縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2010年8月19日

八月十九日 決して冗談ではない。65年前、アメリカは本気で、京都に原爆を落とそうとした。

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人類史上初めての原爆をどこに落とすか。終戦の三ヶ月前に、アメリカは、二発の原爆投下の候補地の検討を始めた。昭和二十年五月、ロスアラモスの投下目標地選定委員会の席である。
原爆投下の第一候補は、なんと古都京都だった。
委員会は、日本文化の精華というべき魂のふるさとを標的に決定した。ほかに、広島、横浜、小倉が選定された。
候補の基本原則は、こうだ。
原爆は、できるだけ早期に使用する。労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用すべきである。事前警告しない。
委員会のメンバーには、原爆オタクとしか思えない軍人、科学者がふくまれていた。かれらは、この無慈悲な爆弾を、じっさいに、軍関係も市民もおかまいなしに、爆發させ、その破壊力を早く確かめたくて、うずうずしていたのだ。
選定基準は、次の三つだった。直径3マイル以上の大都市、爆風で効果的に破壊しうること、8月末まで爆撃を免れる都市。

原爆投下のねらいは、なによりも、心理的効果を重んじたと議事録は記している。日本に対してと、同時に世界へのパブリシティ効果だ。

100万人の住む京都を候補ナンバー1に選んだ理由としては、京都には、インテリジェントな人々が住んでいるから、この新爆弾の威力を「思い知る」(アプリシエイト)だろうことをあげている。ふつうのレベルでは、この爆弾の威力が評価できないとみたのか。そのりくつが、よくわからない。
米国の原爆投下の理由のひとつは、兵器としての未曾有の爆発効果を測定すること。
その点で、専門家たちは、京都は、盆地なので爆破効果を確認しやすい理想の地形とみた。
(効果測定を正確に把握するため、原爆投下予定都市への空爆が禁止された。)
7月二六日づけの投下命令書には、戦果確認機も随伴せよとある。でも、放射能のおそれがあるから、投下後は、米軍の航空機は、爆心地に近づかぬよう警告を発している。
予想される一〇〇万人の民間人被爆者に対する人道的見地など考慮されていない。

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紙と木でできている古都に一発の原爆を落とせば、どうなるか。
伝統につちかわれた文化が瞬時に死滅する。当然、いっさいの神社仏閣と、美術品、文化財が灰燼に帰すだろう。
京都御所も二条城も金閣寺も清水寺も、祇園さんも天神さんも、地上から揮発してしまう。
千年以上も続いた日本文化はどうなるかは、文化と歴史に無知な原爆オタクたちの知ったことではなかった。真珠湾攻撃と捕虜虐待から、かれらの人種差別は極限にまで意識されていた。ほっておいても、日本の敗戦は必至で、秋には本土上陸作戦が敢行される予定だったのに。
この京都候補案は、さすがに、降伏後の日本人の心理を慮り、みずからも京都訪問の経験のあるスチムソン陸軍長官によって退けられたのだが
その後も、理想の投下候補地として、マンハッタン計画責任者グローブズ中将ほかが、執拗に食い下がり、京都優先を主張した。が、良識派のスチムソンが再び退けた。

このようないきさつは、戦後も、全く占領軍の報道管制で公表されなかった。米軍は、原爆投下の効果測定にフィルムクルーを派遣して、克明に被害状況を撮影させている。
当時アメリカ世論の大半は投下に大賛成で、当初フイルムは公開されたが、被害のあまりの惨状に、すぐ極秘扱いされ二五年間封印されることになったという。
正確な犠牲者数は、占領下では、発表を許されず、主権を回復した一九五二年に初めて報道された。

デジタルで、資料がオープンになったのは最近だろうか。時代がかわり、核爆弾が拡散して、テロに使われる危険が無視できなくなったからだろう。

あれから65年たった。ライフ誌のサイトには、タイムライン(年表)があり、
「未発表ヒロシマ.ナガサキ」特集として14枚の写真が掲載されている。撮影したカメラマンのメモをそえ、いたいたしい被爆者のケロイドも。
ハフィントンポストやグーグルから、すぐアクセスできる。だれでも、ツイッターで反応を寄せることもできるのだが。
ウイキペディア(英文)を参照してみよう。脚注、外部資料で、当時の秘密資料、議事録もいながらにして読むことができる。

ヒロシマ、ナガサキに続いて、秋には本土上陸支援のため、原爆7発を矢継ぎ早やに投下するオリンピック作戦が始まろうとしていた。
当時を生きた中学二年生のぼくは、陣地の横穴を掘りながら、まったく何も知らなかった。

当時、日米双方ともに、あまりに憎悪と偏見に満ち無知であったことがわかる。
投下最終責任者トルーマン大統領の長崎投下後のコメントが、つぎのように、資料に残されている。
日本人に理解できる言語は、これまで続けてきた爆撃しかないだろう。畜生と取引するには、畜生として扱わなくてならない。
日本軍の珠湾攻撃に対し、9.11と同じ復讐心に燃えていたのだ。
大戦の帰趨は定まっており、アインシュタイン、アイゼンハワーなど一部の有識者は、つとに原爆投下の必要性について警告を発していたのだが。

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はじめて今回、ルース米国大使は、広島の原爆記念式典に出席したが、献花もせず、硬い表情のままひとこともコメントしなかった。世論が許さないのだ。
原爆犠牲者に哀悼の意を要する必要を認めない空気が、いまも米国内に満ち満ちているのだろう。
世論調査では、現在も米国民の60%は原爆使用の正当性を認めている。
戦争はどっちが始めたのだと、原爆投下機の親族はいう。一般のアメリカ人は、加害者としての罪の意識を持たぬように、これまで詳しいことは知らされず、世論は誘導されてきた。かなりのひとが、あの日、何が起きたかを知らない。

投稿者 nansai : 2010年8月19日 10:27