縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2008年9月26日

アリクイ「たえ」が脱走


以前にも脱走した前科一犯ミナミコアリクイ「たえ」が、またサンシャイン水族館の飼育小屋から雲隠れ。大騒ぎとなった。
飼育員が血眼になってさがしまわったがみつからない。灯台もと暗し。すぐそばの館内の床下に隠れていたらしい。三日目にえさにつられて姿を現したのを監視カメラに目撃され、御用となった。
やれやれ、まずはめでたし。茶番劇の自民党総裁選挙よりも、おもしろいとテレビでは、派手に報道された。
コアリクイは愛くるしいが、前足には鋭い大きなつめが生えている。なんとなくとぼけていて愛嬌のあるアリクイは、描きがいのあるモデルである。
ふだんお目にかかれないが、写真とくびっぴきで、マウスを動かして絵にしてみた。

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投稿者 nansai : 13:07

2008年9月22日

思いがけず、チャップリンに会ってきた。

久しぶりで、大劇場で活動写真をみた。
なんと77年前に製作された無声映画である。しかも、フルオーケストラの生演奏の豪華版だ。活動弁士の姿はなかったが、字幕で筋を追いながら、京都市交響楽団の演奏をきく。もったいない気もしたが。

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チャップリン「街の灯」(1931)は、無声映画の不朽の名作とされている。これにフルオーケストラが多才なチャップリンの作曲にしたがって伴奏をつけるのを、ライブシネマコンサートというらしい。再開発のため近く閉館する中之島フェスティバルホールで催されるとあって、切符をいただいて、のこのこでかけてきた。

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映画史上の名作といわれる「街の灯」だが、これまでなんとなく敬遠して、しみじみと見たことはなかったなあ。
浮浪者のチャップリンが、街角で見かけた盲目の花売り娘に恋する。80分以上の全篇、コミカルなパントマイムのオンパレードだ。
なかでも極めつけは、ボクシング場面だ。相手のパンチから逃れようとレフェリーのかげにかくれ、ぐるぐる三つ巴になってリング場を動き回る。結局ノックアウトされのだが、そのおかしさは、半世紀以上たった今もふるくならない。
お笑いも、しゃべくりは、よそもんにはちんぷんかんぷんだが、パントマイムのドタバタは、世界中のだれにでもわかる。

そういえば、むかしみた「黄金狂時代」で、吹雪で山小屋に閉じ込められたチャップリンが、パンをフォークに刺しテーブルのうえでダンスさせるシーン。いまも覚えている。

チャップリンは時代を超えて熱烈なファンが多いから、おびただしい数のネットをみてみると、City Lightsのサイトもあった。
有名なラストシーンは、ぼくは深読みできなくて、うかつな感想を述べると、淀川長治さんなど熱烈なチャップリンファンからどやされそうだ。

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愛する盲目の花売り娘の窮状を救うため、ボクシングのいんちき賭け試合に飛びこんだ、向こう見ずの浮浪者チャップリン。試合前のかれの晴れ姿?を描いてみた。

投稿者 nansai : 12:09

2008年9月17日

タイムマシーンで、難波津を見物。


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「知らぬが仏。」いや、知らぬが宝、だった。

うちの事務所が借りているビルは、大川をすぐそこに見下ろせる上町台地の北端に立っている。北大江公園の西南の角だ。
二十年くらい前か、借りることを決めていたので、ビルが着工されることになって、現場を見に行った。
地下から文化財がでてきたとかで、市の文化財保護の職員がきて工事が遅れ、家主がやきもきしていた。
囲いが立てられていて、これ以上掘るとあぶない地下7メートルまでが掘られていた。なにやら土器が出てきたらしかったが、そそくさとすぐ埋め戻されて、なんの表示も記録のないまま忘れ去られていた。
島町のここら当たりは、大阪城の城のうちなので、豊臣時代の遺跡かなと思っていた。

出土したのは、意外にも、もっと古く、1200年前の難波京の頃の遺物だった。
くわしいことがわかったのは、ことし出版された一冊の本による。
「大阪遺跡」(創元社刊)に、「奈良三彩と難波京の井戸」という題で、宮本佐知子氏(大阪市文化財協会学芸員)のつぎの一文が掲載されていた。

「難波京の北西約1200メートル、大川南岸の高台で見つかった三彩の小つぼは、深さ7メートルもある井戸から、奈良時代終わり頃の土器といっしょに見つかった。
この高さ4センチの小壷は、唐の三彩をまねて日本で作られた奈良三彩。緑、褐色、白色の釉薬がかけられていた。
官営の工房でつくられたもので、だれでも手にいれられるものではない。このような奈良三彩が、どうして、この場所でみつかったのだろうか。どのような人が使ったのだろうか。」

