縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2009年12月21日

十二月二十一日 おいでやす。
郵政非公認、歳末賀状アイデア市。

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公園下の古本屋さんで「枕草子」の文庫本を買う。百円。たったの。
帯のコピーに「10代のうちに読んでおきたいこの一冊」とある。
ぱらぱらとめくっていると、
「ただ過ぎに過ぐるもの」(第245段)とあり、
「帆かけたる舟、人の齢、春、夏、秋、冬。」とみえる。
あっという間に過ぎるものは、年齢か。
いわれてみれば、清少納言のころの一千年前と変わらない。平成のいまも、年を取る速度は、同じなのだ。

年末になると、「喪中につき」と、知人友人からの賀状辞退が舞い込んでくる。
高齢長寿の時代だが、年々、年賀状を出す先がへってきているのだ。

今年郵便局から売り出される年賀はがきは、36億通。文具店や書店でも、賀状のデザイン見本が、わんさとならべられている。みな干支のトラがあしらわれている。ぼくのアイデアも似たようなものだ。
だが、ありきたりのは避けたいぼくのは、アイデアがひとりよがりなので、何の意味かわからないとよくいわれる。がっかりもし、説明責任?めんどくさいのだが。冒頭の絵は、山水画風に、山中に暦日なし、寝ぼけトラの寝正月、のつもりである。
つぎに、まず、無難、ありきたりのをいくつか。


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ありきたりだが、招き猫もじり。猫変じてトラになると。

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こちらは、なんとか勝ちたいトラキチむけ。
甲子園は大入り間違いなし。

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怒ったぞ。ぜひとも、巨人を倒したい。

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笑うトラの横顔が、みそ。これはこれで、いいできなのだ。

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これも笑うトラ。開運招きトラなのだ。ウオーとトラの咆哮とオメデトウをくっつけたのは、品がないな。駄洒落が過ぎた。

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カンフーで必殺の飛び蹴り一発。デフレ退散だ。

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ゴルフボールも、トラトラトラ

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投稿者 nansai : 15:11

2009年12月18日

十二月十八日 ごくろうさん。寒いけど、がんばってな。

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「かわいい。」「癒される。」アンコールにこたえて、高さ九?の巨大なアヒルが、寒風身にしみる八軒家浜船着き場跡に、かえってきた。
「水都大阪2009」では、ややPR不足だったラバーダック。
夜はライティングもされず、暗い川にひとりぼっちで浮かんでいた。
今回は、師走一二日から二五日まで、「光のルネサンス」行事の一環で今度はライトアップされて、寒空の大川に浮かぶことになった。これは、オランダ人の作家のインスタレーション作品。
あほみたいに、ばかでかくて、のんびり、あっけらかんと、まことに単純で、意表を突くおふろのおもちゃ。
黄色いダックは、はるか遠くからも見える。人々は「やあ、でっかいなあ」といながら、ケータイカメラ片手にちかづいてゆく。
あらためて、これぞ愛される前衛作品だ。とても、いい。拍手だ。

前回浮いていたときは、マスコミがとりあげなかったせいか、案外、人が集まらず、大人は気付かなかったが、小さな子だけが無邪気に無条件にエンジョイして喜んでいた。
それを横目でみながら考えた。
大阪では、吉本系のけたたましいお笑いでないと反応しないのかなあ。大阪人は、センスがないとはいわないが、受け止めるユーモアの質が違うのか、とちょっとさびしい思いをしたことを思い出した。
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もともと、このアヒルが登場したのは、日本とオランダ修好四〇〇年を記念してだった。東京が舞台で、アヒルが浮かんだ以外は、大阪は蚊帳の外だったようだ。

ぼくは、ちょっとあたまにきた。ごまめの歯ぎしりにすぎないが。
明治以前の大阪とオランダは、近い関係にあった。
大阪こそ、蘭学発祥の地ではないか。適塾をわすれてはいけない。北浜の適塾から、福沢諭吉、大村益次郎など、蘭学をおさめ明治維新に貢献した先駆者をあまたうみだしているではないか。かれらは、一冊のオランダ語の辞書を争うように筆写したというではないか。
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大阪をわすれてはいませんか。大阪の適塾こそ、日蘭修好四〇〇年の原点の一つであると、オランダ大使館に、いっておくべきだった。
そんなわけで、おそまきながら、日蘭修好を記念して、アヒルに啓蒙されたぼくは、勝手に、ポスターとTシャツをデザインしてみた。
オランダ政府!など、主催者には、無断で。おとがめはないだろう。ま、いっか。著作権にふれないように、ダックの写真は使わず、稚拙なタッチでマウスで描いておいたから。

