縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2008年7月25日

七月 わが輩はライオンである。

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また、天神祭りだ。今夜は、宵宮か。むちゃくちゃ暑いな。
わが輩は、ライオンである。もう60年間も、難波橋のこの橋柱に座っている。体重は花崗岩で18トン。全部で4頭。で、この橋は通称「ライオン橋」とよばれてきた。ふるくは浪速橋とも。
歴史は古い。木製の橋が一本、豊臣時代からかけられていた。

祭りの喧騒をよそに、目を閉じてタイムマシーンにのってみよう。
ここは、土佐堀川と堂島川にわかれるところで、昔は眺めもよく涼しかった。信じがたいことだが、夕涼みの名所だったのだ。橋のたもとには、茶店が出て、氷水、ぜんざい、夏でも甘酒を売っていた。

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橋のかいわいは、諸藩の蔵屋敷が軒を連ね、それを取り巻く問屋街が繁栄をきわめていた。川幅はいまよりひろく、船が通れるように太鼓橋のように、桁下を高く、かなり反ったつくりになっていたという。

大阪の夏は、うだるように暑い。平成のいまは、あまりの暑さに、夕涼みが楽しめなくなった。何でや?大阪府環境白書にくわしい。

むかし、人々は、大川端に集まり、この橋の周辺は絶好の夕涼みの場だった。遊山船があつまり、橋の上は夕涼みや花火見物の人々でいっぱいだったさまが、当時の図会でわかる。
むかしもいまも格差社会だ。
落語の「遊山船」や「船弁慶」では、橋の上下の掛け合いが面白く語られている。

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川にはたくさんの船がうかんでいる。
「えらいこっちゃ、大水が出て、家が仰山流れてきた。」
「違うがな、あれは大屋形やがな」と、長屋の連中のやりとり。
金持ちは、屋形船を浮かべて、芸者をあげ、一ぱいやりながら、涼をたのしみ、貧乏人は、橋の上からうらやましげに指をくわえて見下ろすだけだ。屋形船の障子の開け閉めから、中の様子、ごちそうや、乗っている芸妓が気になるのだ。

江戸時代は、空気が澄んでいたとみえ、橋の上から、兵庫県三田市の有馬富士がみえたそうな。この橋は、東西の眺望がよく、橋の上から16の橋が見え評判だったと記録にある。

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投稿者 nansai : 13:57

2008年7月24日

この暑さ、何とかならんのか?

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猛暑に立ち向かうのに、日本古来の打ち水の習慣が見直されてきたようだ。
ヒートアイランドよ、さらば!地球の温度が二度さがるとかで、地球温暖化に対抗しようという市民運動?が全国的に呼びかけられ展開されてきた。

ならばと、大阪では、市も乗り出してきた。打ち水から一歩進んで、近くの八軒家浜船着場で、市の水道局のミスト(霧)散布作戦が始った。

え、これはなんじゃろ。
船の着く川べりに、物干し竿みたいなわくがたてられ、パイプの穴から、けむりのようなものが噴出しているではないか。看板の説明では、圧力を加えた水道水をパイプのアナから散布して、人工的に霧を発生させるのだそうな。

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へえ、効果があるのかいな。
ものずきなぼくは、朝、誰もいない大川の岸で、しばらく、様子をみていた。
こりゃあかんわ。
日がかんかん照って、川風が吹く水辺では、人工霧は、文字通りあっという間に雲散霧消してしまうから、気温がさがるわけがない。
気温30度以上、湿度70%未満の条件で、霧を発生させる設計らしい。水をさすわけではないが、残念ながら、アイデア倒れか。
大川端のような開けた場所では、ぼくは、ちょっと無理とみたが、市長さんも、水道局長さんも、現場で確かめてほしい。



投稿者 nansai : 15:24

2008年7月15日

かぼちゃ爆弾、大阪に投下。

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63年前の夏、大阪に落とされた「かぼちゃ爆弾」とは、原爆模擬爆弾のことだ。
昭和二十年七月二十六日、米軍は、大阪を空襲し原爆投下予行演習のため、ずっしりと重い一万ポンドの模擬爆弾を一発、B29から投下した。どこに落とされたかは定かでない。大阪は、すでに大半が焼け野が原だったのに。

