縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年7月31日

七月三十一日 「ブラックスワン」を読み始めたら(カンケイないか?)

ありえないなんてコトは、ありえない。よくわからんが、不確実性とリスクの本質を描いたミリオンセラーを読み始めた。人間の頭脳と思考の限界と、その根本的な欠陥を解き明かすと、腰巻のコピーにある。おもしろそうだ。
白鳥が黒いはずはない。黒い白鳥はオーストラリアで発見されるまで誰も信じなかった。何事も予測できない。強い衝撃を受ける。もっともらしい説明がでっちあげられる。先のことは予測できない。でも失敗を恐れるなが、結論のようだ。

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昨夜は、想定外の事故だった。こんなことがおこってよいものか。
うちの臆病な家猫が、探し回っても、家のなかにいないのに気づいた。暗くなって外へ出てしまったらしい。
うろうろ回りを探して木陰にうずくまっているところをやっと発見、いやがるやつを玄関に抱いて入ろうとしたら、野獣のような叫び声を発して狂ったように突如暴れだした。
不意をつかれ、鋭い爪でひっかれたぼくは腰をひねって石畳に転倒した。ああ、いてえ。プロレスのバックドロップ状態で、したたかに腰を打ってしばらくは声も出ない。
手からぽたぽた出血しながら暴れる脱走犯を取り押さえたのに、家族からはねぎらいのことばもない。猫の嫌がる抱き方をしたからだと冷たいコメント。

引っかき傷より、打った腰が心配だ。この腰のひねりようでは、週末予定していた炎天下のゴルフは涙を呑んで辞退せざるを得ない。石川遼にあやかりたかったのに残念。

あとからの判定で、ネコは、ぼくが玄関のドアを開けた時に脱走した、という裁定がくだった。悪いのは、気付かないぼくで、罰せられて当然だという。証人は当のネコだけ。事実誤認だ。つめでひっかかれ、腰を痛めたぼくは、おおいに不服だが、当家には上級栽はない。

投稿者 nansai : 14:05

2009年7月28日

七月二十八日 疲れたタイガースは、夏休み。

ファンから見放されてしまったのか。オールスターゲームに、阪神選手からは、だれも選ばれなかった。

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つまるところ、プロ野球なのに、スターーがおらんというこっちゃ。
球宴に一人も出ないのもあんまりだからと、監督推薦で、金本と藤川がお情けで拾われた感じだ。

エラーが多い。併殺打ばかりだ。推定年俸は球界ナンバー一なのに、と、新聞雑誌、マスコミの批判がねちねち激しくなってきた。
まるでむかしの巨人軍みたいだと。
巨人軍こそいい面の皮だ。
そういえば、金にあかせて選手をかき集めて、実績がいまいちだったなあ。

今は違う。巨人を見習えと、読売新聞から教えられる。教育枠から這い上がってきた若者が、眼の色変えて競り合い、安い年俸でぴちぴち躍動しとるやないか。
スポーツ新聞が売れないから、ネタに窮して、一面から、阪神へ他球団元監督コーチの厳しい(遠慮がちだが)叱咤が飛んでいる。

ここにきて、たまりかねた球団代表が口を出し始めた。真弓監督は絶対に変えないという。
監督も、不振の新井も絶対に変えないという。
補強を怠ったと責められているのに、決めたことを覆すと、面子にかかわるということらしい。

だから、トラは、なかなか立ち上がれそうにない。選手は、がんばってはいる。トシのせいにしたくはないが、慢性疲労でからだがいうことをきかなくなっているのだ。

いったい全治何年かかるやろう?日本経済より長くかかるかもしれない。
ことしは、もうええ。優勝はあきらめへんでと、つまらん意地をはらず、甲子園球場ががらがらにならんうちに、若手を育て、血の入れ替えだろう。

私見だが、ヤクルトの高田監督のようなジェネラルマネジャーが望まれる。北海道へ移転した日本ハムを日本一に育てた長期ビジョンが必要と思うのだが。

投稿者 nansai : 17:18

2009年7月21日

七月二十日 輝け。日替わりヒーローたち。

スポーツのヒーローは、目まぐるしく日替わりだ。
だが、全英オープンのトム ワトソン59歳の戦いは、不滅、歴史に残る。予選で消えた石川遼も、日本では記憶されるだろう。初日4位につけた久保谷は、ようやっても、無視。

日曜ナイターでの阪神能見投手が巨人打線を前に仁王立ちは、スポーツ新聞の一面にもとりあげられない。まったく久しぶりに、阪神が巨人に三連戦を勝ち越したのに。
九回無失点でなげきった。途中まであわやノーヒットノーランかという勢いだった。

