはなく、占領軍は一兵も失っていない。もっとも太平洋戦争当時の占領軍は、イラク駐留の軍隊の三倍の規模だった。

こうして、GHQは、表に立たず、行政能力は無傷だった日本政府を、間接的に効率的に、支配することに成功したのだ。これが占領を成功させた一因だろう。
さきのジョン・ダワーは、こう指摘している。
新憲法下の日本人は、市民というより、天皇の臣民から、占領軍当局の臣民になったのだ、と。

ぼくは、同時代に生きてはいたが、証人の資格がない。
当時は、あまりに情報不足、戦後の混乱のなかで、見聞きできず、なにも知らなかった。ぼくらより年上の年配の人たちに共通するのは、あまりにつらいことを思い起こすことをきらい、知ろうとしなかったことだ。62年たって、新しくもろもろの証言資料が発表され研究が進んできている。戦争を知らない年下の若い研究者たちのご教示を受け、謙虚に学びなおしたい。

投稿者 nansai : 12:39

2007年9月 3日

九月三日(月)

俳句がうまくなる発想法

各新聞の俳壇を総なめにしていた知人が、このほど、「俳句がうまくなる100の発想法」ひらの こぼ著 草思社を出した。好著である。
凡百の入門書とは違う。歳時記の季題にはふれず、「発想の型」からはいる逆転の構成がユニークだ。ぼくのような門外漢にも、ひらめいて秀句がすぐつくれそうな気にさせてくれるハウツー書だ。

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100の「型」の選びかたも、あまのじゃくというか、「型」破りで、わかりやすい。既成俳壇の諸先生の意表をついているのでは。

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たとえば、最初にあげられている「型1」は、
「裏返してみる」「見えない裏を読む」である。
ふうん、裏が句になる、とは、気がつかなかった。視点をかえることだな。例句として、

羽子板や裏絵さびしき夜の梅 永井荷風
餅焼いて新しき年裏返す   原 裕

なるほど、と感心したぼくも、早速、裏返しを試みて、

秋暑し裏返りたるネコの腹
あくびして猫身をよじる残暑かな

うちの駄ネコは、食事のあと、うーんと伸びをしながら、気持ちよさそうに、ごろんとひっくりかえって四つ足をつっぱる。おなかをなでなでしてくれ、とさいそくするのだ。

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もっとも、この絵のモデルは、描き映えのする美人ねこで、実在するわが家のねこは、そんじょそこらにいる、ただのキジねこである。

ちなみに、発想法100番目の「型」は、こうだ。
「なにもいわない」
これは、よくはわからんが、奥が深そうだ。
例句として、

日盛りの一つ打ちたる時計かな 久保田万太郎
遅き日のつもりて遠き昔かな  与謝蕪村

うーん、この型は、とうてい歯がたちそうもない。

投稿者 nansai : 11:46