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陶器の絵は、ぼくが、同書の白黒の写真を見ていいかげんに描いた。現物とは程遠いと思う。
宮本学芸員によれば、同じ井戸からは、墨書で「摂」と書かれた土器片も出土した。「摂」は、摂津を示す重要なキーワードだ。
大川が見渡せるこの高台には、摂津を治める「摂津職という役所があったと推測される。
万葉集には、難波堀江(大川)で遊覧し、貴族の館で詠んだ一連の和歌が載せられていると専門家はいう。浅学なぼくだが、このロマンチックな一連の歌をさがしてみたい。

そんな歌を頼りにタイムマシーンに乗ってみよう。
ここは、大川のほとりの貴族の邸宅がみえてくる。難波津の良港はすぐそばだ。外国の賓客をもてなす館もある。
ここ、上町台地北のふもとからは、細長い砂嘴が、で千里丘陵まで延びていたらしい。土砂で船の航行が困難になったので、「難波堀江」が掘削された。目の前の大川である。
この先まで大阪湾が迫り、大陸から船が集まってくる。東は、葦の茂るラグーン、河内湖である。ここから、湖の奥にある草香津へ向かった。大和へは生駒山地をこえてゆくのだ。

知らぬが宝だった。
教えてもらえなかったから、難波京ときいても、カンケイが理解できなかった。奈良時代のこのあたりの情景は想像できなかった。出土した奈良三彩は、博物館にいけば、展示されているのだろうが。

1200年前、奈良貴族の館だったかもしれない島町かいわいは、中小のビルが雑然と建ち並んでいる。
奈良三彩。この貴重なお宝は、鑑定団でみてもろうたら、なんぼの値打ちがあるやろう?
出土した井戸の跡には、記念の石碑もなく、道の端ぎりぎりまで立てられた無粋な四角なビルが、21世紀の現実である。
きれいさっぱり誰からも忘れ去られているところが、いかにも大阪らしい、といえばそれまでだが。

投稿者 nansai : 14:07

2008年9月12日

サプライズ。突如、帰ってきた天才打者が結果を。

野球はドラマだ。しかも、人間の。
夕べは驚いた。タクシーの中で野球ニュースをきいて、万歳した。109日ぶりに、突然あらわれた今岡が打った。対ヤクルト戦。
姿を見せぬまま、すっかり忘れられていた天才打者が、関本選手の故障で急遽三番に登用されると、いきなり打った。
一回、走者一人をおいて、一番深い左中間にホームランだ。当てるのではなく、鋭く振り切った。
これは、めでたい。待っていたぞ。

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栄光の背番号7。往年の首位打者、打点王も開幕からの不振で五月から登録を抹消されていた。
そして敗色濃厚の土壇場の9回裏、二死満塁に今度は選んで、押し出しの決勝点をもぎ取った。
今岡のスタメン発表にどよめいた甲子園は、大興奮だろう。
ここへきて打てない、守れないダメトラ状態化したへとへとの阪神に、やっと光明がさした。アサーだ!

「ついさっきまで鳴尾浜にいたのに、夢みたいだ」
この日34歳の誕生日をむかえた今岡は感無量だろう。この日も、昼間は、甲子園の近くの二軍にいた。練習していたら、いまから行け、といわれたそうだ。
「この日は、今岡による、今岡のための試合だった」とニッカンは、書いている。
人生なにがおこるかわからないが、今岡これからの健闘を祈るや、切。

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今岡が万歳している新聞紙面の 片隅に、訃報がのっていた。
かれこれ半世紀前、同じ会社で机を並べていた入社一年上の先輩がなくなった。その後、有力企業のトップにまで登りつめ、財界の切れ者だったが、未練なく後進に道を譲り、あっさりと引退した。
若いころから、クールな大物だった。安サラリーマンの頃、ラテン語の文法書をポケットに入れていたのを思い出す。酒は一滴も飲めない人だった。合掌。

投稿者 nansai : 11:16

2008年9月 9日

1500年前の「難波津」は、このちかくに?

このところ、浅学菲才の身をかえりみず、にわか郷土史家に変身している。「大水都史を編み後世に伝える会」)のサイト「八軒家かいわいマガジン」のたちあげに協力している。むかしの資料がないから絵が描けないのが残念だが、こんな具合に、八軒家船着場かいわいの史実資料をもとめて、犬のようにかぎまわっている。

難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと咲くやこの花

「古今集仮名序」に収録されているこの歌の「難波津」が、ついすぐそこの高麗橋の近くであるという学説を知って、にわか郷土史家のぼくはおどろいた。

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ぼくは、この写真を難波橋の上から、西へ向かって撮影した。
タイムマシーンに乗れば、当時は、すぐそこまで海がせまっていたのだろう。ここらは上町台地の突端部である。大阪湾と河内湖をへだてていた上町台地は、天橋立のような細長い地形だった。

東のほうは、縄文時代、生駒山のふもとまで海岸だったそうだ。河内湾という。今の大阪平野南部は、海の底だった。
2世紀から3世紀にかけて、入り口が土砂で埋まり、湾が湖になった。河内湖である。草香江とも呼ばれた。瀬戸内海を東征してきた神武天皇の戦闘記録にも登場する。

