縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年9月12日

九月十二日(水)

朝青竜、どうすればいい?

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朝青龍が非難ごうごうだ。

異文化にはぐくまれて育った外国籍のかれを横綱に推挙したのは、横綱審議会の面々である。むにゃむにゃと本人にも意図不明な四字熟語を唱えさせて、晴れて日の下開山と認定した。格好をつけただけの、その時点で予想されたことだ。
かれがふさわしくないというなら、平成の横綱になにを期待するか、はっきりした基準はあるのか。なければ、いじめである。

まず、相撲というビジネスモデルが、国技のわくをはみでてしまったことだ。国技ではなく、国際技になった。
日本人は、力士という職業に魅力を感じなくなった。新弟子になりてがない。子供たちも裸になるのがはずかしいそうだ。これからは、番付の中心となる日本人選手がたりなくなるだろう。こんご体力気力充実した強い力士は、みな海外勢になるだろう。
力士は、髷を結えなければならないという条件も、そのうち無視されるだろう。金髪のままでも縮れ毛でも、相撲とってカネ儲けしたければOK、人種を超えた開かれたスポーツにならないともかぎらない。こんな単純で興奮する格闘技はほかにはない。日本固有の礼儀とか、言い出さなければ。

大リーグも、戦後しばらくは黒人を排除していた。いまはどうだ。日本のプロ野球も主力打者は外人だ。助っ人と呼んでいるが。
ボクシングは体重別でなければ、危険で、争えない。サッカーも、ソフトボールも、国籍にこだわれば、帰化させなければならない。
体型や筋肉の組成で人種間の差は意外に大きいのではないだろうか。

相撲は、伝承スポーツという人がいる。日本人だけの日本文化を伝承するというのだ。それは、蹴鞠や流鏑馬、歌舞伎や文楽のようにだろうか。保存の対象だが、当然、古典芸能とスポーツでは、条件が違う。競うプロスポーツにはなりえない。

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強いもの、技量の差で、定められたルールのもとで、成果をおさめたものが、プロスポーツの勝者だし、チャンピオンだ。常識だ。それがグローバルスタンダードである。
相撲の横綱は違う、というのか。
横綱にふさわしいかどうか、勝負の成績とは、べつに人間としての品格を問われる。それも、スポーツには、シロウトの横綱審議会が判定する。この決め方は、もう無理ではないのか。
ほかのどのスポーツも、強くて勝ち抜いた選手が、チャンピオンである。かれの性格が、人の上に立てる人格者かどうかの判断は、べつの基準だろう。あえて言えば関係ないことだ。

アメリカの大リーグでは、中南米の選手が増えた。英語もままならぬ選手は多い。国技としての野球の約束ごとは、試合の前の国歌斉唱に敬意を払うことだけだ。イチローも松井も胸に手を当てて星条旗を見上げている。


巡業に出る義務があるというなら、それは、横綱の矜持とは関係ない。契約上の問題だ。相撲興行の運営上不可欠ならば、朝青龍に巡業の参加についての違約のペナルティーをあらかじめ契約書に記載しておかなければならなかった。国際技のビジネス慣行に、以心伝心はむりである。


投稿者 nansai : 2007年9月12日 17:46