縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2007年12月27日

「出す当てのない賀状展」は、むだ?

十二月二十七日(木)

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いよいよおしつまってくると、近くの公園のハトたちも首をちぢめてまるくなっている。夏には3匹いたはずのホームレスの猫たちも姿を消した。どこかにもらわれていったらしい。
知人友人から、年始のごあいさつ辞退のはがきをいただく。その数が、ことしは多い。近親者を亡くして、はがきにひとりひとりの思いがこもっている。多くは、天寿を全うされ、おどろくほど高齢だ。

で、賀状を出す先が、さらにせばまってきた。
「年賀状は贈り物だと思う」と、したり顔で、郵政公社のコマーシャルはいう。
若い人は、ケータイですませてしまうからだろう。「アケオメ」で意が通じるらしい。
ぼくくらいの年齢になると、事情は違う。
あっけらかんと「あけましておめでとうございます」でいいものか。
年賀状は、相手の安否を確かめるノックのようなものだ。と思う。
「よお、ドーダ!」もいいが、遠慮がちに。
すっかりごぶさたしている昔の友人が、いつまでも元気とは限らないのだ。
「おおい、まだ生きているかあ?」
例年ちょっとハイになって出していたノーテンキな決意表明的「おめでとう」ではなく、聖徳太子ではないが、「つつがなきや」とでもせねばならぬ。

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ことし久しぶりで賀状をくれた友人は、これから入院手術すると走り書きしてきた。手書き文字の乱れに驚き、いやな予感がした。見舞いの手紙をだしそびれているうちに、訃報に接した。何年も前から入退院を繰り返していたのだ。
お世話になった方で、前の年いただいた年賀状に病気でしんどいと書いてはあったが、ことしも、かなりたってから、父は亡くなっていたと、ご長男からご連絡いただいた。鈍感だった。
眼光紙背に徹して、いただく年賀状の行間をうかがわねばならぬのは、つらい。

そうではあるにせよ、ぼくにとって、出す先の減った賀状とはいえ、恒例の干支などはお絵描きの絶好のお題である。宮中歌はじめの御題のようなものだ。
例によって、あて先不明の独りよがりの賀状展をネット上にならべることにした。

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考えてみると、年賀葉書一枚50円。たった一枚を運ぶとしたら、配達の人手と経費は、排出CO2はおいておいて、無視できない。郵政公社はこんなサービスを21世紀のいつまで続けられるのだろう。
ことし、クリスマスカードを思い切ってネットに切り替えた英企業が、けさの新聞に取り上げられていた。

その点、だれも見ないかもしれない。どこに届けるあてもない。配達の要らないブログは、きらくなものだ。
しかし山中の庵のような、こんな自閉症ブログでも、数少ないがウオッチャーがいる。アタマ隠してシリ隠さずだ。気分が乗らず、さぼって間隔があくと、体調がわるかったのかときかれる。
隠居のブロッグは、集中治療室の心電波形のモニターのようなものかもしれない。ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。波形はふるえているようにみえても、本人はパソコンの前で、ひとり「ドーダ」と小さくつぶやきながら、お絵かきを楽しんでいるだけなのだが。

このブログのいいかげんなところは、日記のようで日付けにしばられないことだろう。ストレスにならない。夏休みの絵日記のような提出のしめきりがない。ぐうたらで移り気なぼくが、だらだら飽きずに続けてこれたのは、この融通無碍ないいかげんさによる。

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そして年賀状のアイデアを、あれこれとひねくりまわせるのは、デジタルの特権である。マウスとキーを操るだけで、紙も絵の具も筆もいらない。
ん、失敗したら消すまでのことだ。
こうして、愚にもつかないアイデアがたまってゆく。
主人公というか、今年の狂言回しは、干支のねずみ。こいつをおもちゃに、しばし楽しむことができる。勝手なもので、この際はだれにこれを出そうと考えないから、出す先が減ったのは気にならない。

年賀状向きかどうか別として、ぼくのアーカイブからひっぱりあげたねずみ諸君を紹介しよう。折々思いつくままに、混乱をきわめて、千差万別、支離滅裂。ばらばらだね。「2008年賀キャラクター展」のおそまつ。

