縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2008年12月26日

十二月二十六日

暗い年末だが、マウスで、そそくさと描いてみた。

img-01.jpg

img-02.jpg

img-03.jpg

img-04.jpg

img-05.jpg

img-06.jpg

img-07.jpg

ウエブのうえで、例年のとおり、干支をテーマの南斎描く年賀状の展覧会、(7点しかないが)、開くことにした。

週刊誌を開くと、大物経済評論家のみなさんは、いっせいに超悲観論を展開している。株価急騰するも、景気どん底、失業者街にあふれる。暴風津波警報だ。
ドルは今以上に暴落、投売りされると予測する大前氏。スピリチュアルカウンセラーEさんもくわわり、「一人ひとりが、手綱を締めなおし、再び正しい道、善き選択をしてゆくことがいま何よりも大切です」と、ありがたいおすすめ。こんなことを活字にしてどうするのかな。

年賀状では、悲観、楽観、強気、取り混ぜて描いた。ピカソの闘牛からのぱくりは、われながら、白眉のできであると、自画自賛。ええかげんにせえ。

大前氏は、日本の1500兆円の膨大な個人資産を使って、いまこそ「国家ファンド」を作れという。世界の優良企業が安く買えるのだ。穀物メジャーや鉱山会社、石油会社を買い叩けと勇ましい。100年に一度の危機は、逆にチャンスなのだとか。
で、この手の空気を読んで、年賀状を作ってみた。
といって、切手を貼って出す先もないから、隣のイタリアン料理店マリアンの壁にならべておいてもらった。
同店は、紺の不景気に、ミュージシャンたちに、プロ、アマチュアを問わず、演奏の場を提供して、満員大当たりである。自慢ののどを披露し、楽器を演奏するささやかなスペースが、求められていたのだ。
知らなかったが、この界隈は、知る人ぞ知る楽器ストリートなのである。
近所のビルにはハープやバイオリンの工房や店があり、有名ミューシャンが出入りしているそうだ。

投稿者 nansai : 15:52

2008年12月25日

十二月二十三日 バースデープレゼント

きょうは天皇誕生日。そしてあすの晩はクリスマスイブだ。
朝刊は、いっせいに世界のトヨタの赤字転落を報じている。ネットでも世界に流れた。情報は、気が滅入るプレゼントだ。
23dec1.jpg

テレビでは、解雇されたばかりの、まだ若いトヨタ系の派遣工の路上生活を取材していた。炊き出しの豚汁をすすっている。きょう初めての食事、一日一食だそうだ。
アメリカの1929年の大恐慌のシーンは、施しのスープキッチンに列を作る失業者たち。あれと同じ風景が、名古屋にも。

23dec2.jpg

日本経済「暗黒時代」突入。ここまで暗い年末年始はここしばらく経験したことがないと、と、ダイヤモンド新年号の特集見出し。
巻頭論文で野口悠紀雄氏は、未曾有な事態が日本経済に発生しつつあると警告し、最悪期の6年前に戻ると予測する。野口教授をはじめ、世界の評論家のほとんどすべてが超悲観論者だ。

そうではあるが、目の前の歳末街頭風景は、例年とあまり変わった風にも見えない。テレビも、いつも通りお笑い番組やスポーツ中継と屈託がない。これで、ええんかいな。
大阪の景気は前々から落ち込み、東京や名古屋の繁栄を羨望のまなざしでながめていたのだ。あきまへんなあ、新地は総崩れらしい。などと、タクシー運転手のぼやきは、今に始まったことではない。

ところが、ドイツの衛星放送を見て驚いた。
空港は休暇に出かける観光客でごったがえしている。クリスマス消費もおとろえていない。めいめいが懐具合に合わせて、せっかくお金を貯めてきたのだから、今は楽しむのだ。節約は来年からすればよい。笑いながらインタビューにこたえていた。ひとそれぞれということだ。他人事だが、見てすこしほっとした。ドイツ人の国民性か。
貯蓄せずに借金で家を購入していたアメリカ人、小金を持ってはいても(個人資産総額、一時は1500兆円あったとか)株式投資は苦手だった普通の日本人。かつて経験したことのない世界経済崩壊がそれぞれ
個人のミクロ家計にはどうひびいてくるのか。

