縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年9月 7日

九月七日(金)

ブッシュは歴史の勉強が足りないのか

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追い詰められたブッシュ大統領が、歴史家から非難を浴びている。
イラクからの早期撤退をせまる野党主導の議会に、62年前の日本占領の成功を引き合いに出して、苦しい反駁をこころみた。
早期撤退に抵抗するブッシュ大統領は、歴史の常識をくつがえし、ベトナムの撤退は失敗だったとした。
第二次世界大戦では、日本帝国とナチドイツを破ったあとの占領政策よろしきを得たからこそ、両国とも、首尾よく民主主義国家にヘンシンさせたではないか。日本を占領の成功例として引き合いに出した。
これに対しては、それはないよ。野党からもいっせいにブーイングだ。いまのイラク情勢と、かつてのドイツ、日本をくらべることじたい、むちゃくちゃだと、反論が集中しているらしい。

それよりも、ぼくが驚いたのは、アメリカでは、議会が、堂々と、大統領に向かって、早期に撤退すべし、と迫れるところだ。拘束力はないらしいが、選挙で勝ちとった民意が背景にある。9・11以降、愛国一色だったアメリカで、このように、まだシビリアンコントロールが機能している。
選挙で勝った野党が議会で多数を取れば、撤兵議題が上程できるとは、さすが民主主義の本家だと感心した。
占領地からの撤兵論議など、かつての軍部独裁の日本帝国では、とうてい考えられないことだった。
昭和16年、華北からの撤退を要求されて、血を流した英霊になんと申し開きするのだと、軍部は怒り狂い(おそらく当時の国民も)一切の妥協交渉を拒否して、あの300万人を失う破滅の大戦争に突入した。

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さて、62年前の占領下の日本は、ブッシュから引き合いに出されるほど、優等生だったのか。連合国に無条件降伏した年、ぼくは、地方の一中学生だったが、今思えば、あの時期のアメリカの占領政策は、成功したと思う。
往生際の悪い新聞は、降伏を「終戦」といいかえ、占領軍を「進駐軍」と呼ぼうとした。あの頃の記憶がよみがえってきた。

一面の焼け野が原、なにもかも破壊されつくして、もういい。参った、という感じだった。
精神論の大和魂は通用せず、日本は、物量戦に完敗した。
本土決戦を叫んだ一部の軍人も、すぐおとなしくなった。
二重橋の玉砂利にひれ伏してみずからの至らなさを悔い泣きながら天皇にわびる人たち。ニュースの映像がくりかえし、いまも登場するが、ぼくらは、そんな気持ちは毛頭なかった。
もう空襲がない。家に帰れる。灯火管制がおわり、電灯がつけられる。ほっとした。それだけでうれしかった。

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敵国降伏の神風も吹かなかったし、「一億玉砕」もせずにすんだ。

この期に及んで、なお「一億総懺悔」と煽る大新聞もあった。戦争に負けたのは、国民の責任だ、と。そこまで頭はまわらなかった。負けて悔しいというより、心底、終わってよかった、と思う日本人が、ぼくだけでなく、ほとんどだったのではないか。

それよりも、現実だ。
空腹な日本人は、現実主義者だった。原理主義ではなく。
焼け野が原の国土に、海外からの復員兵、外地からの引き上げ者がひしめく。
「鬼畜米英」のはずの進駐軍が、意外にも秩序正しく行動した。米軍は、上陸すれば、婦女子に暴行の限りを尽くすと宣伝されていたのに。
米軍のものの豊かさに、何もかも失ったぼくらは、圧倒された。これでは負けるはずだ、とだれもが納得した。

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学徒動員で本土決戦の穴掘りから解放されたぼくら中学生は、ある日、また駆り出された。
歩兵42連隊のいなくなった空き家の兵舎を、進駐軍のために掃除するためだ。のみやしらみをいやがったのか、米軍はすぐに兵舎に入らず野営していた。
ぼくは、その日、インスタントコーヒーの小袋を拾って帰ったのを覚えている。米軍の携帯口糧で、アルミのホイルにはいっていた。
熱いお湯に溶かして飲んだあの晩、ぼくは生まれて始めて、アメリカ文化を味わった。

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ジープ。この軍用車こそ、少年のぼくらの眼に映ったアメリカの豊かさの象徴だった。米兵の乗り回すジープの機動力とかっこよさに、しびれた。神社の階段も、らくらく上がれるすごいパワーらしい、とうわさしあった。終戦後の日本には、大八車か、荷馬車しかなかった。木炭バスもほとんど見かけなかった。
ジープから、チョコレートやチューインガムをこどもたちにばらまいたから、甘いものに飢えていたこどもたちには、いいPRになった。米兵がラッパ飲みしていたコカコーラは、なぜか、ぼくらの口にはいることはなかった。

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一枚の写真が、ぼくらにショックを与えたのをいまも鮮明に覚えている。
昭和二十年九月二十七日、天皇のほうから、米国大使館に連合軍最高司令官マッカーサー元帥を訪問した。
会見室で二人で並んで撮った写真が世界に配信された。肩が並べられないほどの一目瞭然の身長の格差。片や、モーニング。片や、ふだんの軍服。それもシャツ姿だ。
ひとことも付け加えることのないシーンが、ぼくらの眼に焼き付けられた。
軍服に身を固め白馬にうちまたがった大元帥の「ご真影」。かつての宮内省貸下げのイメージとのあまりの落差に、中学生のぼくもがく然とした。
東久邇内閣の内務省は、不敬にあたるとして、すぐ発売禁止令をだしたが、GHQにより、はばまれたそうだ。
その後アメリカ大使館での二人の会見は、十一回を数え、相互の信頼感は高まっていったとつたえられている。