ついでに、おもちゃのゴムアヒルがかわいいという声にこたえて、たのまれもしないのに、Tシャツ用のデザインをいくつか。

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みよ。ゴムのアヒルが、空を飛んでいる。大川から飛び立って、オランダに帰るというストーリーだ。
大川に昔から棲んでいる河童のがたろ爺が、アヒルの子をダッコしているポスターも。一寸法師みたいに生まれたてのアヒルの子が卵の殻に乗っているのも。
いちびりついでに、このあひるに、勝手に名前を付けたダッ子。英語読みのオランダのダッチと、アヒルのダックとを組み合わせたてみたのだが。

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投稿者 nansai : 14:38

2009年12月14日

十二月八日  「リメンバー パールハーバー!」

日本人は、なにを水に流したのか。なにを忘れているのか

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きょうは、何の日か。
いまから68年前の十二月八日未明、どこで、何が起きたか。
街頭で世論調査してみるとよい。知っている人は少なくなった。
乗ったタクシーの運転手さんも、さあ?と知らない。べつに恥じるふうでもなかった。
68年前のきょう、何が始まったのか。マスコミも、大新聞は、ほとんど触れていない。NHKテレビだけは、この日にちなみ、番組を三本放送した。

1941年十二月のある日曜日の朝、大日本帝国海軍はハワイ真珠湾を奇襲し、ここに4年にわたる太平洋戦争の火蓋が切って落とされた。

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日本は、同盟国ドイツの敗色のきざしがみえてきたのに、この襲撃により、第二次世界大戦に巻き込まれて、世界を敵に回すことになった。
あげくのはて、みずからは「大東亜戦争」とよんでいた総力戦で破れ、国民310万人が亡くなった。海外資産のすべてを失い、国内の都市が灰燼に帰した。

この朝、日本海軍350機の雷撃爆撃により、真珠湾に停泊していた戦艦アリゾナを初めアメリカ太平洋艦隊の主力が壊滅した。くわしくは、鳥飼研究室、ウイキペディア参照。YOUTUBEに「真珠湾」を検索してみよう。その生々しい光景が、いまは動画で見ることができる。
大戦果は、大本営発表され、ぼくら国民を狂喜させた。新聞にのった真珠湾の航空写真は、高空から撮影されていて、みなれないせいもあって、ぼくには戦果はよくわからなかった。まだ国民学校四年生だった。
そして、いま、真珠湾はどこにあるか、と問われ、三重県と答える若い人もいると聞く。(読売新聞編集手帳)まさかとも思うのだが。

ことしも、日本側は、この日について、沈黙している。
2350名の人命を失った米国側では、いまも各地で半旗がかかげられ、ささやかでも記念式典がもたれているようだ。ネットを検索すると、「リメンバー パールハーバー」の項目には、おびただしい数のサイトが存在する。全米で、その数なんと70万以上だ。地方新聞のサイトには、在郷軍人が集まり、ラッパが吹かれ、たたまれた国旗が半旗として掲揚される光景が報道されていた。

当時の大統領ルーズベルトは、演説で、この日はわすれてはならない「恥辱の日」として記憶されようと述べた。ニューヨークタイムズ電子版のアーカイブには、この演説をはじめ最近にいたるまで過去の関連記事がもらさず収録されている。

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1177名の戦死者を出し、二日間燃え続けた戦艦アリゾナは、湾の底に沈んだその場所の上に記念館が建てられている。

アリゾナを轟沈したのは、真珠湾内に潜入した日本海軍の特殊潜航艇の戦果であると、大本営が大々的に発表した。十二月七日五隻の特殊潜航艇が出撃した。大戦果をあげながら帰らなかった搭乗員は、「九軍神」とあがめられて国民の尊崇の的となった。

特殊潜航艇とは、排水量46トン、全長24メートル、水深100メートルしか潜航できない小型潜水艇。乗員2名。魚雷ニ本を装備し、親潜水艦の前部にのせられて目的地にちかづき、敵の泊地攻撃が任務である。

十二月六日、NHKスペシアルは、アメリカの公共放送PBSとの共同制作で『真珠湾の謎―悲劇の特殊潜航艇』を放映した。
当日、ホノルル湾内への潜入は、どの艇も不首尾に終わり、最後の一隻の消息が不明だった。その一隻が海底に沈んでいるところを発見されたいきさつと、国民の士気を高めるための大本営の情報操作の内幕がよくわかる。
特殊潜航艇が、大本営の伝えたように、アリゾナを雷撃することはかなわなかった。最初に座礁し捕獲された特殊潜航艇は、全米を戦時国債キャンペーンの目玉として巡回させられた。ついたあだ名が『東条の葉巻』。
結局、特殊潜航艇は、日米両国でそれぞれのプロパガンダに使われたと番組は伝えている。


