縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2008年8月15日

ああ、やっぱり。これでは、310万人の戦没者は浮かばれない。

オリンピック関連の記事があふれかえるなか、終戦直前の東条元首相の直筆メモが新聞にひっそりと公開された。国立公文書館に保存されていたそうだ。

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元首相は、A級戦犯として処刑され、靖国神社に祀られている。
さまざまな政治的配慮から、国内法で、戦争責任を問われることはなかった。
東条メモは、大日本帝国の悲運を物語っている。文語体で書かれているので、今の日本語に直して読んでみた。
「新型爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰をぬかし、かんたんに手を上げてしまった国政指導者と国民にあきれた。
こんな人たちを頼りにして、開戦し戦争指導にあたったのは、責任者として、天皇と国民に対して申し訳ない。」

昭和20年8月、元首相は、重臣懇談会のあと、ポツダム宣言受諾をきかされて、メモに太平洋戦争開戦責任者の本音を縷縷つづっている。かれは、国体を護持するためにならぬと、日本軍の完全武装解除を懸念していたのだ。

あの時代に、日本国民(当時少年だったぼくも)は、いったい、どのような考え方の指導者たちをいただいていたか、よくわかる。かれらは、冷静に判断すべき情報を持たず、耳にさからう情報を得ようとしていなかったのだ。

「戦いは、常に最後の一瞬において決定するのが常則である。
帝国としてもてる力を十二分に発揮せず、敵の宣伝戦略に屈しようとしている。」
この期におよんで、まだまだやれるとのべている。
すでにサイパン、沖縄を奪われ、連日激しい空襲に遭い、国中焦土と化しているのにだ。戦力尽き、犠牲者はすでに310万人を数え、原爆を二発投下され、ソ連の参戦を許しながらもだ。

「無条件降伏とはいえ、皇位確保、国体護持は当然の条件で、これを敵側が否定するなら、一億一人となっても敢然戦うのは当然だ。
国体護持は、軍備維持なくしては、空文だ。全面武装解除などとんでもない。やすきにつきたがる国民は、軍部をのろうのではないか。」
とも。

時代とはいえ、人の命をどう考えていたのか。かれの制定した日本軍のマニュアル「戦陣訓」は、生きて虜囚の辱めを受けてはいけないと、兵士が敵の捕虜になることを禁じた。ジュネーブ協定の無視である。
「皇位確保」という大義のため、徹底抗戦を政府が国民に強いれば、どうなるか。第二のサイパン、沖縄のような市民をまきこんだ壮絶なゲリラ戦になり、民衆に甚大な犠牲が生じることに、戦争指導者としてまったく思いをいたしていない。

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こんど公開された元首相の手記について、新聞各紙も、いまさらながら、かれの指導者としての狭い視野と甘い認識を指摘している。
かみそりといわれた超エリート官僚だった東条大将。昭和天皇の信任はあつく、かれの失脚後も勅語をもって労をねぎらっている。
しかし、その股肱の臣は、精神力のみを頼み、きびしいデータと現実に眼をそむけた。

首相を拝命した東条大将は、頼りにしていた同盟国ドイツの敗色濃厚という情報をも無視し視野狭窄のまま、かれなりの消去法で、選択肢をせばめていった。昭和16年ついに大軍を動員し、転げ落ちるように、あの戦争へ向かって破滅の舵をきった。
この絵は、NHKが放送している「証言 兵士たちの戦争」の集合写真のイメージだ。ほとんどが生還していない。

昭和16年、かれは戦争回避の最後条件としてアメリカから突きつけられた華北と仏印からの軍隊撤退を、陸軍の立場から断固拒否した。満州は黙認されたのにである。これにより外交交渉の余地なく、成算なき太平洋戦争への突入の直接の引き金は、ここにあった。

日本は、なぜ大陸に出兵したか。昭和6年からの大陸進出は、貧困にあえぐ日本の農業政策のゆがんだ方針でもあった。大陸での利権を保護すると称して、日本軍は泥沼の戦いへ進軍を余儀なくされた。

ぼくが生まれた年から15年、激変する世界の潮流を見誤った日本政府は、数々の選択肢のほとんどを、誤って行動した。東条大将ひとりの責任ではないにしても。
過ちの代償は、たかくついた。きょう日本武道館で弔われる310万人の戦没者は、この間の大いなる失政の犠牲なのである。


日本人は忘れっぽい。あの戦争はなんだったのかをめぐって、喧々囂々議論が沸騰し、数多くの昭和史が出版されている。
しかし、つぎつぎに極秘資料が公開され、注意深く読み解けば、隠されていた真実があきらかになりつつある。
先見の明にめぐまれたクールで現実的な指導者が選べなかった国家は、あのような悲惨な運命にあまんじねばならない。それは平成の今も、変わらないのだが。

投稿者 nansai : 2008年8月15日 13:09