縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年2月 3日

一月三十日 ハッピー?バースデー

うし年ではあるが、馬齢を重ねに重ねて、またまた誕生日を迎えた。めでたいどころか、うっとおしいかぎりである。バースデーケーキは用意していないが、ろうそくをたてるとすると、馬に食わせるほどの本数になった。ぼくほどの年になると、おめでとうといってもらえればうれしくないこともないが、誕生日はあまり触れられたくない話題である。

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ところで、なぜ謙遜して、自分の年を「馬齢」というのだろう。
田辺聖子のエッセイに目を走らせていたら、「頽齢」ということばが出てきて、ぎくっとした。「たいれい」と、るびがふってあり、「頽齢にして未だ功ならぬ私」と続く。彼女は、自分を謙遜して、用いている。頽廃のタイだ。電子辞書をひいてみると、「老いぼれた年齢、老齢」とある。謙遜にもほどがある。いまや女史は、「未だ功ならず」どころか、文化勲章に輝く大阪の誉れなのだ。

ひょんなことを思い出した。
昭和も一桁うまれのぼくは、幼少の頃、誕生日を祝ったことはなかったように思う。戦前の田舎町では、当然、プレゼントもケーキもなかった。そのくせクリスマスツリーやサンタクロースは、童話や絵本の世界では知っていたのに。
そんなわけで、戦前、戦中のぼくらのこども時代、もちろんこの絵のようなバースデーケーキは、この世に存在しなかった。

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年齢は、お正月がきて、ひとつとるものだった。数え年といった。
正月こそ、家庭内の最大のイベントだった。「もういくつ寝たらお正月」と歌って、新年が待ち遠しかった記憶がある。年齢を満で数えるのは、戦後になってからだろう。

庶民が誕生日を祝う意識は、古来より、もともと日本文化にはなかったのだろう。
国民に誕生日を祝う意識はなかったが、敗戦前の天皇の誕生日は、「天長節」で祝日というより国家行事であった。明治天皇のそれは、明治節。大正天皇の誕生日は、なぜか祝わなかった。
天長節。家々は門ごとに国旗を掲げ、子供たちは学校にあつまり、ご真影の前で校長の代読する教育勅語を頭をたれてきき、おごそかに奉祝の歌を歌った。「きょうのよき日は大君の生まれたまいしよき日なり。」

日本という国の誕生日が、敗戦前は二月十一日の紀元節だった。平成のいまは、紆余曲折あって「建国の日」となった。
国家行事として祝うとすれば、歴史がどんなに古くても出生証明の定かでない国の誕生日は一年のうちどの日にか、ま、決めればいいことなのだが、「紀元は二千六百年」という根拠のつじつまを合わせるのに苦労したらしい。

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では、家族のイベントとしてのハッピーバースデーは、日本へは、戦後、持ち込まれたものだろうか。アメリカ映画が文化の泉だった頃の外国映画の影響だったのか。はっきりしない。戦前のぼくの記憶は、おぼろげである。
「ハッピーバースデー ツーユー」の歌は、1962年にマリリン・モンローがケネディ大統領の誕生日に歌って有名になったという。意外に歴史は新しいのか。

日本人は、いつから「誕生日」を祝うようになったのだろうか。
ネットで調べてみたが、頽齢のぼくのこんな間抜けな質問に答えてくれるサイトは見当たらなかった。

投稿者 nansai : 2009年2月 3日 14:44