正直いって、ぼくの頭は「シネマコンプレックス」状態である。アタマの中に区切られた多種多様な劇場がある。
23dec3.jpg

めいめい、どの劇場に入り、どの映画をみるかは、一人ひとりの勝手だ。豊かな時代での恐慌も、未曾有の体験になりそうだ。
底なし景気悪化、ニッポン株式会社倒産の危機。と、経済ニュースは叫ぶ。
ニュース劇場では、テレビ、新聞の経済ニュースから、世界を覆いつくす恐慌突入の報道だ。世も末だ。

知ってか、知らずか。目の前の街頭光景は、大阪、光のルネサンスで若いカップルが中之島の工事現場を手をつないでぞろぞろ。
テレビの番組表をあけると,そこは別天地だ。あいもかわらぬ、底抜けのばかばかしいお笑いタレント、歌、ドラマ。タイガースには右の本塁打20本打てるという触れ込みの外人選手が入団したとか。のんきなもんだ。これから突入する大恐慌とカンケイない人たちが大半なんだろうか。
アメリカのように、もともと無理なローンの返済が手滞って、家を追い出された人が路傍で野宿するようなシーンはまだない。

株をほとんど持っていないからソンのしようがない。
賢人養老孟司氏は、いう。「恐慌だなんだとあたふたしているのは、本当は虚業に近い人。普通の人は慌てふためかずに暮らせばいいのです」と。(新潮45)

といわれても、仕事がなくなるのは困る。政治のおもちゃにされそうな雇用創出は、急には間に合わない。無用とみられた「わたしの仕事舘」をつぶさずにがんばってお役人を天下りさせても、いまさら、なんの役にはたつまい。

政治家たちは目先の選挙をにらみ、いまや堂々と大手をふって、地方に箱モノや道路に予算をばら撒く、「公共投資」する大義名分がまかり通ろうとしている。
地方を救うという美名の下に、あとあと何も生まない不良投資は、後世への不毛なつけでしかない。

23dec4.jpg

むしろ、せっかくばら撒くのなら、この際は、箱よりも人へだ。
知識や技能へ、国のカネを投資すべきだろう。職業教育やデジタル仕事(漢字かな混じり文の文献資料の大量入力)など、人材への新しいタイプの公共投資を急がねばならない。
日本では、6300万人以上が職についているなか、失業者は、300万人にのぼる可能性があるといわれている。1929大恐慌下のアメリカでは、失業率が30%以上にも達したのだが。

フリーターや派遣会社社員は、急いで自分と家族を養える仕事の技能技術を学習習得する機会が必要である。ある専門家は5兆円もあれば可能だという。

23dec5.jpg

イソップの蟻とキリギリスを思い出す。キリギリスは夏遊ばずに、自前で職を身につけねばならなかった。
教育は、真理の探究も結構だが、自ら誇りを持って食べてゆくための仕事教育でないといけない。受験勉強も学歴も、それ自体が目的ではない。めいめいが天職に出会うための投資のはずなのに。
世に役立つ仕事の技能を持つことが大事である。デンマークでは年に三回も仕事を変えるという。そのために政府が柔軟な職業教育をしているそうだ。

ネットで、職業教育、デンマークと検索してみよう。
驚いたことに、山のような資料がすでにネットに充満していた。

23dec6.jpg

かの国の柔軟な職業教育は、わが国でもすでに関心の的らしく、自治体から視察団は送り込まれ、理想とされる制度のテキストは翻訳されpdfで誰にでも参照できる。どのように取り組むかの段階にきているのだろうか?
いい知恵はとっさにわいてはこない。
社会不安を招く若年失業を解消する教育制度の見本がデンマークにあるのなら、やや泥縄ではあるが、不況のいまは、学んで日本の風土に適した制度をものにする絶好の機会ではなかろうか。