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マッカーサーは、賢明だった。連合国間の天皇を裁判にかけよという意見を無視し、あえて戦争責任を問わずに、占領軍の日本統治にたくみに利用した。
当時、元駐日大使など日本通が進言していたのは、天皇は、女王蜂のような存在で、いなくなると、日本の民衆は、ハチの巣をつついたようになり収拾がつかなくなる。日本の統治占領に、百万の軍隊が必要になると。

ぼくは中学生だったが、小学生4年からあれほどたたきこまれた国家神道の教えは、脳裏から、あっという間に、揮発した。戦争に負ければ、歴史の教科書には墨を塗り、神話も国体もへちまもない。教師も軍事教官もヘンシンだ。詔勅も戦陣訓も軍人勅語も、紙切れと化し、コーランのような強制力は、もとよりない。一神教でない神道は、たんに神話に根ざしただけで教義を持たないから、真の意味の宗教でないといわれるゆえんか。

毎朝、朝礼で宮城へむかって東方遥拝しなくなっても、校庭から、天皇皇后の御真影を保管する奉安殿がなくなっても、神社の前で頭を下げなくても、こだわる理由のないぼくらは、べつになんとも感じなかった。教育によって強制されていた崇めるべき対象が消滅したのだから。
ここらが、一日五回もメッカの方角に向かい礼拝する戒律の厳しいイスラムと、ちがうところだ。

日本占領が無難に推移し、くすぶる焼け跡から日本の国力が徐々に立ち上がれたのは、国内に、イラクのスンニ派とシーア派のような宗派間の根深い争いがなかったからだ。
長いものにはすぐ巻かれ、変わり身が早く、八百万の神さんのどれも信じていないご都合主義のしたたかさが、ぼくら日本人にはあったのだ。

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地方都市に住んでいたぼくにとって、進駐軍キャンプでのアルバイトは楽しみでもあった。たんに掃除などの雑役にこき使われるのだが、らくなものだった。

『アメリカ映画は、文化の泉』」だった。GHQはチャンバラやあだ討ち劇を禁止した。テレビもなく海外渡航も許されない終戦後、映画はアメリカの豊かさと楽しさを垣間見せてくれた。「ユーコンの叫び」「キューリー夫人」「ガス灯」など、周到に日本人再教育のためのハリウッド映画が選定され、たちまちぼくらは洋画ファンになった。
漫画ブロンディで、アメリカならどこの家庭にもある電気冷蔵庫や夜中におなかのすいた亭主のダグウッドが作る巨大なサンドイッチを知った。

ピュリッツアー賞受賞作家のジョン・ダワーは、次のように書いている。

ひどい空腹と物不足の当時に会って、アメリカ人たちの豊かで快適な生活ぶりは、日本人の目にはとにかく信じられないほどだった。アメリカが「偉大」な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのあり、それが豊かになる方法のように見えたからであった。「敗北を抱きしめて」

イラクでは、地下にもぐったフセイン大統領の銅像が群集によって引き倒された光景がニュースとして流された。軍事作戦は成功したが、大統領が逃亡し国内は無秩序に陥った。官僚システムが徹底的に破壊されたからだろう。
アメリカは、イスラムの宗教指導者たちの煽動力を過小評価していたのではないか。ここが、占領政策を覆す巨大な精神的火薬庫だったのに。
ジハード(聖戦)で戦死すれば殉教者、とわりきって、爆弾を積んで突っ込み命を捨てることを恐れない。

そんな教義は、いちおう国体が護持された日本では成り立ち得なかった。まさに手のひらをかえすように、無視され忘れ去られた。
戦時にあっては、神風特攻隊は、信念というか、命令により敵艦船に爆薬を抱いて突入したが、もともと、神道そのものに、そんな民衆を動かす指導力はなかったのだ。終戦までは、国家神道という宗教の指導者は、政府の官僚と軍部と学校の教師だった。

そんなわけで、イラクやアフガニスタンのように、日本では武装勢力が蜂起することはなく、占領軍は一兵も失っていない。もっとも太平洋戦争当時の占領軍は、イラク駐留の軍隊の三倍の規模だった。

こうして、GHQは、表に立たず、行政能力は無傷だった日本政府を、間接的に効率的に、支配することに成功したのだ。これが占領を成功させた一因だろう。
さきのジョン・ダワーは、こう指摘している。
新憲法下の日本人は、市民というより、天皇の臣民から、占領軍当局の臣民になったのだ、と。

ぼくは、同時代に生きてはいたが、証人の資格がない。
当時は、あまりに情報不足、戦後の混乱のなかで、見聞きできず、なにも知らなかった。ぼくらより年上の年配の人たちに共通するのは、あまりにつらいことを思い起こすことをきらい、知ろうとしなかったことだ。62年たって、新しくもろもろの証言資料が発表され研究が進んできている。戦争を知らない年下の若い研究者たちのご教示を受け、謙虚に学びなおしたい。

投稿者 nansai : 2007年9月 7日 12:39