縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年8月26日

八月二十六日 あれはなんやろ?

八軒家浜に、アヒルが
ぷかぷか浮かんでいるぞ。

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天満橋のほとりの「川の駅」沿いに、でかい黄色いアヒルのおもちゃが、ぷかぷかと浮かんでいた。赤ちゃんがお風呂で遊ぶおもちゃのアヒルだ。木曜日の午後気づいた。
夏の日差しに照り返す黄色が、川面にあざやかに映っている。ゴム製の巨大なアヒルの子は、じっと動かない。
水都再生とはいうものの、殺風景なコンクリートで固めた岸辺と、アヒルのとぼけたバカでかさが奇妙に、いい感じで調和していた。まったく場違いで、まったく大阪らしくないところが、ユーモラスでうれしい。
なのに、事前のPR不足か。見物客がいない。目ざとく見つけた人たちが携帯で撮影しているだけ。

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ネットで調べてみたら、この途方もないアイデアはオランダ製だった。やっぱりな。
オランダの作家ホフマン氏のインスタレーションらしい。かれは、すでにベルギー、フランス、ブラジルで、公共空間で巨大な作品を展示する活動を行ってきたという。
このアヒルの子は、「水都大阪2009」と「日本オランダ修好400年」を記念して登場した。大阪とオランダは、適塾で教えられた蘭学でつながるのかな。

翌日、しっかり写真を撮ろうと、カメラをぶらさげていってみた。
ありゃ、どうしたことか、被写体は影も形もない。
まさか週末をひかえて、もう店じまいということはないだろう。眼を皿にして探したが、黄色いアヒルは、消えた。

川の道駅のガイドさんにきいてみたら、空気が抜けるる不具合でぺちゃんこになったらしい。目下修理中とのこと。川面から忽然と消えたはずだ。

空気を入れなおして、また、元気な顔をみせてほしいものだ。
あれはすごかったでえ。などと、都市伝説として、誰も見たことのない幻のアヒルにならんように。

世界のいろんな川で、この巨大アヒルの仲間が浮べられているという。大阪の次は、インドときいた。
物騒な世の中、いま、ベルギーの運河に浮いているアヒル君には災難がふりかかった。テロ攻撃?を加えたやつがいて、風船にでかい穴をあけたそうだ。嵐でやられて、ようやく帰ってきたばかりなのに。
ラジオオランダのネットによれば、おそろしいことだ、とても残念だ、と作者が大阪からコメントしていた。

このインスタレーションは、契約期間が過ぎればまもなく撤去される。
水都の住人であるぼくも、このどでかい、かわいいアイデアに敬意を表して、思い出に残るTシャツのデザインを思いついた。

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ひょっとして、大川端に着水した幻のアヒル人形となるかもしれない。オランダからアイデアが飛んできたのだから、話題になるよと、お隣のイタ飯レストランの大将に見せた。

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オランダへ向かって空高く舞い上がるアヒルなんかいいじゃないか、どう?水都2009記念のTシャツにしても、クッキーの箱に張ってもいいし。
ぴんと来ず、無反応。
おもろいアイデアなんだけどなあ。

それにしても、オランダ生まれのアヒルの子は、空気を満タンにして再び元気のいい姿をみせてくれるのだろうか。
大人は気付かずとおりすぎても、子どもたちは興奮してはしりまわっていたそうだ。

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投稿者 nansai : 14:45

2009年8月20日

八月二十日

NHK「戦争証言プロジェクト」は、あすの日本のための追悼施設だ。

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NHKがインターネット上で「戦争証言プロジェクト」を進めている。これは、300万人の尊い命を失った悲劇の負け戦の記録である。デジタルでこそ記録しえた。先の大戦終結から64年、これは偏狭なナショナリズムにあおられることなく、冷厳な歴史を直視し、未来を考えるために、後世に残す貴重な資料となった。
あれほどの惨憺たる敗北を喫した敗軍が正しくリアルに歴史を語ることは少なかった。11年に完成するこのこころみは、後世に伝える情報の金字塔である。
ここに、日本で初めて、いや、世界で初めてではないか、テレビとインターネットが初めて大規模に融合した戦史が完成しつつある。

まず、サーチエンジンに「戦争証言」と打ち込んでみてほしい。
日本人が知らされていなかった、知ろうとしなかった太平洋戦争の生々しい実録が、アジア太平洋各地で参戦し、かろうじて生き延びてきた人の証言により浮かび上がってくる。
戦場は地獄だったと回想する証言者たちは、90歳前後、ようやく重い口を開いた。

何の大義もなく成算もなく突入した大戦で310万人の同胞が命を落とした。巻き込まれたアジアの人たちは、2千万人とも。
200万人もの日本軍兵士が戦場に送られた。兵士の70%が、補給を断たれ、弾を撃つことなく、餓死したといわれる。

NHKは、これまで、営々としてあの悲惨な戦争の実相を、映像と敵味方双方の生存者への取材を通じて数々のドキュメンタリーを制作、放映してきた。
ネット編集が綿密ていねいだから、NHKスぺシャルなど長時間ドキュメンタリーも丸ごと収録され、必要な部分だけ抜き見することができるのはありがたい。

過去放映されたドキュメント「太平洋戦争」と、シリーズ証言記録「兵士と戦争」をネットに完全収録した。これに地図、年表、証言者の索引から、レイテ戦から沖縄上陸など、個別のストーリーへリンクされる構成だ。
いま、若い人も政治家もあまりに歴史認識が足りないといわれる。
近現代史は、授業で教えない、入学試験に出ない。でも、このような史実を、アーカイブで動画で見ることができる。いつでも、どこでもだ。