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拙攻の続いたあと、十回ようやく平野、金本の連打でもぎ取った虎の子の一点を、藤川がセーブしてだ。

「180センチの長身だから、沈む変化球が生きた。
天に向かってグラブを突き上げ、よどみなく左腕を振り下ろす様は、まるで歌舞伎役者のよう。」
と、朝日が、変身した能見投手の雄姿を描ききっている。そえられた白黒写真がまたいい。構図が役者絵のようだった。
刺激されてマウスを動かしてみた。うーん、錦絵もどきは、どうもうまくいかんなあ。

投稿者 nansai : 11:55

2009年7月13日

七月十三日 歩道上の凶器。自転車。

先週は、ぼくは、八軒家かいわいの道路を歩いていて、二回も交通事故に遭遇しそうになった
相手はふつうの自転車である。

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歩道のうえを、自転車は、音を立てず忍び寄り、すり抜け、追い抜いてゆく。
一回目は、歩道を歩いていて、後ろから肩をどーんとつかれよろめいた。赤いシャツを着たおっさんがごめんともいわず、ゆうゆうと走りさり遠ざかった。
それこそ、あ、という間。

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歩行者は安心しきって、歩道を歩いている。後ろに目はない。突き飛ばされて吹っ飛んで転倒したら、声もかけられない。(これを計画的にやれば、大阪名物ひったくりだ)
もう一回は、ゼブラ交差点だ。
信号が青に変わる。待ちかねた歩行者は、横断歩道をよそ見せずとことこと前を向いて歩く。そこへ、横から、斜めから、自転車が飛びこんでくる。
その日も、ぼくのすぐ真横に一台突っ込んできた。
ぶっつかれば跳ね飛ばされて転倒だ。目をつぶった。観念して、思わず「ああっ」と声が出た。
危うし。南斉。
ギギギギと、寸前の急ブレーキで、自転車は急停止。
乗っていたのは、中学生くらいの少年。びっくりした顔で「すみません」という。
つい、ぼくもいくじなく、つぶやいた。
「ああ、びっくりした」と。

「こらあ、気をつけんかい」などと、ぼくには怒鳴りつける元気はもうない。

大阪の無法地帯は、歩行者が通る歩道だ。
歩道上を我が物顔に疾走する自転車をたしなめ警告する信号もメッセージもない。
クルマから人を守るための歩道を、スピードの出る自転車が暴走すれば、これから、かなりのけが人(打ち所によっては死人も)が出るだろう。防ぐいい案は出ないだろう。

投稿者 nansai : 15:50

2009年7月10日

七月十日

デジタルらくがき絵巻を、こっそり紙の絵本にヘンシンさせました。

この「南斎らくがき絵巻」をパソコンのディスプレー上でしか見られないのを、抜粋し印刷製本して、二冊の「南斎絵本」に変身させた。ウエブから紙への試みは、当初この絵巻サイトを立ち上げたアートディレクターの意欲 的な実験である。その労を多としたい。

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ブログは、「砂に書いたラブレター」のようなものだから、寄せては返す時間の波に打たれて、やがては消え去るもの。サーバーの都合しだい。それを、あえて、紙に印刷すると、こうなるという、おもしろい試みだ。同じコンテンツだが、改めて紙上でみると、まったく違う味わいがあるのにおどろく。いわゆるクロスメディアだ。

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どさくさにまぎれ、ま、デジタルだから、いいかと、軽いノリで描いた本人の目からは、動かぬ証拠として印刷物となると、いろいろあらが目立つ。何年も前のことで、初歩的転換ミス以外にも手をいれたいところが、散見されるが、すべて、あとのまつりである。


地獄から天国へ、そしてまた地獄へ真っ逆さま、長年にわたる阪神タイガースウオッチャーとしてのトラ本は、描き飛ばした本人にしてみれば、感慨ムリョーである。読み返せば、ピュアなトラキチから袋叩きされそうだ。


時の流れで内容も色あせ、印刷費も思いのほか高くついたので、門外不出とすることに。

このやくたいもないブログだが、発足に当たっての高邁な志は、こうだ。りっぱな大義名分がある。

ひとつ、うつくしい日本語を、ウエブの上でも、伝統にもとづいて、縦書き、横流れで表記すること。日本文の漢字かな混じり文の読みやすさ、やさしさを、世に訴えたい。
ふたつ、パソコンの狭い画面で、大量の日本文字を読むのに、横書きだと難儀する。拾い読みしながら、早く読み飛ばせ、大意をつかみやすい文章は縦組みをおいてほかにない。ウエブに最適の文章作成術をさぐってみたい。
ユーザビリティの権威ニールセン氏は、ひとはウエブの文章を読まない、スキャンするといい切っている。なるほど。スキャンするとは、スポーツ新聞を走り読みするように、読みたい場所を探し読みすることなのだ。

