縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年10月30日

十月三十日 「水都、わが町」を考える。どの町に、ぼくは、住んでいるのか。

北大江公園、恒例「たそがれコンサート」秋の大イベントは、めでたく終了した。ぼくの不出来なチラシがあちこちの店先に張られて、ま、無事すみました。

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この付近は、楽器関係の工房が多く、出入りするミュージシャンも多い。プロの演奏家のみなさんが、ボランティアで、客寄せチンドン屋から、やさしい解説付き名演奏など、大車輪の活躍だった。
チェロの無伴奏の協奏曲はちんぷんかんぷんだったが、弾く弓は、馬の尻尾の毛だと教えてもらった。
それも、オスの尻尾の毛でないといけない。後ろ足の付け根のしっぽへの尿のかかり具合がオスとメスで違うそうで、なるほどとなっとくした。
フルートとハープの演奏も、オンチのぼくにもやさしくわかるような日本の歌だ。「見あげてごらん、空の星を」も演奏され、がらにもなく、思わず空をみあげると、ここはビルの谷間で、真っ暗なせまい空に星はひとつもみえなかったのは残念。

隣のイタ飯食堂もおおはりきりで、店の前で焼く、もうもうと煙を上げるサンマやイカのバーベキューの匂いが、演奏会場まで流れてきた。
当店何よりの快挙は、店のトイレを公園の観客に開放したことだ。

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その太っ腹な英断に感謝して、オーナーシェフの肖像画をそそくさと描いて、ここに贈呈することにした。本人は、不揃いな歯並びが不満げなのだが。

ところで、自治体が後押ししている「町づくり」とはなんだろう。「わが町」は、織田作之助の名作だが、あの小説にでてくる「がたろ横丁」のような町は、大阪市内に残っているのだろうか。どこそこの神社の氏子も神輿をかつぐ若い衆の数がたりないときく。

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八軒屋界隈。この町内の住民は、あたらしく建ったマンション住まいがふえている。住民の大多数は、郊外やよその町から、ここのオフイスや店に通勤する、ぼくのような「通い」の住民だ。マッチ箱のような公園の四方が、マンションと当社のようなオフイスビルに囲まれているからだ。
戦災で焼けたこともあって、ほとんどの住民が新参者だろう。町づくりといっても、どだい、イタリアの田舎の町のように、教会があって、広場があってといった「コミュニティ」の態をなしていないのはしかたがない。

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ぼくは大阪で生まれて地方で育った。また、大阪に来て、半世紀以上たつのに、ぼくはどこのコミュニティに属しているのかわからずにいる。
多感な時期を過ごした田舎に帰っても、浦島太郎だし、今住んでいる郊外の家の近所に、ぼくの居場所はない。
つきあいといえば、長年、会社と仕事を通じて知り合った仲間(むかしの得意先も)とのそれだ。
しかし、この北大江公園界隈もなんだか、いつのまにか、渡来してきたぼくが「帰化」してしまったおもむきもある。ぼく個人は、区税をはらってはいないよそものだ。三代続いた家はほとんどないそうだ。みな戦後集まってきたよそものだし、親しく付き合っているわけでもないが、公園の一角に、ビルを借りて、ぼくも30年以上根をおろしているから、住民には違いない。

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ぼくの顔はしられていないが、ぼくの下手な絵がメディアになっているみたいでもある。不思議な渡来住民である。

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投稿者 nansai : 17:19

2009年10月19日

十月十九日

ぼくの描いたTシャツ絵の展示会を、丸善ボタン画廊の片隅で開くことに。

北大江公園かいわいは、楽器職人の町として売り出し中だ。十月にはいって、町内あちこちのレストランでは「たそがれコンサート」音楽イベントが開かれている。その一環として、場違いながら、ぼくのTシャツも、枯れ木も山のにぎわいということらしい。
画廊への目印は、画廊の斜め前の立ち食いうどん屋さんの回転警告灯だ。赤い光がちかちかまたたいていて交通事故現場の感じだが、遠くからもよくわかる。

これから寒うなるのに、なんでTシャツやねん、と突っ込まれると困る。高価な紙を使うよりも、布地に刷るほうが、安上がりでかんたんなのだ。ひらめけば、アイデアがすぐかたちになるし、何より、安直だから。



もし、ぼくがイラストレーションの個展を開こうとすれば、制作の手間もたいへんだし、額縁などが高くつく。
Tシャツは布地にじかに印刷するから、省エネで安直に出来上がるのが利点。といっても、せこいなりに、結構コストはかかってしまうが。
べんりになったもので、あわてて、東京のTシャツ印刷会社に、隣のイタリア食堂マリアンのご主人にパソコンで発注してもらったら、三日たらずで刷り上がった。