ちなみに年賀状のコピーは、一茶の句集から拝借することにした。だじゃれ。

  めでたさも ちゅうくらいなり おらが春

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まずは書初めから。

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以下、だらだらと、ねずみのオンパレード。順不同で。

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だじゃれですんまへん、チューパーマンや。

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抱かれているねずみの表情。

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ぼくのゴルフの腕は年々ひどくなる一方だが、絵は上達したみたいである。毎年のならわしで、プレーヤーの顔を、干支の動物にすりかえるのだ。

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上達いちじるしいときくI氏夫人の勇姿。眼光が鋭い。

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三丁目の夕日。フラフープをまわすねずみ。

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ちょっと捻りすぎか。「大山鳴動して、ねずみ一匹」の図。
ちいさくてみえにくいが、画面の下に、ねずみが一匹。世界恐慌など、よくない兆しが、オーバー?に報道されているから。なにも起こらなければ、いいのにな。

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投稿者 nansai : 14:46

2007年12月25日

硝子戸の中から外を見渡すと

十二月二十五日(火)

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「硝子戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなったうめもどきの枝だの、直立した電信柱だのがすぐ眼につくが、そのほかにこれといった数えたてるほどのものは、ほとんど視野にはいってこない。」
大正4年、夏目漱石は晩年のエッセー「硝子戸の中」で、このように書き出している。

自分はほとんど表に出ずに、毎日書斎の硝子戸のうちにばかり座っているので、世間の様子はちっともわからない。座ったり寝たりしてその日その日を送っている。「書斎にいる私の眼界はきわめて単調で、そうしてまた極めて狭いのである。」と。
「しかし、私の頭は時々動く。」
狭い世界でも狭いなりに事件は起きるからだ。
「それから小さい私と広い世の中を隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人がはいってくる。」それがまた漱石にとっては思いがけない人で、思いがけないことを言ったりしたりする。興味に満ちた目を持って漱石はそれらの人を迎えたり送ったりしたことさえあると書いている。情報は、人が運んできたのだ。

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「去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。」
大きな戦争とは、第一次世界大戦だ。100年後の平成の今とあまりかわらぬ大正4年の世相がうかがえる。
「米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だ不景気だと零している。」ともあり、このころから打ち続く農村の疲弊は、富国強兵を国是とした近代日本のひずみ、きしみの通奏低音だった。農村の窮乏は、昭和にはいり、満蒙への侵略、太平洋戦争へと、日本を駆り立てたのだ。

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21世紀の郊外のわが家の硝子戸の中から見上げられるのは、高圧線の鉄塔である。寒々しい、うっとおしい光景だ。
高圧線の電磁波による健康被害の論争はかまびすしいが、規制のおかげで、鉄塔の下は、ビルもたたず、竹やぶやナラやクヌギの里山が手付かずでそのまま残っている。
国土の有効利用の面からも、電柱の地下埋設は叫ばれて久しい。
最近のうわさでは、鉄塔がそのうち撤去されると決まったらしい。
抵抗していた電力会社が、ついに重い腰をあげたときいた。
いつのことやら、もし本当なら、わが家は大歓迎だが、鉄塔がなくなるとカラスも困るだろうが線下の地主各位は大あわてだ。農地の宅地並み課税が痛いという。高圧線の鉄塔が撤去されたら、タヌキの出そうなわが家の周りは、雑木林が消え、いっきょに、マンションが建ち並ぶことだろう。いいことばかりとは限らない。

漱石の時代、「硝子戸の中」にときたま訪れる人が情報のメディアだった。平成のいまは、むかしのように訪れる客はなくなったが、見渡す限り氾濫したマスメディア情報の泥海に、孤立したぼくらは、浮かんでいる。
マスコミで報じられる情報の大半は、泥の大海に浮遊するごみだ。どんな情報かといえば、殺人、交通事故、火事、汚職、スキャンダル、選挙目当ての、大局はそっちのけの政局をめぐる右往左往。「かんけーねえ、」と言い放てばそれまでだ。

漱石のいう「小さい自分と広い世の中を隔離している硝子戸」は、平成のいまも存在しているのだ。人生と社会、国の行く末などを考えるには、晩年の漱石のように、人間としての洞察力が必要なのだろう。彼が没したのは、49歳。関東大震災の7年前だった。

新潮文庫で142ページの随想集は、わずか286円だ。この薄さなのに、懐かしいひもの栞がついている。
ネットの電子図書館で無料で読むことができるのはありがたい。ただし、読みづらい横組みだが。


投稿者 nansai : 14:45

2007年12月20日

ナンボのもんじゃ?「ドーダ!理論」とは。

十二月二十日(木)

