縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年1月27日

一月二十五日 オバマ大統領のスピーチは、まねできないのはなぜか

似顔絵は、しろうと絵師のぼくにとって、なかなか難しく手に負えない技術である。オバマ大統領は特徴はつかまえやすいはずだが、なぜか似てこない。彗星のように現れたかれは、リンカーンのように若くして伝説上の偉人となった。いまやカリスマとなったかれを、ゆがめたり誇張したりしてカリカチュアライズするのが、憚られるほどになった。

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毎日新聞夕刊のコラムは切り出す。
「それに比べて、と私たちのリーダーを引き合いに出すのはやめよう。」と。
うーむ、そのとおりだろう。

新大統領の就任演説に沸くアメリカは、政治にまだ大きな力と希望があり、一方でそれほど病も深い。オバマは、建国の歴史、社会の葛藤、世界との交わりを語り、将来への団結と責任を説く。
だから、オバマ大統領の演説の表面をまねてもはじまらないと、「近時片々」子はいうのだ。

言葉に力があることをオバマは、選挙中のスピーチで立証した。
さらにインターネット、特にユーチューブで、24時間、増幅されてうねりのように伝わった。新聞を読まず、これまで政治に無関心だった若者層が乗ってきた。危機を乗り切るには、これまでの黒人指導者のように差別撤廃をさけぶのではなく、人種を超えたユナイトを説いた。

オバマの演説の力に驚いた日本のマスコミは、かれを支えるスピーチライターの存在に気づいた。あるワイドショーでは、笑いながら、こんな無責任な提案が出た。わが首相も、スピーチライターを雇えばいいじゃないか、と。

アメリカ歴代の大統領は、お抱えのスピーチライターと草稿を練るならわしだ。
オバマ自身、演説がたくみなだけでなく天性のスピーチライターだ。まる投げにはしない。2004年政界へ躍り出たときの、鳥肌の立つようなスピーチは自分で書いた。
今度ホワイトハウス入りする27歳の片腕の天才スピーチライターを、オバマは自分の「マインドリーダー」と呼んでいる。18ヶ月の選挙運動中の過酷な連日深夜3時までの日程のなかでスキルを身につけた。かれが、大統領の考えを話し合い取材し、二人で4、5回、キャッチボールして練り上げるという。それから最終草稿に仕上げる前に、数週間かけて、3人のスピーチライターチームは、歴史家、スピーチライターにインタビューし、危機の歴史を調べ、過去の就任演説をチェックしたとメディアは伝えている。
ただ「スピーチライターを雇えばよい」では、あのような演説は生み出せないのだ。

ホワイトハウスには、選挙運動中ネットで集めた支持者1400万人のリストがあるそうだ。ITの力により、民意と直接つなげる話し合い回路を持った新しい政治がはじまるかもしれない。
アメリカの自由と平等をめぐる歴史の振動は、津波のように寄せては返すすさまじさだ。民主主義とは言いながら、建国の建前どおりの、けっしてきれいごとの国ではない。

厳しい国情の打開に、みなに責任を求める新大統領の演説の内容は、語りつくされ、演説集が世界中で出版されている。

「それに比べて」とぼやいては、いけないのだろうか。
アメリカにくらべて長い歴史を持つわが国だが、気がつくと国の向かう方向の原点として、オバマが引き合いに出すような建国の精神や英雄がこの国に見当たらないのに、ぼくは憮然としている。
もう神話時代には帰れない。「八紘一宇」も「国体の本義」も「教育勅語」も、もうごめんだが、22世紀にむかって国のすすむべき理想をどう掲げたらよいのだろうか。
来月には、出自のはっきりしない「建国の日」が祝日として訪れてくる。

投稿者 nansai : 17:06

2009年1月15日

一月十四日 物忘れと創造性との微妙な関係について

物忘れが激しい。
家では、しょっちゅう、めがねをさがし回っている。
どこにおいたか。大体所定の場所に置き忘れているのだが、さいきんでは、おでこにのせたまま探しまわっている自分に気づいて、がくぜんとすることがある。

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友人に言わせると、自業自得。めがね歴の浅いぼくははずしていることが多いから、置き忘れたり、扱いがぞんざいなのだ。

このような物忘れは救いがたいが、「ほら、なんといったけなあ、あれ。」といったたぐいの、度忘れというのはきわめて人間的な感覚で、コンピューターやロボットには今のところ決して起こらないそうだ。
ある学者の説では、この度忘れの状態と創造性とひらめきを要求している脳の状態が非情によく似ているらしい。以上は、新進気鋭の脳科学者茂木健一郎氏の本にのっていた。

創造性は、「体験×意欲+準備」だということだ。この意欲とは、度忘れしたことを一生懸命思い出そうとしている状態らしい。
「年齢を重ねるほど、創造性の元になる記憶は豊富になるのですから、年寄ったら、むしろ創造性がたかまってよいはず」と、若い脳科学者はうれしいことをいってくれる。
「経験をたくさん積んだお年寄りが本気で意欲をだすことが、一番すごい」と、岡本太郎や手塚治虫をひいて、茂木博士は断定するのだ。後期高齢者のぼくが言うのではない。最新の理論に裏付けられた俊英の脳科学者のお説なのだ。

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だが、いいアイデアを思いつくには、当然、これだけでは不十分。ひらめきを得る準備が必要と続き、くわしくは「脳を活化す仕事術」(茂木賢一郎 PHP研究所)を読破するしかない。

投稿者 nansai : 15:05

2009年1月13日

一月十日 他人事ではないガザは、どうなる?