マウスでこちょこちょと描いて、入力して、発注すれば、好みのTシャツが完成する。
このままではあまりにイージーなので、古い友人のアートディレクター千葉さんにお願いしてポスターをつくってもらった。ありがとうございました。

投稿者 nansai : 18:37

2009年10月14日

十月十四日 ほんとに!政権が交代してしまった。さ、これからだ。

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政権交代とは、こんなものか。
戦いが終わってはじめて、政治にうとく、政局にも無頓着だったぼくにも、見えなかったことが見えてきた。

コンクリートのハコから、ヒトへ。
予算を振り向けるのは、賛成である。箱もの行政がおかしいことがわかっていながら、自民党政権下では、日本の政治はかわらないと、黙認しあきらめていた。
限られた予算に、優先順位をつけ、箱ものでなく、教育医療福祉にまわす。しごくあたりまえの民主党の方針に、賛成する。

政権交代は、官庁縦割りの既得権に縛られた税の配分先を大胆に変えられるのだ。甘い汁を吸ってきた族議員たちがうろたえるのは当然のむくいだ。でもたいへんなのは、これからだ。

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公共工事は、地方にとって、麻薬のようなものらしい。
大都会に住んでいては、そこのところの事情が、不勉強なぼくにはよくわからなかった。
土建国家の日本は、公共工事という麻薬を打ちつづけなければ、財政がゆきづまってしまう体質になってしまった。総選挙直前、女優のりピーの覚せい剤依存症の話題で持ちきりだったが、日本の地方財政がヤクづけたったとは。

ずいぶん前、自民党の古参政治家が、地方は、ダムでもトンネルでも、何の名目でもいいから、とにかくカネがほしいのだと、ホンネをもらしていたのに驚いたことを思い出す。
『米国の半分以下の人口と4%の国土面積しかない日本が、米国の年間使用量と同じ分のセメントを使い、公共事業は、米国国防費を上回る』と、ニューヨークタイムズがあきれていたという。ほんまかいな。

政権交替後、手のひらを返すように、これまでの自民党政治を総括するマスコミ報道や論評があふれた。
先日の日経の「自民党半世紀」特集に目を通したら、自民党の政治を支えたのは、政治家の個人後援会と業界団体だったと総括している。大阪郊外のぼくの選挙区では、効率が悪いとみられたのか、ほとんど選挙運動の洗礼を受けてこなかった。もちろん、個人後援会などお呼びでない。
日本列島改造という美名のもとに、半世紀以上前に田中角栄の開発した、政官業のあいだでの利益分配と集票の精緻なしくみが、これほどまでに長期にわたり持続可能だったいきさつが、あらためてよくわかった。
当時の国民は『コンピュータつきのブルドーザ」と田中角栄を英雄視したのだ。

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公共工事に偏った財政支出は、選挙対策には役立ったが、一方で巨額の財政赤字を生み出した。自民党政権下、全国津々浦々にハコモノが建てられ、ダム、道路、空港、鉄道がつくられるのを、ぼくら国民は当然のように、いや、はるか遠くの地方にばらまかれるのを、他人事のようにうけとってきた。
地方は、国のカネをあてにして、空港、新幹線、高速道路をつくりたがる。地方活性化をうたう政治家の目先の選挙公約だった。ここ大阪近辺にも、三つの空港ができた。将来の不採算性を考えては、票に結びつかなかったのか。

気づけば、つもり積もって、国として、800兆円の借金というつけが残った。
悲惨な状況の夕張市、泉佐野市のように立ち行かなくなった自治体も目白押しだし、わが大阪府も南港埋め立て工事や、失敗したオリンピック誘致などで、莫大な負債を背負っている。
国は、まだまだ国債という借金証文を発行し続けねばならない実情だ。


「世界の民主主義国のなかで、自民党に匹敵する長期政権が維持される国はまれである。
自民党が、「与党であることで与党であり続ける」ことに成功した背景には、巧妙な利益誘導政策があった。以上は、日経の『経済教室』からだ。そんなに長期にわたっていたのか。知らなかったではすまされないのだが。
このようにフェルドマン氏ほかの専門家に指摘されてみると、独裁国家でないかぎり、政権交代の必要を、これほど長く、国民が感じていなかったのは、やはり異常な国だったのか。