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話題の「ドーダ理論」が、文春文庫「もっとコロッケな日本語を」に収録されている。この深遠な理論が、「ドーダの人々」三篇にわたって問題提起され、たったの476円である。日本の文庫本水準もたいしたものだ。
提唱者は、「ドーダ学の祖」東海林さだお氏。

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「ドーダ!」は、自慢話だ。
人は、みな、ドーダ、このようにオレ(ワタシ)はえらいんだぞ、ドーダ、といっているわけだ。
といってしまえば、ミもフタもないが、なにげない自慢話の奥底には、人間の深層心理がひそんでいる。

銀座の高級クラブから国立競技場まで、さまざまな場で、人の自慢する姿を漫画家の目でじっと観察して得られたスルドい仮説は、5年前に「オール読物」に連載され、いま洛陽の紙価を高めつつあるのだ。
この理論に共鳴した鹿島茂氏が「ドーダの近代史」(朝日新聞社刊)をあらわし、ドーダ史観で、幕末から明治までの司馬遼太郎のテリトリーをなで斬りにした。

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同書をNHKの書評で松岡正剛氏が推薦するにいたって、元祖「ドーダ理論」の正当性はゆるがぬものとなった。

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人間はなぜドーダするか。
ドーダ行為から人間の営みをみると、何でも切れるハサミのように、「文学から革命行動まで、人間のすべての活動を解明できる」と鹿島氏はいう。人間行動の森羅万象なんにでもあてはまること、かのウエゲナーの「大陸移動説」に匹敵するんじゃなかろうか。

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鹿島教授は、つぎのようにドーダを定義して、
「自己愛に源を発するすべての表現行動である」                                 と喝破した。いわれれば、そのとおり。八軒家描くところの、この手のけちなブログなど典型なドーダ行為なのだ。

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ドーダの祖述者鹿島教授はこう説明する。
ドーダ学というのは、人間の会話やしぐさ、衣服や持ち物など、ようするに人間のおこなうコミュニケーションのほとんどは、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、まいったか?」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析してゆこうとする学問である。

「ドーダ理論は世界最強のグランドセオリーだ!」教授は、ドーダをみごとに発展拡大解釈し、精緻に理論を再構築し、「抱腹絶倒」な近代通史を試みた。ドーダの魂がつきもののように乗り移り、このよく切れるはさみで、水戸学から始めて高杉晋作も西郷隆盛も、一刀両断で説明できるという。

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「ドーダは、自慢である。
人に誇りうるものである。
と同時に、人にうらやまれるものである。
ドーダは本質的に、誇る、うらやむの相関関係がなければならない。
たいしたものだと思われねばならない。」(東海林さだお「ドーダの人々」)
で、いろんなタイプのドーダ現象が、東海林氏とその一派によって、観測されている。優位性誇示型ドーダが一般的だ。忙し自慢、教養ドーダ、ブランドドーダ、学歴ドーダ。まだある。有名人にあやかったドーダ。謙虚ドーダ、同県人ドーダなどなど。あげればきりがないだろう。

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ユング心理学の言う「投影」ではないか。との説をなす人も現れた、と「ドーダの人々」にある。
自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知しようとするものと解釈されるそうな。ふうん。「投影」ねえ。よくわからんが、ますます奥深そうだ。

ドーダ光線で世の中を見渡すとなんでも説明できるから、あんまりキマジメに「ドーダ理論」をドーダするのも、自分で自分をCTスキャンするようで、おもはゆいところがある。そこがおかしい。愉快だ。

銀座の高級バーは、「ドーダの館」らしい。ぼくはぼくなりに、東京はニューヨークやパリなみの「ドーダ都市」ではないかと思う。
現在のわが大阪は、今回の市長選挙の結果を見ても、ドーダ力が低いように思われる。

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「ドーダ!」のから振りが、もうしんどい。
大阪は、数々の手痛い挫折を引きずって、負け犬伝統の「それが、なんぼのもんや」の視点に安住している感じだ。吉本とタイガースだけのの「ドーダ力」は、さて。
かつては、大阪こそ、ドーダの本場だったのだが。「ドーダ都市」大阪の復活を祈るや切。