万策は、尽きてはいない。これから、やるだけのことはやる、と、日米の政府は言う。
俊英の専門家集団オバマ チームには世界中から期待が寄せられている。固唾を呑んで。

23dec7.jpg

いっぽう、わが政府は、目先、それも地方に向けて、選挙でアタマがいっぱいだ。では、国全体の経済崩壊は大丈夫かいな。と、国民はついつい自虐的に考えてしまうのだ。
国民にとって、選挙は大事な手てつづきではあるが、それ自体、目的ではなく、手段にすぎないのに。

投稿者 nansai : 16:23| コメント (0)

2008年12月12日

十二月八日 日本が、あの戦争を始めた日。

兵なれば婚約解かむと申されき昭和十六年十二月八日
秦野市深石ヒロ

そうだ、この国では、きょうはなんの記念日でもないのだった。
十二月八日のことは今朝めくってみた朝刊のどこにも、のっていなかった。読売新聞の歌壇の、この一首のほかには。

zerosen.jpg

昭和十六年のきょう十二月八日は、天佑を保有する大日本帝国天皇が、米英両国に宣戦を布告した日である。
日本の連合艦隊がハワイのパールハーバーを奇襲し(宣戦の通告が間に合わず)九.一一以上に、アメリカを震撼させた。
時の大統領ローズベルトは、この日を「ザ デイ オブ 
インファミー」(汚辱にまみれた日)とし、「リメンバーパールハーバー」が、アメリカの大義となった。(76年前のきょう起きた出来事を、全米の新聞ネットは、忘れず克明にアーカイブし報道している。)

昭和16年は、遠いむかしのことだ。若い人は何も知らないだろう。
しかし、12月8日は、忘れてはいけない日である。アメリカでも、日本でも。

sinjuwan.jpg

今ほとんどの人が、あの戦争を知らず、覚えていないという。大多数がまだ生まれていなかったり、幼すぎて記憶がなかったり。元自衛隊空幕長をはじめ、あの戦争をあげつらうテレビ討論のほとんどの論客たちが、戦争を体験していない。

あの戦争とはなんだったのか。
歴史の見解の差といえばそれまでだ。自虐史観とか、自慰史観とか、陰謀隠蔽史観というのまであらわれ、論客めいめいが異なっためがねレンズを通してみるのだから、朝まで討論してみても、お互い自説をゆずるはずもない。信念を曲げない相手をめいめいの論理で説得できるわけもなく、平行線というよりは、高名な大学教授など巻き込んだプロレスの場外乱闘のさまを呈してきた。

nisyoki.jpg

あの戦争とは、なんだったのか。
論争の前に、戦争の冷厳な事実を忘れてはいけない。犠牲となった同胞の死者の数だ。
日本国民の死者300万人以上、中国を始めアジアの死者2000万人と推定されている。日本軍の死者230万名のうち、悲惨なことに60%、140万名が餓死といわれている。(吉田広志 アジア太平洋戦争から)
東京大阪大空襲、広島長崎の無差別爆撃などでなくなった市民は何十万名にものぼる。
敗れた大日本帝国は、軍備、海外の利権、植民地のすべてを失った。

戦後、東京裁判で、開戦当時の戦争指導者東条首相は、こう検事に問われた。
「首相として、戦争を起こしたことを道徳的にも法律的にも間違ったことはしていないと考えるのか」
かれは声をはげまして、こう答えたという。
「間違ったことはない。正しいことをした。」と。
元首相は、はたして戦争に斃れた300万名以上の戦没者の実数をつかんでいたのだろうか。一億国民のすべてを巻き込む総力戦の敗者の結末を、どう予測したのだろうか。