ともあれ、78年前の彼我の戦死者を忘却のかなたに消失させてしまってはいけない。アメリカ側だけでなく、戦後の日本人も同じはずだ。開戦前夜、志願して決死の突入を試みた五隻の潜航艇搭乗員たちには、改めて深い敬意をささげなければならないだろう。全員が、二十歳代の若者だった。特殊潜航艇のかげに忘れられた海軍空襲部隊55名の犠牲者も、同じく追悼されねばならばならない。

この日始まった戦争で、日本兵士210万人が戦場に斃れた。
戦死した兵士たちが出征以来身につけていたお守りの日章旗が、戦勝記念品として今アメリカにもちかえられ、いま200ドルで売買されているとNHK」クローズアップ現代」で知った。

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十二月八日を迎えて、あの戦争の評価が揺れているように見える。
あの悲劇を正当化しようとする勢力は、あとをたたない。戦争をまがりなりにも体験したぼくらの世代でも、いろいろだ。

戦争を知らない新進の世代の研究者に期待したいが、かれらのなかでも意見がわかれている。

「あの戦争は無謀な戦争であった。」『勝ち目のない戦争に突っ込んでいった愚かな決断であった。』という俗耳に入りやすい見解、あるいは気分がますます支配的になってゆく恐れがある。」
と、産経新聞の「コラム」で、新保祐司氏(都留文科大教授)は、述べている。

新保氏は、あの戦争は無謀で、愚かだった、とみてよいかと問う。
『昭和16年12月8日に、『勝ち目のない戦争』であることは、十分わかっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。』とし、70年ほど前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずしてただだらだら敗れていっているのではないか。」
新保教授は、あの戦争を、歴史哲学的に回想せよという。無謀でも愚かでもないという。
310万人の犠牲者を出した戦争と敗戦を経験したぼくには、とても、日本は「戦って見事に敗れた」そのようには考えられない。
昭和のぼくは、なんのうたがいもなく、ボクハ グンジンダイスキヨとうたって育った。やむを得ず立ち上がったと、戦争を美化し正当化した、あのころの大義も正義も、しだいにご都合主義に変容していったと思う。


議論の前に、新保教授には、ぜひ検証してほしい証言がある。
NHKの「戦争証言」。これは貴重な膨大なアーカイブだ。敗戦で戦時資料は焼却隠滅された。戦争の実態を生身の参加者が証言している。
おなじくNHKで3回に渡り放映された『日本海軍400時間の証言』。いまは、番組をオンデマンドでみることができる。

国土を荒廃させあれほどの死人を出しては、正義、大義、理念、歴史哲学もすべてむなしい。国策というイデオロギーやドグマで、人は動かされた。最後は、一億玉砕して、国体護持が、国家目標だった。

戦前、戦時、戦後生きていたぼくは、皇国歴史教育を受け敗戦後の総括なき歴史認識しかなかった。外部の情報から隔絶されれば、国民は無知の状態だ。最近になって、彼我の極秘資料も発掘され、90歳前後になった兵士たちも沈黙を破って、戦場の現実を語り始めた。ぼくは、あらためて、70年前に自分の体験した戦争の本質とはなにか、を理解した。

歴史認識をめぐって論争はつきない。
が、ぼくは、市民をも巻き込んだ310万人の死者、戦場におもむき70%が銃を撃つことなく餓えて死んだ210万人の戦死者を思うとき、新保氏のいう『にもかかわらず』という開戦理由は見あたらないと思う。ぼくには、国家指導者の視野の狭さ、判断のミスとしか思えない。国はなにを守ろうとしたのか。当時も、国益とは、総力戦で焼かれ飢え、あれほどの人命を失うことではないはずだ。

神風を信じ、竹やりを振るって、精神力で敵に立ち向かう本土決戦には参加したくない。もうたくさんである。

サイパン沖縄が全滅し原爆が落とされ、敗色濃い1945年夏、旧制中学生二年のぼくは、敵の上陸に備え丸太をならべた機関銃陣地の横穴を掘っていた。軍部に主導された国家はどこへ向かってゆくのか。戦艦大和が建造されたことも、沖縄への特攻で沈んだことも、連合艦隊が壊滅したことも、情報から隔絶されたぼくたちは、真実を何も知らされていなかった。

追い詰められた大日本帝国の最後の国家ビジョンは、「東洋平和」ではなく「国体護持」だった。一億玉砕が閣議決定されていた。
一億人が本土決戦して全滅してまで守るべき国体。それが何ぼのもんじゃい、といえない時代の空気だった。
護持をめぐってポツダム宣言の受諾が遅れた。昭和二十年の戦没者、沖縄、サイパン、広島、長崎の犠牲者は、当時の世界情勢を見渡し決断が早ければ、救えたかもしれないのだ。

戦争の記憶を伝える語り部は、日米ともに高齢化し亡くなりつつある。日本人は、試験に出ない限り歴史に不勉強だし、現実に目をそむけてきたし、このままではまずいのではないのかなあ。

投稿者 nansai : 16:27