投稿者 nansai : 14:23

2007年12月11日

記念日だらけなのに、きょうが、ふつうの日でいいのか。

十二月八日
66年前の今日、何が始まったか。気にも留めない日本人のほうがおそらく多いだろう。政府も、日本の新聞もテレビも、あえて触れるのをはばかる不気味な沈黙の記念日なのである。声を潜める申し合わせでもあるのだろうか。あれほどのことが起きた、きょうはまさに、その日なのに。
66年前のきょう(日本時間午前3時)日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊を奇襲した。

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「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
ダイホンエイハッピョウ、しぼりだすように読み上げられたアナウンスが、太平洋戦争の勃発を知らせた。
どの家にもラジオがある時代ではなかった。小学校4年生のぼくは学校で講堂に集められ校長先生からきかされた。

日本側からすれば、狂喜乱舞の大戦果だった。
無線を封鎖し隠密裏にハワイに接近した六隻の空母から第一波180機、第二波160機の雷撃機、急降下爆撃機が飛び立ち、オアフ島の米艦隊の基地を襲った。ハワイ時間で午前7時49分。いつもの静かな日曜日の朝だった。
攻撃が始まって90分で2386名が戦死。(うち55名は一般市民)1139名が負傷した。戦死者の半数は、戦艦アリゾナの爆発による1177名。戦艦アリゾナ、オクラホマを始め、艦船18隻が沈没、うち軍艦は5隻だった。

大戦果に日本国民は酔いしれたが、アメリカは卑劣なだまし討ちだとして激怒した。ルーズベルト大統領は、翌日の演説で、この日は「ザデイ オブ インファミイ」、汚名のうちに生きる日だとして怒りをあらわにした。緒戦の先制もむなしく、直ちに開戦を決意したアメリカの巨大な軍事力に、たちまち制海権、制空権を奪われた日本は、この攻撃のわずか4年後、壊滅した。
日本は国土が灰燼に帰し300万人の死者を出したあげく、すべての海外資産を失い無条件降伏した。当時の指導者は、どういう見通しで、この無謀な戦争を始めたのか。いまだにその責任は問われていない。
66年前、たしかに、この日、歴史は大きく動いたのである。

アメリカでは、大統領が、この日、「パールハーバーデー」に国旗の半旗掲揚を各省庁に指示した。
全米各地の新聞のネット上では、生存者の談話が紹介されている。各地でささやかであっても追悼行事がおこなわれていることがわかる。真珠湾攻撃で2390名の命が失われ、なお1000名以上の遺体が海底の泥でさび付いた戦艦アリゾナの艦内に閉じ込められていると報じている。
戦艦は、現在も湾底に沈んでいる。その上を海面にまたぐようにして、アリゾナメモリアルが建つ。いまは国立公園施設である。だいぶ傷んできたので「パールハーバーミュージアム」の資金集めがすすんでいるという。

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毎年十二月七日には、メモリアルビジターセンターで追悼式典がおこなわれる。今年も年々減るなかで5名の生存者が参加した。みな90歳前後だ。「グレートゼネレーション」とたたえられている。かれらは、ボランティアとして、メモリアルを訪れる観光客と交流し、いっしょに写真にはいり、サインをして愛想をふりまいている。「戦争へ!日本軍オアフ島を爆撃」の見出しの躍る当時の新聞の復刻版にサインしている。日本の高校生がおじぎして、千羽鶴を手渡す風景がCNNで紹介され、ほっとする。

ことし、戦艦オクラホマの戦死者追悼碑が建てられた。死傷者の多かったアリゾナの影に隠れで忘れられていたのだ。
オクラホマは攻撃で転覆し429名が艦内に閉じ込められた。救助されたのは30名。艦はその後スクラップにされ曳航中に沈没した。
120万ドルをかけた顕彰碑の前に、攻撃を受けた7時55分に200人が集まって、黙祷に始って式典がおこなわれた。429名の名は黒い大理石と429本の柱に刻まれている。
ヘリコプターの編隊が頭上を舞い、ステルス爆撃機が従い、歓声が沸いた。生存者は、高齢でもう集まれないだろう。
まだ身元不明の遺体640名はパンチボウル墓地に埋葬されているという。
死者の栄誉は、デジタルのサイトでひとりひとり記憶されるようになるのではないか。

十二月八日の朝日新聞大阪版は、一面トップに、「太平洋戦争開戦66年」とし、「戻らぬ遺骨115万の遺骨」をのせた。十二月八日に触れた唯一の記事だった。
66年前のこの日何が始ったのか。黙っていることは許されない。

投稿者 nansai : 16:56