日本国民300万名が死んでも、仕方がなかった、決定は正しかったと言い切る為政者。当時は、国民が殉ずべき「悠久の大義」が唱えられた。
敗色こくなった昭和二十年、同盟国ナチドイツが降伏し、日本は孤立した。政府の決定が遅れたため、本土空襲が激化し、無慈悲な究極の破壊兵器原爆が使用された。なおも、「国体の護持」という大義に固執した陸軍は、最後まで無条件降伏を肯んぜず、一億玉砕しても本土決戦を主張した。
当時動員されて陣地の穴を掘っていた少年のばくは、最近のテレビのドキュメンタリーで終戦を決定するまでの御前会議での紛糾の経緯を知った。
当時の指導者たちの抱く「国益」の概念が食い違っていたとしか思えない。
この期に及んで守るべき国益とは何か。一億人の国民の生命と幸福を犠牲にしてまで殉ずべき「大義」とはなんだったのか。戦争指導の大義には「国民の生命と幸福」はふくまれていなかったのである。指導者たちは、いったいなにを、なにから守ろうとしたのか。

昭和は遠いむかしである。
いま正常な為政者なら、自分の身をなげうってまでも、(ちょっとおおげさか)国民の生命と権利を守ることを最優先するだろう。

あの戦争はなんだったのか。
この国に、いったい、なにがおきたのか。あの戦争は正しくやむをえなかったのか。
田母神空幕長の論文を評価する前に、まず、日本人は、あの戦争の「裁判員」として、証拠にあたって考えてみてはどうだろう。
戦争にかかわった人たちの証言を聞こう。集められた証言の記録を読み取ろう。戦前戦後を生きてきたぼくは、といえば、決着済みのことして、犯罪としての戦争の証拠を直視してこなかった。卑怯にも眼をそらしてきたともいえる。
しかし、三百万人の生命の失われたあの戦争に時効はないはずだし、ぼくには、「裁判員」の資格と義務があると思う。

ぼくは、上海事変の年に生まれた。支那事変から、紀元二千六百年を寿ぎ、大東亜戦争に突入し、中学二年で学徒動員され本土決戦のため陣地構築に駆り出された。敗戦にいたるまでの14年間、戦争を「銃後」で体験した。
敗れるまでは、日本は神の国だった。「神州不滅」と教わった。世界の情勢をまるで知らないくせに、日本に生まれたことが誇らしかった。
ぼくら、「よいこ」たちは、戦前の独特の空気というか、勇ましいガスを、胸いっぱい吸って育った。吸うと気分が高揚した。
「へいたいさんはだいすきよ。」「きょうもがっこうにゆけるのはへいたいさんのおかげです。へいたいさんよ、ありがとう」
小学生は道端に整列して小旗を振って出征兵士を送り、頭をたれて白木の箱に収められた英霊を出迎えた。

あの戦争はなんだったのか。
まさに同時代に生きながら、歴史認識については、今改めて自分が浅い知識しかもっていなかったことに気づいている。少年のぼくは、緒戦の勝利に酔いしれ、自分の体験以外には戦争の全貌実相を知らされていなかった。
空襲で完膚なきまでに打ちのめされて、敗戦後はあまりな激動振りに混乱し価値判断ががたがたになった。
東京裁判も、テレビがなく、たまにニュース映画でみるていどで、触れられたくない過去か、他人事に感じられ、ぼくは眼をそらしてきたような気がする。

あの戦争はなんだったのか。
このところ、書店の棚には、おびただしい数の日本近現代史が並んでいる。極秘資料が公開されて研究が一歩すすんできた。著者は戦後生まれの少壮の研究者たちが目立つ。新書版で手に取りやすいのがありがたい。

いま、あの戦争の生き証人の記録が、NHKから映像で発表されている。生き残った元兵士たちがついに重い口を開いてぼつぼつ証言しているのだ。
証言シリーズ「兵士たちの戦争」は、「将軍たちの」ではない視点からの戦争記録プロジェクトである。ぼくも戦場で戦い死ぬことの悲惨さをここまで理解できていなかった。一連のドキュメンタリーを、見終わって眼からうろこの感をふかくする。
証言記録「兵士たちの戦争」シリーズには、名誉の戦死ではなく餓死した兵士たちの戦場の実相が記されており後世に伝えられるだろう。

