縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2010年1月 8日

一月八日 なんとなく、年が明けまして。

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なんとなく今年はよいことあるごとし
元日の朝晴れて雲なし   啄木

三が日は、晴れて雲なく、びっくりするような好天。はたせるかな。「よいこと」が起こった。

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恒例新春杯で、友人の奥さんが、ぼくら10の眼の玉の前で。ホールワンしたのだ。万歳。キャディさんが飛び上がった。眼が点になったとはこのことだ。
こいつは、春から縁起がいいわい。と、まわりも福をわけてもらい、大たたきの連続だったぼくも、おっ、苦手のウッドが高く遠くへ上がるようになったではないか。ごろばかりだったのに。
なんとなく「よいこと」は、たとえささやかでも、ひそかにたいつにせねば。

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年賀状に、なにかひとことペンで走り書きしてあるのをもらうのは、うれしい。
「お元気ですか」だけでも、差し出したひとの相手を思う気持ちが伝わる。要は思いやりである、印刷は、きれいでも冷たく味気ない。
ぼくは、ないチエをしぼってマウスで描いて、手刷りのつもりで、プリントアウトするのだが、普通の印刷とみわけがつかないらしい。

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手書きで一言添えてある年賀状は、今話題の「ツイッター」のようなところが、うれしい。
たったいま自分の思いを140字以内で発信し、反応が返ってくるミニブログが、「ツイッター」だ。

ぼくは年賀状を出すときに、前にもらったのを見直すけくせがある。一年前につぶやくように年賀状の片隅に書き込まれた短いメッセージを意外に読んでいない。
一年後、年賀状を書く寸前に、差し出す相手とあらためてなつかしそうに対話している自分がいる。
とどいた年賀状にはふつう返事をださないから、一年はすぐに経ってしまう。おめでとうの賀詞に、これから手術をするとみじかく書き添えて入院し、まもなく亡くなった人もいた。ま、この歳になれば、ひとごとではないのだが。

おもしろいことに、ぼくが出す年賀状の相手のほとんどは、八軒家南斉サイトは認知されていない。かつては、賀状にも検索先をのせていたのだが。
しばしば停滞するせいか、なかには、縦組みサイトをやめてしまったと思われて、糸電話の相手がいなくなってさびしいと、年賀状に書いてきた向きも。「すんまへん。まだ生きてますがな。」と、肩で息しながら、返事するのもへんなので、そのままに。

同じ縦組みのサイトを好調にたちあげていた女流推理小説家は、どういうわけかストーカーに悩まされ、閉めてしまったときいた。これは、やりきれない。こまったことだ。

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双方向コミュニケーションは、孤立ケンカイ、わがままでヒト見知りの南斉の手に負えない。
屁をひっておかしくもなし独り者。
アタマ隠して尻隠さずのきらいはあるが、この独りよがりサイトを、細々と続けられるところまで続けようと思う。想定読者は、もうひとりのぼくだけだから。

なぜ時流にさからい、ウエブ日本文の縦組みにこだわるのか。あほと違うか。奇異に感じている向きも多いのは承知している。
アイ ハブ ア ドリーム。一寸のムシにすぎないぼくにも、志はある。日本語ウエブサイトを読みやすい縦組み表記することで、コンテンツの文字量が大量に増え、アーカイブされることで、速読拾い読みできると思うからだ。
日本語文字で構築されるウエブサイトは、全日本規模でみると、欧米のそれと比べて、あまりに貧弱、貧相である。端的にいえば、コンテンツ、なかでも文字量があまりに少ない。
日本文をウエブ上に横組みしたとき、バリアに満ちた読みにくさが、欧米のサイトに比べ、日本の文字コンテンツの充実、質的にも量的にもさまたげていると思うからである。

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郵政公社は、「年賀状はおくりもの」とコマーシャルをだしているが、ちょっと違うな。
時の流れで、こころならずも疎遠になってしまった人にも、年の初めということで、気持ちをさりげなく伝えられる機会。あいさつ、かるい会釈。メールよりは、さらっとした人間関係かな。
いまのようなかたちの年賀状は、明治かららしい。
地域でみな暮らしていて門ごとに年始回りをしていた江戸時代にはなかった風習だろう。いちいち飛脚にたのんでいたら、ばくだいなものいりだ。

たいていの連絡はメールですんでしまうから、書くの もじゃまくさい手紙やはがきの配達は、これからどうなるのだろう。

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亀井大臣は、離島や山間僻地の津々浦々に、安いはがき代、切手代でえっちらおっちら、ユニバーサルサービスさせることの物流経費をどう見積もっているのだろうか。美談づくりの選挙対策は結局高くつく。

投稿者 nansai : 2010年1月 8日 16:16