というわけで、ぼくの持論は、こうだ。ウエブには独自の文章術があるはず。読みやすい日本文は、ウエブでも、やはり、縦組みで、技術開発されねばならない。すくなくとも、ウエブ上から、縦組みの日本文が抹殺されるのだけは避けたいと思う。
当サイトもマウスをあやつって実験をくりかえしているが、あまり大方の賛同は得られていない。
いつも忙しがっている隣のイタ飯屋シェフの批評は、こうだ。文章が長い、テーマが重い、なかなか更新されない。そうやなあ。

さて、これからは、ネット動画の時代がはじまる。
それはそれとして、おっとりと、絵と文章を、ウエブ上で、カレーライスか親子どんぶりのように、統合して(動けばおもしろい)何らかの味がだせないものか。フォントもおおきくし、優しい印象の文字群を選ぶと、日本文独特の情趣あふれる雰囲気がかもし出されると思う。
癒し系の絵手紙に用いると、絶妙だ。そのうちに年賀状も絶滅危惧種に指定されるだろう。
メールもいいが、このようなまどろっこしいコミュニケーションも残しておきたい。デジタルに弱いぼくは、幼児用のお絵描きソフトとワードで、試みている。いわば、平成の文人画。南画。と、これは自画自賛だ。
マイクロソフトは、次回発売のセブンからは無駄なソフトをリストラするそうで、ぼく愛用のペイント(アクセサリーの中にある)は消える運命にある。

投稿者 nansai : 14:27

2009年7月 8日

七月八日 「皿屋敷」満員御礼

林家染二師匠をむかえての八軒家寄席は、期待どおりの盛況だった。梅雨の晴れ間の土曜日晩とあって、町内の女性の浴衣姿が、イタリアンレストランを寄席らしい風景に変貌。50席が満席となった。

「皿屋敷」が大熱演だった。
お菊の幽霊を演ずるのが、背の高い師匠だ。
ぐらぐらする急ごしらえの高座に仁王立ちになる幽霊の迫力に拍手喝采。でもはらはらしたねえ。
染二師匠の解説によると、お菊のような幽霊になるには条件がある。ひとつ、美人であること。

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次に、やせていること。太っていては幽霊になれない。その点、今夜のお客さんは、みなさん資格があると。大リップサービスだ。

古来、お菊の幽霊の名作は、北斎、芳年と数多い。ぼく南斉は、落語のエンターテイナーとしてのお菊の幽霊を描いてみた。幽霊に見えない?そうだろう。

演目は、浄瑠璃、歌舞伎でおなじみだ。井戸の中からお菊の亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない」とうらめしげにつぶやく。落語は、町内の若者たちが皿屋敷にお菊の幽霊見物にでかけるはなしだ。幽霊が九枚数えるのを聞くと狂い死にするといわれ、その前に逃げ出さねばならん。でもお菊があまりにいい女なので、怖いもの見たさに若者たちは懲りずにまた出かける。

浄瑠璃、歌舞伎、映画、お化け屋敷、落語と、同じ噺を長い年月を経て、怖がらせたり笑わせたり工夫をくわえ、時代に味付けしながら伝えてゆくのは、だいじなことだ。

投稿者 nansai : 13:05

2009年7月 2日

七月二日

梅雨の合間に、落語「雨乞い源兵衛」をナマで聞けるチャンスだ。立ち見も歓迎らしい。

八軒家寄席第二回が土曜日午後六時いよいよ開演だ。前回の林屋染二師匠が熱演の「三十石夢の通い路」は大好評だった。

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なにしろ、いまをときめく天満の繁昌亭でトリをつとめる売れっ子落語家が、50席たらずの特設寄席での熱気あふれる公演は、ファンには聞き逃せない。
会場は、北大江公園前のイタリアンレストラン「マリアン」。

演目は、「雨乞い源兵衛」。あまり知られていない演目だが、小佐田定雄作で初演は1980年の新作落語だ。解説本によると、ストーリーは、テレビの「まんが日本昔話」にヒントを得たそうだ。
へえ、落語作者はどんなはなしからでも自由に発想できるのだなあと感心した。
子供に人気の昔話も落語になる。おもしろいやないか。いつまでも古典にこだわらず、今のご時勢にあった悲喜こもごもの笑いを落語化すればいいのだ。

さっそく、ぼくもひとつアイデアが浮かんだのだが、いまはないしょにしておく。

投稿者 nansai : 14:43