この生き残った元兵士たちの戦場体験をオーラルで記録した映像を、あの戦争を正当化したい立場の論客にも、国会議員、政府閣僚、自衛隊トップにも、ぜひみてほしい。

戦場体験を持つ元日本兵は、大半が80歳を越えている。
この番組は、郷土部隊元兵士の証言を若い地方局のレポーターが取材している。ひ孫のような記者に、これまで家族にも漏らさなかったほどの、あまりに重い過去をぼつぼつ語りはじめている。戦争の現実。捕虜の始末をした手書きの師団戦闘記録が、今も自衛隊の資料館に堂々と展示されているのをカメラが捕らえている。


古来どのような国の戦争にも、かならず、民族、人種、国民、部落や部族の感情を駆り立てる「大義」という梃子が用いられる。テロリストの唱えるイスラムの大義、べトナム戦争では共産主義を退け民主主義を。イラク戦争では、9・11テロへの報復、大量破壊兵器への先制攻撃などなど。

あの戦争では、「大義」を宣伝するさまざまなスローガンが発信された。それは、日の丸の翻るさわやかな空気であり、勇ましくいいにおいのするガスであった。昭和6年の満州事変、昭和12年のシナ事変までは、「東洋平和」であり。「暴支よう懲」であり、最後の土壇場では「国体護持」に収れんされた。
軍歌を歌って、子どもたちは胸いっぱい呼吸して高揚した気分になった。皇国日本は世界に優れた神の国で、「御民われ生けるしるしあり、天地の栄えるときにあえらく思えば」と国民学校の生徒が元気よく唱えた。

裁判員は、どんなに目をそむけたくても、証拠に向き合わねばならないと思う。
自らの正義の観点から、東京裁判を根こそぎ否定して、この国の過去の行為を認めない史観には無理があると考える。
東京裁判資料は、約五万八千ページに及ぶそうだ。陸海軍は重要書類をほとんど焼却した。六十年たたねば日の目を見なかった資料が、ようやく国立公文書館で閲覧できるらしい。研究が進むだろう。国は正しい裁判資料の整理、公開をおこたり、それをいいことに、ぼくらも、長い間そこから目をそらしてきた。
「裁判を否定しても歴史は変わらない」と、毎日新聞井上亮氏は書いている。裁判に提出されたおびただしい証言の中に史実があるのだ。それを克明に読み取り、虚心に検証せねばなるまい。

あの戦争をどうとらえるかは、個人の自由だろう。
しかし残された証拠を無視したりゆがめたりしてはいけないと思う。
あの戦争とはいったいなんだったのか。
思い出したくない。というのが、生き残った元兵士たちに共通する認識である。
戦争末期、飢えと下痢に悩まされながら陣地構築の穴掘りに従事していた中学二年生にとっては、戦争は美化どころか二度とあじわいたくない経験である。本土決戦要員に組み込まれるところだった。終戦一日前の八月十四日には、米軍の空襲で工場に学徒動員されていた一年上の十五歳の上級生が命を落とした。ぼくたちは、大義という、あのガスを胸いっぱい吸わされたが、戦争末期には、士気高揚のドーピング効果はかなり失せていた。

kusyu.jpg

どの時代にも、どんな戦争にも、古来、さまざまな正義、大義、言い分が国民の闘争心を掻き立てる梃子として使われてきた。
でも、戦うために掲げる譲れない理由は、あれだけの戦没者の数を推定すれば、じつは、どうにでもなる小さなことかもしれない。
過去の資料を読み解いてみると、あの戦争の回避策はいくつもみえてくるのだ。時の為政者の使命感が問われる。

歴史家の鳥井 民氏が、12月9日の産経新聞に一文を寄せている。。
アメリカとの戦争回避のためには「最後の聖断のみが残されている」と当時の連合艦隊司令長官山本五十六が旧友にあてた手紙(10月11日付け)に記していると。