八月に迫った世界初の原爆投下を成功させるため、米軍はB29乗員の訓練に余念がなかった。摸擬爆弾の丸い形も色も、かぼちゃに似ていて「パンプキン爆弾」と呼ばれた。
制空権をにぎり成層圏を悠々と飛ぶB29爆撃機に、広島に投下される原爆と同じ重量(セメントを入れた)の爆弾を積み、米軍は日本の各都市への空襲の際にくりかえし落として本番に備えていた。

原爆開発の当初の目標だったナチスドイツが降伏した後、さて、瀕死の日本のどこに原爆を落とすか。
いきさつをネットで調べてみた。

一九四五年五月十二日、ロスアラモスのオッペンハイマー博士のオフイスに、なんと8人もの博士号を持った関係者たちが集まって、会合をもち、非人道的な血の凍るような原爆の効果的投下を議論していた。
極秘の議事録参照。

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投下目標候補の筆頭にあげられていたのが、意外にも京都だった。
人口百万。直径3マイル以上の大都市で、加えて日本文化の中心であり、住民たちはこの爆弾の重大性を認識するだろう。というのが、理由だった。
京都危うし。
原爆の効果を試したい委員会のメンバーには、古都の歴史とか文化財は、何の意味も持たなかったのだ。

京都以外に、広島、横浜、小倉、新潟の4っの都市があげられていた。皇居への投下も、議題に上った。

この目標選定会議で決められたことは、次のとおり。
投下にあたり日本への最大の心理的効果を重視する、原爆の最初の投下の重大性を国際的に報道し知らしめる。
そのため、爆撃は、日中、晴れた日に実施する。通常爆撃でまだ破壊されていない都市を狙う。そして、爆弾の爆風効果が最大化できる地形を選ぶ。

原爆投下目標地を決める極秘議事録によれば、この博士号を持った専門家グループは、こんな結論を出した。
京都は、住民の知的水準が高いから、原爆の重大性を理解するだろう、広島は地形的に戦果をあげやすい、皇居のある東京は、ほかのどの目標よりは話題性があるが、戦略的にはみるべきものがない。

この委員会では、一般市民への人道への配慮はまったくなく、冷酷無残不遜きわまりない。
その後、政治的配慮など紆余曲折あって、京都はリストからはずされた。しかし、執拗に京都への投下をせまったのは、開発責任者のグローブ将軍だった。
かれは二ヶ月も粘りに粘って主張したが、退けられた。その代わりに長崎がリストアップされた。
東京を除外すべきでないという意見も、広島への投下以降も、あったらしい。

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13歳のぼくは、当時、投下目標都市小倉に近い下関にいた。中学二年生で、空腹と下痢、ノミとシラミに悩まされながら、本土防衛のため海岸陣地構築に駆り出されていたのだ。といっても、マツ材を立てならべただけの、爆弾一発で吹っ飛ぶ、横穴の機関銃座だったが。
小倉からは、下関は海峡をこえてすぐ眼と鼻の距離だ。
高高度を銀色のB29が飛び、レーダー撹乱のための
キラキラしたアルミ箔を撒き散らす。ぼくらは、口を開けてぽかんと見つめていた。
米軍から見れば、小倉は、兵器工廠があったのと、関門海底トンネルへの核攻撃に興味があったらしい。一切の情報から隔絶されていたぼくらは、知らぬが仏。

昭和二十年、米軍は十一月から南九州上陸作戦を開始する手はずを整えていた。上陸支援のため、xデーまでに7発の原爆が準備される予定だった。中学生のぼくらの掘っていた海辺の木造陣地の運命やいかにだ。

「あの戦争を伝えたい」布川庸子著(かもがわ出版)という、切り絵の美しい薄い文集を書店で求めた。そのなかに2ページだが、「京都への原爆投下計画」が紹介されていた。
詳しい史実が知りたくて、グーグルで検索してみると、60年前の極秘資料などが、でてくるわ、でてくるわ。

