縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年1月 7日

一月七日 白地に赤く、日の丸?染めて

年越し派遣村のテレビ中継など、うっとおしい限りのお正月だった。恐慌退散を願って厄払いは、やはり、おてんとさまである。

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ここに、大阪をよみがえらせる「大水都」のイメージシンボルを提案し高く掲げるしだいだ。
なんだ、季節はずれの、しわだらけのTシャツではないかと、いぶかる向きもあろう。ま、ことのしだいはこうだ。

大きな赤い丸は、太陽である。真中に小さく白く丸い穴があけてある。丸は、OSAKAのOなのだ。
Tシャツの表は、朝日をかたどった。東の生駒山から昇る朝日だ。
裏面は、夕日である。西から大阪の海や川や堀を照らす。

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Tシャツには、思いを込めて「水都、わが町」。と 刷り込んだが、「わが町」は、わが敬愛する織田作之助の小説のタイトルである。かれは大阪の夕日を愛したといわれている。劇化されて、主役の「ベンゲットのたーやん」を舞台で森繫が演じたのは、ずいぶん前のはなしだ。


万葉集に次の歌がある。

難波津を漕ぎ出てみれば 神さぶる
生駒高根に 雲そたなびく

難波津は、当時の交通の要衝で、東国の防人たちがここから出征して西へ送られ、アジア諸国の船がここに着いた。シルクロードの終点だった。場所は、八軒家船着場から、眼と鼻の先の高麗橋付近とされている。
大阪は、夕日の都だった伝えられている。生駒山から見下ろす大阪湾の夕日に輝く風景は、「押してるや」という枕詞に象徴されている。晴れた日は淡路島がみえた。

おしてるや 難波の津ゆり 船装い
我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ

じつは、昨年よせばよいのに、Tシャツ展をこころみ、近所のボタン会社画廊の片隅にぶら下げてもらった。その中の、われながら「傑作」がこれである。
デザインの意図不明だったせいで、ご町内の衆にも全く評判にならず、むなしく持ち帰って部屋の隅にぶらさげておいたのだが、だんだん変色してきてほこりまみれになってきた。

まったくなにもめでたい話題のない正月に、大水都の再生開運を願い、季節外れのTシャツのほこりをはらって、今年の幕開けにしたい。

投稿者 nansai : 2009年1月 7日 13:47