かねがね報道されていた政官業の癒着という実態は、苦々しくは思っていた。
この国に限ったことだけでなく、官僚が族議員と組んで特定団体の利益に沿う公共事業や補助金をきめてゆく、いわゆる鉄のトライアングル(三角形)は、いまは大学のゼミでも教えていると、女子大学生がNHK討論会でのべていた。常識なのだ。

先月のNHK大阪は、勇気をふるって?すごいテーマをドラマ化した。

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門真市の市役所をロケして、政官業 の癒着ぶりをドラマ化したのだ。架空(とは思えない)の大阪府下の「なみはや市」を舞台に、ニュータウンの建設の是非を巡って、身につまされるように描かれていた。勇気ある試みだったが、時宜を得て好評だったという声は聞こえてこなかった。ゴールデンアワーに、このようなリアルなドラマが放映されることが、世相の急変ぶりを物語っているのだろうか。

政官業の関係者をまきこんだ公共事業は、いったん間違って走り出すと、もうとめられないという。
カネのばらまかれ方が半端でないのだ。
買収、補欠の土地代金、セメントや鋼材、長期にわたる工事費。賃金として地元の雇用に結び付く割合は意外と少ないそうだ。
こうなると、何十年前の発案されたときの大義名分は、どうでもよくなる。これほど変化の激しい時代に、建設目的などは、すぐに揮発してしまう。

地元の住民にとっては、きょう、あすの仕事が最大の関心事である。カネがすべて。「この橋の工事が終わると、もう仕事がなくなる」といった地元トラックの運転手のうめきが、同情を持ってマスコミで放映される。

経営学で言う「全体最適」と「部分最適」の折り合いは、まことに困難だ。この国の行く先とか、国全体の調和は、地元には見えるわけがない。今ほしいのは仕事。目先の仕事がほしい人には、どうでもよいことだ。

「全体最適」を説かれても一般国民は、お国のためと、地元のお気の毒の境界が見分けられない。
情報公開が隠されたり不十分だから、どっちも他人事と思えてしまう。国の負っている800兆円を越える借金がどんなことなのか。プライマリーバランス?何とかなるのじゃない?
ぼくをふくめて、全体を眺めて将来を考える習慣は、身についていない。政治家の呼びかける「国民のみなさん」の実態はこうだろう。

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地方の小選挙区で戦う政治家は、地元の講演会では、後援会の切望する「部分最適」のプランを述べて、明日の一票を狙う。
国益をとなえ「全体最適」の大義をふりかざす相手には、「地方を切り捨てるのか」と居直ってみせねばならない。つまり地元への利益導入以外に約束することはない。だれの目にも国家百年の大計とのギャップがあきらかであっても。

で、どうしたらいいか。まっとうな民主主義を実現するには、政治の仕組みの大改革に帰るのだろう。容易なことではない。

議員たちは、地元の選挙で勝つことと、国政とをどう両立できるか。
何しろ経験がない。未知への遭遇だ。明治維新の岩倉使節団を見習ってか、副総理が急きょ政権交代の本場に、勉強に行くのはいいことだと、しろうとながら思った。英国などの政権交代が頻繁な運用例が参考になるだろう。先進民主主義諸国の失敗の歴史にも学ぶことは多いのでは、と政治音痴のぼくは考えた。しかし、おっとどっこい。

お手本としてのイギリス政治は、文芸春秋十一月号の、中西輝政教授のご託宣によると、「模倣不可能」とのことだ。最初の政権交代は、得てして失敗する。苦渋に満ちた長い学習期間が必要であるらしい。

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しかしながら、ぼくは、海図のない荒海に船出する民主党の若手の志と意気込みは、高く評価したい。
マニフェストを穴のあくほど読んだわけでないが、出陣した若手の武者ぶりは、すがすがしい。いいぞ、その調子だ。いまは、組織がもつかどうか、見守るだけだ。

政治家に必要なのは、大久保利通のような、つまるところ胆力だと言った人がいた。

自民党をぶっ壊すとして、金融崩壊に対処し、構造改革に立ち向かった小泉、竹中チームの実績、次世代の内閣で立ち枯れに追いやられたが、を否定せずに認める学識評論家を、ぼくは支持したい。
個人的恨みから、彼らにくしで、市場原理が格差を生んだと、時計の針を逆に回そうと、復讐の血刀を手に吠えまくる人たちを唖然としてぼくは眺めている。
とくに、特定集団の利益を代表する族議員たちだ。郵政、農林、建設など、業界に寄生する族議員の領袖たちが、よくいうわ。
市場にかわる経済効率を測る物差しを人類は発明していない。市場、それもグローバルな視点と物差しを無視すれば、世界では生きていけない。企業ならば、即、つぶれるのだ。