ガザの戦闘は、市民を巻き添えにした一方的な殺戮になるだろう。圧倒的な火力の差があるからだ。
こどもたちなど無辜の死傷者をこれ以上出さないためには、戦力優位側の一方的停戦しかない。
イスラエルの建国から六十年たつが、もう21世紀なのだ。

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あれほど優れた民族が、非ユダヤ人との共存を拒否し排斥し抑圧する国家であってはならず、なぜ20世紀の残虐な戦争の愚をくりかえすのか。

原理主義同士のがちんこ勝負だから、大義も正義も、双方、言いつのればきりがない。ただ、これ以上無辜の人々を巻き込んで死なせてはいけないと思う。
昭和二十年の沖縄殲滅戦が思い出される。掃蕩戦に巻き込まれて、せまい島内で逃げ場のなかった20万人もの一般人の犠牲を出した。悪夢をみるようだ。


イスラエル側は、無差別ではなく、隠されている武器や輸送トンネルなど、目標をピンポイントに絞って攻撃しているという。が、巻き添えになる一般人(子供が多い)の死傷者は増える一方だ。
戦力で優位に立つと、兵士たちは、劣勢の敵(一般人をまきこんで)に対して、なぜ、こうも残虐になれるのか。

戦場でなぜ殺戮が起こるか。
おぞましい戦争の歴史をふりかえると、今に始まったことでなく、そこに一定のパターンがくりかえしみえてくる。

一般市民と戦闘員(正規兵にせよ、テロリスト、ゲリラ、レジスタンスにせよ)が、ある区域に追い詰められ、混在して見分けがつかない状態で起きる。
一方的に兵力に格差があるとき、一般人と戦闘員の見境なく、殺戮が起こる。
たとえば、作戦中に味方が殺された場合だ。報復が正当化され、殺戮の名分、言い訳となる。

それがいまガザで起きている。日支事変、沖縄戦、ベトナム戦争、イラク戦争。世界のあらゆる戦場で、それは起きた。
報復を大義が支援すると、感情が燃え上がり抑制がきかず、おそろしいことになる。
9・11がそうだった。
太平洋戦争でも、米軍の無差別爆撃、原爆攻撃の大義は、真珠湾攻撃など、日本の卑劣な行為への報復だ、謝る必要はないと、現在も当時のパイロットたちが証言している。

このような戦闘の大義名分は、当然根深く双方にある。
いまこの手の戦争の武器は、メディアである。
携帯、ユーチューブやフェースブック、テレビを駆使して、それぞれの正義、自軍の戦闘の正当性を世界に向かって主張する宣伝戦争でもある。ネットの力は大きい。とくに、ユーチューブの動画は、24時間、戦闘の模様を伝えている。
双方の言い分はつきることがない。イスラエル側は、ネット上の文字で、パレスチナ側は映像で訴えているとBBCは伝えている。爆撃でけがをしたこどもたちの血だらけの映像が伝える現実のほうが正確で説得力がある、とぼくの目には見える。

撃ちかた、止め。とにかく戦闘は止めねばならない。

だが、戦闘は終息しても、問題は解決しない。
ガザ紛争の根っこには、パレスチナの貧困がある。救いがたい若者の失業がある。高く厚い塀でへだてたイスラエルとの経済格差がある。
国を興す産業がなく、家族を養う仕事がなく、かろうじて国際援助で食ってゆく。そんな状態が長続きしてよいはずがない。なすすべのない若者たちは、どこへゆくのか。

ガザの話題が、いつの間にか、日本の若者労働のことになってしまった。

投稿者 nansai : 16:52

2009年1月 7日

一月七日 白地に赤く、日の丸?染めて

年越し派遣村のテレビ中継など、うっとおしい限りのお正月だった。恐慌退散を願って厄払いは、やはり、おてんとさまである。

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ここに、大阪をよみがえらせる「大水都」のイメージシンボルを提案し高く掲げるしだいだ。
なんだ、季節はずれの、しわだらけのTシャツではないかと、いぶかる向きもあろう。ま、ことのしだいはこうだ。

大きな赤い丸は、太陽である。真中に小さく白く丸い穴があけてある。丸は、OSAKAのOなのだ。
Tシャツの表は、朝日をかたどった。東の生駒山から昇る朝日だ。
裏面は、夕日である。西から大阪の海や川や堀を照らす。

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Tシャツには、思いを込めて「水都、わが町」。と 刷り込んだが、「わが町」は、わが敬愛する織田作之助の小説のタイトルである。かれは大阪の夕日を愛したといわれている。劇化されて、主役の「ベンゲットのたーやん」を舞台で森繫が演じたのは、ずいぶん前のはなしだ。


万葉集に次の歌がある。

難波津を漕ぎ出てみれば 神さぶる
生駒高根に 雲そたなびく

難波津は、当時の交通の要衝で、東国の防人たちがここから出征して西へ送られ、アジア諸国の船がここに着いた。シルクロードの終点だった。場所は、八軒家船着場から、眼と鼻の先の高麗橋付近とされている。
大阪は、夕日の都だった伝えられている。生駒山から見下ろす大阪湾の夕日に輝く風景は、「押してるや」という枕詞に象徴されている。晴れた日は淡路島がみえた。

おしてるや 難波の津ゆり 船装い
我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ

じつは、昨年よせばよいのに、Tシャツ展をこころみ、近所のボタン会社画廊の片隅にぶら下げてもらった。その中の、われながら「傑作」がこれである。
デザインの意図不明だったせいで、ご町内の衆にも全く評判にならず、むなしく持ち帰って部屋の隅にぶらさげておいたのだが、だんだん変色してきてほこりまみれになってきた。

まったくなにもめでたい話題のない正月に、大水都の再生開運を願い、季節外れのTシャツのほこりをはらって、今年の幕開けにしたい。

投稿者 nansai : 13:47