左のこの写真は、天神橋から、現在の大川を、河内湖のあった東へ向かって撮影した。

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タイムマシーンに乗ると、1500年前は、ここから東は、生駒山まで、ただ一面の湖水と湿地が見えてくる。
淀川、大和川がこの湖に注ぎ込み、長雨や豪雨のたびに水害をもたらしたので、日本書紀によれば、5世紀には砂州を東西に掘りぬく「難波堀江」が開削された。
教科書にものっているが、なんと現在の大川天満橋あたりらしい。
では、「難波堀江」はすぐそこではないか。不勉強なぼくは、ミナミの堀江とかんちがいしていた。
洪水を防ぐための堀江は、湖と海をつなぐ地形を生かした港、難波津を生んだ。

難波津は、2世紀から3世紀にかけて、古墳時代の物流の一大拠点だったらしい。河内湖の一番奥に草香津という港湾設備があり、5世紀に難波堀江を開鑿して、瀬戸内海からそこへ直行できるようにした。
難波津は、途中に作られた港湾設備だったらしい。文献によれば、難波館(なにわのむろつみ)と呼ばれる商館があったと伝えられるが、遺構は発見されていない。難波津の東、上町台地の先端からは、16棟の倉庫群が発掘された。

難波津という港がどこにあったか、資料がなく長年不明だった。
冒頭の「難波津のさくやこの花」という歌は、「古今和歌集 仮名序」に見える。「この花」は、梅だったといわれている。
仁徳天皇が即位したとき、百済の王仁博士が梅の花にこの歌を添えて奉ったとか。
さまざまな万葉仮名があてられた木簡が出土している。当時の手習いの手本とみられている。

さて、その難波津は、どこだろう?
今は見る影もない高麗橋のちかくという説が有力という。
近年諸説が整理され、三津寺町付近(千田説)と、高麗橋付近(日下説)にしぼられてきた。ぼくはまったくの門外漢だが、近年では、いろんな資料から高麗橋説に傾いてきたと聞き、当サイトとしては、高麗橋付近が難波津というロマンを支持させていただくことにした。くわしい論拠は、日下教授の論文を読んでみなくては。

投稿者 nansai : 13:45

2008年9月 3日

「着てはもらえぬ?」ティーシャツ

Tシャツは、 メッセージやスローガンを伝えるポスターでもあり、人が着れば歩く広告媒体だ。
ぼくがこんなTシャツを着て地下鉄に乗り込んだら、

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優先席にふんぞりかえっている若い人が驚いて席を譲ってくれるかなあ。(そら、あきまへんで。大阪では。テキもさるもので目をつぶって寝たふりを、しよりまっさかい。)

パソコンで絵を描いて、気に入ったのをプリントアウトするのには、Tシャツがいい。写真を現像に出し拡大するようなものだ。もっとも、人にあげても、喜んで着てもらえるか、保障のかぎりではないが。

さて、空文と化した「敬老の日」も近い。
後期高齢者に捧げるシャツのデザインを考えてみた。

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「カメは万年」にちなんだ長寿を祝うケッ作なのだ。明るい色調だが、プレゼントしてはいけない。年寄りは、怒り出すかもしれないからだ。「着てはもらえぬティーシャツを」だ。
このようにぼくが自分で気に入ったのは、たいていは、ひとりよがりの出来だから、「どうだ」は他人には通じない。ン?とまどった顔をされるのがオチ。これもそのクチだろう。

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つぎは、阪神タイガース優勝祈願シャツ。

危うし。阪神。
星野さんに北京に拉致された三番打者がつぶれ、頼みの押さえ投手JFKの三羽ガラスがかんかん打たれ始めた。最下位チームの横浜に、なんと5連敗だ。
このままでは、かりに優勝しても、日本シリーズにでられるか。ダイナミックシリーズが心配だ。
短期決戦に弱いことでは定評がある。データ野球が苦手らしい。
で、あわてて、白い子ネコをトラ柄にペイントする。

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今年はいらないと思った「招き猫」を描いて、必勝を祈念することに。

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子猫は、短い前足を上げて、「おいでおいで、」と、けんめいに勝ちを招くのだ。

いうてすまんが、ぼくは、マウスを操って絵を描く達人、いや変人である。
世にマウスで絵を描くあほな人は、少ない。プロはもちろん高度な道具を用いる。
老齢のぼくは、「ペイント」という初歩のお絵かきソフトのお世話になっている。これは、パソコンに初めて接するこどもたちか、キーボードにひるむ高齢者向けに、入門教材として使われるきわめて原始的なソフト。ウインドウズには、無料でついている。
習いべたのぼくは、60半ばの手習いで、雑誌の記事を見て、これなら自分にも描けそうだ、とはじめた。独習である。
思いついたらすぐ描けて、あと始末がいらないのが気に入っている。失敗しても、パソコンが保存してくれるのがありがたい。紙くず箱のおせわにならないですむ。

投稿者 nansai : 14:17