今度の政権では、国家の理想像が示されていないという声が高い。しかし、拙速では、国家百年の計は立つまい。取り返しがつかないことにもなりかねない。

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戦前戦後、幾多の国家理想像を提示されて、国が滅びそうになったのを、当時若く、いまや年老いたぼくは、まるで昨日のように、生々しく苦々しく思い出す。いまの時代、賢者だけでなく、愚者も、歴史に学べるのだ。

おぞましい八紘一宇、大東亜共栄圏、本土防衛、一億玉砕。日本列島改造論。
敗戦後すぐの「貿易立国」は、その通りになったが。イギリスにならっての「金融立国」も、モデルとして、その時は、なるほどと門外漢のぼくは思ったが、崩壊してしまった。

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戦争に向かって国家が破滅に向かう決断も、一握りのエリート集団によって推進された。
いずれも、日本独特の縦割り組織にへだてられ、世界情勢が把握されぬまま、若い高級参謀たちが立案し、それを権力者がまるのみにして採択、天皇に上奏した。
太平洋戦争は、海軍軍令部の中の俊英からなる第一委員会、たった十名以下の描いたシナリオ通りに破局に向かい突き進んでいったと、NHK特集「日本海軍400時間の証言」で知った。

あの戦争のような巨大なエネルギーは、いったん動き出したら、ブレーキをかけるのに、さらなるエネルギーが必要だということを教えている。
石油がなければ軍艦は動けない。米国の石油禁輸にそなえて、仏印へ兵をむけようとした。これに態度硬化させた米国は、華北からの撤兵を求めた。
日米交渉で戦争を避けるための妥協案だ。東条陸相が断固反対した。戦場ですでに10万人の命が失われている、いまさらあとにひけないと。
結局、勝ち目のない戦争になだれこみ、310万人の同胞の命が失われた。一握りのエリート軍人たちが、中国で戦死した10万の英霊に申し訳ないとして、米国への交渉を打ち切り、元も子もなくし国を危うくした。

ダム工事の中止も、これに似ている。あれだけカネを使ったのだから、いまさら後に引けない。
八つ場ダム建設は、部分最適と全体最適の激突である。

もともと、戦場での撤退、株の損切りには、大局感と勇気と決断が必要だ。
数百万人の犠牲者を出し100%負けるに決まった戦争でもやめるのは、あれほど至難だったのは、わずか、半世紀前の歴史が実証している。
でも、やめねばならぬときは、やめなければならない。

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自民党が大敗し民主党が大勝した理由は、掃いて捨てるほどある。決してマニフェストを熟読した結果ではない。投票所でも、候補者の名前以外、なんら主張がよくわからない。でも、ほとほと愛想を尽かして、小泉以降の自民党を罰したのだ。

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これからも、日本の民主主義は、日本型選挙のうえになりたってゆくのだろうか。理ではなく、ひとの情に訴える。辻立ちという、超「部分最適」を狙う選挙で、国の「全体最適」を理解させ賛同させることはできるはずがない。

小沢流選挙戦略は、地上戦だそうだ。かれの師田中角栄直伝の戦術だった。
かれは、政治は数がすべてだといった。質は二の次という意味だろう。オバマのように政見を説いて、理で集票はできないことを、角栄は知っていた。

街頭での辻立ち100回、相手の目をじっと見て握手、川上の山奥に足を運び、川下に下る。
川上の辺鄙な里には高齢者が住み、川下には、若い家族が暮らす。地道な活動の積み重ねで票田はこうして耕されるのだ。


ぼくのように、永田町にも霞ヶ関にもまったく縁のない人間には、今度の政権交代は、終戦直後以来の、身近な政治ドラマだった。従来の政治ジャーナリズム、金融専門家は、あてにならない。
新聞の雑多な切り抜きやワイドショーのコメントから、何か見えてくるものがある。
自民党政権下の半世紀の暗いジャンルに、木洩れ陽がさしてきて、物の影がぼんやりみえてきた。民社党の政府をになう若手に期待をしたい。

わが畏敬する立花隆氏が、文芸春秋誌上に気になる見解を唱えている。小沢一郎の密室政治は、民主主義ではなく、宮廷政治というべきであると。かれは、こうもつぶやいている。「小沢一郎の体質があまりに田中角栄のそれに似すぎている。」
「小沢が要職にいるかぎり、まるで角栄、金丸の亡霊が鳩山内閣を二重構造的に支配しているようにみえてしまう。」とも。

投稿者 nansai : 10:45