ネットとテレビのクロスメディア編集は、あらゆる情報を百科事典のように、整然と整理できる。伝えやすく教えやすい。教科書を授業でどう使うかに教育革命をもたらすだろう。BBCなど他国に先を越されてきたが、NHKの今回の試みは、21世紀のデジタル情報伝達に、出版とは別の新しい可能性を投げかけている。
日本の教育は変わるかもしれない。
この方向に向かう投資こそ、国民から白い目で見られているハコものでない、次の世代の人材を育てる公共事業ではないか。

投稿者 nansai : 15:54

2009年8月 5日

八月四日 ヒロシマ原爆投下目的のおぞましさ?

ぼんやりみていた昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」の特集に恐ろしい衝撃を受けた。
昭和二十年八月六日。あの日の原子爆弾投下は、残虐きわまる人体実験だったのか。「なぜ警戒警報は鳴らなかったのか・・・。」
番組では、原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ」は、ヒロシマ市民を油断させて、最大限に有効に、原爆を落としたのだ、と告発されていた。 

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息をのんでみたこのドキュメンタリーは,AERAの長谷川熙ライターの取材による「エノラ・ゲイは二度舞った」にもとづいている。

「あの核攻撃のやりかたを工夫した人間たちの残虐さについて、つよい嫌悪感と反感を捨てることができない。」
こう語るのは、原爆投下直後に海軍による被ばく調査に参加した若木重敏氏。93歳。京大理学部出身の元海軍技術大尉だ。

「エノラ・ゲイは上空を旋回しながら通過、その間に日本側に警報を発令、解除させた。この解除放送を傍受するや反転して、無警報の中で地上に出ていた大人口をまるごと被ばくさせた。原爆の影響を測る「人体実験」の効果を最高度に上げた。」

1メートル以上深く地下にいたら、人体への原爆の影響はほとんどない、とアメリカ側はわかっていたそうだ。
しっかりした防空壕にはいっていたら、爆心地近くでも、人々はたすかっていたのだ。

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テレビでは、奇跡的に防空壕で命を取り留めた二人の当時の少年少女の証言を紹介していた。
当日もし警戒警報が出されていたら、人身被害はかなりすくなくてすんだのではないか。14万人も死ななくて済んだかもしれないのだ。

米軍機は、広島市を通過したと見せかけ反転し、警報を解除させるように、フエイントをかけたと、若田氏は証言する。これが事実とすると、まるで西部劇の悪漢の卑怯なガンさばきをみるようだ。
その日「エノラ・ゲイ」は、戦果観測機を従えていた。無警戒の市民が防空壕にはいっていないのを見すまして、原爆を投下したのだろうか。人的被害を最大化にする実験効果を意図して。
もちろん60年以上前のとぼしい(または秘匿された)データ証言から、エノラ・ゲイの航路を追跡することは容易ではない。

ぼくは、以前から、マンハッタン計画の総責任者グローブス少将の特異な判断行動に疑問をいだいていた。権力者独特の傲慢で非情な性格が資料から読み取れる。
かれが原爆投下地区の選定にあたり、京都を最適として執拗にのぞんだことにひっかかっていた。高度に教育された市民だからこそ、被爆すれば、この爆弾の重要性を思い知るだろうというのが理由だ。反対されて沙汰やみになったが、かれが実験地区に京都を押した理由は、そのはかりしれぬ文化価値である、というから常軌を逸していた。

アエラ誌8月10日によれば、原爆投下が成功した直後、総指揮官グローブス少将は、「医学陣も含めた被爆地の早急な組織的調査を命じた」といわれる。「病理学標本」の収集もだ。広島への原爆投下は未曾有のスケールの人体実験だったのか。
戦後進駐した米軍は、ABCCを設立したが、被ばく者を治療せず生きた標本扱いにしたことも違和感を感じて記憶に残っている。

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もし、あの朝、警報が出て市民が防空壕にはいっていれば、あのようなたくさんの人的被害は出なかったという若木説を、ぼくは、昨夜テレビでみるまで、知らなかった。

「原爆機反転す。ヒロシマは実験室だった」(1994光文社)」「広島反転爆撃の証明」(文芸春秋)。
協和発酵副社長だった元海軍技術将校若木重敏氏は、すでに数冊の告発の書を出版していた。いずれも絶版だが、話題に上らなかったのか。
まだご存命らしい若木氏をはじめ高齢の関係者へのさらなる取材で、真実が明らかになることを望みたい。

不幸にして、もし事実ならば、64年前の米機の狂気のふるまいは、まさに「鬼畜」だったというほかはない。戦争とはそういうものだ、と言い切ってよいか。

歴史は、風化する。ニューメキシコの国立核博物館では、ヒロシマ.ナガサキに落とされた原爆ファットマンとリトルボーイをかたどったアクセサリーが4ドル50セントで売られている。ウエブサイトは、「リアクション」をどうぞ、と、くったくがない。リアクションとは、「核反応」。
ごく最近おこなわれた世論調査では、アメリカ人の61%が原爆投下の正当性を認めている。55歳以上は73%が賛成、35歳から54歳の60%は賛成、34歳から14歳では50%が容認している。

投稿者 nansai : 13:40