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昭和二十年、ドイツ敗戦後の日本は、世界を敵に回し孤立無援だった。
絶望的な状況下にもかかわらず、ポツダム宣言を「黙殺」し、一億玉砕、国体護持などととなえ本土決戦を呼号した。一方で、ソ連に停戦の仲介の望みを託したが、連合軍には暗号解読され交渉はつつ抜けだった。
ぎりぎり土壇場まで無条件降伏を躊躇した日本は、なんとも非常識な国際政治オンチぶりをみすかされるなかで、悲惨きわまる原爆人体実験の口実をアメリカに与えてしまったのである。

政府は、本土決戦に備えるよう「一億玉砕」と大号令した。「人命優先」、「国民の幸福」など、字引にはなかったのだ。
昭和十九年から二十年のあいだの一年に、日本はおそらく200万人以上を失ったのではないか。
最優先課題は、国体の護持だった。
徹底抗戦し、あのまま戦争を継続したら、日本はどうなっていたか。連合軍からみれば、無差別に原爆を使用する正当な条件がととのってきていた。
世界が見えず降伏を先延ばしした国家指導者たちの責任は大きい。

さて、21世紀、党利党略のみで権力を握り、歴史に学ぶ能力のない指導者たちは、同じ轍を踏んでいるように思える。歴史は、繰り返されるのか。

投稿者 nansai : 11:44

2008年7月 4日

ご近所のよしみで、Tシャツの絵をたのまれたが、さて。

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同じ町内にあるボタン問屋ビルの一階が、こじんまりした画廊だ。ふだんは、ファッション系の小物などが展示されている。
この夏も恒例の「Tシャツ展」が催される。場違いな「マウスで描く絵」のシャツも若い人の作品?にまぜて、出品したいとのことだ。

で、マイドキュメントにかねて死蔵のアイデアをひっくりかえして、思いつきのオリジナル薬味を少々ふりかけてみた。珍味ゲテモノバージョンとしては、異色作じゃろう。

たとえば、この見返り美人ねこは、シャツの背中にプリントしたらどうだろう。

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夏が来れば、恐竜たちも、立ち上がって腰を振り踊るのだ。

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家にモデルの駄ネコ(源氏名をブータンという)がいるせいか、どうしても、ついネコの絵を描いてしまう。ネコの伸びをするすがたはかっこいいが、ぼくのデッサン力ではとても及ばない。
以下は、ネコだらけ。

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これは、意欲の新作だ。白ねこが虹ねこに。ぬりえボディペインティングするねこ。
あ、そうそう、悪乗りで、黄色と黒のタイガース模様もおもしろいかな。トラキチねこも描いてみるとするか。

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続いて、トラキチ専用は、優勝決定ニコニコバージョン。

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つぎは、まだあっためているマル秘のアイデアを、こっそりと。
いま京阪電車が売り出し中の「八軒家船着場」は、新線開通まで、まだ人気が閑散としている。
八軒家船着場の「ゆるキャラ」候補として、ぼくなりに、二頭身の河童をかんがえている。

ここだけのハナシだが、大川には、いつのころからか、数十匹の河童、「がたろ」とも名乗るが、生息している。かれらは、人目をしのんで、音を立てず深夜だけ泳ぐ。

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大川の河童たちは、年に一度、遊泳大会を開く。デンマークからお興しいれしてきたアンデルセンの人魚姫像が、天保山のサントリーミュージアムの水辺に放置されている。河童たちは、大川を下って、人形姫にキッスする。一番は、どの河童か。

かれらは、河童のくせに水中眼鏡をかけている。
おしなべて、泳ぎが下手で遅いので、淀屋橋河畔のミズノさんに特注して、いま大評判の英国製に劣らぬ水着を着せてやりたい。
もちろん、競泳の際は、水の抵抗をさけるために、甲羅を取り外せるようにせねばならない。などなど、極秘のうちに思案中だ。

投稿者 nansai : 15:30