開戦を決める御前会議の前日に、高松宮が、昭和天皇に向かって、いま「艦隊進発の御裁可をすることは非常に危険です。」と言上し、アメリカとの戦争を回避したいのが海軍の本心なのだと説いた。すべての戦争準備は、唸りをあげて展開し、連合艦隊は北太平洋をハワイに向かって直進しているまさにそのときに。
鳥居氏は、連合艦隊司令長官が高松宮にアメリカとの戦争の回避をお上に申し上げてほしいと依頼したと推理している。


外交上の打算、駆け引き、騙しあい結構ではないか。
もし冷徹な計算のもとに「耐えがたきを耐え」「忍びがたきを忍べば、」日本人数百万の生命財産幸福が失われずにすんだのである。

あれだけの犠牲者を出した戦争突入は、政治家として明らかな失政である。
間違っていなかった。正しいことをした。
と、元首相は、国際法廷では胸を張って、総力戦に「無辜の民」を引きずり込んだ自らの行為を正当化した。国民に対してはどう思っていたのか。
最後まで徹底抗戦を主張した陸軍大臣も、降伏に際して「大罪を謝す」として自刃した。もしも、戦争が長引いて、かれの意図する本土決戦が、ゲリラ化すれば、一般市民に、さらに多くの死傷者が出たろう。六月に公布され制度化した「国民義勇戦闘隊」2800万人が投入される予定で、(ぼくはきかされていなかったが)15歳以上の男子は、組み入れられることになっていた。この法令により、米軍は、本土上陸には、日本人のほとんどの成人を戦闘要員とみなし、堂々と無差別に攻撃できることになっていた。

戦いに巻き込まれた死者総数300万人以上。あんなにたくさんの人が死んではいけない。あんなにたくさんの人を殺してはいけない。もうたくさんだと、ぼくは思う。あの戦争を正当化することは、ぼくにはできない。

これからの戦争は、さらに効率的な殺傷近代兵器の実験場になり、無人ロボット、遠隔化がすすむだろう。国民皆兵、徴兵制は維持困難となるだろう。古代ローマやイラク戦争のような傭兵制に向かうだろう。

あの戦争をどう考えるのか。
それぞれの立場信条によって、あの戦争をめぐって議論は尽きないが、かつて巻き込まれたぼくは、正しい戦争なんかないと思う。
ぼくは、右でも左でもなく、「平和」などという高尚な理念ではなく、ただ、日々の平穏無事を願うのだ。
正義や大義というガスを吸わせて、人々を酔わせ、戦意を高揚させたあげく、あのように、たくさんの人々を死への道連れにしてはいけないと思う。どこかに祀られようが、記念碑を建てられようが、どこかの島や密林で朽ち忘れ去られようが、戦没者300万人という数字はあまりに重い。

投稿者 nansai : 18:24| コメント (0)

2008年12月 5日

がんばれ。不況の街を走る「おばちゃんタクシー」

 しょぼふる雨の朝、タクシーに乗った。おっ、めずらしく、運転手は、おばちゃんだ。乗り込んでおどろいた。

taxi.jpg

へえ、運転席の横、熊のぷーさん2匹が小皿に乗って、こっちを向いている。メーターの上には、モールのミニチュアツリーがちょこんとかざってある。

「この不景気でしょ。なんとか元気を出してもらおうと思って」と、おばちゃん運転手は抱負を語る。

taxi2.jpg

「後部の窓にも、ちかちか光るツリーをおきたかったが、整備係にこれ以上電気を使ったらあかん」と言われたと残念そう。
レーマンショックで、あれからころっとお客さんの意識がかわったと、経済分析も確かだ。でも、十一月はノルマは達成できたと胸を張って、
「この月はこれからや。」と、意気軒昂だ。
大阪のタクシーでクリスマス装飾!しているのは、おそらく不況にめげない、この一台ではないだろうか。
大阪のおばちゃんは、たくましいなあ。

しょぼふる雨の中、近場のワンメーターで、すんまへんでしたねえ。
降りるとき足元が滑るから気をつけなさいとアドバイスされ、ごくろうさん、元気とおつりも、もらってしまった。


投稿者 nansai : 14:41| コメント (0)